516: yukikaze :2017/04/22(土) 22:11:48
それでは投下します。御笑納ください。

戦後夢幻会世界ネタSS 『海軍で隼を一番上手く飛ばせた男』

「まあそうですなあ。あの直前は人生でも最悪な期間でしたな」

煙草をくゆらせながら、初老の男はそう答えた。

「ええ。だからと言って、203空の連中を恨むつもりはないです。あれは半ば自業自得です」

白煙が天井に昇るのを見ながら、男は遠い目をしつつ、言葉を紡いだ。

「ソロモンで負傷して、まあ死なずに済みましたが、視力は悪くなるわ、一時的にですが左半身に痺れが残るわでしたから。小園中佐や笹井中尉が『坂井は絶対に治るから』と強硬に主張してくれたお蔭で、軍に居残ることは出来ましたが」

おかげで、あの2人には足を向けて寝られませんわ、と、坂井は苦笑しつつ話を続ける。

「ただねえ。やはりあの時期のブランクは大きかった。復帰した私に命じられたのは、大村空での教官職です。笹井中尉から『赤松さんのような教え方をしてくれ。貴様なら出来ると思っているんだ』と言われ、私も『笹井中尉の期待に応えなくては』と、私なりに努力はしましたが、空戦技術は異様なほどのスピードで変わっていっていました」

そう言うと、坂井は戸棚に飾っている2つの飛行機の模型を手にしながら、説明をし出した。

「御存じとは思いますが、私が乗っていたのはゼロ戦21型です。良い機体でした。パイロットの意志に応えるかのように、まるで手足の如く動いてくれた機体です。相手の不意を突いて敵を倒す場合、後下方からの攻撃が最適なのですが、低高度での動きが良いこいつは、本当に良い飛行機でした」

そう言いながら、彼の右手に持たれたゼロ戦は、まるで舞の扇のようにひらひらと動いていた。
それはまるで、かつて彼が愛機を縦横無尽に天空を駆けさせたかのように。

「ですが、私が戦場から離れている間に、軍用機は進化していきました。高速での編隊空戦。
これまでの海軍の基本戦術とは真逆の戦法ですが、「攻撃的だが、味方の被撃墜率も高い」従来の戦法ではパイロットが枯渇するという海軍上層部の判断は、今ならば間違っていないといえます」

『今ならば』という部分に力を入れつつ、坂井は左手に持った模型の台座を握りしめる。

「『局地戦闘機雷電』。この飛行機は確かに新たな戦法にあった機体でした。高火力に重防御。
高速域でのロール性も抜群の機体です。これが陸海の主力戦闘機になったのも当然でしょう。
ですが・・・こいつはゼロ戦21型ではなかった」

ゆっくりと何かを噛みしめるかのように、坂井は言葉を発する。

「思い通りの反応をしてくれんのですよ。21型では何でもないことがこいつではできなかった。
そのもどかしさ、苦しさを理解できる連中は、すでにこの世にはいません。
何故だかわかりますか?
私が、内地でヒヨッコ達と赤トンボ飛ばしている間に、戦法の転換を成し得なかった面子は一人また一人と戦死していったんですよ。私よりもうまく飛ばせたパイロットですら例外ではなかった。あのソロモンでの戦はそう言うものだったんです」

そう言う坂井の顔は、まるで地獄の底を強制的に味わったような顔つきであった。
これまで自分が信奉していたもの、自分が築き上げてきた価値観や実績、それが目の前で音を立てて崩れ去ったのだから、それは当然であったろう。

「辛かったですよ。自分の脳内に思い描いているイメージと、実際の機動が一致せんのです。
かつての同僚達も「怪我のせいだから」と慰めるのも癇に障りました。怪我のせいだったらどんなによかったか。あの戦闘機と私とでは決定的に合わんかったんですよ」

結果的に、復帰した坂井の技量が伸び悩む中、坂井が教えたヒヨッコ達が、すぐさま雷電の特徴を掴んで、見る見るうちに技量を伸ばしていった事実に、坂井は耐えきれなかった。
部隊内でのトラブルは日を追うごとに多くなり、何度も坂井をかばい続けていた笹井や西沢ですら坂井を持て余しつつあった。

517: yukikaze :2017/04/22(土) 22:13:07
「ロッテ戦術が導入されていましたが、誰も私と組もうとしませんでしたね。当然です。私も誰とも―たとえそれが笹井中尉であっても―組もうと思わなかったし、相手も同じだったでしょう。
新しく入ってきた連中は半ば公然と『死にたければどうぞおひとりで死んでください。あんたの下手くそな操縦に付き合わされて死にたくありません』と言ってのけましたし、笹井中尉からも『これ以上トラブルを起こすようなら、もう飛行機には乗らせん』と通告されましたしね」

そんな失意の笹井の転換こそ、フィリピンでの決戦であった。
マリアナにおいて、海軍は確かに勝利したものの、その代償として戦力の根幹である基地航空艦隊と母艦航空隊を壊滅一歩手前になるほどの損害を受けていた。
無論、アメリカ海軍も空母機動艦隊が壊滅する羽目になったものの、相手は世界最大の国力を持つアメリカである。
半年も満たない時間で、彼らは戦力を整えると、フィリピンへの侵攻を開始する。
未だ戦力の回復途上である日本海軍において、内地にて錬成を続けていた203空を遊ばせてやる余裕などどこにもなかった。

