173: 新人艦長 :2017/11/14(火) 14:20:29
<ヴァハト・アム・ライン:最後の冬>
 1944年12月ヨーロッパ戦線は膠着状態に陥っていた。
 東部戦線では東プロシア~ワルシャワ~バラトン湖~クロアチア-ユーゴ国境で安定し現在ドイツ軍が包囲されたブダペスト解放作戦を準備し、ソ連軍がヴィスワ川からオーデル川まで一気に抜く作戦を計画中であった。
 西部戦線ではオランダ・ベルギー・フランス国境沿いで睨み合いが続いていた。
 独本土では空襲が続いていたが成果は芳しくなく。ドイツ軍に片っ端から叩き落され被害が続出、最近ではジェット機やFw190が迎撃してきたため護衛戦闘機の被害も続出、ドミニク・ジェンタイルやチャック・イェーガー、ジョン・トレヴァー・ゴットフリー、ジョージ・プレディ、カール・ジョン・ルクシックといったエースが撃墜、捕虜になっていた。



 この状況に目をつけたのはドイツ軍であった。
 ドイツ軍の戦略プランはすでにドイツの敗北は避けられないと判断しておりどうすればより良い負けを得られるかにシフトしていた。
 そこで考えられたのは東西両陣営にドイツに侵入する前に一撃食らわせる、いわゆる一撃講和論に近い方向になっていた。
 ソ連の方は民間人の避難の時間稼ぎのため春の目覚めと森の悪魔(クロアチア方面からソ連軍の下腹部を殴る陽動作戦)とポンメルンとポーランド回廊方面からの反攻作戦「冬至」がもしソ連軍がヴィスワ川を突破してきたときの反撃、撤退作戦として用意されていた。
 それに対して西側はそういった作戦が一切なくせいぜいライン川までの撤退作戦がある程度だった。
 そこで考えられたのが反撃作戦「ラインの守り(ヴァハト・アム・ライン)」であった。

 この作戦の目的はアルデンヌ地方を突破し、米第1軍、できるなら第3軍の一部を包囲撃破するという作戦であった。
 まず第1段階はアルデンヌ地方の交通の要所サン・ヴィト、バストーニュなどを抑えナミュール付近まで進出する。
 次にナミュール付近でマース川を渡りサン・トロンを奪取しマースリヒトとアーヘン周辺で米第1軍を半包囲する。
 最後にハインスベルク周辺の友軍とともにマースリヒトを挟撃、第1軍を包囲する作戦である。

174: 新人艦長 :2017/11/14(火) 14:21:03
 この作戦は立案された10月時にはかなり難しいと考えられたが11月のレイテの敗戦とその後の混乱はヨーロッパまで来てるようで海軍によると最近はスヘルデ川河口付近でよく輸送船が沈められてるといい、ここにきてまた連合軍は補給に悩まされ始めたという。
 また無線傍受や偵察、暗号解読などによりアルデンヌとその南側、戦線後方の米軍の大半がヨーロッパに来たばかりか、再編途中、定数割れ、練度・装備・質に問題ありといった部隊が大半らしく補給状態も悪いとの情報であった。
 これによりにわかに作戦成功の可能性が出てきたドイツ軍は実施を決定。当時ドイツ軍が集められる限り最も質のいいものが多数送られた。

 この作戦のために完全定数の40個師団合計50万人、戦車1000両、火砲3000門、装甲車両1400両、航空機1500機という膨大な数であった。
 特に切り札として使われる9個装甲師団はパンター中心に再編され装備の大半が最新兵器であった。また全車両に夜間暗視装置「ヴァンピール」が装備された。
 そのほかに夜間強襲専門の装甲部隊として第150装甲旅団が予備として配備された。
 歩兵部隊では全部隊が最低60%の機械化を行い、戦車猟兵部隊では駆逐戦車や突撃砲が多く配備された。
 また兵士の士気も高く、作戦前にあるSS部隊で訓練不足を理由に予備兵力として後方に置かれるはずだった若い戦車兵たちが整列して指揮官の前でパンツァーリートを歌ったというエピソードもあった。

