619: 新人艦長 :2017/11/24(金) 14:12:17
それじゃあ話題変える?

ヴァハト・アム・ライン最終編できたから投下します。

ヴァハト・アム・ライン:賭けの勝敗

620: 新人艦長 :2017/11/24(金) 14:12:51
 アーヘン、その街は第3帝国にとっては第1帝国たる神聖ローマ帝国発祥の地である。
 この街でかのカール大帝は神聖ローマ帝国皇帝に即位した。
 その後、神聖ローマ帝国の栄枯盛衰とともに歴史の彼方に消え、現代ではドイツ国境地帯有数の大都市の一つ(とはいってもドイツ全体から見ればただの地方都市)として存在する。
 世界大戦では、その位置関係から独本土で最初に落ちた都市となった。




「クソッタレのマックのヤロウ!なんで撤退を許可しなかった!」
「とにかくどうにかして突破しよう!一番弱そうなところはどこだ!」
「おそらくシント・トロイデン(サン・トロン)ですがさっき偵察に行った部隊から1個装甲師団規模の部隊が陣を構えてるようです。」
「その他は?」
「マースリヒト方面は3個師団が展開中。展開中の歩兵師団への圧力が増してます。ナミュール方面は敵歩兵師団が陣を構えて突破を図った第2戦車師団の戦闘団と交戦中。突破は難しいかと。」
「南のサン・ヴィト方面は第424連隊と第7機甲師団戦闘団が独軍の攻撃を受け圧迫されつつある模様。」
「そのほかだと南西方向に突破するのが考えられますが単独での突破は困難かと。」
「パットンは?モンティはどうした?」
「パットンはなんとかウッファリーズとベルトーニュまで到達してますが、バストーニュは敵の歩兵師団が占拠したままです。」
「北の英軍ですがゾンホーフェンとヘンクの間で敵の激しい抵抗に遭遇。停止してます。」
 アーヘン市内にある米第1軍の司令部ではどうにかして脱出しようともがいていたが、ドイツ軍の奇襲、低い士気、不十分な補給のせいで成果は芳しくなかった。
 南からパットンの第3軍が救援に向かったが南の独軍の激しい抵抗によりこちらも戦況はよくなかった。

621: 新人艦長 :2017/11/24(金) 14:13:29
 バストーニュは交通の要所。アルデンヌ地方の街道が交差する街でありその重要性は連合軍、独軍ともに理解しており、独軍は作戦初日に空挺部隊の奇襲攻撃で奪取していた。
 南からの連合軍の攻撃に対し独軍は陣を敷いていたが第3軍の猛攻撃に撤退を余儀なくされた。
 そのためバストーニュには一個歩兵師団、一個戦闘団(大隊規模)、一個降下猟兵大隊、一個猟兵戦隊などが包囲された。

 バストーニュの独軍は大隊規模の戦闘団フォン・デア・ハイテ、堅実な防衛戦に定評があるハインツ・ココット少将が率い装備や練度においてかなり上位に位置する第26国民擲弾兵師団、SSの懲罰部隊の一つとして編成され高い練度を誇るSS第500降下猟兵大隊、特殊部隊として編成されたカール・フッカーSS大尉率いるSS駆逐戦隊「ミッテ」に第150戦車旅団の戦闘団Zであった。

 戦闘団Zを率いていたアドリアン・バロン・フォン・フェルカーザムSS大尉は、あのスコルツェニーが三顧の礼で国防軍から引き抜いた特殊作戦の専門家で、42年のブラウ作戦中に特殊作戦でマイコプを占領する戦果を挙げた人物であった。(ちなみに彼の祖父はかのバルチック艦隊の副司令官ドミトリー・フェルケルザム提督である)
 第150戦車旅団は夜間攻撃を専門とする戦車部隊として編成された部隊で、一時はこの部隊を偽の米軍に偽装して攻撃するプランが立てられるが、装備の調達が困難であったため第150戦車旅団の一個戦闘団のみを偽装することになりその部隊が戦闘団Zであった。
 だが結局この部隊を使うような出来事に遭遇せずただの鹵獲装備の戦車部隊で終わろとした矢先にバストーニュに包囲されたのである。

 この状況にフェルカーザム大尉は、隷下の部隊を使い特殊作戦で妨害し始めた。
 戦闘団Zの装備である鹵獲シャーマンを使い敵の車列や陣地に浸透、夜間攻撃を行い撤収するということを繰り返し、前線部隊では夜間の戦車部隊への誤射が乱発、またミッテは同じく後方に侵入し偵察や破壊工作を行い指揮所や補給車列を遠距離砲撃で破壊した。

 第3軍は執拗な攻撃を繰り返すが各部隊が高い練度と恵まれた装備を持ち、バストーニュには大量の連合軍からの鹵獲装備や弾薬が集積されていたためそれを使い抵抗。
 それでも補給がないので日に日に追い詰められ、ついには米軍側から降伏勧告の使者が来るが、それに対し独軍はミッテにいた英語に堪能なとある将校のシャレでこう返した。
「ナッツ」
 英語でふざけるなという意味のスラングで返答。
 その後、年をまたぎ翌年の1月4日まで包囲されるも、撤退支援のため第3軍を攻撃していた第21装甲師団と第2降下猟兵師団の戦闘団「フォン・ルック」と「フォン・オッペルン」に解囲される。

622: 新人艦長 :2017/11/24(金) 14:14:12
 この作戦でドイツ軍は戦死・捕虜・行方不明合計7万人を出すが、連合軍は合計15万の人員が死傷・捕虜・行方不明となり、大量の軍需物資、そして丸1個軍が捕虜収容所送りとなった。
 第1軍の降伏後、独軍は速やかに撤退の準備を開始、鹵獲したほとんどの物資を根こそぎ持って帰り翌年の1月半ばまでに元の戦線まで戻った。


 この作戦から3か月ほどたった後、西部戦線の独軍は今までにないほど猛烈な攻撃を食らうことになる。
 さらには今までにないほどの空襲を敢行、ドレスデンだけでなく、ミュンヘン、ブレーメン、ベルリン、ウィーン等々ドイツの主要都市すべてを灰にした。
 この一連の空襲でドイツの民間人、合計50万人が死んだという。
 この作戦で己のプライドを叩き潰された不屈のマック、その報復であった。

623: 新人艦長 :2017/11/24(金) 14:20:26
いかがでしょうか?
作中で登場したアドリアン・バロン・フォン・フェルカーザムの話は全て史実です。

グライフが史実より規模縮小してるからSS駆逐戦隊の扱いが宙ぶらりんになったからここで使った。

名前だけ出たオッペルン・ブロニコフスキーは別名必敗の指揮官って呼ばれる人です。
モスクワ戦、スターリングラード、クルスク、ノルマンディーこのすべてで重要な役割を担い負けた人。指揮能力は悪くないはずなんですけどね
ちなみにこの人ベルリンオリンピックの金メダリスト
もう一人のフォン・ルックはかの有名な「勲章をもらうか死ぬかどっちかだ」って言って空軍将校脅した話がある人。この人もかなり優秀な装甲部隊指揮官

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最終更新:2017年11月25日 11:05