「203空の連中は戦意を高揚させていましたが、私は一人で『ああ。ここが死に場所か』と思っていました。
当時の203空は、全て雷電で固められるはずだったのですが、マリアナでの大被害のお蔭で、他の部隊に引き抜かれたりして、雷電とゼロ戦32型の混成部隊になっていたんです。
私はゼロ戦32型に乗ることになったんですが、こいつも雷電よりはかなりマシとはいえ、21型のあの絶妙な操縦を再現するにはどこか違和感がありました。『ソロモンで死んでりゃよかった』と、本気で思っていましたよ」

日本海軍でも有数の精鋭部隊と見られていた203空であったが、フィリピンの航空戦はそんな彼らにとっても苦闘の連続であった。
と・・・いっても、彼らの腕が劣っていたのではない。
単純に相手の戦力が圧倒的なまでに上だったのだ。
第203空は定数が72機あったが、相手は1,500機近い数である。
無論、全てが戦闘機でもないし、これだけの数が一斉に来たわけでもないが、それでも数の差は、圧倒的という言葉すら生ぬるいレベルであった。

「もうね。生き残るのに必死でしたよ。雷電がF6F相手に高速域で戦える戦闘機であっても、相手は数に任せて殴りかかってくるんですから。せめてもの救いは、雷電の防御が硬くて、あいつに乗っていた面子は辛うじて命を拾ったくらいですね」

淡々と語る坂井であったが、言外に彼はこういっていた。
雷電程防御が硬くないゼロ戦に乗っていた面子は助からなかったと。

「ロッテ戦術もくそもありません。編隊を組もうにも、四方八方から相手は来るんです。律儀に編隊を組もうと無理な機動をした瞬間、爆発してお陀仏ですよ。私の機体も何発も浴びて、飛んでいるのが奇跡でした」

その点では、32型の防御強化も無駄ではなかったでしょうね、と、坂井は淡々と言った。
何とも皮肉なことではあるが、坂井を苦しめる原因となった「低速域での絶妙な操縦性能をある程度低下させる代わりに防弾装備を付けた」ことが、結果的に坂井の命を救ったのである。
無論、坂井がそれに対してどう思っているかは、彼の表情と口調が何とも微妙なものであったことからも理解できるものであった。

「203空の基地に戻るのは自殺行為でした。飛行場は穴だらけだろうし、敵さんの戦闘機はしつこく付きまとうのは確実。それ以前に、こちらの機体は飛んでいるのがやっと。こりゃもう不時着しかないと腹をくくってようやく、それなりに整地されている所を見つけた時は、神仏に感謝しましたよ」

もっとも、脚すら出なくなったことで、胴体着陸した坂井は、周囲を見て「そりゃあ整地されているはずだ」と、妙に感心したという。
彼が降り立ったのは、陸軍の第七飛行師団が用意していた野戦飛行場の一つだったのだ。

「そのことを知った時は、そりゃあバツが悪かったですよ。何しろ胴体着陸したお蔭で、せっかく整地されていた場所が元の木阿弥になってしまいましたからねえ。こりゃあスマンことをしてしまったなあと、向こうの担当にどうやって詫びようかと頭を悩ませていたんですわ」

518: yukikaze :2017/04/22(土) 22:13:59
だが、坂井の心配とはよそに、陸軍側の反応は鈍かった。
坂井の報告に対しても、「ああそうか」程度のものでしかなく、機体の片付けについても「どうせアメちゃんが爆弾で掘り起こすから関係ないよ」と、投げやりなものであった。

「いやもう・・・なんじゃこりゃあという気分でしたね。新聞とかでも『第七飛行師団は陸の荒鷲』なんて精鋭部隊として宣伝されとったのに、そんな片鱗が全く見えんのですわ。最初は驚き戸惑っていた私でしたが、時間が経つにつれてふつふつと怒りがこみ上げてきましたね。こっちは死に物狂いで戦っているのに、陸軍がこんな体たらくじゃあ、死んだ海軍の連中が浮かばれんと思いましてね」

気付いた時には、反抗的な空気を纏わせていた陸軍士官を思い切り殴り飛ばしていたという。
紛れもなく軍法会議ものの蛮行だったのだが、それ程までに坂井の怒りは凄まじかったのだ。

「いやもう、さっきまでの投げやりな空気が一瞬のうちに殺気立ちましたよ。殴られた士官もですが、周りの連中も「海軍の野郎」という空気を放ちましたし。今考えても向う見ずなことしでかしたなあという気分でしたが、不思議と怖くはありませんでしたね」

怖さよりも怒りの方が勝っていたと、坂井は述懐していた。
自業自得とはいえ、部隊の中で孤立していた坂井であったが、それでもなお、自分よりも若い連中が多勢に無勢で落とされていくのを見て、何も感じないほど薄情な男ではなかったのだ。

『なぶり殺しにしたけりゃしやがれってんだ。だがな、はっきり言っておくぞ。てめえらはこの世で最低最悪の臆病者だぞ。昨日の戦ではなあ、俺の部隊の連中も、てめえら陸軍の連中も、大空であんだけの大軍相手に勇敢に戦っていたぞ。年端もいかない陸軍の搭乗員が、乗機を火だるまにされても、最後までアメ公に食らいついていったのをこの目ではっきりと見たぞ。にも拘らずてめえらはなんだ!! たった一回の戦で『もう戦なんてやめた』か? ふざけるのも大概にしろ!!』

