467 :ひゅうが@orz:2015/07/25(土) 06:53:01
【もっとヤバいものの例】


「巳蜀覡書」――書の題は「蠶(さん)燭」初版成立は紀元前2000年頃の現大陸中華四川省付近。初期は石版に記されていたものであるが、これを秦代前後に木簡に写し取った。
これが秦の民族浄化から逃れるために雲南省奥地に隠匿され、現地の遺民とともに高知道に渡来したと考えられる。
その存在は古くから史書に記されており、「蚕部郷ニ巫覡ノ巻アリ。記サレタルハ仮名ニ非ズ、真名(漢字)ニ非ズ。神代ノ字ナルカ」と「続扶桑略記」にある。
代々神官の家系である蚕魚氏が代替わりや天変地異と共に巻物の内容を写し取り、郷内の各社で先代以前の巻物を移し替え、七代前の巻物を庚申塔の中に埋める形で継承してきた。
現在残っているものは平安時代の貞観期のものが最も古い。
その内容は単純な象形文字や記号を用いたでたらめなものであると長く信じられてきたが、江戸期に至り国学の進展とともに本居宣長がこれに注目し古代日本語のものであると主張した。
しかし上代日本語に基づく解読は失敗し、類例がみられないことから長く学者の頭を悩ませてきた。

これが解読されたのは明治に入ってからであり、ようやく清朝奥地に調査隊が分け入ってからであった。
文字はトンパ文字の系譜に属しており、解読の結果この書が「巳蜀」といわれた古代長江文明が編纂した歴史書と祈祷文であることが判明。
四大文明と俗称された古代文明の定説、すなわち黄河文明を中華のはじまりとする論を大きく揺るがす発見となった。
歴史書部分は神話時代からはじまり、紀元前179年の古蜀滅亡までの3000年あまり書き足されてきた。

中には「燭」といわれる略記が存在しており、これがのちの「華陽国志」の底本のひとつとなったと思われる。
中華の歴史書としては異例なことに、歴史の記述にあたっては「蠶神」といわれた当代と次代の王が記すことに限られており、その変更は何があってもできないこととなっていた。
この性質上、書は神による託宣という形をとっている。
そのため内容は相矛盾する記述も多く、別伝扱いとなっている述といわれる災害や戦争の発生を記録した部分と対照して読む必要がある。

これにより、古代中華において多用された史書の書き換えや、史記において切り捨てられた神や伝説などの話を含む一地域の歴史、そして古代中華の起源の一端が明らかになったことは大いに評価できよう。
全48巻。

474 :ひゅうが@orz:2015/07/25(土) 09:51:20
それよりもっとヒドいです。
ぶっちゃけ、「夏王朝の起源が非中原民族(タイ系・チベット系など)と、少数の中華系による連合政権だと知れた」のですから。
そこへ「中華系の『遊牧騎馬民族だった』殷王朝が侵攻し、遺跡にも首を切られ下半身を大きく損傷させられた女性王族の骨が残るほど徹底した民族浄化が繰り広げられたことが判明」してしまっています。
その末裔が雲南やチベット、楼蘭の人々であったことまでが…
さらには史記では定説とされている秦王朝は西戎起源という事実が文書の最後、古蜀末期にこれ以上ないくらいに裏付けられてしまっています。
これもまた歴史の一断面にすぎませんが、そのやり口が殷よりはるかにマシとされたりね(汗

端的に言えば「竜が皇帝の象徴?あれ、満州地方の神を夏がとりいれたものだよ?青銅器は古代蜀の技術をパクったよね?」

という現代考古学が裏付ける事実を、清朝末期に「滅満興漢」を旗印に漢民族王朝を神聖化していた民衆につきつけることでもあります。

476 :ひゅうが@orz:2015/07/25(土) 10:00:52
ところがどっこい、民国初期の孫文とかは「みんな中華大家族のもとに暮らす中華民族だったんだよ!仲良くしていたけど騎馬民族の侵攻でひどいめにあわされ支配されてきたよね!」といって国民を束ねようとしています。
これに「まぁ越人や楚人とかいるけど、みんな漢人だよね。」という意識が加わり、ようやく漢民族という概念が花開きます。

しかし、その段階で「実はノルマントこそ本当の地球人」的なことが知られたとしたら?
しかも「もともとお前ら騎馬民族だったろ!」という事実や「神話もいろんなとこからきてるよな!」というのが、『文明の中心であり、源』を自称する中華を名乗るものに知られることがどれほど破滅的かは――
おそらく知識人がまず顔をひきつらせ、のちに庶民も苦心惨憺することになるでしょう。
そこへ、拙著世界では「米国という新たなる征服者を連れた孫文がやってくる」のです。

…おそろしや。

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最終更新:2016年10月10日 23:14