946 :ひゅうが:2016/08/24(水) 17:58:50
神崎島ネタSS――「第二次上海事変」その12



――同 中華民国首都 南京


暗然たる思いの中、男は椅子の上で「貞観政要」を読んでいた。
もう何度目になるだろうか。
はるか千数百年前の唐の時代、その太宗 李世民の言行録。彼の政治は「貞観の治」として後世に讃えられ、多くの者達の手本とされてきた。
中華だけでなく外国語にも翻訳されている。
朝鮮・女真族・西夏。そして日本。
天子のとるべき道として語られることは万国共通ということなのだろう。
そして為政者としてのそれも。
だが、それを貫くのは難しい。
思うままに生きるのが何よりも難しいように。

「さしずめ、私は玄宗皇帝か。」

玄宗。諡号(死後のおくりな)に「玄」すなわち「暗い」という字をつけられた皇帝。
彼の治世の前半は、開元の治として後世にたたえられる唐王朝の絶頂期であった。
皇帝自身もよく臣下の言葉を聞き、そして国家制度改革に力を尽くした。
だがそんな名君でさえも、楊貴妃という絶世の美女におぼれて国政を誤り、絶頂期の唐に安史の乱を起こす原因を作ってしまった。
ゆえに後世における評価に「玄」がつけられるのである。

男は、そうした後世の評価が何よりもおそろしかった。
いかに力を尽くしたとしても、死後に恥辱にまみれるのはこの国の人間として最大の屈辱である。
彼の留学した日本でも似たような感覚はあるが、この国では名を変えられてしまうのだ。
そしてそれが永遠に続く。
秦檜と岳飛の扱いの差を見てとるがいい。
古く漢の時代では霊帝という最悪の諡号すらある。
それは絶対に避けるべきことだった。
そう断じられてしまえば最後、自分を生んだ先祖はもとより一族そのものに最悪の評価が加えられてしまうのだ。
一昔前なら族滅といって十族皆殺しがあり得たのがこの国の歴史である。

「だが、もうどうしようもない。」

彼は、自分の何が今の状況――すなわち軟禁状態と遠くないうちの処刑を招いたのかを確認するために書物をひもといていたのだった。
私的書庫であったこの建物には幸い、こうした書物が豊富に存在していた。
扉の前には、東北軍閥時代からヤツに付き従っている兵士がおり、この2週間ほどは男はこの中に押し込められていた。
窓を開けて換気するのはできるし、洋式便所や浴場も使うことができた。
書痴であったらしい前の持ち主の隠居所らしい作りで、それらはこの建物を出ずに行うことができた。
むしろ、兵士どもは男の自決を期待しているふしすらあった。
だが、それだけはできない。
半ば意地で男は生き続けていたようなものだった。
いずれ恭順を求められたときには「正気の歌」でも暗唱してやろうか。と密かな楽しみを温めつつ。

947 :ひゅうが:2016/08/24(水) 17:59:27
「思ったよりも早かったな。」

パタンと本を閉じる動作をして、男は顔を上げる。
うまくできただろうか。

「ええ。閣下。」

背後に鋭い視線を周囲に配る兵士たちと倒れ伏す警備兵を置いたドイツ軍事顧問団総司令 ファルケンハウゼン中将は微笑しつつ彼を迎えた。

「君らは対日戦を望んでいたのではなかったのかな。」

「それも局地戦でのこと。全面戦争をやるにはまだまだ軍の教練が足りないことが明らかになりました。」

よくもそのような養鶏場の主のような目ができるものだ。と中華民国総統 蒋介石は眉をひそめたくなるのを必死でこらえた。

「だから私を再び担ぎ出す。よくもまぁ。君らが張学良を担ぎ出したのではなかったのか?」

「心外ですな。あれは我々とは別の動きですよ。最も利益を得る者です。」

「…共匪どもか。」

本当に嫌そうな顔をしているドイツ国防軍将官に、蒋介石は今度こそ眉をひそめた。
灰色の男、ファルケンハウゼンが言う言葉には真実のみが含まれているわけではないが、確かに一部は含まれていると知っていたからだった。

「それで、何があった。」

「わが顧問団の作戦計画を強引に押し通した結果、国民革命軍は上海において戦闘状態に入りました。現在、米国租界救援のために参入した米英日軍と戦闘中です。」

「なんだと。」

なぜそうなる。

「非公式日本租界の管轄権、すなわち第一次上海事変における警備権を日本は米国に譲渡。
と同時に居留民の引き揚げを開始しました。
駐留軍も引き揚げの途上にあり、かわってフィリピンの米比軍が治安維持の名目で現地に入ることに。」

「そこへ焦った馬鹿が介入したというのか。」

「はい。張治中という男、あれは血気にはやりすぎる。市内の大規模テロを口実に介入するのはいいが、それを日本軍特務機関の仕業とするには手際が悪すぎた。」

「だがそれを認めなかった。」

「この時点で上海における日本軍への痛撃という目標は達成困難でした。しかし彼は上海奪還と日本軍への痛撃にこだわった。
だから空爆を命じたのですな。」

空爆。空軍機による攻撃。

「結果、日本艦隊と米英艦隊に被害が発生。少なくとも1隻を撃沈。日本空母も撃破しました。」

「なんということを――」

いくら言いつのろうと、そして中華からみたら侵略者である上海駐留軍がすでにいるとはいえ、これでは先制攻撃だ。

948 :ひゅうが:2016/08/24(水) 18:00:05
「現在、上海『奪還』軍こと第9・第10集団軍は租界外延部で戦闘中です。また、未確認情報ですが日米の主力艦隊が上海に接近中であるとの情報もあります。」

「なんだと…!」

揚子江河口から黄浦江河口へ入られたら、そこから上海までは10キロほど。
ということは。

「艦砲・・・射撃か!」

やる。
横っ面をひっぱたかれたなら。列強はやる。

「撃沈艦は、日本艦だろうな?」

「残念ながら、米砲艦パナイ号。米アジア艦隊旗艦および英第5巡洋艦隊旗艦への爆弾命中も確認済みです。
なにしろ、現地宣伝放送が『轟炸機隊大戦果』を報じていますから。」

最悪だ。
このままでは祖国は、米英との全面戦争に突入する。

「お分かりいただけましたか?」

「ああ、十分に。」

そして、自分はもはやこの目の前のいけ好かない男の祖国に頼るしかないことも。
ここまでやったのなら米国からの不信感増大は決定的。
資本援助は財界から今まで通り得られるだろう。妻の宋美齢は米国上流階級に人気が高いから。
だが、軍事となるとまったくもって期待できない。

もはや、クーデターで政権を追われた蒋介石があの男を捕えることでしか事態を収拾できない。

軍事援助はこの男の祖国、ドイツ第三帝国くらいしか手を上げないだろう。
ソ連?論外だ。
つまりは。

「喜びたまえ。ファルケンハウゼン中将。君の目論見通り、ドイツはわが国第一の盟邦となる。」

「愉快痛快であります。総統閣下。」

わざわざフューラーの言葉を使い、ファルケンハウゼンは笑った。

949 :ひゅうが:2016/08/24(水) 18:01:12
【あとがき】――舞台裏的一遍。これもすべてソ連ってやつのしわざなんだ!(byファルケンハウゼン)
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最終更新:2023年11月23日 13:30