742: 635 :2019/04/24(水) 19:31:51 HOST:p1898232-ipbf412souka.saitama.ocn.ne.jp
銀河連合日本×神崎島 ネタ アール・ヌーヴォー


東京 帝国劇場

「二藤部総理にヴェルデオ大使、ご両人ともようこそいらっしゃいました。ようこそ帝国劇場へ!」

黒塗りのセダンから帝国劇場の玄関へと降りた二藤部とヴェルデオを出迎えたのは初老の男性、神崎島鎮守府陸戦隊・抜刀隊を纏め上げる米田一基中将であった。
いつもの軍服を脱ぎ灰色のスーツに緑の蝶ネクタイをしている、わかりやすく言えば太正桜に浪漫の嵐ないつもの格好だ。
本日は帝劇臨時支配人でもある。

本日の帝国劇場はいつもと装いが違う、職人妖精達の腕とティ連の技術により関東大震災で失われたかつての内装に近い姿へと変わっている。
それもこれも本日の公演が原因である。

神崎島歌劇団花組特別公演「愛ゆえに」

日本初の花組の公演にして、初の神崎島外公演でもある。
外の看板を大帝国劇場に変える程の凝りようである。

ちなみに花組メンバーは米田と共に二藤部とヴェルデオを迎えている。


「マサトサン、楽しみデスネ。ニホンの歌劇なんて初めてデス!」

「はは、俺も歌劇はそんなに見ないから楽しみだよ。」

普段は原作を見る通りドレスコード何それ?で気軽に見れる歌劇団花組であるが、
本日は日本国内閣総理大臣に在日本イゼイラ星間共和国大使を迎えるということでドレスコードが設定されている。
随員として来たフェルさんに柏木もおめかしをしていた。

「外にも大勢の人が並んでイマシタがやはり神崎島の劇団だから気になるのデショウカ?」

「いやあ、それだけじゃないと思うぞ。」

「?」

「まあ、ぶっちゃけて言えば花組の人達も創作案件でファンも多いからな…。」

「アア…。」

創作案件、艦娘の時も大変だったなあとフェルさんの目が遠くなった。


目が遠くなったフェルさんの気分転換に柏木はロビーを見て回った。
そしてある物がフェルさんの目に止まる。
主演のクレモンティーヌ役の真宮寺さくらを中心に自然の要素からなるアラベスクで取り囲んだ繊細なデザインを施ししたポスターだ。

「マサトサン、このポスターハ。」

「花組の公演の告知ポスターだな。」

「デモこのポスター写真じゃないデスヨ。絵も写実的ではナイシ。」

「ああ、それは「それはアール・ヌーヴォーという美術のポスターよ。」ウォースパイトさん…。」

「Hello、Mr.柏木にMs.フェルフェリア。」

柏木の説明に割って入って来た人物それは神崎島側の人間として帝劇へと来ていた艦娘ウォースパイトであった。

「ウォースパイトサン、先程言ったあーる・ぬぼーデシタかそれは一体?」

「フェル、あーる・ぬぼーじゃなくてアール・ヌーヴォーな。」

「フフ、私が説明するよりMr.柏木が説明した方がよさそうね?」

「まあ、芸大出ですから一通りの説明は出来ますが…。」

「間違っていたら訂正するから心配しなくてもいいわよ?これでも欧州大戦、第一次世界大戦前の生まれですから。」

「そういや就役は大戦中ですが、進水も起工も大戦前、まだベル・エポックの時代でしたか…。」

そんな話をしつつ柏木は説明をする。

743: 635 :2019/04/24(水) 19:33:18 HOST:p1898232-ipbf412souka.saitama.ocn.ne.jp

アール・ヌーヴォーとは十九世紀末から二十世紀初頭にかけてヨーロッパを中心に開花した国際的な美術運動である。
花や植物などの有機的なモチーフや自由曲線の組み合わせによる従来の様式に囚われない装飾性や、鉄やガラスといった当時の新素材の利用が特徴的である。
その影響は広範囲に渡り建築、工芸品、グラフィックデザインなどに影響を与えた。

有名な著名人としてはサグラダファミリアのアントニオ・ガウディ、ガラス職人のルネ・ラリック、
アール・ヌーヴォーの先駆となったアーツ・アンド・クラフツ運動のウィリアム・モリスなどが有名だろう。
ちなみにルネ・ラリックは旧朝香宮邸、現在の庭園美術館の玄関ガラスレリーフ扉、照明器具も手掛けている。