 航空部隊では夜間全天候攻撃部隊エルベ攻撃隊が編成され航空攻撃作戦「ポーデンプラッテ」に投入予定であり、作戦参加部隊の大半はFw190とTa152が装備された。

 陽動作戦として空軍が行うシュテッサー作戦では空挺部隊がバストーニュに空挺降下、さらに広い範囲にビニール人形をばらまき混乱させる。
 その他にコマンド部隊による破壊工作作戦「グライフ」も用意された。こちらは英語が得意な兵士により大混乱を引き起こすのが任務であった。

 この「最後の賭け」を成功させるためにドイツ軍は徹底した諜報戦を仕掛けた。
 まずアントワープへの電撃戦を用意しているという偽の情報を流し、それを行うためにロンメル率いる新編成の部隊がいるという情報を主にアルザス・ロレーヌ方面に流し注意を南方に逸らした上で事前偵察をアルデンヌで1回やるとアルザス・ロレーヌで10回やるというような感じで偽装。
 アルザス・ロレーヌ方面には囮の張りぼて戦車を用意し、アルデンヌ方面は徹底的に偽装して隠した。
 さらには連合軍に偽の作戦書類を持たせた死体を回収させるなどして少しでもアルデンヌから目をそらさせた。

175: 新人艦長 :2017/11/14(火) 14:21:34
 この状況に対して連合軍はというといいとは言えなかった。
 レイテ後米軍の再編のため多くの士官や専門技術を持つ戦車兵、工兵、砲兵、通信兵、衛生兵、軍医が大勢引き抜かれ大変な状況であった。
 さらにここにきて今度は商船乗組員の練度の低下による船舶事故が相次ぎ12月初めだけでも8隻の輸送船が座礁、6隻の輸送船が衝突事故を起こしていた。
 また士気もあと数カ月で終わるというのにレイテでの10万人丸焼き、断続的な補給の途絶、ドイツ軍の強烈な攻撃に夜間は嫌がらせ攻撃とそのため士気はどん底であった。

 装備に関してはM4がティーガーやパンターには勝てず、新型の76㎜砲搭載型も送られてはいるが数が足りず、その上練度の低下もあった。
 空軍もドイツ空軍必死の抵抗と新戦術により戦闘機部隊に被害が続出。爆撃も最近は不徹底で被害もそれほど与えられてるとは思えなかった。

 さらに指揮系統にも問題があった。レイテの敗戦後ルーズベルトが急死、そのため新政権への引き継ぎやレイテで死んだ多くの将官の代わりとしてヨーロッパから多くの将官が引き抜かれた。
 またヨーロッパ方面連合軍の指揮官がアイゼンハワーからマッカーサーに変わったことも影響していた。彼は優秀ではあるが自尊心が高くすべての指揮を自分の子飼いの部下に取らせようとして我の強いモンティ、パットン、ド・ゴールはおろか温厚なブラッドレー、ホッジス、チャーチルなどなど元々ヨーロッパにいた将軍・指導者・兵士連中から「なに今更こっち来てここが自分の戦場だみたいに威張ってるんだよ」と思われ信頼がほぼゼロ。それどころか将軍たちに至っては本気で殺そうとするぐらい嫌われていた。(特にひどかったのはブラッドレーで、一時鬱状態だと診断され副官にどうやったらあのパイプ野郎殺せる?と聞くほどだった)

 とにかくこの時期の連合軍は「数は一流だが士気と練度の低い米軍」と「練度はいいが補給不足の英軍」の二つに分けられ、指揮官同士の信頼も欠如していた。



 1944年12月16日午後11時。
 突如アルデンヌ地方前面の100キロ以上の前線に一斉砲撃が開始、さらに西部戦線の各地の飛行場に夜間強襲が行われた。
 さあ素敵なクリスマスパーティーを始めよう

176: 新人艦長 :2017/11/14(火) 14:26:02
以上です。
いかがでしょうか?
なぜバルジの戦いではなくラインの守り(ヴァハト・アム・ライン)って表記にしてるかと言いますと戦後世界ではバルジの戦い表記かどうか怪しいのが理由です。

ちなみにマックの態度に将軍連中がキレるのは完全な妄想です。

次回は作戦第1段階ポーデンプラッテ作戦とシュテッサー作戦
降下猟兵と痛い子が頑張ります

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最終更新:2017年11月15日 21:31