地面に胡坐をかいて、腕組みしながら、坂井は辺りに大きく響くように怒鳴り付けたという。
別に陸軍の人間がそれで動きを止めるとか期待していた訳ではない。
ただ思いの丈を腹の底からぶちまけたかったという。

「『貴様に何が分かる!!』って、自分が殴った士官から怒鳴られましたね。『俺達が貴様以上に悔しくないと思うのか!! これまで一緒に苦楽を共にしてきた多くの戦友が、勇敢に戦い散っていったことがどれだけ辛いか・・・。にも拘らず、富永の野郎は臆病風に吹かれて逃げ、木村の野郎は『貴様らは臆病者だ』と、俺達から飛行機を取り上げ、弾除け扱いにまで落としやがったんだ。
俺達には、仲間の敵を討つ機会すら与えられないんだぞ・・・』と。
あれが『断腸の思い』という奴なんでしょうねえ。あの士官が血の涙を流していたのを、私は一生忘れませんよ」

いつしかそこにいた全員が悔し涙を流していたという。
彼らだって誇り高い陸軍飛行第13戦隊なのだ。例え矢尽き刀折れても、最後まで戦う誇り高き男達なのだ。
にも拘らず、彼らは、的外れな命令を出した挙句、恐怖のあまり敵前逃亡した愚かな指揮官によって仲間達を失い、更には八つ当たりじみた総指揮官の判断によって、仇討の機会すら取り上げられたのである。
彼らのプライドをへし折るには十分だっただろう。

普通ならば、坂井も彼らに同情して何も言えなかったであろう。
だが、この時の坂井は、自分でも何かわからない感情で動いていたという。

「飛行機が取り上げられた? バカヤロウ、嘘つくんじゃねえ。数機ほど巧妙に隠しているってのを気付いていないとでも思っているのか!! そんなバカ大将の大馬鹿命令なんて聞いてられるか。よしわかった。
じゃあてめえらの戦闘機に俺が乗って戦ってやる。俺は海軍だ。陸軍の命令なんかに従う義理も義務もねえ。
それなら文句ねえだろうが」

陸軍の全員があっけにとられるのを尻目に、坂井は彼が目をつけていた小山の方にずんずんと進むと、そこに立っていた兵をあっさり押しのけて、目的の物を見つけていた。

「コンクリート製の有蓋掩体壕だったんですわ。Z工法といってね。土を土堆体という小山状に積み上げ、その上を筵などで覆い、さらに太い金網か木枠を被せ、コンクリートを流し固める。コンクリートが固まると、中の土を出して上に載せて覆土とし、擬装するんですが、よく使われとりましたよ」

そしてそこで彼は運命的な出会いをする。
そこにあったのは、陸海共用戦闘機となっていた雷電ではなく、内地において暇つぶしに見ていた国策映画に出ていた機体であった。
大空を機敏に動き、坂井に羨望と郷愁を抱かせたその機体は、彼の目には今にも飛び立たんと抑えに抑えているように見えたという。

519: yukikaze :2017/04/22(土) 22:14:55
「そこから先は押し問答でしたね。『良いから乗せろ』『バカヤロウ、海軍なんぞに俺達の翼に触れさせるか』ってな具合に。まあ最後は『うるせえ!! こいつが死ぬのは空の上だ。アメ公の爆弾で押しつぶされて死ぬなんて、こいつが喜ぶと思うのか』って、啖呵切っていたら、さっきの士官が『構わん。俺が責任を取る』って、許可をくれましたね」

坂井にとっては、目的を果たせたと言っていいのだが、その時は戸惑いの方が強かったそうだ。
まあ当然だろう。勢いとはいえ殴り飛ばした士官が、自分の援護射撃をするなんて想像の範囲外だからだ。
困惑する坂井に、その士官は、何でもないことのように言ってのけたという。

「『そいつは俺の親友の機体だ』って言ったんですわ。『俺よりも腕が立って、立派なパイロットだった』と言ってね。後でわかったんですが、その親友さんは、富永が逃げようとしたのを咎めたら、連中に撃たれて一命は取り留めましたが、もう空を飛べないんじゃないかって言われるほどの重傷だったそうなんですわ。
まあ、その親友さんは、東条の意向もあって、手厚い治療を施されて、戦後になりますが、警察予備隊時代に出来た救難隊で大分ご活躍されたそうなんですが、今でも太田さん――ああ、私が殴り飛ばしてしまった中尉さんは、『あいつは戦闘機パイロットのままだったら、空軍の総大将になれたんだが、人の命を救い続けて、少将に成れたことを誇りにするえらい奴だからなあ』と、いつも言っていますよ。
余談が過ぎましたね。それで太田さんが言ったんですよ。『確かにこいつは飛びたがっている。それなら飛ばしてやった方があいつも喜ぶ』とね。まあ『海軍野郎。飛ばせてやるがそいつは絶対に壊すな。後、絶対に返せ』と言われましたがね」

