390 :ひゅうが:2016/10/19(水) 17:35:25
神崎島ネタSS――幕間「調査」
――1937(昭和12)年7月12日
「天一号のとき?ああ、あれはひどい戦だったねぇ。」
うんうんと頷く色素の薄い髪をした少女の言葉には妙な実感がこもっていた。
「マリアナやレイテの話は?ああ聞いてるか。」
「はい。すでに不知火さんに。」
「ぬいぬいにか。それなら話が早い。清霜とか島風の分も話してくれるだろーし。」
駆逐艦朝霜は、ニヒルに見せようとしているらしい表情できしし、と笑った。
ギザギザのサメの歯が見えたような気がした。
「艦本さんも知ってると思うけど」
トン、と指で机を打つ。
「うちらの対空火器じゃアメさんの飛行機を落とすのはかなり無理があった。25ミリ機銃は威力はあるけど照準がまるでダメだったんだ。」
反論しそうな若い設計官もいたが、黙って聞く。
ここに選ばれてきただけあって「教育」が行き届いている。
さらには多くの人々と同じように、勅任による守秘義務宣誓がなされている。
おかげでこの島の出来事は噂話レベルでは話題にのぼっても、おおっぴらな新聞報道や国際問題になったことはなかった。
げにおそろしきは自粛という精神的圧力である。
「だからわかるだろ?7.7ミリなんて豆鉄砲もいいところ。となると、距離2000米(メートル)以遠7000米未満のあたりがすっぽりあく。
これに1200米未満が加わるわけだ。」
朝霜は、彼らが「協力費」としておごった餡蜜の鉢を中心にしてガラスのコップや蜜入れを置く。
これがだいたいの距離の目安といったところだろう。
「これをどうするか?手段なんてない。だからやったのは弾幕射撃と回避運動、それだけだよ。」
「具体的には?」
「輪形陣を組んで各艦担当空域を決めてそこにともかく撃ちまくる。簡単にいえばね。もちろん火器の数も足りなかったんだが…」
あれができるのはアメさんぐらいだろー。と朝霜は笑う。
事実、米国艦はハリネズミのような対空火器を搭載している。
「それに魚雷や急降下爆撃機は投下軌道に入ったら針路が修正きかないから、その瞬間をみはからって転舵すれば意外と避けられる。」
つまりは職人芸のようなものだった。
「うちらのときは四航戦の松田さん(松田千秋少将)ほかが頑張ってたみたいだけど、あの頃には歴戦の車引き(駆逐艦乗り)なんてもう数えるくらいしか残っていなかったからみんな自己流だったなぁ。」
からから笑って朝霜は餡蜜を口に頬張った。
気のせいか、全身がキラキラ光っているように見えるくらいに笑顔が輝く。
「ま、ともかくこの近距離と中距離を埋められると楽だったのは確かだね。欲を言えばあたる射撃指揮装置がほしかったのもある。
アタイ…いやアタシらが今は積んでるボフォース40ミリはいい機銃だよ。え?機関砲?まぁ細かいことはいいじゃないか。」
ぷくっと頬を膨らませる。
「実際のとこ、撃ち落とすんじゃなくて魚雷や爆弾を逸らせればそれで勝ちみたいなところがあったからなぁあの頃の対空戦。
今度はどこいくんだい?ん?」
――この頃、神崎島鎮守府には艦政本部や軍令部から大挙して技術屋や将校たちが押し掛けていた。
彼らの名を「戦略調査団」。
その目的は、いわゆる史実における第2次大戦やその後の戦訓の収集だった。
これまでにも提供された各種資料に基づき操典や作戦要綱への戦訓の反映や、技術的な改良が加えられていたのだが、日本海軍はそれに満足しなかったのだ。
とはいってもすでにまとめられた戦訓や、大戦中の回想録などは厳重に管理された陸海軍の保管庫の中で繰り返し検証されているから、しぜん調査は聞き取りや実見になる。
中でも注目されたのは、大戦末期まで生き残った艦艇の実体験。
ことに雪風や磯風、朝霜などは他の大型艦と同じく何度も聞き取りを受けており少々辟易――かわりに賄賂じみた甘味やら調理指導やらが入り始めたあたりで待ったがかかるなどという珍事もあったという。
のちには艦政本部や技術本部が試作予定の新型艦や新装備の図面が持ち込まれるようになり、共同開発じみた作業に移っていくのだが、それはまた別の話である。
391 :ひゅうが:2016/10/19(水) 17:36:09
朝霜書きたかっただけ。内容がかなり薄いので反省してます…。
392 : テツ:2016/10/19(水) 17:43:06 乙です
実際に体験して経験した人間(?)の意見は何よりも重いですからね
艦本からは異論も反論も出来ないでしょうね。結果的に帝國海軍が壊滅した世界の娘たちの言葉ですから
最終更新:2023年12月10日 18:11