991 :ひゅうが:2012/05/26(土) 21:13:23

提督たちの憂鬱支援SS――「潮(うしお)の護り」


――西暦1944(昭和19)年12月17日午後1時36分(日本標準時)
  日本帝国 和歌山県串本町 内務省気象庁=帝国海軍 統合観測拠点JK-S1
  「潮岬海底監視所」


ジリリリリ…と警報が鳴り始めた。

「初期微動強度、地震強度上昇、こいつは…でかい!!」

「来るぞ…みんな何かにつかまれ!!」

白衣の男たちが手すりにつかまったり、強化ジュラルミン製の机の下に飛び込むと同時にドン!という縦揺れが厚さ3メートルに達する鉄筋コンクリート製の建物を揺さぶった。

「モーメントマグニチュード上昇、7.8…7.9…8!!」

「非常警報!赤1だ!ほかはどうだ?」

所長をつとめる今村明恒博士が頭の鉄兜とオシロスコープを押さえながら怒鳴る。
地鳴りはまるで爆撃下のようで、叫ばないと周囲の彼の助手には通じないのだ。

「尾鷲から志摩にかけて烈震を確認!海底警報機の針が振り切れています!!」

「間違いなく海溝型の大地震だ。土佐湾や宿毛の計器類に変化は?」

「確認とれました。動いています!室戸岬沖でも動き始めています!」

「S波が数か所から同時発生か。畜生め。」

こいつは大ごとだぞ…。
前々から警告を発しておいたのがせめてもの救いだが、こうも長大な範囲が一気にずれ動くということは、その分地震のエネルギーが巨大化するということでもある。

「博士!足摺岬沖は変化なし!南海の連動は発生していません!」

「同じく伊豆大島沖も変化なしです。東南海のほぼ単独発生の模様!!」

「そうか!!」

今村は、上下に揺さぶられる観測所で大きく頷いた。
どうやら最悪の事態は避けられているようだ。

「よし。引き続き警戒は継続。帝都には現時点では東南海圏内での発生と認むと報告しておけ。
ただし地震発生後2時間は警戒を継続。即座に連動地震警報を出せるようにとも。」

「了解です。」

中禅寺という名の若い技術士官が何種類かに場合分けされている対処要綱の封筒の表紙を確認しながら帝都東京直通の回線に向かって報告をはじめる。

992 :ひゅうが:2012/05/26(土) 21:14:02

最新の硬質ゴムを用いた免震構造を有するこの中央情報室では、人間は若干ふらつきながらも、周囲数百キロにばらまかれた地震計や優先的に維持されている帝都東京への回線を維持することができた。

この観測所は内務省気象庁と軍が共同で運営している観測拠点のひとつで、関東大震災や昭和8年の三陸地震の教訓から作り上げられた日本帝国の危機管理警報網のひとつである。
大森房吉博士やここにいる今村明恒博士の「環太平洋地震断層帯理論」に基づき南は台湾沖から北は千島・神坂(カムチャッカ)沖にまで「戦艦が1隻作れるほどの」予算を用いて設置された海底地震計や水圧計は期待通りに海底で発生した地震をとらえ、その大きさや規模をこの紀伊半島最南端の地にまで海底ケーブルを伝って正確に伝達していた。

むろん、従来通り列島の地下30メートルに設置されている通常の精密地震計も活躍し、現在も要塞地帯に指定されている潮岬地区とあわせて三角測定で震源を特定。
同時に最新のトランジスタ式電子計算機を用いて簡略化されたモデルながらも同時に発生するであろう恐るべき災害の規模を計算しつつあった。

「緊急地震速報を曲りなりにも出せたのは幸いでしたね。」

「ああ。この分だと名古屋あたりは大変なことになっているだろう。汽車や工場などの火を落とせていればいいのだが――」

「今回はこれまででしょう。」

「・・・そうだな。」

助手が慰めるように言うのを、今村は不承不承ながら肯定した。

今回は地震の初動対処には成功した。
しかし懸念された東海地方沖や四国沖との連動は発生していない。
最悪の事態は生じなかったが、次はどうなるか…
この紀伊半島沖の圧力が抜けたために確実に次の大地震は近づいているのだ…


――この日、年の瀬の日本列島に冷や水が浴びせられた。
紀伊半島、熊野灘沖を震源とする大地震は御前崎から津市にかけてシ亜大深度6強の烈震を伴って中部地方を揺さぶったのである。
NHKをはじめとする緊急放送を通じて速報が出されたが一部においては間に合わず、人々は第2次世界大戦後の戦勝気分から一気に大西洋大津波の再現という悪夢を見る羽目になったのであった。