借りパクされたら堪らんと言うことですね。まあ結果的に、終戦までお借りすることになって、第13戦隊の戦友会の席で、今でも酒の肴にされとりますが、と、坂井は、アルバムに保存している戦友会の写真をなぞりながら、懐かしそうに語っていた。

「忘れもしません。あの10月28日の戦いは。連合艦隊が本土とブルネイから全力出撃したその日、私の第二のパイロット人生が始まったんです」

その日、坂井は、太田中尉から渡されたマニュアルを丁寧に読んでいたという。
太田の親友が纏めていたそれは、何故か少しばかり扇情的な絵を多用していたものの、反面、要点がよく纏められており、全く機体に障ったことのない坂井にも、容易に理解できる内容であった。

「正式なマニュアルというよりは、飛行第13戦隊の部隊向けだったらしいですわ。『これ問題にならんかったんですか?』と聞いたら、太田さんが『だから部隊向けなんだよ。ちなみに頭の固い面子には、『友邦独国の虎戦車の教本を参考にしました』と言って『いい加減なことをぬかすな!!』と、怒鳴られたら『いえ。独国から見本で購入された虎型戦車の教本にあると中央に勤務している同期が言っていたのであります。ご確認ください』と言い返すと、どうやら本当だったようで、二度と言わなくなったよ』と、いたずらっ子のような顔で言っていたなあ。ほう? 他の部隊でも似たようなのがあったんですか。いやはや、陸軍さんはこういう面では海軍よりもしゃれっ気がありますなあ」

そうしているうちに、臨時基地に、敵艦載機が接近しているという報が入ってきた。
機数は4機程度。もっとも、向こうにしてみれば、戦力の枯渇というよりは、こちらの空域の哨戒程度の感覚なのであろうというのが、この基地全員の認識であった。

「『連中・・・もう勝った気でいやがる』と、太田さんたちは憎々しげに言っていましたね。この時には飛行戦隊の戦隊長さんも腹をくくって『俺が全責任取るから、お前らは最後まで思う存分空を飛んで来い』と、言ったことで、戦意も取り戻せていたから猶更でしたね。で・・・私がついつい言ってしまったんですわ。
『それなら、連中に戦争を教育してやりましょう』って。みんな、ニヤリと笑いましたね」

もっとも、飛行第13戦隊にも悩みがなかった訳ではない。
現在、この臨時飛行場にある機体は7機しかない。周囲に点在している機体をかき集めれば、十数機程度になるかもしれないが、それをすべて賄えるほどの設備をこの飛行場は有していなかった。
なので、当面は、現在ある機体でやりくりする必要があるのだが、それだと陸海軍で基本となるロッテ戦術が組めない機体が発生するのだ。

「なので『私は単機でやらさせてもらいます。ロッテを組もうにも、陸軍さんといきなり連携取るなんてそりゃ無理でしょう』と言って、好きなようにさせてもらいました。向こうの戦隊長さんは、私が危なくなったら助太刀しろとは言ってのけていましたが」

520: yukikaze :2017/04/22(土) 22:15:50
後に連合国パイロットから『赤い尾翼のオスカーにだけは気をつけろ。奴はとんでもないエースだし、奴に気を取られると、奴の仲間たちが狙ってくる』と、最注意で語られることになる戦法であるが、実際には、やむを得ない措置でしかなかったのだ。
そして・・・

「敵は護衛空母所属のF4F4機でした。あれも初期と比べると大分いい機体になっていて、32型でも舐めてかかると落とされる機体なんです。この機体でどう戦えるかというのを図るには、ある意味最適な機体でした」

敵が視認できた時、坂井は、いつも以上に慎重に襲撃位置のポイント取りを行ったという。

「何しろ陸軍さんが見ていますからねえ。無様な真似は出来ません。計器やら何やらの配置が陸海共用になってくれていたお蔭で、操縦自体はそう困難は生じなかったのですが、飛行機を普通に飛ばすのと空戦とは全然違いますから。そりゃあもう細心にも細心を重ねて行いましたとも」

そうして坂井は、深呼吸一つすると、エンジンのスロットを上げた。

「いやもう驚きましたよ。頭では分かっていましたが、Ⅲ型の加速性能は想像以上でした。やはり頭が21型のままだったのでしょうなあ。現状に切り替えた時は、もう射撃せんといかん位置でした」

手で頭をかきながらそう話す坂井であったが、周囲からは『あれほどまでに見事な据え者切りは見たことがない』と絶句されたように、1機を落とすと、慌てたもう1機も悠々と落としてのけていた。

「あの時はねえ。全身に衝撃が走りましたよ。2機目を落とす時に旋回したんですが、その時に、21型の時にできた、あの絶妙な操縦ができたんです。最初はまぐれかと思ったんですが、2機目を落として、血の昇った相手が、乱射しながら一撃離脱かけてきたのを、自分の想定通りに躱してのけたことで、これまでのもやもやが完全に消えましたね」

結果的にこの空戦で、坂井は2機撃墜し、残り2機も、坂井に気を取られすぎたことで、坂井の援護役の陸軍の2機に落とされ、完勝に終わっている。

「もうね。嬉しかったですよ。もう戦闘機パイロットとしては駄目だと思っていたのが、あの1戦で自信を完全に取り戻すことができたんです。飛行場に戻った時に思わず言いましたよ。『頼む。俺からこの機体を取り上げないでくれ。こいつは最高の戦闘機だ。こいつに乗っている限り絶対に負けない』って。
古参の人達が『そうだよな。隼は強いもんな』って泣いて喜んでいましたよ」

