205: yukikaze :2018/06/30(土) 18:32:31
乙です。ではこちらも調子に乗って投稿

択捉型海防艦

基準排水量 940t
全長   78.8m
最大幅   9.1m
吃水   3.06m
機関方式   22号10型ディーゼルエンジン2基2軸 4,200馬力
速力 最大 19.5ノット
航続距離 16ノットで5,000海里
乗員 150名
兵装 45口径12センチ高角砲 連装1基・単装1基
25mm連装機銃三連装5基・単装5~8基
九四式爆雷投射機2基
三式爆雷投射機16基
爆雷投下軌条1式
爆雷120個
レーダー 一三号電波探信義1組
二二号電波探信義1組
電波探知機1組
ソナー 三式水中聴音機1組
三式二型探信儀2組

注:最も多数建造された中期型のスペックである。

(解説)
昭和16年度戦時建造計画(マル急計画)において、計画建造された対潜用護衛艦である。
日本海軍としては、空前絶後と言っていい120隻近い建造数を誇っており、戦後生き残った艦においては、巡視船として使われる艦もあるなど、日本の海を守った艦である。

太平洋戦争の開戦をにらみ、日本は、緒戦で占領予定の南方地域からの資源輸送について、その航路護衛兵力が不足していることに気が付いた。
元々、日本海乃至は太平洋航路が重要な通商航路であり、故に航路護衛戦力については優先度が低かったとはいえ(日本海には碌な海軍戦力がなく、日本海軍の仮想敵国はアメリカである以上、太平洋航路は消滅している)、泥縄と批判されても仕方がない状況でもあった。

さて、泥縄とはいえ、航路護衛兵力の整備をしようとした海軍であったが、問題は山積みであった。
その中でも無視できない問題が「1から設計していては、戦力が整うまでに時間がかかりすぎる」という内容であった。
当時の艦政本部が、雲龍型航空母艦の仕様策定で大混乱をしていた事も要因の1つであったのだが、根本的な要因は「船団護衛のノウハウの蓄積が少なすぎて、仕様を固めることに時間がかかる」という、海軍側の無理解によるものであった。
後に、海上護衛総隊の事実上の指揮官であった阿部俊雄大佐が「我が海軍は、地中海で学んだことを全部忘れてしまった」と、嘆息することになるのだが、「とにかく適当な規模の護衛艦を見繕えばよい」という海軍上層部の判断の元、占守型海防艦をベースにした海防艦を作ることで、一応の決定を見ることになる。

だが、実務を司る中堅~下層の士官達にしてみれば「最善より三善かも知れないが、ないよりはマシレベルを渡されても困る」という気分であった。
何しろ占守型海防艦は、元々が北方漁業用の護衛として作られた艦である。
当然、装備も北方用であり、しかも警備任務であるが故に、対潜用護衛艦としての能力は低い。
ある意味、航路防衛という裏方に廻されているが故に、本流にいる人間よりは、程度問題とはいえ海上護衛を理解している面子にしてみれば、「体格が似通っているからと言って、相撲取りに柔道やらせるようなもんだ」と、頭を抱えることになる。
無論、上層部の決定を端から無視して理想を押し通せるだけの権限を彼らが持っている筈もない。

そして彼らはある意味開き直った。

1 一から理想の艦なんて作るにはノウハウもなければ政治力もない。
2 じゃあ、初期型として占守型の簡易建造verを12隻程度作る。
3 その間に、簡易建造verを徹底的に弄る。1943年の後半くらいに配備出来たらいいな。
4 2で作った艦は、3の艦が出来上がり次第、順次北方で活用。
5 その間? 現場頑張れ。ない袖は振れん。

現場の人間が聞けば激怒すること確実な開き直りであったが、はっきり言ってこれまでの航路防衛のノウハウの積み重ねをさぼっていたツケは、一朝一夕では補えないのである。
前述の阿部大佐が、ドイツから持ってくる資料の中に「船団襲撃をする際、一番嫌なことを必ず纏めて来い」と言ったのも、このツケを少しでも解消するためであった。

206: yukikaze :2018/06/30(土) 18:33:33
以下、各型について述べる。

初期型
1943年秋までに建造された艦である。兵装としては史実択捉型のまま。12隻建造現場が欲しがっていた艦とは真逆と言っていい艦であり(対潜能力の低さ、南方なのに暖房用の補助缶は搭載されたまま)であり、護衛部隊に配属された面々からは「赤レンガは現場が分かっていないのか?」「潜水艦が浮上したまま殴り込みに来たら役立つ。そんなトンマが今時いればだが」と、悪評散々であり、前期型が前線配備されて以降は、
北方に転用されている。
なお、北方では、暖房設備と荒天での強さから、占守型と同様重宝されており、ソ連侵攻時に、浮上して襲撃したソ連潜水艦を主砲で撃退するなどしている。

前期型
1943年秋ごろから就役した艦である。30隻建造。『御蔵型』とも。
初期型の問題点を徹底的に改修した艦であり、現場からは「何故これをもっと早く出さなかった」と、苦情が出る始末であった。
最大の特徴は、各所の構造が大幅に簡易化、従来の曲面部分を平面化するなどの量産性。
未だ造船所では忌避されていたブロック工法も平然と行い、建造期間を、初期型の平均11カ月から4カ月~5カ月程度に大幅に縮小している。
また、爆雷を36発から120発、平射砲を高角砲に替えるなど、対空・対潜能力を大幅に増強しており阿部大佐による対潜マニュアルが軌道に乗ったこともあって、アメリカ海軍潜水艦に煮え湯を飲ませることになる。
ただし、水中聴音機、水中探信儀が九三式のままであり、対潜能力には改善すべき点も多く、それが中期型に繋がる。(前期型についても、可能な限り中期型に準じた改修は行っているが、それも1/3に留まっている)

