708 :ひゅうが:2016/10/04(火) 05:16:29

神崎島ネタSS――幕間「死の跳躍について」



2月中に閣議決定された日本列島改造計画の推進部局の決定は、閣議決定と同様に強権によるものであった。
というのも、この計画につぎ込まれる予算は単年度で30億円。
前年度の国家歳出の合計が21億7000万円超であったことから、国家予算が一気に2.5倍に膨れ上がったのと同様であるといってもよい。
この巨額の予算を一手に握る部局は、当然ながら極めて巨大な利権を手にするに等しかった。
大蔵省は自ら統制したがったし、陸海軍は薬がききすぎたのかやや控えめながらも参与を要求。変わり種では、拓務省や厚生省までもがあれこれ理由をつけて利権の争奪に加わった。
だがそこに、予算の出元から雷が落ちた。
巨大な皇室予算を借金のカタにするように今回の予算を組ませたのがさるやんごとなき筋であるということを、欲に目がくらんだ官僚たちは失念していたのだった。
当然ながら粛然となった人々は、控えめながらもこれだけは譲れない一線として自らもこの機関に参与することを求め…受け入れられた。

そしてその部局は、ただふってわいたようなこの計画に右往左往するだけだったがために漁夫の利を手にした内務省内に設置されることになった。
反対意見は少なかった。
何しろ、統帥権をタテに目の前にぶら下げられた飴を引っ込める権利をあの御方は有していたのだから。
ゼロサムゲームよりは条件闘争の方がよい。
そうした損得勘定ができる点で日本の官僚機構は、1000年以上の時を洗練されつつ生き残ってきたそれの末裔にふさわしいかったといえるだろう。

予算はまずは、建設関連に重点的に配分された。
当然だろう。
あの島の整備された社会資本を見た者にとって、内地のそれの整備はまるで不十分であった。
そして、その建設の中でも優先されたのは、さらなる建設や生産を行うことができる設備だった。
具体的には、エネルギー関連と輸送関連である。
目玉となったのは黒部川流域の急流を利用した水力発電。そして京浜工業地帯やそれに隣接する京葉地域などにそれまではあまり設けられてこなかった大規模火力発電所を設置する事業。
これに加え、明治の導入以来老朽化していた工作機械を最新のものに入れ替える。
副次的な効果として、工業の精度管理や品質管理の規格化が行われ、国産機械の精度が著しく向上する。
もともとそれなり以上の教育を受け、均一な労働力を備えていた日本においてその効果は劇的だった。

一方の輸送関連。
これは、輸送能力がもはや飽和しつつあった東海道本線をはじめとする主要幹線鉄道にそれまでの常識を覆すような高速鉄道を敷き、さらには道路の舗装や高速自動車道路の設置を行いつつ国産の安価な輸送用・乗用自動車を販売するというドイツで試みられたものと鉄道の折衷だった。
違っていたのは、統制経済の名のもとに賃金を制限したり勤労奉仕に頼ることなく、賃金を供給したことだろう。
さらにここで画期的であったのは、建設労働者の手配にいわゆるタコ部屋を排除したことだった。
いわゆる親方や手配師にひどいときは9割の賃金が流れていっていた状況が劇的に改善された。
多くの場合こうしたタコ部屋は反社会勢力につながっており、彼らは第二次2.26事件後に誰はばかることなく解体させられていた。
かくて根が枯れ、大陸の闇に流れていた血液が環流しはじめる。
唐突に彼らにとっての大金を手にすることになった下層労働者は、多くの場合それを浪費した。
タコ部屋の賭場でなく、町の中で。

