858 :ひゅうが:2015/02/27(金) 01:25:18
【チベット6月攻勢】――1978年6月に自由チベット軍が開始した全面攻勢。
1965年の文化大革命以後、大陸中華は朝鮮戦争後に米ソの仲介によって締結した中蔵相互承認を一方的に破棄。
インドと英連邦の軍事介入(第一次チベット介入)を生みにらみ合いに入った。しかし、70年代に入り印パ戦争の間隙をついてカム地方において紅衛兵の独断越境が発生。
これにより両国は、「宣戦布告なき非対称戦争」へと突入するに至った。
その後は散発的な戦闘が続いていたものの、カンボジア紛争を経た1978年、中越戦争の勃発とともに「西蔵回収」を叫ぶ正規軍10万と紅衛兵30万がチベットへと本格侵攻を開始した。


だが、ベトナム側において正規軍が予想外の撤退を余儀なくされたことから攻勢はカム・アムド地方の大半を奪取した時点で終了。
これに対し、国連警察軍司令部はカンボジアに続き国連警察軍の出動を発議。
議事は東側の反対によって難航していたが、その間占領地を固守する構えを見せた大陸中華軍に対して自由チベット軍が実施したのが「6月攻勢」である。
チベットの食糧供給のために必要なカム・アムド地方が田畑の作付け段階にあるためにこの攻勢は大陸中華側の不意を突いた。

そのため、ベトナム側の逆侵攻と海南島からの大陸反攻を警戒して正規軍の大半をつぎ込んでいた大陸中華側は、屯田兵である紅衛兵の潰走という結果を迎えることになる。
食糧供給ルートをゲリラ戦によって断たれた紅衛兵はこれにより地獄の撤退戦をたどることとなり、カム
アムド両地方において両軍におびただしい犠牲を出すことになる。
この攻勢の成功によって、国連警察軍介入の最後通告と米ソに加えインド軍の警告を受けた大陸中華はカム・アムド地方の半分を支配下においた状態で停戦に至る。

2015年現在、停戦ラインとなっている青海湖線(東経100度線)上にはインド軍とビルマ連邦軍を主体とした国連停戦監視軍が駐屯している。

868 :ひゅうが:2015/02/27(金) 01:50:22 >>865
結果的には、ですね。
本来なら朝鮮戦争の間隙を突いてチベットへ侵攻し1951年に解放委員会を設置して機会をうかがいました。
しかしこちらでは、よりによって設置の2日後に「37時間戦争」が勃発。
限定核戦争の勃発によって米ソ間が一気に緊張し、それどろころではなくなりました。
しかもその後すぐに停戦が結ばれ、ソ連とインドの目が東トルキスタンとチベットに向いたためにそれ以上の行動が不可能に…
さらには、56年に台湾とベトナムが相次いで独立するに至ると、度重なる軍事的恫喝に耐えかねて大陸中華はついには最後まで保持していたカム地方からも軍を引くことになりました。

869 : テツ:2015/02/27(金) 01:56:40
踏んだりけったりですな
寧ろ「どうしてこうなった」かw

872 : テツ:2015/02/27(金) 02:06:23 チベットのカム・アムド地方を占領したけど、後にチベット軍の攻勢で半分失陥したまま国連の停戦監視軍に介入された、かな?

873 :ひゅうが:2015/02/27(金) 02:10:32 >>869
本来なら、ソ連勢力圏であった満州・東トルキスタンを手放すこと自体がスターリンの気まぐれか朝鮮戦争で血を流した報酬みたいなものですから…
この世界では、5月に「チベットは昔からうちの一部だったから!」という併合文書みたいな協定を、「首相を監禁して国璽を偽造してまで」結ばせていますが、それまで戦争が続かなかったためにこんなことに。
その時点で、「朝鮮戦争に参戦せずに火事場泥棒に走りやがって!」とソ連が思うのも無理ないでしょう。
この世界では大陸打通作戦が史実以上の大成功をおさめてしまったうえに陸上国境線が引かれてしまったことからそれができなかったのが大陸中華の苦難の原因となりますね。

もっとも、南部に残存する国民党系から帰順した軍閥という難点があり、満州を手放すかどうか不透明なソ連がいる中でこうした神がかった選択ができた史実の周恩来や毛沢東が怪物だったともいえますけど。

874 :ひゅうが:2015/02/27(金) 02:13:45 >>872
そうなりますね。そのため、自由チベットの領土は史実チベット自治区と青海省の半分以上(チベット族自治州となっている部分など)、雲南・四川省の一部となります。
この戦争によって旧来のチベットの社会構造は激変。
20世紀末までは、ある種の軍閥体制に近いものとなってしまいます。

873 には「本来なら」の一語が抜けていました。大変失礼しました。

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最終更新:2016年08月16日 13:43