西村博之
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西村 博之(にしむら ひろゆき、1976年11月16日 - )は、日本の実業家。有限会社未来検索ブラジル取締役、有限会社パズブロック相談役。また2005年11月14日、ドワンゴの関連会社ニワンゴの取締役にも就任している。ただし、本業は未詳。
インターネットの匿名掲示板である2ちゃんねるの開設者かつ初代管理人。また地域情報の掲示板であるまちBBSの開設者でもある。
神奈川県相模原市中央区出生。東京都北区出身(現在は東京都新宿区在住)。通称ひろゆき。まちBBSでは地方1という固定ハンドル(コテハン)を使用。2ちゃんねるの総合案内で永遠の19歳と自称していたこともある[1]。独身。身長177cm。血液型O型。
来歴
国税局職員の長男として神奈川県相模原市中央区に生まれ、生後まもなく東京都練馬区田柄に移住。さらに東京都北区赤羽で育つ。小学校の卒業文集では「クラスが選ぶ明るい人第1位」に選ばれた[2]。東京都立北園高等学校在学中はフジテレビ系『アインシュタインTV』が好きで、物理学専攻を志望していたが、代数の教師と相性が悪く、単位を落として理系進学を断念[3]。高校時代は万引きや自転車のサドルの窃盗を行い、マジックマッシュルームを摂取したことがある他、泥酔して警察に連行され説諭されたので派出所でウィスキーをばら撒いたことがあると語っている[4]。同校を卒業した時の成績は、下から10番以内だったという[5]。代々木ゼミナール池袋校での1年間の浪人を経て、1996年4月、中央大学文学部教育学科心理学コース入学。文化連盟犯罪科学研究会というサークルに所属するも、会計を担当した際、帳簿をつけない等のずさんな事務を問われ退会した。在学中、原付バイクで交通事故に遭い、その慰謝料で[6]1998年夏には米国アーカンソー州のアーカンソー中央大学(University of Central Arkansas)へ一年間留学(学内選抜による給費留学[要出典])した。
中央大学在学中の1998年1月(2月6日説もある)、2ちゃんねるの前身となる電子掲示板「Hirox's room」を開設。1998年3月に合資会社東京アクセスを設立。1998年6月6日、「Hirox's room」から、「実録!交通違反をもみ消して罰金を払わない方法」(別名:「交通違反の揉み消し方」)にサイト名を変更した(ただし、2ちゃんねる開設以前の詳細は不明な点が多く、ほとんどは西村自身の発言を典拠としている)。その後、米国留学中の1999年5月30日、2ちゃんねるを開設した(ただし、設立に関しては文献によって記述が異なり、実際の所は不明な点が多い)。
2001年6月にイレギュラーズアンドパートナーズ株式会社を、2002年9月に東京プラス株式会社を設立。 2006年8月以降、一時期は消息不明となり、同年9月22日付の夕刊フジの記事では行方不明と報じられた[7]。しかし、当日の西村のブログには東京ゲームショウに行っていたとの記述がある[8]。
うまい棒(めんたい味)とルートビアが好物とされ、前者は2ちゃんねるにおけるサーバーの名称(cheeze、mentai、pizza、natto、cocoaなど)にもなっていた。また、2001年に開設されていたうまい棒の公式サイトでの投票結果から、パッケージデザインのみではあるが「西村博之専用うまい棒」が製造された[9][10]。しかしその後うまい棒よりもじゃがりこの方が好きであるとも答えている[11]。
各種の講演で講師を務めることも多く、2006年11月4日には早稲田大学[12]、2007年11月25日には東京大学駒場キャンパスなど。またインターネットを通じた公開討論などでもパネリストや司会として露出する機会は多い。政財界にまで繋がりを持ち、中でも、河野太郎衆議院議員などは西村との直接対談を実施し、その業績を賞賛し続けている[13]。
2008年10月、音楽配信サイト「mF247」をに・よん・なな・みゅーじっくと共同で運営していくことが決まった[14]。
2009年1月2日、2ちゃんねるをシンガポール企業(PACKET MONSTER INC.)に譲渡したと公表したが、警視庁では関係者からの事情聴取によりそれ以後も西村が実質的に管理していると判断している[15]。
2009年、米エンターテインメント業界誌「ハリウッド・リポーター」にてアジアのエンターテインメント業界を牽引する20人「ネクスト・ジェネレーション・アジア」の1人に選ばれた。同誌では「日本の典型的エグゼクティブへのアンチテーゼ」と評した。
2ちゃんねるの運営には飽きたと語り、理由の一つに「00年代前半期には、偏差値とインターネット利用者が比例する構図があったが、PCが安価になり始めた00年代中期頃から、一部の議論好きな人間を除いて馬鹿ばかりになってしまった。」ことを挙げた[16]。「明日できることは今日やるな」と発言したことがある。大量の仕事をさばいていく以上、効率的に時間を使って行くべき、ということ[17]。
2012年12月20日、2ちゃんねる上の違法な情報を放置したとして、麻薬特例法違反(あおり、唆し)幇助(ほうじょ)の疑いで書類送検された[15][18]。
