現代史部は1985年から2012年現在まで、27年の長い歴史を持っています。
しかし歴史があるからといって安定した部活なのかと言えば、そうではなく、
毎年入る部員数の少なさから、いつなくなるか(廃部になるか)わからない部活です。
Dead or Aliveの部活であることから、もうこのwikiはこの後は更新しないで終わるような気もしている。
27年という長い歴史もこの年で終了の危機に面している。もう終わってもいいんじゃあない?[1]
…と思いきや、部員が一気に増え、廃部となることはなくなった。という歴史を繰り返しております。
後ろ盾の杉浦先生は既に教員退任の様子。
現代史部が最初から部活だったわけではなく「ファシズム研究会」として結成されたのが最初でした。
その頃の顧問は杉浦先生、このころはまだ忙しい身ではなかったようです。会員は6期生の方々。
名前にある”ファシズム”から周りからは危険な連中だと思われていたようです。[2]
どう考えても危ない連中です。本当にありがとうございました。
そのせいかどうかはわからないが次の年には名前を「現代史サークル」と改称しました。
どっちにしろ入りにくそうなオーラが漂っているというツッコミは禁止です。
1988年の冬には「教育を斬る」というパンフレットを作っています。
これは2時間にも及ぶ討論をテープにとり、それを文章に起こしたもので、部活でそれをしたのは現代史サークルが初です。
勿論その頃はワープロは安く出始めたころで、打つのに大変苦労をしたそうです。[2]
制作時間はというと文化祭向けに発行するために1年間ぐらいかかっています。
今よりも断然行動力があったという事がわかります。現代史部は日々衰退していっている証拠です。
1989年、この年から現代史サークルは大躍進をし、さまざまなことに手を出し始めます。
この勢いは1992年まで続きました。ちなみにこの時の部員数は10人程度であり、今の部員と同程度(予定)です。[3]
手を出したこと① マレーシア大使館の襲撃訪問をしました。詳細は不明です。多分消されました。
手を出したこと② ディベート。これは長続きをし、1997年にはNHKの討論番組に出演しました。
手を出したこと③ ODAについての研究。 活動が盛んであったため、
1991年「現代史サークル」から「現代史部」へと成り上がりました。
飛んで2009年2年生1人という絶望的な状況に我が部は陥った。と思いきや2012年に入った1年生の数が5人![4]
2012年、何かと新しい試みが増えているらしい。そういうにほひがしてくる。くるが、いつになるのか。
立教大学から直々に手紙が届き12月23日に開催される「平和の集い」へと向かった。クリスマス近いんだからこんなとこ行くなよ(爆)
最後に全員で合唱するというところが最高に怪しかった。ちなみに23日は天皇誕生日だ。みんなで街宣へと向かう予定[5]
(書き途中です。続きはまたいつか)
[1] 2012年、3年生3人、2年生1人…1年生がどっちゃり入ってほしいものである。
[2] 杉浦先生 談
[3] もっと部員が欲しいという希望の現れです。
[4] 欲しいと思っていたら部員が来た。中入が多いのはなぜだろうか?
[5] 小心者現代史部員達がそんなことするわけないんですけどね…。