16 :名無し三流 ◆Mo8CE2SZ.6:2012/06/03(日) 14:10:16


 氷山空母。


 史実において、所謂『英国面』の象徴の1つとして奉られているこの兵器は、
夢幻会による改変を経た世界においてはそもそも検討すらされずに第二次大戦が終わってしまい、
知る人ぞ知る未完成珍兵器、どころか荒唐無稽な空想兵器となってしまった。

 しかし…………



        提督たちの憂鬱 支援SS ~氷山障壁~



 事の始まりは、大英帝国陸軍が欧州枢軸軍の英本土上陸を想定した兵棋演習での事だった。
まず兵力差が圧倒的(※1)、防衛すべき前線が広い(※2)、兵器の性能差もある(※3)、
という三拍子揃った理不尽な状況の中で、幕僚の1人が「こんな戦争あるかっ!」という主旨の事を叫び、
その左手で大ブリテン島の地図上にある兵棋全てを机の下へ払い落としてしまった。

 その時これを見ていたもう1人の幕僚が、兵棋が呆気なく床に叩き付けられる様子を見て呟いたのだ。



「何も、まともに連中の相手をする必要は無いのではないか………?」

17 :名無し三流 ◆Mo8CE2SZ.6:2012/06/03(日) 14:11:29

 いくら準備砲撃や航空攻撃が強力だとしても、敵地の制圧は歩兵の仕事である。これは上陸戦でも変わり無い。
そして歩兵がその仕事を果たせなければ、それまでに消費された何百万ポンドの砲弾、爆弾は無駄なものとなるだろう。


 そう言ってから彼は仲間達に、こう提案した。


――――我々には敵艦や敵機を撃滅する義務は無い。奴らの上陸用舟艇を『寄せ付けない』方法を考えるだけでいいのだ。


 『プロジェクト・トラファルガー』の始まりであった。



 当時の上陸用舟艇は、その他の艦艇に比べて極めて小型である。
史実を見ても、旧日本軍の大発動艇(通称大発)は全長14.8m、全幅3.3m。
戦車揚陸艦として活躍したアメリカ軍のLST-1でさえ全長100m、全幅15.3mと、
日本海軍の松型駆逐艦(全長100m、全幅9.35m)が横に太った程度でしかない。

 だが、この『小さき者たち』の着岸を阻止するのは意外に難しい。
砂と石とでは砂の方がより隙間の少ない容器を要求されるのと同様、
上陸用舟艇の着岸を阻止するには、より軽量で複数配備できる火砲の方が都合が良い。
この種の艦艇は軽装甲な事が多く、砲一門当たりの攻撃力はさほど重要ではないのだ。
むしろ小型艇相手に問題となるのは砲の射数、散布界、装填速度であると言えよう(※4)。
しかしこれらを満たす軽量な火砲は戦艦などから一方的にアウトレンジ攻撃を受けてしまう。

 これに対してイギリス軍が出した答えの1つがかの有名な『パンジャンドラム』だ。


 だが、イギリス軍はパンジャンドラムだけでは満足する事ができなかった。

18 :名無し三流 ◆Mo8CE2SZ.6:2012/06/03(日) 14:12:13

 イギリス軍がパンジャンドラムに対して投げつけた問題点は2つある。
1つは保管に必要とする体積があまりに大きい事。もう1つは一回発射したらそれっきりだという事だ。

 前者はともかく後者はあまりにわがまますぎるのではないかと思われるが、
イギリス軍は後者を特に問題視していた。確かにパンジャンドラムは強力ではあるが、
その強力さとは数を投入して初めて発揮されるものだ。また、敵の上陸作戦が1回で済むなら良いが、
2回、3回と続くようであれば(※5)前者の問題と相まって攻撃効率の維持が難しくなる。


 そこで考えられたのが『海上版阻塞気球』であった。
本来の阻塞気球は第二次大戦期に、敵機を高射砲の射界に追い込む目的で作られた物だが、
敵機がワイヤーカッターのような対策を取り出し、また爆撃の形がより大規模になるにつれ陳腐化。
現在では殆ど御守りにしかならないような状態だった。だが、空中という三次元空間では効果の低いこれも、
海上という(ある意味での)二次元空間ならば大きな効果を出せるのではないか、と考えられたのだ。

