14 :ひゅうが:2012/06/02(土) 01:26:18

写真by1さまに感動したので一筆書いてみました。





提督たちの憂鬱支援SS――「革命」(音楽ネタ)


――西暦1944年8月15日 日本帝国 帝都東京 上野文化楽堂


図ったな。と、男は彼の後ろに立つ男を睨みつけようとした。
しかし、できなかった。

彼を見つめる友人、すなわちNHK交響楽団指揮者の貴志康一や、コンサートマスターの黒柳守綱の瞳はあらゆる感情に満ちており、それが彼を舞台に上がるように促していた。

この新しく完成したばかりの音楽ホールのこけら落としにしては大仰な警備体制、そして今現在舞台に立っている東儀家の人々を見ればその理由に察しがついたはずだった。
今や観客たちは、二階最前列に達しつつある人々を見て直立不動になっている。

「国歌吹奏」

少しだけ感情の色を見せた場内アナウンスと共に、1000年の歴史を誇る宮内省雅楽寮はその古式に則り日本帝国の国歌を吹奏しはじめた。
そしてそれに続くのは、あの「アナスタシア皇女讃歌」なのだろう。
そう彼は確信していた。

小柄な今上帝と連れ立ったロマノフ朝ロシア帝室家長をちらと見つつ、彼は内心舌打ちしつつ歴史の皮肉を少し噛みしめた。
むろん、礼儀としての斉唱はしているものの、彼の外見を特徴づける深々と眉間に刻まれた皺はさらに深くなったようだった。

7年前に祖国を石もて追われてから歳月を重ねた彼は、全国放送されつつあるこの演奏会においてはるばるフィンランドから来訪したジャン・シベリウスとならび己の作り上げた交響曲を披露する立場にある。
たとえ今回の演奏会が多分に政治的なものであるとしても、彼は生涯全てを政治的なものにされるよりはマシだと自身を落ち着かせた。

ふと振り返れば、今回の演奏会のためにわざわざ来日したレナード・バーンスタインが深々と頷いている。


「確かに、この曲をあの御仁たちに披露するというのは…なかなかに洒落ているか。」

彼の5番目の交響曲。
かつては溢れる感情とロシア人の奥底に眠る何かを表現し、人間の精神、いや魂すらたったひとつの計算式で表現できると嘯いた独善家どもや「大審問官」の手先たちの干渉を受け歪めつくされたはずの彼の作品。

それを献呈「させられる」はずだった鋼鉄の男は今や世界の敵としてかつての祖国ですら忌み嫌われるようになっており、上書き表現させられた題材で国を追われた人々やかつての仇敵たちに向けて自分はこれを披露することになる。
まさしく「オリガ」の――あの御方が好みそうな「トルストイ的」な展開だろう。

ならば自分はそれを受け入れよう。カラターエフのように。





指揮者にして作曲家、ドミートリィ・ドミートリエヴィチ・ショスタコーヴィチは凛と背筋を伸ばし、熊野材製の床板を踏みしめてスポットライトの中に躍り出た。

歴史は、これが彼の交響曲第5番、通称「1917」の初演であると記録している。

15 :ひゅうが:2012/06/02(土) 01:33:40

【あとがき】――文中説明不足ですので概説しておきますと、>>10-13 における名演に対抗してN響が行った憂鬱版上野文化会館における初演を舞台にしております。
文化的にちょっと余裕のない憂鬱ソ連が1937年に「プラウダ」紙上で作中の彼を必要以上に叩きすぎた結果、彼は亡命してしまいました…というネタでした。
大国意識満載でフルトヴェングラー氏に対抗しようとした上層部に怒りを覚えた指揮者たちや作曲者は皮肉満載の選曲で彼らを真っ青にさせようと思い立ちますが、それをどこかで聞きつけたらしい(たぶん武満先生あたりから)夢幻会の陰謀(笑)であの御方たちの天覧の席でこれをやらかしてしまっていますw
なお、彼は作中の交響曲第5番を、もう一人は「フィンランディア」の賛歌の方を、またもう一人は「新世界より」を演奏したところまでは考えたのですがその後が思いうかばず尻切れトンボになってしまいました(汗

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最終更新:2012年06月05日 19:49