841: ひゅうが :2018/05/31(木) 12:35:08


 艦こ○ 神崎島ネタSS――「幻島夢酔譚」



中ノ鳥島という島がある。
近代における発見は1907年8月
位置は北緯30度05分 東経154度2分。
東京から560カイリ、約1037キロ東方である。
面積は2.13平方キロというから、周囲7キロに満たない小さな島ということになる。
またの名をガンジス島といい、海外においてはこれを含めた諸小島をロス・ジャルディン諸島とも呼ぶ。
この名はスペイン語で「立派な庭」という意味で、1529年に同国の探検家アルバロ・デ・サアベドラ・セロンにより命名されたものであるという。
とはいえ、16世紀の測量技術においては誤差が大きく、実際に存在する位置とは南鳥島を挟んで大きく500キロあまりずれていることが認められていた。
これより260年近くあとになってイギリス船フェリス号が発見した南鳥島ことグランパス島とロトの妻こと孀婦岩など、地図上の位置関係が南北からほとんど東西に90度(経度にして17度!)もずれているのであるから、ある意味当然であるといえよう…

と、ここまでが1937年時点で知られている「事実」である。
ちょうどこの海域はかつてのフィリピン・北米航路――通称アカプルコ第2航路のはずれにあたる。
かつての日の沈まぬ大帝国たるスペインやのちに大英帝国の船舶がちょっと航路をそれる形で島をみることも多い海域だ。
が、奇妙なことにこの島々に上陸した記録は、発見者のほかはそれと同時代の一例しか存在しないのだ。
望見した記録こそあるものの、それだけである。

幻島

ごく一部で良く知られたこの言葉は、その名の通り実際に存在しない島のことをさした。
上述したように、かつて帆船で大洋をわたった時代から数百年間は測量精度自体が非常にお粗末なものでしかない。
これによって、別の位置にあるはずの島を本来は何もない海上にあるととってしまうことが多々あったのだ。
さらには、ただ遠望するだけで海図に記された島も多い。
それは何らかの自然の作用を島と見誤るような、あるいは極限状態の船上で集団的な幻を見てしまうような現象でもあった。
帆船時代、ただ寄り道をするということのなんと手間のかかったことか。


21世紀の現在からみてこうした現象を笑ってばかりはいられない。
史実における西暦2012年には、なんと太平洋ニューカレドニアに隣接するチェスターフィールド諸島のフランスの「領海内」にあるとされたサンディ島が幻島であることが明らかになっているくらいである。

中ノ鳥島もまた、結果的にはこうした「幻島」のひとつであった。
というのも、発見者はこの小さな島に数万年単位で海鳥の糞が堆積することで生まれる大量のリン鉱石があると報告しており、肥料としても火薬の原料としても明治時代の日本にとってそれは宝の山とされたからだ。
発見報告から6年足らずで明らかになったのであるが、要するに、投資詐欺である。
しかしながら、当時は日露戦争後の帝国の拡張期であった。
この位置に他の列強諸国が領土を持つと帝国政府や海軍としては非常に困る。
そして宝の山であるグアノ(リン鉱石)を失うことも業腹であった。
だからこそ、正式な政府や軍の探検を待たずに日本領土への編入が官報により宣言され、さらに詐欺話が新聞などで小さく報じられたあとも存在を否定する話がないとされて海図に載りつづけたのであった。

こうして史実においては太平洋戦争中も日米ともに海図に「中ノ鳥島」は記載され続けた。
さらには戦後になって日本を占領した連合国軍の手によって「日本の領域から外される島」となる「他外辺の太平洋諸島」として大東島・沖ノ鳥島・南鳥島と共に「中ノ鳥島」は海図上にも法令上も存在し続けたのである。
そして1946年になり、ようやくこの島は「不存在」として地図上から消える。