幸いなことに、予算の無駄を指摘されながらも整備されていた観測網を通じて帝都東京の大本営は事態を把握。
地震と同時に生じるであろう大きな津波を警戒し紀伊半島沖から東海地方、四国地方太平洋側に津波警報を発令し緊急避難を実施した。
結果としてこの種の大災害にしては異例ともいえる死者105名を出したにとどまった。
これは、最大10メートルにも達する大津波に見舞われたにも関わらず極めて少なく、大西洋岸諸国の驚きを誘った。

しかし人々を真に驚愕させたのは、内務省気象庁が行った事後会見において「南海地方沖において数年以内に大地震発生の可能性あり」と発表されたことだった。
世界は、大西洋大津波の被害を逃れた日本に降りかかった災難に表面上は同情しつつも(とりわけ火事場泥棒を企んだ人々は)内心では舌打ちし、次なる機会を待つことになる。

993 :ひゅうが:2012/05/26(土) 21:14:55

【あとがき】――というわけで少しだけ書いてみました。

994 :ひゅうが:2012/05/26(土) 22:08:51

→991-993 蛇足――「昭和19年東南海地震における初期対処概略」(速報版)


※ 関係者以外の閲覧に際しては機密2級資格要員以上による許可を要する。

――「稼働全艦、潮岬沖ニ集結セヨ。此ハ演習ニ非ズ。」

神奈川県横須賀市の連合艦隊司令部から古賀長官名義で発せられた電文は平文だった。
これを受け、北米大陸西岸から帰還し整備を終えたばかりの連合艦隊各艦艇は、洋上行動中の第3艦隊(小沢機動部隊)と第1艦隊を先頭として即座に伊豆諸島沖から反転させ中部地方沿岸に急行させる。
同時に、厚木基地を飛び立った高速偵察機は炎上する名古屋市街地を確認し大本営に報告。
中部軍管区司令部(名古屋)も被災したが、日本海側に通じるケーブルを通じて状況の報告に成功する。
これを受けて午後2時付けで編成された首相官邸の対策本部は、鹿屋基地と館山基地で既に待機中だった92式飛行艇42型(輸送型)計10機に対し緊急出動を命令した。

ほぼ同時刻、伊豆大島において上陸演習中だった揚陸作戦部隊にも緊急出動命令が発令される。
同部隊は揚陸艦「神州丸」型4隻を主力とする水陸両用作戦部隊であり、海軍特別陸戦隊と陸軍の海上機動旅団がこれに随伴。
中部地方における海上からの救助活動に威力を発揮するものと期待されていた。

午後2時30分、英国大使館およびイタリア大使館より近海で行動中の艦艇による支援申し出があり、少し遅れてドイツ大使館からも同様の申し出があった。
嶋田総理は即座にこれを快諾。北太平洋上を航行中のイタリアの豪華客船「スヴァルバロ」が全速に近い25ノットを発揮して急行し、英国東洋艦隊所属の巡洋艦「タイガー」以下6隻が香港のダイヤモンドベイを出港した。
ドイツは海上行動中の艦艇が近隣に存在しなかったために東京のドイツ大使館の要請によりバンドウ商会(ドイツ系企業)に備蓄されていた小麦粉520トンを急きょ支援物資として供出する決定を下す。

同午後4時、名古屋の留守師団(第29師団 通称「雷」)が司令部機能を回復。
既に開始されていた避難誘導の統括を開始したが、この時点において既に避難誘導はほぼ完了状態にあった。
結果として津波を免れたものの、以後の危機管理に課題を残す結果になる。
また、紀淡海峡要塞地帯の守備隊と要塞砲兵隊が独断で避難誘導を行い結果約5000名の所在把握に功があるも問題となった点についても同様である。
同時刻、前述の飛行艇部隊は中部地方上空に到達。
統制を回復した第29師団および中部軍管区からの誘導によって名古屋市市街地の13か所で生じていた火災に対し空中からの海水・消火剤投下による鎮火作戦を開始する。
本作戦において第29師団本部は地上航空統制官を火災発生地点近隣に配しての消火誘導にあたり鎮火に大きく貢献したことを付記しておく。


同午後5時、火災および津波被害状況についての概略が判明(別紙参照)。
中京工業地帯における火災が予想以下にとどまったため(緊急地震速報の成果と思われる)に予定されていた機動救難隊の投入を決定し、同時に厚木基地において待機中の第1空挺連隊による市街地後背への降下と被災した滑走路の再開通作戦を実施する。

以後、日没のため大規模移動は陸路に限定し、大阪第4師団主力による関ヶ原経由での名古屋方面急行と連合艦隊による伊勢湾突入を翌日に待つことになる。
以下、初期被害状況については別紙参照のこと。

995 :ひゅうが:2012/05/26(土) 22:12:02

【あとがき】――上記だけではちょっと足りないので考えてみたしたが…描写力が足りないので概略のみですorz

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最終更新:2012年05月27日 13:31