 この案はすぐさま採用され、素材の検討が始まった。
まず候補として上がったのが木材、金属、コンクリート、氷の4つである。

 しかし木材は強度が、金属は製造コストと浮力が、コンクリートは浮力が、
氷は低い融点と強度が障害となり、全候補のいずれも『海上版阻塞気球』の素材としては不適格とされてしまった。
『プロジェクト・トラファルガー』はあっという間に暗礁に乗り上げてしまったのだ。



 だが、1人の科学者、ジェフリー・ナサニエル・パイクの登場によって全てがひっくり返った。

19 :名無し三流 ◆Mo8CE2SZ.6:2012/06/03(日) 14:14:13

 彼が軍に対して持ってきた素材は、彼オリジナルの『パイクリート』という物だった。
このパイクリートは圧縮強度、引張強度、融点において氷に勝り、密度においてコンクリートに勝っていた。
さらには材料が水とパルプという、簡単に確保できる素材であるという多くの利点を持っており、
軍のお偉方は(製造が)早い、(コストが)安い、(強度が)強いという三拍子揃ったこの素材を喜んで採用した。

 ジェフリー・パイクは採用の報を受けるとすぐさま軍と協力して、
横7ヤード(約6.4m)、奥行き5ヤード(約4.6m)、高さ3ヤード(約2.7m)の、
パイクリート製の直方体を20個用意(機密保持のためこれらは黒く塗装し、融解が早まるようにしていた)。
これをスカパフロー沖のある海域に流して、そこを上陸用舟艇に見立てた魚雷艇に航行させ、
このパイクリート製障害物がどの程度航行の障害となるかを実験した。

実験の後で魚雷艇歴10年以上のベテラン艇長から返ってきた答えは、
「あれ(障害物)は黒く塗ってあるせいで海上だと視認し辛く、非常に困った。素人なら尚更だろう。
 しかも意外と固くて、ぶつかると船体が大揺れする。まるでクジラの群れの中にいるようだったよ」
というもので、海上障害物が効果的である事、しかも黒い塗装の意外な有効性まで明らかになったのだ。


 実験結果に喜んだイギリス軍は、この『対小型艇用障害物』の正式採用を即決。
かくして、これには『氷山障壁』という2つ名が与えられ、欧州枢軸に対抗する盾の1つとなった。



 史実では『氷山空母』の名を与えられながら世に出る機会を失った素材、パイクリート。

 そのパイクリートが、この世界では『氷山障壁』と名を変えて世に出る事を許されたのは、何かの偶然だろうか。


 それとも、史実の世界においてどこまでも不遇であったパイクリートの、その怨念の為せる技なのだろうか。

 それは誰にも分からない…………



                   ~ f i n ~

20 :名無し三流 ◆Mo8CE2SZ.6:2012/06/03(日) 14:14:45

★★★解説★★★

(※1)
イギリス1国と、独仏伊西の4カ国を中心とする枢軸同盟では必然的に動員可能人数にも大きな差が出て来る。
さらにドイツに代表される全体主義政権はその気になれば奴隷を軍事目的に使う事や強制徴兵も可能であるが、
イギリスは日本との関係のため、また国民の反発を防ぐためそのような事はできない。
前途に暗雲が立ち込める大英帝国にとって、国民不満とは死兆星の輝きと同義である。

(※2)
英国の対枢軸前線といえばドーバー海峡沿岸がよく挙げられる。
勿論軍事的、経済的な観点から見れば枢軸軍にとってはドーバー海峡からの上陸が最も効率的だが、
グレートブリテン島にはそこ以外に上陸可能な地点が無い訳ではない。史実仁川上陸並みの奇策ではあるが、
枢軸国にとってはイギリス本土の1エーカーでも自国の占領下に置けば英国に対する勝利宣言が可能となる、
という政治的な問題からイギリス軍はドーバー以外への攻撃の可能性も考慮しなければならなかった。