訴訟
西村は、2ちゃんねる絡みの多数の民事訴訟と多額の賠償債務を抱えている。最初のうちは裁判に対応していたが、途中から被告としての主義主張を展開せず、法廷徹底無視の姿勢を貫くようになり、これが原告の主張がほぼ認められる欠席裁判となり、その多くで管理責任を問われる判決を受けている(=敗訴)。
毎日新聞の記事によると2006年12月時点で賠償額は総額4000~5000万円ほど。ただし、西村の年収は1億円以上ある[19]。支払能力の有無に関わらず払う気はない[20]。時効まで放置するつもりであると見られている。「時効成立の頃には飽きて別の事をやってるかも」と言う[21]。板倉宏・日本大学大学院教授によると、裁判所の強制執行があれば賠償金は回収できるが[22]、被告の資産を調べるのは原告がしなければならない。2ちゃんねるに関する訴訟を担当して西村の資産を回収しようとした弁護士は「(西村の自宅マンションにあったのは)生活必需品ばかりで差し押さえができなかった」「収入が入る金融機関の口座を突き止めることができなかった」ことを明かしている[23]。
2007年1月29日、元2ちゃんねる副管理人の「切込隊長」こと山本一郎が起こした、西村に対する名誉毀損裁判に出廷した。西村は「基本的には出ない(注:「出廷しない」の意)のですが、今回は知り合いなので、面白いかなと思ったんです。原告がどんな顔をしてくるのか知りたかったんです」と言っている[1]。ちなみに口頭弁論は2007年9月までに5回行われ、そのなかで山本が西村に対し「ハゲ」と投稿したことについて西村が言及した。2008年2月、西村の敗訴に終わる。過去ログ削除と80万円の支払い命令(請求200万円)。2007年2月、西村自身と西村が経営する会社に課された税金(所得税と法人税)の一部が滞納され続けていることを受け、東京国税局査察部が調査を開始したと夕刊フジが報じる[24]。翌3月には読売新聞で“債務4億円、50件以上民事で提訴され43件で敗訴確定”と報じられた[25]。また、3月20日には賠償金の債務が約5億円に上ると報道され、質問を受けた報道陣に対し「支払わなければ死刑になるのなら支払うが、支払わなくてもどうということはないので支払わない」、「踏み倒そうとしたら支払わなくても済む。そんな国の変なルールに基づいて支払うのは、ばかばかしい」と、支払いの意思がないことを明らかにした[26]。
2010年1月、書籍『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』(ISBN 978-4104715213)の印税が新潮社から西村に支払われていることに着目し、印税を差し押さえることで初めて損害賠償金が回収される[27][28]。
インターネットの匿名掲示板である2ちゃんねるの開設者かつ初代管理人。また地域情報の掲示板であるまちBBSの開設者でもある。
神奈川県相模原市中央区出生。東京都北区出身(現在は東京都新宿区在住)。通称ひろゆき。まちBBSでは地方1という固定ハンドル(コテハン)を使用。2ちゃんねるの総合案内で永遠の19歳と自称していたこともある[1]。独身。身長177cm。血液型O型。
来歴
国税局職員の長男として神奈川県相模原市中央区に生まれ、生後まもなく東京都練馬区田柄に移住。さらに東京都北区赤羽で育つ。小学校の卒業文集では「クラスが選ぶ明るい人第1位」に選ばれた[2]。東京都立北園高等学校在学中はフジテレビ系『アインシュタインTV』が好きで、物理学専攻を志望していたが、代数の教師と相性が悪く、単位を落として理系進学を断念[3]。高校時代は万引きや自転車のサドルの窃盗を行い、マジックマッシュルームを摂取したことがある他、泥酔して警察に連行され説諭されたので派出所でウィスキーをばら撒いたことがあると語っている[4]。同校を卒業した時の成績は、下から10番以内だったという[5]。代々木ゼミナール池袋校での1年間の浪人を経て、1996年4月、中央大学文学部教育学科心理学コース入学。文化連盟犯罪科学研究会というサークルに所属するも、会計を担当した際、帳簿をつけない等のずさんな事務を問われ退会した。在学中、原付バイクで交通事故に遭い、その慰謝料で[6]1998年夏には米国アーカンソー州のアーカンソー中央大学(University of Central Arkansas)へ一年間留学(学内選抜による給費留学[要出典])した。
中央大学在学中の1998年1月(2月6日説もある)、2ちゃんねるの前身となる電子掲示板「Hirox's room」を開設。1998年3月に合資会社東京アクセスを設立。1998年6月6日、「Hirox's room」から、「実録!交通違反をもみ消して罰金を払わない方法」(別名:「交通違反の揉み消し方」)にサイト名を変更した(ただし、2ちゃんねる開設以前の詳細は不明な点が多く、ほとんどは西村自身の発言を典拠としている)。その後、米国留学中の1999年5月30日、2ちゃんねるを開設した(ただし、設立に関しては文献によって記述が異なり、実際の所は不明な点が多い)。