709 :ひゅうが:2016/10/04(火) 05:17:01
それは一時的ではあった。
すぐに使用者側である帝国陸軍工兵総監部や計画本部が貯蓄の意義を教育しはじめたからだ。
だが、カンフル剤としてはその需要は十分以上であった。
浪費はそれに倍する需要を生み、経済が回り始める。
浪費先である町の商店経営者たち、すなわち壊滅寸前で耐えていた中間所得者層が息を吹き返す。
さらには、1940年に予定されていた皇紀2600年記念博覧会という日本全土でのお祭り騒ぎや、東京と札幌でのオリンピック開催を設置されたばかりの街頭テレビジョンやラジオが大いに煽った。
そして投入された洗濯機やテレビジョン、そして冷蔵庫は、この時代としては非常に安価であった。
電子部品などの中枢部品の供給源が、ほぼタダで大量の工作機械を供給されたメーカーであったこと、そして高品質な原料がどこからか関税や対日向けの過剰な利鞘を抜きにした――いってみればダンピングすれすれの価格で供給されたことから、当時としては反則級の格安での供給が実現されていたのだ。
もちろん、これを可能にしたのが軍の内部での需要にこたえて大量発注が行われたことにあるのであるが。
こうなると、黙っていないのが中流以上の層に位置する人々である。
抜け目のない計画本部は、高所得層向けの高品質製品もあわせて供給することで彼らの虚栄心を煽っていたのだ。
この頃投入されたのが、三菱財閥が総力を挙げて投入(コピー)した和製国民車「豆」。
価格は、当時の輸入乗用車の半分以下。
さらには積立払いや分割払いが日本製乗用車としてははじめて標準的な支払方法として採用されていた。
流線型の車体と比較的小型ながらもしっかりした走りを実現したこの自動車は、それまで自動車を持てなかった中高所得者層のハートをがっちりキャッチしたのだ。
そして、製造メーカーに資金が供給され、その従業員の所得が増加する。


さらに、試験完了を待たずに建設が開始されたのが、東海道新幹線。
在来線の電化や輸送力増強に加え、この頃量産化に成功した安価な総天然色フィルムを用いて国鉄と関西の私鉄連合が「そうだ、西へ行こう」キャンペーンを展開。
あわせて、試験線を走り抜ける真っ白な流線型の車体を有する「弾丸列車」をアピールすることで、旅行熱を煽った。
実験線での体験乗車という方法で口コミを取り込んだこの動きは大いにあたり、先行建設されていた静岡や名古屋への観光客が増加。
あわせて、皇紀2600年を前にした伊勢参拝ブームが到来。
参拝記念乗車賃を記念事業として割引し、さらにホテルとタイアップした観光周遊切符を投入したことで多くの人々を観光地へ誘導することになった。
こうなると、旅先で使用された資金がさらに地方経済をまわしはじめる。
日本列島改造計画予算で進められていた港湾整備や陸海軍工廠の拡張工事で資金が供給されていた日本各地と、大都市の間で資金が循環しはじめたのだ。

いわゆる「史実」において、日本の経済成長率は1937年には実に23.1%を記録している。
だがこれが日中戦争勃発に伴う膨大な軍需需要による、いわゆる「軍事ケインズ経済」であったのに対し、こちらでは資金が国民の間を巡り続けた。
そのため、2年後に逆に経済成長率がマイナスに転落することはなく、そのまま日本という国家そのものを大いにうるおしていったのである。

さらには、政府はこれらの需要の恩恵を財閥系企業にのみ還流させなかった。
廣田内閣の肝いりで設立された「金融公庫」は、低利子によりそれまで零細とされた各企業への融資を実施。
勃興しつつあったテレビジョンなどの各種需要を受け、中小企業群はいっせいに設備投資と技術投資を開始していた。
いわゆる「戦後復興期」の政策にならったものだったが、この時代、財閥系金融機関の融資引き締めから資金に飢えていた中小企業にとっては慈雨にひとしかったのだ。


帝国政府は、賭けに勝った。
たとえ、神崎島駐在武官からもたらされたプロパガンダの手段を総動員してこの風潮をもたらしたのだとしても、国家予算そのものを担保として行った跳躍は見事に成功。
この風潮が少なくとも1940年、皇紀2600年までは続くという観測が人々の風潮をやけくそや半信半疑から確信へと変えていった。

――日本帝国は、世界に先駆けて世界恐慌の泥沼から抜け出し、のちに高度経済成長期といわれる国土と経済の急速な再編成を開始したのである。

710 :ひゅうが:2016/10/04(火) 05:17:50
【あとがき】――ちょっとした言い訳。あるいはポジティブ・フィードバック。

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最終更新:2023年12月10日 18:11