この世界でもそうなる――はずであった。

843: ひゅうが :2018/05/31(木) 12:35:38
――1937(昭和12)年12月9日 中ノ鳥島諸島 三叉港


「タラップおろせ!」

潮枯れした声とともに、甲板の掌帆長が岸壁に旗を何度も振った。
コンクリートで護岸された岸壁上では、ジュラルミンの小さな斜面の下に台車がついたような物体が数名の白い制服の男たちの手で押され、今まさに接岸したばかりの貨客船の舷側にゆっくり押し当てられた。
その後方では、こちらよりやや急な斜面に階段のついた台車が同様に接続されている。
こちらの斜面の上には、滑り止めの凸凹や線が入ったゴムが敷かれている。
水に縁の深い場所で使うからには、ありがたい配慮であった。

「総員上甲板!」

貨客船「おりゅんぽす丸」に乗り込む二系統の色に統一された乗客たちは、互いに負けるなという少々の対抗意識をにじませながらきびきびと動いていく。

「『乗客』の皆様へお知らせいたします。本船は定刻11時ちょうどに、中ノ鳥島 三叉港へと到着いたしました。
三叉港の天候は晴れ、気温は、摂氏22度。湿度は52%です。
長らくのご乗船、お疲れ様でした。
乗換えのご案内です。
三叉港から諸島各島への定期連絡船は、北方各島ゆきはこのあと12時30分発の高速船『ろす・じゃるでぃんⅡ』、南方各島ゆきは18時発の『ろす・じゃるでぃんⅠ』となっております。どうぞお乗り遅れのないようご注意願います。」

かつて沖縄からの疎開船の船長をつとめていたことのある船長は、この改おがさわら丸級の貨客船に乗り込む人々へといつもと変わらない調子でゆったりと呼びかけた。
横須賀からこの白い船に乗り込んではや3日。
800名あまりの帝国陸海軍将兵は物珍しそうにこの島の主港を見回している。
ガラス張りで2階建ての客船ターミナルがあったり、またコンクリートで広く護岸された埠頭に多くの自動車がならんでいる光景はこの時代の一般人出身の将兵にはとても珍しいものであることだろう。

「欠航のご案内です。中ノ鳥島空港から神崎島国際空港への空の便は、基地改修期間のため只今欠航しております。
三叉港から神崎島神崎島への飛行艇便が代替航路となっております。運行状況につきましては、空港および客船ターミナルにて毎朝お知らせしております。」

白い第2種軍装を着用した海軍士官たちが少しほっとしたような表情になった。
この中鳥島諸島は孤島ではないものの、位置関係は絶海といっていい。
南方の南鳥島からも西方の小笠原諸島からもそれぞれ数百キロは離れていた。
南国らしく小笠原諸島に近い熱帯性の植物や内地よりも高い日差しで異郷に来たことを実感していた者も多いのだろう。
カーキ色の軍装の陸軍の兵士たちの表情はやや浮かれ模様である。
この3日間、船酔いするものもあったが空調のよくきいた「おりゅんぽす丸」で彼らは考えていた以上に快適な船旅を堪能していたのだ。
ハンモックに揺られたはじめての船旅という予想は、それぞれ班ごとの個室や食堂での洋食、船内のミニ映画館や小規模な図書室というこの時代の二等以上の客室により大いに裏切られていた。
となれば、少しばかり元気をもてあましても不思議はないだろう。
、あた暇にあかせて今度の衛戍先(駐屯先)となる場所の地誌を調べていたものもおり、名産のラム酒や小笠原諸島に近い南国の海の幸を楽しみにしている者も少なくはなかった。

844: ひゅうが :2018/05/31(木) 12:36:10

「島内のご案内です。中ノ鳥島各所への通勤・観光には、中ノ鳥島交通の乗り合いバスやロス・ジャルディン軽便鉄道が便利です。
ご希望の方には、島内案内、時刻表ともにタラップ下の係員が無償でお渡しします。」

