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691.
ひゅうが
2011/12/12(月) 22:37:11
※ 以前、アナスタシアがどうなっているのかという話が出ましたので一本。
作品の性質上、一部グロ描写がありますのでご注意ください。
提督たちの憂鬱支援SS――「彼女はそこに」
――今でも思い出す。あの日の光景を。
シベリアの夏。あの黄金の秋といわれるロシアの秋を控えた季節の光景を。
雪の降りしきる中に起きた革命で今はレーニンの都と名を変えた帝都を追われ、しばらくは郊外の館での生活を許された。
しかし、ボルシェビキが政権を握り激しい内戦が巻き起こると、私たち一家はエカテリンブルグに送られた。
父は意外なことに農作業が気にいったようで、母上と一緒に作ったビート(砂糖大根)を使ってジャムを作り、一緒についてきてくれた使用人たちや、比較的私たちに同情的だった元ロシア社会民主党員であったエカテリンブルグ市の面々に振舞っていた。
「このまま農夫として骨をうずめるのもいいかもしれないな。知っているかな?アナ。私が若いころに行った日本では、どんな山奥の農夫たちも村のテンプル(寺)に集まって詩の作りあいを行ったりしていたそうだよ。200年も前から!
中国の古い言葉で晴耕雨読というのだが、働きながらも文化的な趣味は忘れないというのはなかなか私たちに合っているとは思わないか?」
そう言うのが父の口癖だった。
ペテログラードから持ち出した日本製だという磁器(日本訪問の際に特別に贈られたもので、ひとつは元朝のもの、もうひとつは現代の青花文の茶碗で、再現に成功したばかりだという北宋時代の「天の青」のポットも付属していた)を使って私たちにお茶を入れる母は少し悲しそうに笑い、父もどこか痛々しい笑みだったのを覚えている。
今思えば、そうした暮らしを農民たちに保障できなかった自分を責めていたのだろう、と思う。
しかし、そんな日々は、だんだんと終わりが近づいてきた。
1918年5月・・・いや、7月の17日。運命の日。
――西暦1918(大正8)年7月17日 エカテリンブルグ イパチェフ館
まず、弟のアレクセイとマリア姉さまが連れて行かれた。
母さまとオリガ姉さま、タチアナ姉さまは、別室に移されている。
私と父さまはそのまま室内に留め置かれた。
「アナ。大丈夫だよ。」
父さまがゴツゴツした手で私をなでてくれた。
髭が当たるのを嫌がった私に遠慮して顔は近づけていない。
部屋の中には、農民上がりらしい朴訥な兵士が立っており、使用人たちは不安そうに彼を見つめている。
「なぁ。君。いつこの警備体制は解けるのかな?」
「は・・・はあ。おらも・・・いえ自分も知らされておりませんだ。ソヴィエト(会議)へのヤポンスキー(日本人)の特使が来られているためと聞いていますが。」
「それに乗じて白軍がやって来ると警戒しているのか。」
父さまは苦笑した。
なんとも心配性なことだ、と言いたいのか、それともそれを理由にしているというのか、と思っているらしい。
「旦那さま。」
使用人のメアリーが父さまに言った。ヴィクトリ大叔母様のところから父さまのところに来て以来40年以上も勤めてくれている私たちの祖母代わりの女性だ。
「今からでも逃げませんか?どうも、いやな予感がします。」
「あ・・・それはちょっと困るだぁ。」
「――周りを囲まれているからな。無理だろう。アレクセイとマリアを人質に取られてはな・・・」
692.
ひゅうが
2011/12/12(月) 22:37:44
マリア姉様とアレクセイは体が弱い。
特にアレクセイは血友病なのだ。それを知ってあのチェーカーたちは連れて行ったに違いない。
自分も一緒にという母さまや姉さま達は乱暴に引き離されてしまった。これでは動くに動けない。
と。
コンコン、ではなくバンバン!という乱暴な合図の後で扉が開いた。
あの男、ヤコフ・ユロフスキーと名乗るいやな目をした男だった。
後ろには、下卑た笑い声を上げる兵士たちが続く。
番をさせられていたこのエカテリンブルグで徴用されたらしい朴訥な兵士とはまるで違う。
「おい、皇帝。」
ヤコフは言った。
「ソヴィエトの名において喜んで言い渡しておこう。俺たちは忌まわしい血族の次代を断絶させた!!」
父さまが目を見開く。
よく見ると、奴の軍服には赤黒いナニカの飛沫が見えた。
「アレクセイを・・・殺したのか!?あの子はまだ――」
「知るか。貴様らの所業の報いだ。」
後方の兵士たちがにやにや笑いながら罵声をあびせる。
「何てことを・・・これはモスクワの、レーニンの決定なのか?」
ヤコフはつかつかと歩み寄り、いきなり銃床で父さまを殴った。
そして、うずくまる父さまの腹を蹴り上げ、目で兵士たちに合図をする。
「閣下を、付けない、か!この、薄汚い、ブルジョワの、首領め、搾取者、め!」
「や・・・やめなさい!」
メアリーが奴をつかもうとする。すると奴はくりると振り返り、
「婆は死ね。」
バシュ。という音と共に白いプディングのようなものと赤い血が後方へ飛んだ。
「メアリー!!」
私は悲鳴を上げた。
