729: ひゅうが :2017/01/11(水) 19:33:35



――西暦1999年1月1日 日本国 太平洋沖合


ロシアという国が持つ海軍は、運というものから見放されているのかもしれない。
そんな不吉な言葉がささやかれるようになってもう半世紀近くが過ぎていた。
縁起でもない言葉であるが、それを言った主がソ連海軍の父であり母であり…要するにそのすべてであったセルゲイ・ゴルシコフ元帥であることからこの言葉は公然と流布することになっている。
当のソ連海軍自身がそれを笑い話にしているあたり、ロシア的な諧謔といえるのだろう。
7年前にソ連という看板をおろした際に起こった大騒動以来、それは半ば事実として水兵たちの口の端にのぼっているが、それを止められる士官はほとんどいなかった。

なんといっても事実だったからだ。
ソ連強硬派に艦隊が乗っ取られたこともそうだが、よりにもよって生き残っていた「戦艦」同士があの日本海は対馬沖で砲撃戦を行うなんて結末はよほど運に見放されていなければ起こりようがない。


「ついてるな。」

ロシア海軍大佐にして、空母「アドミラル・ゴルシコフ」艦長をつとめるヤーコブ・ゾフは引きつった表情で双眼鏡をおろした。

「おい。諸君。我々はだいぶついてるぞ。」

「なにかが憑いてるのは確かかもしれませんね。」

呆れた表情で、政治将校がいう。
ソヴィエト崩壊以来削減が続いている政治将校だったが、未だに廃止されていないのは彼らが兵士のカウンセリングや休暇取得の推進などの労働管理を行っているためだった。
悪名高いマンチュリア管区特別警防部のような、内務人民委員の末裔とはまったく役割が違う。
だからこそ、極東唯一の祖国(ロジーナ)の機動戦力であるこの艦に彼は乗ることを許されていた。

「こんなときにこんな場所にきてしまうとは…」

「ああ。それには全然同意するよ。」

ゾフは、この気のいいウラル山麓生まれの男が顔を青ざめさせるのを見ながら思った。
畜生。今の俺も同じように顔面蒼白なんだろうな。
誰だあの「鋼鉄の破壊神」の末裔どもを目覚めさせたのは。
ああ、ひょっとして俺たちか?
チタ政権なんて保守派の勢いの産物が生まれたからこそ、第三次日本海海戦においてわが海軍は史上最後の「戦艦同士の砲撃戦」を行う羽目になり、そして敗れた。
でなければあいつらがわざわざ修理されて現役にとどまる必要もなかっただろうに。
あれは、あの戦艦ナガトと同じ伝説になったのだ。歴史の浅いアメリカ合衆国にとってはまさに至宝。
そしてもう片方は…言わずもがなだろう。
ああ、なんてことだ。

「艦長より下命。手空き総員上甲板。」

気が付いたときにはゾフは艦橋からこの空母の全艦に呼びかけていた。
目の前の光景を見た者ならだれも反対しないだろう。

この艦は、早くも「極東危機」と呼ばれるに至っているこのたびの緊張状態の中にあっていち早く旗幟を鮮明にしたわが海軍の意思を代表して津軽海峡を抜けてこの海へやってきた。
それを大統領も追認したからこそ、横須賀への針路をとることができたのだ。
目的からして引き返すことはありえない。
祖国は、かつての仇敵である日本人と組んだのだから。
だが、だが――

730: ひゅうが :2017/01/11(水) 19:34:07


「諸君。よく見ておけ。あれこそが伝説だ。」

巨大な艋艟どもが、太平洋の荒波を切り裂き進んでゆく。
先頭をつとめるのは、戦艦「モンタナ」。
ジェーン年鑑によれば改大和型高速戦艦と呼称される現在の世界最大最強の水上戦闘艦。
旧ソ連が誇る戦艦「ソヴィエッキー・ソユーズ」を18インチSSHS(超々大重量徹甲弾)で叩き潰した鋼鉄の破壊神。
これに続くは妹の「オハイオ」。彼女たち姉妹は、今や合衆国を構成する各州の羨望の的だった。
もはや戦略弾道ミサイル原潜(SSGN)にしか州名はつけられず、さらに記念艦化確実といわれる戦歴からその名は合衆国が続く限り永遠のものとなるだろうからだ。

そしてさらに後方には、東側諸国がうらやむであろう光景が広がっている。
世界最大の通常動力空母にして、名実ともに世界最強の重装甲――あのグラニート重対艦ミサイルを跳ね返す程度の――を有する、大和型3番艦「信濃」が2隻のイージス艦を横に侍らせて異様に広い船体を海上へ進めている。

その後方には、第1機動艦隊の名を受け継ぐ大小の艦艇が続く。
彼女たちはいずれも、太陽の旗や星と線で構成された旗とともに、ある旗を掲げていた。


「ああ…はじめるというのか?」

その正体に気付いたらしい見張りの水兵が何かに打たれたように言葉をこぼす。

「畜生」

ゾフは、奥歯をギリリとかみしめる。
なぜおれたちは彼女たちに続けないんだ。
命令さえあれば俺たちは喜んであの列の先導をつとめるだろうに。

かかげられていたのは、正確にいえば旗ではなかった。
古式ゆかしい幟、軍事パレードなどではビルディングの上から垂れ下がっているようなあれだ。
日本人たちは19世紀中盤まで軍旗として使っていたらしいが、世界海軍史上その「旗」はあまりに有名だ。

菊水旗、あるいは非理法権天旗。

それは、1945年4月に、戦艦大和の檣頭に掲げられた旗である。
不利な戦にあえて突入する決意、そしてそれを強いた人々への抗議、それらがないまぜになった意味であるとゾフは聞いていた。
そのときは東洋の神秘というありがちな言葉で理解を放棄したゾフだったが、今この場ではその真意を心で理解している。

「発光信号用意。」

ゾフは命じた。

『敬意をもって伺いたし。貴艦らは伝説を作りにゆかれるや?』

返信はすぐきた。

『否。我ら、偉大なる父祖らに続くのみ。』

ゾフは、ブリッジのスポンソン(側面の露天張り出し)に飛び出した。
矢も楯もたまらなかったのだ。
ちょうどすれ違うように艦隊は進んでゆく。

「総員、帽振れ!」

命令系統とは少し違うが、いつのまにか横にきていた政治将校からの号令に従って甲板に整列した水兵たちが制帽をゆっくりと振る。

水底からのささやき声に打たれ、左手で手すりを掴む。


ヤーコブ・ゾフは、さながら大合唱のような波音の中で、見事な敬礼を「連合艦隊」へ送った。





――なお、この半日後、横須賀に投錨したばかりの空母「アドミラル・ゴルシコフ」は連邦大統領からの出動命令を受ける。
行先は、沖縄。
彼らはついていた。

731: ひゅうが :2017/01/11(水) 19:34:51
【あとがき】――ちょっと別の世界線…かな?

732: ひゅうが :2017/01/11(水) 19:35:33
ああ…文字化けしてる。
730 の文字化けしているのは「もうどう」と読みます。

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最終更新:2017年02月11日 21:56