相手の強大な戦力を考えれば、今回の戦果も蟷螂の斧であったかもしれない。
だが、誇りを汚された飛行第13戦隊の面々にとっては、今回の完勝と、何より海軍パイロットが陸軍機を本気で褒め称えたという事実は、彼らの傷ついた心を癒すには何よりの薬であった。

「それ以降はまあ、アメちゃんに対する嫌がらせですな。向こうの大将も、連合艦隊にかかりきりにならんといかんですから、基本は護衛空母の機体相手でしたが、向こうも広い戦域を護衛空母部隊の戦力で何とかせんといかんでしたから、日を経つごとに苦しくなっていっているのがわかりましたね」

それが肌に感じられたのが、10月30日の戦いであったという。

「戦隊長さんが『海軍さんの艦隊がシブヤン海まで来ているんだ。海軍さんの飛行部隊は助けに行くそうなんだが、うちも助けにいきたい。すまんがいってくれんか』と言ったんです。そりゃあ味方を助けにいかにゃいかんと、私が先導していったんですが、そりゃあ壮観な艦隊でした」

懐かしそうに坂井は目を細めていた。
彼の眼下にあったのは、金剛型と伊勢型を除くすべての戦艦である。
特にソロモン海の戦で全国民に知られた大和型2隻は、坂井をして『あんなデカい戦艦を日本は持っていたんか』と、心から驚いたという。

「で・・・私らが対峙したのは第一次攻撃隊と、護衛空母群からなる第三次攻撃隊でした。敵の戦闘機が少なかったこともあって、戦闘機は他の部隊に任せて、うちらは雷撃機の阻止に全力を尽くしましたね。爆弾はともかく雷撃による浸水程面倒なことはありませんから。そう言った点でも隼は有用でした」

もっとも、坂井たちが戦ったのは雷撃機だけではなかった。
雷撃機を守ろうと坂井たちに攻撃を加えた戦闘機もいたのだ。

「勇敢なパイロットでしたよ。こちらの戦闘機を振り切って、何としても雷撃機を守ろうという意志がこちらにも伝わってくる、そんな立派なパイロットでした。戦後、撃墜したパイロットが、マリアナで生き残っていた、エースパイロットのブラシウ氏だったことを聞いた時は、成程なと思いました」

521: yukikaze :2017/04/22(土) 22:16:56
「ああそうそう。私らが『アメちゃんも苦しいんじゃないか』と思ったのが、第三次の空襲です。その時の部隊が対地専門の筈の護衛空母部隊なんですよ。あんだけ正規空母を持っているアメちゃんが、わざわざ護衛空母部隊を繰り出してくる。こりゃあ向こうも懐が苦しいんじゃないのかって思いましたね。まあうちらは『ここでこいつら減らしておけば後が楽だ』と、60機位いた機体を減らすのに必死でしたが」

結果的に、彼らが帰還した後に、ハルゼーが出した最後の攻撃隊によって、第三次攻撃時点で煙を吐いていた瑞鳳は沈み、龍鳳も大破してしまったのだが、それを坂井たちのせいにするのは酷であろう。
事実、この時期の陸軍飛行第13戦隊の奮戦は、『フィリピン戦での陸軍部隊の白眉』と言われるだけの戦績(最終的にはフィリピン戦を通じて、戦闘機28機、攻撃機32機の撃墜を記録している。なお自軍は、56機中38機の損失を受けている。)を残している。

「レイテで艦隊がアメちゃんを吹き飛ばしたことを知った時は、もう基地中が万歳三唱でしたよ。アメちゃんの攻撃がピタッと止まって、『アメちゃんが逃げていくぞ』と聞いた時は、歓声を上げていました。だから木村から『米軍は逃げている。今すぐ追撃しろ』なんて命令が下った時は、全員が馬鹿にしていましたね。
『無能大将の命令なんざまともに聞けるか。最初から最後まで足を引っ張りやがって。そんなに追撃したけりゃ防空壕で震えている花谷のケツでも蹴飛ばしやがれ』って、全員が貶していました。
まあそれでも戦隊長さんが『あんなバカの命令なんか聞く気はないが、それでも戦友たちの傘になってくれんか』と、頭下げたから『戦隊長殿の頼みならば』って、雷電部隊が対地用のロケット弾詰み込んで、うちらはその護衛として飛びましたよ。結果的に、無茶な命令でひどい目にあったレイテの旅団の撤退を助けられたのが幸いでしたが、もっとも、それは向こうも陸軍兵の速やかな撤退を第一義に考えて、それ以外はしないように自制していたのが大きかったでしょうね」

かくしてフィリピンでの坂井の戦いは終わったのだが、それからが大変だったという。

「今でこそ笑い話ですが、みんな私が死んでいたと思っていたんですわ。飛行13戦隊の皆さんも、私がここにいるなんてことを伝える余裕なんてどこにもありませんでしたから。なので原隊復帰をするべく連絡を取ったら、電話口で『坂井は生きとったんか!!』と、驚きの声があがり、『今まで何しとったんじゃ!!』と、笹井中尉から怒鳴られたんで『陸さんの戦闘機に乗って、アメちゃんの飛行機を落としていました。赤い尾翼の隼です』と申告すると『あの時の隼はお前だったんか!!』と、二重に驚かれました」