(※3)
イギリスはカナダ経由で多くの旧米国人技術者を招聘していたが、
兵器はこれ以外にも基礎工業力、各種資源、近代戦のノウハウなどを土台として成り立つものであり、
これらを各同盟国とある程度共有できる枢軸とは、開発速度に差がつくのは避けられない。

(※4)
射数は多方面から同時に押し寄せる舟艇を迎撃するために、
散布界は小さな船体に正確に弾を当てるために、装填速度は素早く次弾を発射することで、
上陸用舟艇が浜辺に入り込む隙を無くすためにそれぞれ必要である。

(※5)
枢軸国に複数回の大規模上陸作戦はできないのでは、と考える者もいたが、
本命の上陸の前の陽動作戦などは十分に有り得、また枢軸軍にも可能だったため、
万が一パンジャンドラムを『空撃ち』してしまった際の対策は必要とされた。

21 :名無し三流 ◆Mo8CE2SZ.6:2012/06/03(日) 14:15:17

★★★ジェフリー・パイクとパイクリート、そしてプロジェクト・トラファルガーにまつわる余談★★★

 軍隊は金喰い虫である。であるからして、完全に防御用の、言わば消極的兵器である氷山障壁に、
できる事なら余り金を掛けたくない、というかタダで済ませたいというのはイギリス軍の偽らざる本音だった。
これを理解したジェフリー・パイクは、そこで驚くべき対策を行ってイギリス軍の度肝を抜いた。

 まずジェフリーは北欧はスウェーデンに『パイク製氷会社』を立ち上げた。
業務用氷の製造がこの会社の主要業務だったが、同時にパイクリートも生産し(パイクの発明品なので誰も文句は言わない)、
保冷材という名目でイギリスへ輸出していたのだ。勿論真の目的は『氷山障壁』に使うためである。
これによりイギリス軍は、パイクリート製造施設等を作る手間から解放され、自力で作るより安価にパイクリートを得る事ができた。

 そしてジェフリー・パイクは幸運でもあった。彼は各地で自身の製氷会社への投資を募ったが、
その際に『当社ではキャンペーン用に"氷で船を作る"計画も立てています』と投資家らへ紹介した。
本人はこれを、投資家の耳目を引くためのハッタリと考えていたが、一部の日本人投資家がこれに異様に食いついてきた。
さらにこれを見た他国の一部投資家も、「あの日本人が食いつくなら何かあるに違いない」と俄然興味を示し、
結果としてパイクが最初目標とした額よりも多くの投資が集まったのだ。

 この事態に対してパイクは、信義を重視する日本人のために『パイクリートで船を作る』事を正式に決定。
色々な困難があったものの、パイクリート製足漕ぎボートから始まって、パイクリート製ヨット、
最終的にはパイクリート製のモーターボートまで到達した。パイクリート製モーターボートの進水式には、
倉崎重工の取締役の1人まで見に来るという騒ぎになり、パイクとパイクリート、
そしてパイク製氷会社の知名度はあっという間に高まっていった。

 パイクリートはこのようにして人々によく知られる存在となったが、
欧州枢軸はついにこれを対小型艇用障害物として使うという発想が出てこなかった。
また、イギリス側もプロジェクト・トラファルガーを機密扱いにして枢軸側から情報を堅守していた。

 この計画の全容を最初に知ったのは意外にもフランス諜報機関なのだが、
調査に関わった元スパイによると「当時の上司はプロジェクト・トラファルガーを新型艦開発計画だと思い込んでた」
という事だ。また、当人は「真相を知った時、我々は虚無感のような物を感じたよ。トラファルガー海戦といえば、
フランス人のプライドを相当に傷つける出来事だ。一体誰が、こんな言葉をただの製氷作業に付けると思うんだい?
上司は計画の真相を手に入れる事であの海戦の意趣返しをしたがってた。だが結局意趣返しされたのは―――我々だった」
とも語っている。何にせよフランス諜報機関が無駄な苦労をさせられた事には変わりない。

 そして、パイクリートは今でもイギリスの一部で、保冷材として使われ続けている。
しかしフランスで、パイクリートを保冷材として使う者は1人も現れる事は無かった………

                   ~ 余談おわり ~

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最終更新:2012年06月05日 19:51