746 :taka:2014/11/10(月) 12:02:04
終戦直前の印度尼西亜での出来事

1945年 3月 25日

オランダ領 インド沖 ニコバル諸島付近


コバルトブルーの海の真ん中で、数隻の米海軍駆逐艦が盛んに対空射撃を行っていた。
左右に回避運動を取りながら、低空で接近してくる戦闘機からの回避を試みている。
艦尾にまだ大量の爆雷が載せられている事から、対潜戦闘の最中に日本軍機の介入を受けたのだろう。
28mm4連装機銃、40mm連装機銃、38口径5インチ単装砲が一斉に火を吹き防御砲火を浴びせる。
空中と水面に水柱や爆炎を彩りながら、十数機の零戦は突撃の手を緩めない。
2機ほどがインチ砲の直撃を受けて爆散したが、残りは次々と両翼の下にぶら下げていたものを発射した。
それらは何発かは水面に突き刺さり水柱をあげたものの、大半は駆逐艦目掛けて飛んで行く。
三式一番二八号爆弾一型。
通常爆撃での米艦隊への攻撃は自殺行為と同義された今では、対地、対空、対艦において希望の星とされていた。
それらの大半は本土の航空部隊に配備されたが、幾らかの分量が南方にも送られてきた。
少数の機体で、最大の戦果を上げるためにと。シンガポールに配備された第三八一海軍航空隊にも送られたのだ。

ロケット弾はけたたましい飛翔音と共に駆逐艦へと迫る。
ロケット弾のいいところは、通常の航空爆弾の様に敵艦への投弾距離まで接近せず済むところだ。
退避距離が多く取れるので、接近しきって40mm以下の近接防御火器の猛射を受ける危険性が減る。
米軍の対空防御力は非常に高く、駆逐艦ですら侮れない火力を誇る。
故に、比較的安全な攻撃手段と言えるロケット弾はパイロット達に有難がられた。

逆に言えば、駆逐艦からすれば最悪だった。
ロケット弾では艦船における致命的な損害に繋がる可能性は低い。
だが、基本的に弱装甲な駆逐艦の艦上構造物を破壊するには充分だった。
特に至近弾や破片を防御する程度の防盾しか装備してない対空機銃班などにとってはまさに死神だった。
九八式爆薬を充填した弾頭が炸裂する度に爆炎と爆発によって多数の対空要員が死傷した。
複数の零戦に狙われた艦など露出した対空砲や機銃が全滅し著しく攻撃力が減耗している。

しかし、彼らにとっての悪夢はまだ終わっていない。

零戦部隊による対空能力を減耗するという露払いの後に控えた本命。
スマトラ島から発進した800kg魚雷1発を抱える陸攻10機が接近していたのだ。


静けさを取り戻した海面に、一本の潜望鏡がニョッキリと突き上げられた。
暫くの間、潜望鏡は周囲を見渡した後で、海面下に戻っていった。


「敵影なし、極東のカメラード達がアーミーを追い払ってくれた様だ」

緊張した発令所の空気が漸く解れた。
先ほどまでこのUボート……Uー234は先程の米海軍駆逐艦郡に追い込まれていた。
幾つかの爆雷を回避してきたものの、包囲され危うく機雷の雨を受ける直前だった。
その時、米海軍艦隊を発見した日本軍航空隊により駆逐艦郡は撃破され撤退を余儀なくされた。
激しい戦闘音が聞こえたし、大爆発と複数の沈降音と着底音が確認された。
どうやら、自分達を海底へと送り込もうとした連中は、先に海底へと送り込まれたらしい。

「松戸中佐。貴方の戦友に救われましたな」

居住区で待機しているであろう日本軍士官に密かな感謝を送り、U-234の指揮官であるアーべ少佐は前進を命じた。
駆逐艦との対峙で随分と時間を浪費してしまった。
あの絵を後生大事に抱え込んでいる親衛隊中佐がまた何か言い出す前にバタビアへと到着せねばなるまい。
死地を脱した所為か、活気に満ちた発令所の中でアーべはバタビアの地で目にするであろう椰子と青い空に想いを馳せた。

そして翌日、U-234はバタビアの日本海軍軍港へと到達した。
なおざりな礼を言い出迎えた背広姿のドイツ人達と共に足早に去っていく中佐の後ろ姿を見送り。
艦上で煙草を吸ったり水平線を見ている部下や松戸中佐を見たアーベは目を細めパイプを吹かした。

ああ、いい青空だと。

おわり

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最終更新:2016年08月16日 10:40