425 :ひゅうが:2016/08/06(土) 00:49:39
おかげで一本追加できました。感謝いたしますw



 神崎島ネタSS――閑話「海峡」その2


はい。
もともと計画自体はすでに持ち上がっていたんです。
有名な「弾丸鉄道構想」が「新幹線」として結実したように。
津軽海峡は知っての通り、すこぶる荒い海です。
おまけに北海道側の港湾となる函館は…まぁ見た目にはペリー提督が東洋のジブラルタル呼ばわりしたように良港ですが、西風には極めて弱かった。
おまけに冬の間、この土地に吹く風はあまりに強すぎる。
箱館戦争として知られる御一新最後のおおいくさで旧幕府軍が強力な艦隊を活かしきれなかったのも、これが理由です。
実際、明治に入って以来10年おきに函館は大火災に見舞われているでしょう?
だから、瀬戸内海で架橋計画が持ち上がったのと同様に津軽では海底トンネルが構想されていたんですよ。
廣田内閣以前でも、構想が持ち上がっては消えていきました。
まぁ、ドーバー海峡にトンネルを通すという例の構想と同じですよ。

ですがこれが急速に具体化しだしたのは、昭和12年の3月ごろからです。
ええ。例の神崎島との接触です。
あちらでは、本土に加えて隣接島嶼に向けて海底トンネルを掘る準備が進んでいましたから。
ええ。もともと防衛目的での建造計画だったそうですが、あちらの事情で工事が延期されてだぶついていたTBMが10機以上もあったのです。
今では海底パイプラインが通っていますが、あれは計画の縮小版らしいですよ。
防衛目的とはいえそんなに無茶をしようとするなんて、彼らは何と戦っていたのでしょうかねぇ…いまだに機密解除はされていませんが。

ああ、まぁそういったわけで、計画を知った国鉄と内務省は話に飛びついたというのが事の真相ですね。
どういう経緯か満州で話を聞きつけた岸さんたちが乗り込んできたのはそのあとです。
いわゆる日本改造計画というのはそれらの大規模工事を無理やりに経済成長につなげようという意図のもとで統合された産物にすぎません。
ええ。もちろん効果は劇的でしたが、それでも工事が長引けばどうなっていたことか…


ええ。ええ。
この段階で、軍が希望を入れてきました。
当初の建設計画は、津軽海峡要塞地帯の真ん中に基地を作るつもりでしたからそれ自体は当然でしょう。
ただ問題だったのはその規模です。
彼らは、海底にパイプラインを通すという構想に飛びつき、さらに兵力移動量から逆算してだいぶ無茶な要望を出してきました。
はい。よく知られた構想です。
竜飛側からだけでなく下北の大間のあたりにも予備トンネルを掘り、1日で10万以上の兵力を急速展開させることを目指していたそうです。
ソヴィエト軍の着上陸を想定した上で、それが最低限の移動量だったそうですから…
いや、無茶苦茶ですよ。もちろん。
その段階で海軍も無茶をいってきました。
こちらは室蘭から戦艦の主砲の砲身が輸送できるだけの、つまりは複線を通せるだけの大きさのトンネルがほしいというやつでしたね。
それに海底パイプラインの規模増強に加えて、送電線の埋設もです。
いや、これも無茶苦茶ですよ。
工廠のある室蘭から函館を経て青森まで。それを20メートル以上の重い砲身を輸送しようっていうのですから。
まぁ結局はできることになってしまったのが頭の痛いところですが…

ええ。ここで国鉄の出番。
新幹線と在来線をあわせて通れるようにというわけですよ。
どうやら、新幹線の北海道への敷設のためにつばをつけておこうとしたようですね。
軍の要望とあわせれば計画も通りやすいという例の話です。
もうこの段階でパニックですよ。
彼らの計画をすべて盛り込んだのなら、今のトンネルの3倍の規模になっていたはずですから。
それに渡島半島から室蘭、札幌までの路線整備が加わります。
まぁ当時は需要を膨らませるものには消極的賛成という風潮でしたが、これではいくらなんでも過剰設備すぎました。
当時は黒部川流域に一気に8基もの発電所を建設して電力確保を行う方が優先事項でしたから、機材を提供し、建設工事にあたる神崎島側も難色を示してきました。
それに、輸送力の問題から当初計画よりもトンネルの勾配を緩やかにすることになったことも問題となりました。
軍の方は単に要望を出したような感じだったのを国鉄側やら道庁側がいろいろと膨らませてしまったのがかえって混乱を招きましたから…

いろいろすごかったですよ。本当に。

426 :ひゅうが:2016/08/06(土) 00:50:09
ただし決定打となったのは、やはり軍でしたね。
だいぶ以前から地質調査を進めていたようで、竜飛ルートの詳細な地質調査図が作成されていたんです。
ただし極秘だったためか、いつやられたのかもわからないのですが…
知り合いは、日露戦争の頃じゃないかといってましたね。
いや、よくやったと思いますよ。
それを見つけ出してきて、裏付け調査をするために海軍は軍艦を何隻も出したのですから。
深海調査潜水艇だって――
あああれは、神崎島のでしたね。ほら、パリ万博にも展示されたでしょう。「わだつみ」です。あれが大活躍したんです。
それに、石油探査のために開発されたばかりの人工地震法による地質調査も併せて――。
あれで、最低6つの断層があることがわかりました。
明治の先人たちはよくやったものですねぇ…潜水球というやつを使ったらしいですがたぶん死者は出ているはずですよ。
八甲田の一件みたいに。資料は残っていませんがね。

そういうわけで、建設計画がまとまったのが4月下旬です。
すごいでしょう?
普通はこんな突貫で計画なんてやりませんて。
その頃にはもう作業基地も完成していたくらいですからねぇ。
工事開始が認可の無電が入った直後なんてのはあとにもさきにも青函トンネルくらいでした。

はい。
当時軍が開発したばかりの地震爆弾…高高度から投下して地面深くまで貫通させて爆発させることでマジノ線みたいな地下要塞を破壊する爆弾を警戒していたために並行掘削するのは既定路線でした。
とはいっても実際のところは新幹線派がゴネ勝ったようなものです。
何しろ機械はタダでしたからね。他力本願ですが、そういうものでした。
はぁ。関門トンネルでも?
なるほど。橋を作るか穴を掘るかでだいぶモメたらしいですねあそこ。
おまけに本四連絡橋構想まで波及して――
あと、あそこでは朝鮮半島につなげるかどうかでだいぶ外野がさわいだでしょう。
独立運動に心情を寄せておいて、いざ自治政府ができると見捨てられるのを恐れてトンネル構想を推進というのはなかなか勝手だと思ったのを覚えていますよ。

ああ、そうですね。
結局、輸送力増強も通りました。
当時はもったいないことをと思いましたが…
え?
ああなるほど。東北だけでなく、北海道でも労働力を?
確かにねぇ。
トンネル工事はだいぶ人手を必要としましたけど、それでも機械化のおかげで道路だのよりは数は限られますから。
今ではやっておいてよかったと思いますよ。
ほら、宗谷海峡とか、四国の豊後水道――豊予海峡とか紀淡海峡とかはまだ通っていないでしょう?
あの頃じゃないとできなかったでしょうからねぇ。
それどころか四国あたりの新幹線だけじゃなく、電化も無理だったでしょう。

ああ、そうです。私は四国の出でしてねぇ…


   元青函隧道建設営団 根津太兵衛 竜飛工区長インタビューより

427 :ひゅうが:2016/08/06(土) 00:51:10
【あとがき】――間違いはSSのもと!(違)

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最終更新:2023年11月23日 13:12