321: ひゅうが :2017/11/21(火) 20:01:47
ふと思いついた小ネタ
北宋の神宗の時代。
皇帝は群臣に問いかけた。
「東海(この時代の対日関係は良好であったために東夷とはいわなかった)の東、不二の山の東には広大な沃野が拡がると聞く。しかしそこは白い匈奴が跋扈し農耕がおこなわれていないとか。なぜだろう」
群臣は「それは東海の天子の徳が」あるいは「白匈奴がよほど強いのだろう」と奏上したが、ひとりの男だけは違った。
「関東の地には、三江(黄河・長江・淮河)がひとところにあわせて流れております。かくなればいかに力を尽くしたところで堤は切れ、地は泥濘に沈むでしょう。
これを収めるためには、古の舜王のごとき聖人が3人はいります。まして、乱世(保元の乱などの情報は宋にも届いていた)であります。これこそ天地の公道(道理)といえましょう」
神宗はなるほどと膝を打ち、この官吏をとりたてることにした。
この男の名を、王安石という。
なお、この言葉から600年あまりのちに日本では3人の英傑が生まれた。
一人が群雄をおさめ、もう一人は国を平らげ、そしてもう一人が関東の地に入府することになる。
かくて予言は成就した、そう大陸では結ばれるのがこの逸話の常である。
337: ひゅうが :2017/11/21(火) 21:00:08
ちなみにこの王安石、11世紀に大規模な政治改革を行った上に優れた文学者としても知られる人物。
政治的反対派からも高い評価を受けていたそうです。
ただしあまりに大規模にやりすぎてしまった結果か、その改革の是非をめぐって国を二分する大論争が続き、これが北宋の国力低下をもたらしてしまったとも…
彼の名前を世界史で習った方も多いのではないでしょうか?
で、舜王のような聖人が3人も、というのは中華世界からみれば「天にニ日なし」という原則に反し、想像すべくもないことという意味になります。
ただし中国の古代神話では太陽は昔は9つあったのを神が撃ち落として1つにしたということにもなりますので、「もしかしたら天のたすけがあれば可能かもね」という意味も含んでいます。
これをさらっと皇帝の前で述べるあたり王安石はさすが只者ではなかったという、まぁ逸話なわけです。
最終更新:2017年11月25日 10:21