もっとも、坂井が大変だったのはそれ以降だった。
レイテ沖での決戦は、日本海軍にとっては大勝であったものの、同時に在フィリピンの陸軍上層部の無能さから陸海軍の関係が一気に悪化していたのであった。
如何に東条が、事実上、軍の政策ラインから外され、逃亡した富永を筆頭に、的外れな作戦指揮を連発した木村や、無能の限りを尽くした花谷が、苛烈な処罰を受けたからと言って、海軍側の反発が簡単に収まる状況ではなかったのだ。
故に、『現場の陸海軍将兵が一致協力して米軍に立ち向かった』という図は、陸海協調が必要と判断している上層部にとっては、これ以上ない程の宣伝材料であったのだ。

「もう酷いもんでしたよ。今でいうと完全な客寄せパンダです。講演の依頼がひっきりなしに来るんですがその時も軍の広報から『陸軍の名誉を傷つけず、陸海協調を果たしてほしい』なんてこと言われて、飛行第13戦隊の皆さんと一緒になって呆れかえっていましたから。遂には映画まで撮られた日には『こりゃ一体どこの何という話だ?』という位にまで脚色されていましたわ。お蔭で戦後の一時期はうそつき呼ばわりですよ」

坂井曰く『正直な話、谷口監督には悪いですが『フィリピンの荒鷲』は、二度と見たくありませんね。映画の出来云々じゃなくて、私を大川内伝次郎、太田中尉さんが長谷川一夫、太田さんの親友役で黒川弥太郎、従軍看護婦役で高峰秀子とか、当人達にしてみりゃあ、恥ずかしすぎて見れませんよ』と、困った顔で言っていたが、こうした宣伝により、陸海軍の感情的な反発は、表面上は鳴りを潜めたものの、今度は海軍での坂井の居場所がなくなろうとしていた。

522: yukikaze :2017/04/22(土) 22:17:30
「まあ私が203空で浮いていたのが悪かったんですが、203空において『俺達だって苦労したのに、なんであいつばかり』という声が強くなったんですわ。飛行第13戦隊の場合は『俺達の無念をよくぞ晴らしてくれた』と、第四航空軍の面々から感謝されていたのでトラブルも起きなかったんですが。後は隼を褒めたことで『俺達の戦法が間違っていたというのか』と曲解されたりもして・・・」

語っていくうちに陰鬱な気分になったのだろう。坂井の声の張りもなくなり、眼も虚ろになっていった。

「結局、司令や笹井さんでも抑えきることができなくなって、笹井さんと面識があった高田GF参謀長が一肌脱いでくれて、飛行第13戦隊への出向という形で事態を抑えてくれたんです。寂しかったですよ。
何しろ見送りに来たのが、笹井中尉に西沢に本田といった旧台南空の連中だけでしたし。むしろ飛行第13戦隊の面々の方が喜んで出迎えてくれましたよ。太田中尉なんか『あいつが帰ってくるまでは責任もってあいつの隼を飛ばせ。あいつが帰ってきたら新しい隼調達してくるから心配するな』でしたよ」

そのころには、飛行第13戦隊は『ご褒美』として4式戦が受領されており、坂井もそれに乗ったのだが評価は芳しくなかったという。

「一度だけ乗らさせてもらったんですが、やはり隼の方があっていましたね。操縦桿を力いっぱい振れば格闘戦用の旋回能力もかなりあるんですが、とにかく操縦桿が重くて、いざという時に不安を覚えましたし。
後はエンジンですね。栄と比べると無理がきかない。そこが不満でした」

頑迷と言われるかもしれないが、それでも戦果を上げ続けている坂井に対し、飛行第13戦隊は『坂井少尉の
好きなようにさせてやれ』と、寛容であった。
そこには『坂井は海軍だから』という意識があったからとも言えるが、それ以上に、フィリピンで坂井が単機で操る隼と、残りの重戦部隊との連係プレーによって得たスコアを無視することは不可能であった。

「そうこうしているうちに、いよいよアメちゃんが本土に迫ってくるということで、私らが派遣されたのが沖縄でした。当時、アメリカが来ると思われたのはマリアナだったのですが、マリアナに進出したくてもマリアナでの受け入れ態勢が整っていませんでした。なので、我々は支作戦で沖縄や台湾に艦隊が来ると判断されて、その防衛のために派遣されたんです。連合艦隊も悲壮だったようですが、うちらも悲壮でしたよ。
何しろ、マリアナにかかりきりの艦隊が助けに来る可能性は低いと見ていましたから。まあ本土で戦死出来るのがせめてもの慰めと言い合っていましたね」

だが、沖縄での戦いは、坂井たちの想像をはるかに超えるものであった。

「いやもう最初から防戦一方ですよ。フィリピンの時よりも酷かったんじゃないですかね。何しろフィリピンの時は『決戦』の心構えがあったのに対し、ここでは『あくまで牽制』という意識が強かったですからねえ。全員が『ヤバイ。まともに戦ったら磨り潰される』って、慌てて退避しましたよ。第八航空師団や第二航空艦隊が瞬時に消し飛んだのを見れば猶更ですよ」

