568 :ひゅうが:2016/10/03(月) 16:53:50

神崎島ネタSS――「黒部」



――1937(昭和12)年7月8日 日本帝国 富山県 黒部渓谷


「はー…すごいでっかいの。」

「おう。これがてぃーびーえむっていうものなんだと。」

「海カゲロウ(ふなくいむし)みたいやな。」

「これで掘りぬいたんけ。」

「氷かき機みたいにまわって岩盤を粉にしながら掘ったんだと。」

精一杯のおめかしをした人々が、口々に巨大な機械を見上げていた。
彼らが暮らす宇奈月温泉に「どうやら貫通したらしい」というしらせが入ったのは3日ほど前のこと。
それと前後して、町の酒屋に大量の酒樽の注文が入ったことで噂は確信へと変わった。
はるか上流、黒部川の奥において進められていた工事の第一段階は成功裏にそれを終えることができたのだ。

「しっかし、これから忙しくなるらしいんな。」

「んだな。あの娘っこの言った通り、でかいとの(たくさんの)土方がきた。
こんどもまた増えるで。」

「『かんむす』っていったけ。」

「だぁな。あの娘っ子、聞けば偉い人らしいで。みんな兵学校出てるとか。」

「本当け!?江田島の?んじゃねな。あの蓬莱みたいな島のけ。」

「んだ。本家のそのまた本家の若旦那がいっとったが、あの娘っ子でも大佐らしいで。」

聞き耳をたてていた村人たちや町の住人達が「おおっ」と声を上げる。
この山奥の渓谷にある巨大な作業基地に集められた人々の中でも相当数が実戦を経験している。
日露の大戦を経験した男どもはもう壮年期に入っており村の若年寄衆や、町の商家の主になっていた。
シベリア出兵を経験しているものは働き盛りであるし、ついこの間の満州事変や上海事変に少しなりともかかわったことのある男どもは30の大台に乗ろうとしているあたりだった。

つまりは、軍隊内での階級というものをよく知っているのだ。

「すごいの。」

「あの島の主の妾だという陰口も聞いたで。」

「なんの。若旦那の言うことじゃ、あの東郷元帥が見ても満足する見事な艦さばきだったそうじゃ。」

「ほうけ。ならやっかみかの。」

「だ。娘っ子が士官様ってのはなれんかったもんにはこたえる。」

「違いない。かかぁの尻に敷かれてるからな。」

爆笑。
伝聞系であるが、こうした人間関係の濃い雪国の、それも山奥の集落ともなれば噂は事実と同じことである。
町暮らしの連中もそれはわかっているが、思わず聞き入ってしまっている。


「だけんど、なんやしてそんな娘っ子がこんな山奥で穴を掘る手伝いに来たんけ?」

「さぁなぁ。なんもないとこだしなぁ。」

「おお。聞いたことがあるで。」

「おう。」

尋常小学校の校庭なみの広さの式典場を満たした多くの人々が聞き耳をたてた。
宇奈月温泉の番台に座る男――勝利(かつとし)という名前の中年男は、胸を張っていった。

「義じゃ。」

「なるほど義か。」

この山奥までTBM(トンネルボーリングマシン)と発電装置を運び込んだ際に温泉に浸かった艦娘が愚痴交じりにこぼした言葉を番台男は少々誤って記憶していた。
正しくは、義理である。
だが、その言葉は、雪深いこの地の人々に大きな感動をもたらしたようだった。



「お集まりの皆さん。只今より、黒部隧道完工と、黒部水力発電所群着工記念式典を開始いたします。」

紋付き袴姿の男が緊張しながらマイクロフォンにそう叫び、後半でやや音量を落とした。
黒部渓谷に水力発電所を設け、関西地域の半分に上る膨大な電力を供給するという遠大な構想の実現。
それを象徴することになるこの式典では、なにより地元の人々の理解が必要である。
そうした概念が乏しいこの昭和の時代にあって、今回のこの記念式典は試金石ともいえた。

すでにカラー映写機や、説明用のフィルムは用意してある。
練習では聴衆役の多くの作業員たちが拍手喝采をしたし、今度も同様の結果が望めるはずである。
だが、今回の事業に多大な協力をした帝国陸軍工兵総監部や、建機や作業員を提供したあの島の人々、そして畏れ多くも勅使たちの前で一席をぶつ緊張はどうしてもつきまとう。
これが「ぷれぜんてぇしょん」というやつか。
この年になっても勉強は休めないものだ。

そろいのヘルメット姿の集団――兵隊も相当数混じっているがのちに彼らは白兜とこれを呼ぶ――と、盛装の集団の前で、「電力王」松永安エ門は未来を予感しつつ大きく息を吸い込んだ。

569 :ひゅうが:2016/10/03(月) 16:54:38
【あとがき】――とりあえず、一般から見た風景を希望されたので一本書いてみました。

570 :ひゅうが:2016/10/03(月) 16:55:45 >>568
修正「成功裏に第一段階を終えたのだ」→「成功裏にそれを終えることができたのだ」

572 :ひゅうが:2016/10/03(月) 17:03:09
修正「推力発電所」→「水力発電所」

なお、このとき掘りぬいたのはいわゆる「高熱隧道」。
どうやったかって?
TBMで強引にほりぬいたの。

この後、黒部第三・第四発電所が同時起工され、その建設のために大量の重機が黒部峡谷に分け入ります。
その地固めのために、東邦電力の主である松永さんが現地入りした際の光景がこれであります。

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最終更新:2023年12月10日 18:10