中期型
1944年春ごろから就役した艦である。最多となる54隻建造。『鵜来型』とも。
聴音機及び探信儀を三式シリーズにしたことにより、潜水艦発見能力が大幅に向上している。
その対潜能力の優秀性に、海軍上層部は狂喜し、一部の艦を使ってハンターキラーチームを作るなどし、アメリカ海軍をして「マリアナでの敗因の一つ」と認めるように、偵察戦力としてのアメリカ海軍潜水艦の行動を低調なものにする要因にもなる。
ただし、船団護衛とは別に積極的に潜水艦封殺に使った代償として、アメリカ海軍機動部隊に捕捉撃滅されるケースも多く、阿部大佐をして「邪道の戦術」「猟犬の役割は羊を守ることだ。
狼を狩ることではない」と、軍令部の一派(神大佐と言われている)を批判する場面がある。

後期型
1945年初頭から就役した艦である。建造数は28隻。『与那国型』とも。
対空能力に不満が生じてきたことから、後部甲板の12センチ連装高角砲を除去し、代わりにボフォース40mm単装機関砲及び四式対潜弾投射機(ヘッジホッグのデッドコピー)を積むことで対潜能力及び対空能力の更なる向上を図った艦である。
ただし、この時期には機関製造能力に限界が生じており、タービン機関乃至は、速度低下は目をつぶる代わりに、22号10型よりも量産しやすい23号乙8型を搭載するかで検討されていた。
また、この時期において無視できない損害を示していた機雷に対する掃海艇としての役割も期待されており、単艦式大型掃海具を装備している。
(反面、三式爆雷投射機は、四式対潜弾投射機もあって割愛されている。)
同型は、損耗の激しかった『鵜来型』の穴埋めとして、就役した側から戦場に駆り出されており、アメリカ海軍潜水艦の日本海への侵攻作戦を失敗に終わらせる傍ら、南方での船団護衛では電子戦及び対空能力の差から、短期間で損耗するなど、苦闘を重ねることになる。

択捉型海防艦は、最終的には各タイプ合わせて124隻建造され(未完成艦を含めるとまだ増える)航路防衛の主力を担っていたのは事実である。
対潜後半になると、主に電子戦による索敵能力の差から、夜間襲撃において被害を受けるケースが目立ち、また、FCSの問題から、対空能力は一定レベルのものでしかなく、空母機動艦隊による襲撃で大被害を受けたりもしている。

それでも同艦が海上護衛に奮戦したのも事実であり、2/3近くが戦没した代償として、アメリカ海軍の潜水艦も100隻以上沈めており、決して狩られるだけの存在でなかったことを示している。
(1945年の被害が大きいのは、完全に数の暴力によるものであり、現場の努力だけではどうにもならなかった。)

同艦が決して無力でなかったことは、太平洋艦隊司令長官であり、潜水艦運用に長けていたニミッツ大将が戦後にこう述べているからでも明らかであろう。

「日本の牧羊犬はとても勇敢であった。とても勇敢に戦い、羊たちを守ったのだ」

海防艦乗りにとって最高の賛辞であったであろう。

207: yukikaze :2018/06/30(土) 18:34:23
投下終了。たまには地味な艦でも。
詳しい解説は用事済ませてからやります。

223: yukikaze :2018/06/30(土) 21:46:17
取りあえず詳細な解説を

Q 最初から鵜来型じゃなかったの?
A その予定だったのですが、色々と考えていったら、最初からは厳しいことが分かりまして・・・
  せめて上層部に理解力のある人間がいれば違ったのですが・・・

Q 各型異なっているのに択捉型?
A 海軍の法令上、甲型海防艦に占守型(菊花紋章付)、乙型海防艦に択捉型となっているため。(史実では択捉型まで甲型)
  まああれだ。吹雪型は各型によって違うけど、法令上、吹雪型に統一しているあれと一緒。

Q 潜水艦の浮上攻撃って、群狼戦術でもあるのにトンマ?
A 漸減作戦でそれやって大失敗したから。大西洋の戦いの情報はある意味スルーされてました。

Q 史実の丙型以降は?
A 沿岸防衛に駆潜艇(小規模造船所で建造)、航路防衛に海防艦と割り振ったため、建造はなし。
  史実よりも航路防衛に余裕があり、海防艦が活躍できた影響によるもの。

Q それでも2/3沈むんかい
A 10隻で守っても、20隻で取り囲まれ、夜間索敵能力は向こうが上、おまけに
  1945年に配備されたTDCmkⅣが、必要な諸元を自動で入力できるようになったおかげで、命中率が格段に上がってしまったこと、とどめが空母機動艦隊による攻撃など。
  軍令部の一部が、高い対潜能力過信して、連合艦隊の露払いにしたりしましたからねえ・・・
  それと火薬の消費量に対応するため、爆雷にカーリット系を使い続けたせいで、被弾に弱い面もありました。

Q 何気に阿部さん大変だったの?
A 対潜戦のマニュアルに始まり、船団護衛のノウハウや民間への要請、それに暗号問題から対潜航空の整備。
  井上を毛嫌いし、大井を罵倒するのも無理ないレベルで激務こなしています。

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最終更新:2018年07月01日 13:00