「そんな感じの運動だな。でこのポスターはその中のアルフォンス・ミュシャの影響を受けたものだと思う。」

「ヘァー成る程、流石発達過程文明デスネ。」

「ちなみに神崎島にはその当時を知る人物もいるわ。艦娘で言えば金剛、妖精ではAdmiral東郷、Churchill卿辺りでしょうね。私もぎりぎり含まれますね。」

関心しっぱなしのフェルさん。
イゼイラにはその過程がないからしょうがない。


「でウォースパイトさん、こんな感じでどうですかね?」

「Excellent!と言いたい所だけど間違いが一つ。まあ、これは分からなくてもしょうがないんだけど…。」

「何か違ってました?」

「そういう意味の間違いじゃないの。」

「?」

「このポスターのことよ。」

「??」

「このポスター、アルフォンス・ミュシャ本人が書いたものよ。」

「…まじですか。」

「マジよ。」

柏木が絶句するのも無理はないだろう。
アルフォンス・ミュシャ、正式にはアルフォンス・マリア・ミュシャという名前でアール・ヌーヴォーを代表するチェコ出身の画家である。
正式には現代で言うグラフィックデザイナー、イラストレーターと言ったほうが正解であろう。
彼の制作した『四季』や『黄道十二宮』を見たことのある方も多いのではないだろうか。
本の押絵やポスター等のを多く手掛け、彼の出世作となったのも宗教劇『ジスモンダ』の主演サラ・ベルナールを描いたポスターである。


フェルさんはよく分からず柏木の隣でほへえとしている。
しかし柏木は一つ疑問が生じた。

「ウォースパイトさん、アルフォンス・ミュシャは軍人ではなかったですよね?」

「ええ、そのとおりよ。」

「ではなぜ神崎島に?」

「…彼の晩年については知らないのね?」

「ええ。」

「彼もまたあの大戦で現世に心残りを残し、無残な最期を遂げた一人だからよ…。」

744: 635 :2019/04/24(水) 19:35:11 HOST:p1898232-ipbf412souka.saitama.ocn.ne.jp

一九一〇年、アルフォンス・ミュシャは祖国チェコに戻り、二十年を掛けて後にチェコの宝となるチェコおよびスラヴ民族の伝承・神話および歴史を描いた『スラヴ叙事詩』を制作。
チェコ人の愛国心を喚起する多くの作品群やプラハ市庁舎のホール装飾等を手がけ、
一九一八年にオーストリア帝国が崩壊、チェコスロバキア共和国が成立すると新国家の為に紙幣、切手などのデザインを無償で行った。

しかし、祖国の平和も長くは続かなかった。
一九三八年、ナチスドイツによりチェコスロヴァキア共和国は解体、ミュシャも絵画が国民の愛国心を刺激するものであるとして民族主義を煽った罪で逮捕、拘束された。
尋問も苛烈を極めたようで、七十四歳の老人であったミュシャに耐えられる筈もなく釈放後四ヶ月でこの世を去っている。
未来を閉ざされた祖国の姿が彼が見た最後の祖国であった。

そして戦後、解放された祖国は社会主義国家となり民族主義との結びつきを警戒された政府によりミュシャの存在は公的には消し去られた。


「あのミュシャにそんなことがあったなんて…。」

「ミュシャサン、可哀想デス…。」

「二人共、悲しまなくて良いわよ。彼は現世に戻って祖国の未来を見れたと喜んでいたのだから。」

「「えっ!?」」


一九六八年、ソ連の介入により頓挫したが祖国を変革しようとした『プラハの春』
一九八九年、汎ヨーロッパ・ピクニックに端を発する共産党独裁を打倒した流血を伴わぬ民主化革命『ビロード革命』
一九九三年、同年代の他の国家分裂と異なり武力による解決を行わなかった『ビロード離婚』

国民の意思で変革しようとした事、流血を伴わなかった事、これは世界に誇るべきことであった。
祖国は別れてしまったが、現在では互いに尊重し、対等な独立国としてチェコ、スロバキア両民族の関係は良好である。


この後ミュシャの存在を知ったチェコ、スロバキア両国は神崎島と国交を樹立。
両国は中欧における神崎島の友好国家としてその存在感を放っていくこととなる。

またミュシャは後に遣欧艦隊の一員として欧州を歴訪、その中で祖国への帰国が実現し、
ミュシャは両国で熱狂を持って迎えられることとなる。

745: 635 :2019/04/24(水) 19:40:10 HOST:p1898232-ipbf412souka.saitama.ocn.ne.jp
以上になります。
転載はご自由にどうぞ。
これでティ連にアール・ヌーヴォーが伝わることでしょう。
後、バウハウス関係者も神崎島にいるでしょう。

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最終更新:2019年04月30日 12:18