437 :ひゅうが@orz:2015/07/24(金) 01:45:54
『マニ教経典西山寺本』――成立は270年代のササン朝ペルシャ帝国領ソグディアナと考えられる。
来歴にはシルダリア川(錫爾)を超えてきたとの記述があるためにウズベキスタン付近で写本が製作されたとみられる。
その後、教団とともに東進した写本には敦煌において漢訳注釈がつけられ、現在の形となった。
則天武后の時代に洛陽の大雲寺において遣唐使のために20部あった写本のうち1部が譲られ、日本に渡来した。
当初は五島列島の大宝寺にあったものの、のちの弘法大師空海の帰朝に伴い京都へと移った。
その後は、マニ寺である白雲寺に蔵され、源平の争乱の兵火での焼打ちからから逃れるために西山寺へ移り、現在に至る。
明治時代に入り、修復に加え行事における使用を許可することを条件に帝国図書館へ蔵されることとなった。

これよりも古い書籍は、木簡本の「帝紀 仙洞御所本」「旧事記 法隆寺本」しか存在していない。

内容は、『シャープーラカン(波斯王献本)』『大福音書』『生命の宝(いのちの書)』『プラグマテエイア(聖行書)』『秘儀の書』『巨人の書』『書簡』
など全35巻とその注釈82巻で構成される。
敦煌文書とならんで、ササン朝ペルシャ美術のうち数少ない絵画であり、歴史上きわめて貴重である。
ギリシャ正教と同様、その絵画は忠実に模写される原本として珍重された。

439 :ひゅうが@orz:2015/07/24(金) 02:39:47
ありがとうございます。
国記は「旧事記」に編纂しなおされて現存という設定ですw
ちなみにこれ、山背大兄王が斑鳩宮から移動させたという裏ネタが…

こんなネタでよければいくらでも提供いたしますよw
ほかにも偽書とか、かなりヤバい代物までたっぷり存在しております。
たとえば、景教寺院に伝わる「ユダの福音書」を筆頭にしたグノーシス主義文献。
もっとヤバいものとしては「十二星祈祷書」が…
こいつは12世紀中盤のトゥールーズ伯レーモン6世が編纂させたキリスト教の祈祷書ですが、それを編纂したのが「アルビジョワ派」という名だったからさぁ大変w


…こんなのを考えるのはなかなか楽しいですなw

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最終更新:2016年10月10日 23:15