嘉手納から必死の思いで、南部に作っていた臨時基地に移動した坂井たちであったが、翌日の空を見て絶句したという。

「何が驚いたかって、ペロ8・・・ああ、P-38のことですが、あいつらが空を飛んでいるんですよ。
何でアメリカ陸軍機がここにいるんだって驚きましたが、向こうでも陸海軍の対立が激しくて、陸軍の不信が元で、ニューギニアにいた精鋭部隊をわざわざ輸送させたと聞いた時は、どこも同じかと思いました」

こうした状況下で、飛行第13戦隊は「座して死を待つよりも打って出るべきでは」という意見が出されたが戦隊長は絶対に首を振らなかったという。

「偉い人でしたよ。『自暴自棄になって戦うな。最後まで粘り強く戦うんだ。連合艦隊は必ず来てくれる。フィリピンの時も来てくれたじゃないか。俺達が打って出るのはその時だ』といって、部隊の一人一人を説得したんです。私もついつい『連合艦隊を信じてください。お願いします』と頭を下げて、出撃を主張していた人たちも『戦隊長殿と坂井さんが言うのなら』とひいてくれました」

この時、坂井は心の底から神仏に祈ったというが、その後の展開に腰を抜かすことになる。

「翌日から天気が悪くなってきましてねえ。『こりゃあ明日はアメちゃんも空飛ばんだろ』と言い合っていたら、気象班の人間が『おいマテ。こりゃあ嵐になるんじゃないのか』って言うんですわ。
4月にそんなことあるかいと思っていたら、例の『神風』ですよ。その時ほど私は『この世には神も仏もいるんじゃな』と、呟いて、みんなと一緒になって『もっと降れもっと降れ』言って、飛行場班の人らに『整地するうちらのことも考えやがれ』と言われましたわ」

523: yukikaze :2017/04/22(土) 22:18:18
そうこうするうちに『第五航空艦隊と第六航空軍の連中がやったらしいぞ』『アメちゃんが大混乱しているようだ』『連合艦隊が来てくれるんだ』という声が聞こえる中、沖縄を守る第32軍司令部から、4月17日早朝、連合艦隊の宜野湾突入と併せて、反攻作戦を決行することが告げられる。

「もう本当にうれしかったですね。連合艦隊は来てくれたんだと。仮に宜野湾に到達したのが駆逐艦1隻であってもそれは変わらなかったでしょう。彼らは約束を守ってくれたんだと。じゃあ次は俺達の番だって整備兵の皆さんは徹夜で整備していましたよ」

この時、沖縄に展開していた第七飛行師団の残存部隊は、第13戦隊の32機を皮切りに、第24戦隊の16機、第208戦隊の彗星陸爆隊20数機、それに切り札と言っていい、第75戦隊の天雷及び屠龍(どちらも襲撃機ver)の10機程度であったが、それでも彼らは意気軒昂であった。
連合艦隊の襲来により、アメリカ海軍空母機動艦隊はその対処にかかりきりなのだ。
アメリカ陸軍の兵力もそれほど多いとは考えられない(実際に彼らが持ち込んだ戦闘機は30機程度で、半ば象徴的なものでしかなかった)ことから、今この時だけは押し込めると考えたのであった。

「みんな『もうこんな好機はこの時だけだぞ』って言っていましたね。実際、アメリカの空母機動艦隊はしぶといことを痛感していましたからねえ。連中が牙をむく前に、とにかくアメリカ陸軍に打撃を与えておけと。
だからこそみんな『すまない』って、宜野湾の方に頭を下げながら、出撃しましたわ」

1945年4月17日午前6時30分。
連合艦隊の宜野湾突入と同時に発令された『義烈』作戦は、太平洋戦争における、日本陸軍最後の攻勢作戦として名を残している。
突然の奇襲により、アメリカ陸軍は大混乱に陥り、そしてそれは宜野湾への連合艦隊突入と、挺身部隊による総司令部への襲撃及び司令官殺害で頂点に達することになる。
そしてその混乱は空でも起きていた。

「驚いたことに、予想されたアメリカ陸軍機による迎撃もなかったんですよ。これは、海軍の特殊部隊が陸軍航空部隊の兵舎に向けて攻撃叩き込んで、何人もの人間を死傷させたことが大きいのですが、こちらはもう、それこそ我が物顔で攻撃しましたわ」

第七師団に命じられた攻撃箇所は、後方にある敵軍団及び師団司令部であった。
日本陸海軍は、挺身部隊の少なくない犠牲を基にして、彼らの居場所を探り当てており、たった一撃に全てを賭けていたのだ。

「ほんと博打ですよねえ。何しろ外れたらそこで終わりなんですから。それでも現状を考えるならばそれ以外にないのも事実なのですが。だから、一番強力な襲撃機部隊が軍団司令部を狙い、陸爆部隊で師団司令部を潰すことにしました。うちらも余分な重量になることは覚悟の上で、疾風部隊は虎の子のロケット弾を全機装着していました」

