318: 635 :2018/07/20(金) 22:29:19
史実神崎島支援ネタSS 東北カレー事情


青森県津軽半島

「おう、メシだ!メシだ!」

「今日の晩飯はなんだ?」

「ライスカリーだとよ。」

「おいおい、ここじゃカレーライスっていうんだぜ。」


仕事を終えた男達が食堂へと入ってくる。

今日の夕飯は野菜と肉がたっぷり入ったカレーライスのようだ。

男達は炊きたての白米に熱々のカレーがたっぷり掛かったカレーライスを美味そうに頬張る。

少し前まで困窮した生活に比べ、ウマイメシは食え、給金まで貰えるという天国のような日々だ。


「まったく、神様、仏様、神崎様だぜ。」

「ほんとにその通りな。」

「お冷置いときますね。」

「おう、あんがとさん。」

お冷を置いた若い女中さんも少し前なら身売りしなければならなかっただろう。

そんなことを考えながら男は好物のカレーライスをかき込む。




カレーライスは現代日本では国民食と呼ばれるほど普及し、全国各地でご当地カレーが存在するほど一般的な存在である。

戦前は帝国海軍や大衆食堂などでも食されるなど、一般的な存在ではあるがいつも各家庭で食べらる程普及はしていなかった。

それはカレーが作りづらいからである。


カレーを作るためにはまずフライパンで小麦粉を炒め、カレー粉を練りあわせてカレールウから作る必要がある。

即席のカレールウも存在はしたが粉末状なので湿度で固まるなどの問題があり普及はしていなかった。


しかし、神崎島の存在がここで全てを変える。

青函トンネル工事にはTBMを使用するため史実の工事よりは楽とはいえ人手が必要であった。

その食事を用意するだけでも一苦労だ。

319: 635 :2018/07/20(金) 22:31:08

そこで投入されたのが固形カレールウである。

カレーライスは大鍋、大釜で大量に作ることが出来、固形のため扱いやすく、現代水準の保存技術による長期保存性から重宝され大量に使用された。

朝昼晩毎日カレーライス、現代であれば飽きて食べたくもなくなるが、食べるのにも困っていた人々からすれば天恵ともいうべきものだろう。

譲ってもらった固形ルウと米を持ち帰り、お腹を空かせた家族に腹いっぱいのカレーライスを食べさせる光景も各地で見受けられた。

また、固形ルウを譲って貰った工事関係者が故郷へ持ち帰りカレーライスを振る舞った所、固形ルウを求る人間が大量に現れ食堂関係者へと助けを求めるという珍事もあった。



食堂関係者が泣きついたのはやはり神崎島鎮守府である。

鎮守府よりルウの供給が開始され、並行して帝国内での生産の準備も始められた。

給糧艦間宮指導の元、カレー粉を生産していた浦上商店、日賀志屋などで生産が始まる運びとなった。



カレールウが供給され始め最初に大量消費地となったのは、カレーライスの美味さとカレールウの便利さを知る東北地方だった。

工事の中心地津軽地方だけでなく、海沿いの漁村、山奥の村落ありとあらゆる場所でカレーライスが食べられた。

副産物としてスプーンが東北地方の各家庭に家族分常備されるようになった。


そして東北地方各地で食べられたカレーライスはレシピ通りの食材を手に入れることが難しく、各地で独自の進化を遂げることとなる。

マタギが狩る動物を使ったもの、海で海産物を使ったもの、地場の野菜を使ったもの、星の数ほどのバリエーションが生まれた。

21世紀に入りこれらのカレーライスはご当地グルメとして名を馳せることとなるが、ある人物に敬意を表し一つの名前はで呼ばれる


「神崎カレー」と。

320: 635 :2018/07/20(金) 22:32:24
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最終更新:2023年11月15日 20:57