366 :ひゅうが:2016/10/02(日) 08:36:36
神崎島ネタSS――閑話「亡国の選択肢」
――1937(昭和12)年7月8日 神崎島 観音崎航空基地
機関士兼航法士は上機嫌だった。
「重整備から燃料まで。やはりひと月のオーバーホールを経た機体は調子がいいですね。」
「そうねー。」
「どうしたんです?」
やる気のなさそうな声を出したアメリア・イアハートは苦い表情で笑みを作った。
「完全に誰かの掌の上だったなーと、それだけかしら。」
「確かに。」
ならしの暖気運転の合間、チェックリストをこなし終えた間の一瞬の話題としてそれを選んだのは必然だった。
アメリア・イアハートが二式大艇改、愛称「エミリー」によって輸送したものによって、米本土はもとより世界中が驚倒し憤激した。
迅速な避難と退避勧告を受けて退避に成功したのは日本人と、少数の身軽な国の住人だけ。
公式に確認されたところでは租界居留の外国人5000余名が死傷し、租界住民2万余名が死亡した凄惨な市街戦はそれを詳細に報道した――というよりコントロールの暇なく浴びせられた情報の奔流によって明らかに一つの流れを形作った。
そしてその発端となったドイツ系女性写真家を避難民とともにハワイへ送り届けたのは彼女だったのだ。
何かに怯えるようにジュラルミン製のバッグを抱いた彼女の姿をアメリアは鮮明に思い出すことができた。
「日本人ですかね?」
「いえ。さしずめ歴史の神ってやつ。どちらにせよろくなことじゃないわ。」
「確認されただけで2万人、ですからね。実際はその10倍はあるかも。」
かつての欧州大戦において、1日で死傷した数の最高記録は7万人だ。
西部戦線、ヴェルダンの戦い。
あの攻防戦に匹敵する被害が、都市の中で発生していたかもしれない。
控えめに言ってもしっちゃかめっちゃかになった上海の状況はそんな空想が現実のものとして認識されるのに十分だった。
「やった相手も、それを利用しようとしたのもいるでしょうけど。
ま、近寄りたくない話ね。」
「世知辛いですね。」
「不景気だからね。」
そこまでいって、アメリア・イアハートは背筋をわずかにふるわせた。
軍需景気による景気回復。
それを欲する者は自分たちの祖国にも多いだろうことに気が付いたからだった。
そして欧州では、エチオピア戦争による特需に沸いた国もある。
『こちらカンノンザキ・タワー。離陸を許可します。』
「ありがとう。あなたたちにも世話になったわ。」
無線から、ようやく離陸の許可が入った。
先ほどまでの見送りから、わざわざ空軍基地の滑走路をあけてくたのである。
『どういたしまして!よい旅を。』
「ええ。そちらもお元気で。」
いずれにせよ、太平洋の航空路はこれからさらに盛んになるだろう。
そのときはまた、この島を訪れてみたいものだ。
そんな感慨とともに、アメリアの乗ったロッキード・エレクトラは「世界一美しい飛行機」らしい優雅な姿を加速。
ふわりと空へ舞いあがった。
摩天楼の群れをこれまでとは逆に右に見ながら、もはや慣れてしまったフィリピン・マニラへの航路を彼女らはたどる。
今度はパンドラの箱を伴わずに。
――こののち、1937年7月中にアメリア・イアハートは女性初の世界一周飛行を達成して北米大陸へと帰還する。
その頃には世界を新たなニュースが駆け巡っており、列強を名乗る国々のアジアへの見方は急速に変化しつつあった。
中華民国国民党政府は、第二次上海事変の首謀者を中華ソヴィエトを名乗る一勢力と断定。
独華間で防共協定の締結を含む連繋の強化を開始したのである。
名目上は、満州に居座る日本軍への警戒を理由としたこの動きを世界は「独華同盟締結」と扇情的に報じた。
すでに報復的に満州国承認に舵を切りつつあった米英仏の三カ国を牽制する目的であえて発表の挙に出た国民党政府の賭けは、まったく逆の効果を生んでしまったのだ。
367 :ひゅうが:2016/10/02(日) 08:39:16
【あとがき】――またしても閑話休題。実質的には北のソヴィエトや上海駐留米軍への警戒のために、彼らはドイツとの絆を深める選択を…
まぁそうなるな。
最終更新:2023年12月10日 18:09