沖縄戦において、第七飛行師団の最初で最後の大攻勢は、対空火器や、遅ればせながら出てきたアメリカ陸軍航空隊や、アメリカ護衛空母部隊の艦載機の一部によって、爆撃機部隊が半減する被害を受けながらも、敵司令部の大半に攻撃が成功し、唯一生き残った第七歩兵師団司令部が、即座に遅滞防御作戦への移行を命令することにより、アメリカ陸軍の沖縄攻略作戦の遅延は決定づけられることになる。幸いにも、アメリカ陸軍の前線部隊が粘り強く戦ったことと、午後からはアメリカ海軍の空母機動艦隊の残存部隊が、阻止攻撃に全力を挙げたことで、32軍の戦果拡大は頓挫されることになるがそれでも、当初案に策定したラインまで戦線を押し上げることになっている。

「これが私にとって事実上、最後の戦いと言えるものでした。あの戦いで、私はP-38を2機撃墜して、最終的にはあの戦争終了までに54機落とすことができました。笹井さんや松さんの120機、西沢や岩本さんの160機近い数は当然、菅野や杉田、武藤にも及びませんが、それでも戦闘機パイロットとして満足できましたよ」

そう言って、坂井は満足そうに話を締めくくった。
確かに彼の撃墜数を見れば、日本海軍でも15位以内に辛うじて入る状況ではある。
だが彼のことを『撃墜王倶楽部の中では大したことがない』と言うものは一人もいない。
前述したブラシウを皮切りに、フレミングやトーマス・マクガイアといったエースクラスを撃墜してのけ、最後の戦闘では、復讐に燃えるボング率いる1個中隊の待ち伏せにも生き延びる(この時のボングの行動は彼の名声を傷つけるのに十分であり、彼は失意のうちに帰国した後、ジェット戦闘機への転換訓練中に事故死することになる)など、『赤い尾翼のオスカーはエースキラーだ』と、連合国パイロットからは死神扱いされているからだ。

もっとも、当人は『エースキラー』『大空のサムライ』と呼ばれるよりも、こう呼ばれる方を好んだとされる。

『海軍で隼を一番上手く飛ばせた男』と

524: yukikaze :2017/04/22(土) 22:24:25
これにて投下終了。長すぎるわ馬鹿野郎という抗議は受け付けます。

大空のサムライとか見ていると、本当にこの人は『ゼロ戦21型』で止まってしまったんだなあという観が。
近年の研究では、むしろ52型の方が現場では好まれていたのですが、なまじ21型で戦果を上げ続け、ブランクが発生しちゃったことで、過去の栄光に縋ってしまったのかなあと。

本作でもそこら辺の苦悩を書きつつ、低高度低速域では21型に匹敵する操縦性の良さと、21型を超える加速性能に上昇性能、更に12.7mm2門なれど炸裂弾と命中率が高い武装と、それなりの防御力という、恐らく坂井が一番扱いやすい隼Ⅲ型と組み合わせることで、彼の闇を払しょくさせることにしました。

以下は突っ込みとその答えになります。

530: yukikaze :2017/04/22(土) 22:40:15
Q 何で海軍の坂井が隼操縦できんだよ
A 雷電が『陸海共用戦闘機』になったことで、陸海で計器やら操縦席での配置やらを統一することになりました。坂井が乗っていたのは、その統一型の隼。

Q 隼強すぎね?
A 低速度低高度域での空戦では太平洋戦争末期でも強いですよ。こいつ。

Q アメちゃん対策しているよね?
A レイテのアメリカ海軍航空隊って、ルーキー以上ベテラン未満が殆ど。初陣も多い。
  沖縄の場合は、海軍航空隊はほとんど出ず、ルーキーが多い護衛空母か、ベテランだが混乱中の陸軍
  要は「戦った時の状況が、日本側にとって有利な状況」

Q 何気に日本側のパイロットの撃墜数凄くね? 50機以上で15位以内ギリギリかよ
A 割と真面目にレイテやマリアナ、それに本土爆撃に来た爆撃機相手にスコア稼いでいます。
  ちなみに日本陸軍は大陸戦線でスコアを稼ぐ人間が多く、陸軍まで入れると、30位以内に入るか入らないかのレベルです。ちなみに拙作世界での日本軍での最高スコアは上坊良太郎陸軍大尉の208機という数字。

545: yukikaze :2017/04/22(土) 23:15:15
539、>>540
ゴメン。Ⅰ型のイメージのままで書いていました。この部分は後で修正します。
あと「飛行第13戦隊」と「第13飛行戦隊」で表記が混在していますので、これも「飛行第13戦隊」で統一させてください。

574: yukikaze :2017/04/23(日) 11:39:51
それでは修正版を。

(改訂前)
そしてそこで彼は運命的な出会いをする。
海軍で三枚のプロペラに慣れていた彼にとっては、懐かしいと言っていい2枚のプロペラを持つその機体は
坂井には、今にも飛び立たんと抑えに抑えているように見えたという。

(改定後)
そしてそこで彼は運命的な出会いをする。
そこにあったのは、陸海共用戦闘機となっていた雷電ではなく、内地において暇つぶしに見て
いた国策映画に出ていた機体であった。
大空を機敏に動き、坂井に羨望と郷愁を抱かせたその機体は、彼の目には
今にも飛び立たんと抑えに抑えているように見えたという。

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最終更新:2017年05月04日 13:04