2001年6月にイレギュラーズアンドパートナーズ株式会社を、2002年9月に東京プラス株式会社を設立。 2006年8月以降、一時期は消息不明となり、同年9月22日付の夕刊フジの記事では行方不明と報じられた[7]。しかし、当日の西村のブログには東京ゲームショウに行っていたとの記述がある[8]。
うまい棒(めんたい味)とルートビアが好物とされ、前者は2ちゃんねるにおけるサーバーの名称(cheeze、mentai、pizza、natto、cocoaなど)にもなっていた。また、2001年に開設されていたうまい棒の公式サイトでの投票結果から、パッケージデザインのみではあるが「西村博之専用うまい棒」が製造された[9][10]。しかしその後うまい棒よりもじゃがりこの方が好きであるとも答えている[11]。
各種の講演で講師を務めることも多く、2006年11月4日には早稲田大学[12]、2007年11月25日には東京大学駒場キャンパスなど。またインターネットを通じた公開討論などでもパネリストや司会として露出する機会は多い。政財界にまで繋がりを持ち、中でも、河野太郎衆議院議員などは西村との直接対談を実施し、その業績を賞賛し続けている[13]。
2008年10月、音楽配信サイト「mF247」をに・よん・なな・みゅーじっくと共同で運営していくことが決まった[14]。
2009年1月2日、2ちゃんねるをシンガポール企業(PACKET MONSTER INC.)に譲渡したと公表したが、警視庁では関係者からの事情聴取によりそれ以後も西村が実質的に管理していると判断している[15]。
2009年、米エンターテインメント業界誌「ハリウッド・リポーター」にてアジアのエンターテインメント業界を牽引する20人「ネクスト・ジェネレーション・アジア」の1人に選ばれた。同誌では「日本の典型的エグゼクティブへのアンチテーゼ」と評した。
2ちゃんねるの運営には飽きたと語り、理由の一つに「00年代前半期には、偏差値とインターネット利用者が比例する構図があったが、PCが安価になり始めた00年代中期頃から、一部の議論好きな人間を除いて馬鹿ばかりになってしまった。」ことを挙げた[16]。「明日できることは今日やるな」と発言したことがある。大量の仕事をさばいていく以上、効率的に時間を使って行くべき、ということ[17]。
2012年12月20日、2ちゃんねる上の違法な情報を放置したとして、麻薬特例法違反(あおり、唆し)幇助(ほうじょ)の疑いで書類送検された[15][18]。
訴訟
西村は、2ちゃんねる絡みの多数の民事訴訟と多額の賠償債務を抱えている。最初のうちは裁判に対応していたが、途中から被告としての主義主張を展開せず、法廷徹底無視の姿勢を貫くようになり、これが原告の主張がほぼ認められる欠席裁判となり、その多くで管理責任を問われる判決を受けている(=敗訴)。
毎日新聞の記事によると2006年12月時点で賠償額は総額4000~5000万円ほど。ただし、西村の年収は1億円以上ある[19]。支払能力の有無に関わらず払う気はない[20]。時効まで放置するつもりであると見られている。「時効成立の頃には飽きて別の事をやってるかも」と言う[21]。板倉宏・日本大学大学院教授によると、裁判所の強制執行があれば賠償金は回収できるが[22]、被告の資産を調べるのは原告がしなければならない。2ちゃんねるに関する訴訟を担当して西村の資産を回収しようとした弁護士は「(西村の自宅マンションにあったのは)生活必需品ばかりで差し押さえができなかった」「収入が入る金融機関の口座を突き止めることができなかった」ことを明かしている[23]。
2007年1月29日、元2ちゃんねる副管理人の「切込隊長」こと山本一郎が起こした、西村に対する名誉毀損裁判に出廷した。西村は「基本的には出ない(注:「出廷しない」の意)のですが、今回は知り合いなので、面白いかなと思ったんです。原告がどんな顔をしてくるのか知りたかったんです」と言っている[1]。ちなみに口頭弁論は2007年9月までに5回行われ、そのなかで山本が西村に対し「ハゲ」と投稿したことについて西村が言及した。2008年2月、西村の敗訴に終わる。過去ログ削除と80万円の支払い命令(請求200万円)。2007年2月、西村自身と西村が経営する会社に課された税金(所得税と法人税)の一部が滞納され続けていることを受け、東京国税局査察部が調査を開始したと夕刊フジが報じる[24]。翌3月には読売新聞で“債務4億円、50件以上民事で提訴され43件で敗訴確定”と報じられた[25]。また、3月20日には賠償金の債務が約5億円に上ると報道され、質問を受けた報道陣に対し「支払わなければ死刑になるのなら支払うが、支払わなくてもどうということはないので支払わない」、「踏み倒そうとしたら支払わなくても済む。そんな国の変なルールに基づいて支払うのは、ばかばかしい」と、支払いの意思がないことを明らかにした[26]。
2010年1月、書籍『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』(ISBN 978-4104715213)の印税が新潮社から西村に支払われていることに着目し、印税を差し押さえることで初めて損害賠償金が回収される[27][28]。