ざわっと乗客たちがそろって声を上げる。
岸壁にいつの間にかあらわれていた「おりゅんぽす丸」乗員と同じ半袖制服姿の人々が横断幕を広げはじめたのだ。
彼等とはすこし違った法被を着た人々は、抱えるほどの円筒形の物体を抱えて横一列にならびはじめている。
太鼓であった。
やがて、号笛の合図とともに男たちが太鼓をたたき始める。
「歓迎 ようこそ中ノ鳥島へ」という横断幕の前で奏でられる太鼓の音は、もし知っているものがいたのなら南洋庁管轄下のテニアンやサイパン島や東京府下の硫黄島でかなでられるリズムとの類似点を感じ取ることができたはずである。
この島の「住民」となった人々は、ここではないどこかの「かつて」、これらの島に住んでいたかそこへ還ることができない無念をのんだ人々だった。

しぜん、やんやの喝采が起こる。
当然ながらこの時代、こうしたことに対して鉄拳制裁を行うような無粋な上官はほぼ存在しない。
これから彼らは、交代や休暇を含めても少なくとも1年はこの島に駐留することになる。
知らぬ土地に駐留するにしても、その住人達から歓迎されることに嬉しさを感じないものはいるわけがないのだ。

「最後に、御乗船の帝国陸海軍の皆様にご案内します。
本島は、本土と違い自然環境など独特の現象が数多くあります。
皆様の『おつとめ』と生活を実り多いものとするためにも、わからないことがありましたら島内警察、または住民へと遠慮なくお申し出ください。
『男女ともに』ほとんどが軍属経験者でありますのでお力になれるかと存じます。」

さらりと注意も混ぜてある。
ちょうど沖縄の西表島に近い面積を有するこの中ノ鳥島やそれに準じた諸小島へとやってきた陸軍の警備隊、および海軍の警戒艇隊や航空隊、通信隊の人々はそれなりの数になる。
すでに上陸して工事を監督している人々もあわせれば、1000名を超えるだろう。
ふとした拍子におイタをしないと思うほど、彼らは人間に甘くはない。
正確に感じ取ることができたのは下士官クラスであったとしても、その意図はよく将兵につたわったようだった。

まぁ、実際にいざこざになったとしてもあまり問題はない。
この島の住人はかつて「大発搭載89式中戦車妖精さん」や「大発妖精さん」の経験を有している者や「基地航空隊妖精さん」であったからだ。
現場を離れたあとでも練度は、こののち幾度も派遣されてくる横須賀の海軍陸戦隊とも互角以上であるとさえ評価されていた。

「本日も、神崎島管区 南海汽船をご利用くださいまして、ありがとうございました。
またのご利用をお待ちしております。」

そうして船長は、マイクの向こう側に向かって深々と頭を下げた。
無制限潜水艦戦に女子供を奪われず、こうして平時の海を定時運行できる。
船長にとってはこうした日常業務こそがこの上もない喜びなのだった。
特設監視船として遊び半分に沈められていった記憶を持つこの島の漁船団や、映画南洋の花束を実現できる飛行艇乗りたちと同じように――



――なお、このあとバスに揺られて衛戍地に入った「帝国陸軍中ノ鳥島先遣隊」は、下手に元気がありあまってしまったためか歓迎の意をこめて提供されたラム酒を前にことごとく「撃沈」されたことを付記する。

845: ひゅうが :2018/05/31(木) 12:37:21
【あとがき】――評判がよかったのでさくっと追加で書いてみました。
        海上護衛?あれ?解せぬ…

847: ひゅうが :2018/05/31(木) 12:41:27
ooi氏に地図を発注したときから考えていたネタをお蔵出しできました。
某終戦のローレライの原作版のテーマ曲をイメージしていただければ幸いです。

848: ひゅうが :2018/05/31(木) 12:51:03
参考までに
ttps://www.youtube.com/watch?v=zxT7q-AfJy8

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最終更新:2023年12月10日 18:20