「ゆるゆるの婆じゃ使い物にならんからな。その点こいつは頃合いだ。『あれ』はすぐに死んだから楽しめなかったじゃないか。まったく虚弱児をはらませやがって!!」
奴はぺろりと唇を舐めて父さまをサッカーのシュートをするように思い切り蹴った。
「まさか・・・。ぐっ・・・マリアを!?」
「ああ?閣下をつけろよ皇帝。」
パシュ。パシュ。という音と一緒に父さまの太ももから鮮血が飛び散る。
奴は、父さまに、と贈られた葉巻がテーブルにあるのを見て取ると、それを噛みちぎり火をつけた。
そして。
「!!!!!」
父さまは声にならない悲鳴とともに血を吐いた。
奴は、銃創に火のついた葉巻をつっこみ、ぐりぐりとえぐっていたのだ。
「はっ。人民から搾取したものを少しでも取り返すのは俺たちの権利だろう?ええ?」
暖炉の火かき棒を見て取った奴はニヤリと笑い、兵士に持ってこさせる。そして。
「おら。言え!人民から搾取して、すみません、でした、と! お詫び、に、娘の、けがれた、身体を、差し上げ、ます、と!!」
兵士たちはニヤニヤ笑いながら父さまを見ている。
そうだ、父さまは言っていた。
チェーカーは革命の主力になった農民などの平民ではない。彼らこそがブルジョワ。
彼らこそ、知識階級。
ただ理想にかぶれたふりをして甘い汁を吸おうとする連中だと。
こいつはその中でもたちが悪い。
奴は興奮している。
変態だ。
父さまを火かき棒で甚振りながら、股間の部分のズボンが盛り上がっているのが見える。
ああ、なんてこと。愛するロシアの混乱は変態に変態としての性を思う存分振るう機会を与えたの?
それとも革命派のごろつきが面白がって奴のような人間に権力と棍棒を渡したの?
父さまは、ピクリピクリと動く以外、何も言わない。
「強情な男だ。まぁもう用はないがな。」
693.
ひゅうが
2011/12/12(月) 22:38:57
くるり。
奴は震えている私の方を見た。
「おやおや。御漏らしか。情けない――だが。」
口が思い切り三日月形にゆがむ。
「そそる。」
私は、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を振る。
それを見た奴らはゲラゲラ笑い、私ににじり寄ってくる。
こんなときでもしっかり働いている私の耳は、別室の母さまの悲鳴をとらえていた。
・・・ああ、もう駄目だ。
瞬間。光が視界を覆った。
「な・・・何だ!?」
バン!バンバン!と、先ほどまでのサイレンサー付きピストルとは違う連続した音が響く。視界をなくした私には何が起こっているのか分からない。
「遅いですよ!アツヒトさん!」
「すまない。チェーカーが正式に出した命令ではないから気づくのが遅かった。ひとまず私だけが先行し実働部隊は――ああ、上を急襲したか。陛下は?」
「駄目です。もうこの出血では――」
「何てことを・・・陛下。陛下!?」
視界が片目だけ回復する。
私が見たのは、東洋人の男性が沈鬱な表情で父さまを抱き起こしている様子だった。
なぜか、番をしていたあの朴訥な兵士も一緒だ。
「父さま!?父さま!?」
「う・・・アナ・・・無事、か?」
「はい!はい!無事です!父さましっかり!」
父さまは小さく笑った。
そして青年の方を見、少しだけ目を見開く。
「君は・・・コトヒト?いや、息子か?そっくりだな・・・」
「はい。陛下。閑院宮篤仁中尉です。どうかしっかり。」
私は思考の片隅で疑問に思った。
なぜ、この人は黒一色で統一された装束と奇妙な形の兜(ヘルメット)をかぶっているのだろう?
「妻は――無事か?」
と、アツヒトと名乗った青年の横に、目出し帽で顔を隠したほかは彼と同じ装束を着た人物が耳打ちする。
「残念ながら・・・自決、されました。隠していた銃で。娘さんたちは無事です。」
「そう、か。――アナ。」
「はい!はい父さま!」
父さまは私の頭に手を伸ばす。
「逃げろ――お前は、お前たちは生き残ってくれ。」
「父さま!」
父さまは、血まみれの手で私の頭に手を乗せた。
「アナ。」
私の横に、いつの間にやってきたのかタチアナ姉さまとオリガ姉さまが立っている。
タチアナ姉さまは東洋人の兵士らしき男に肩を貸されている。
694.
ひゅうが
2011/12/12(月) 22:43:58
「お父さま。アナは・・・私たちが守ります。」
「タチ・・・アナ・・・オ・・・リガ・・・すま・・・ない・・・私は・・・もう、無理・・・だ・・・。」
「父上!」
オリガ姉さまが膝から崩れ落ち、父さまを抱き抱えようとする。
「私も・・・御供します。」
タチアナ姉さまが崩れ落ちる。 え?ええ?
「殿下!?」
「大丈夫。止血はしています。貧血で気絶されただけです。」
兵士がわざわざロシア語で言ってくれる。
そうか。と、アツヒトは頷く。
「お父さま。私はロシアにおります。」
「姉さま!?」
「アナ。私とはここでお別れよ。」
何かが燃えるような眼でオリガ姉さまが私を見る。それだけで、私は何も言えなくなってしまった。
「馬鹿ものめ・・・いや・・・お前が決めたことか・・・やりたいように・・・ただ、アナとタチ・・・アナは・・・」
「分かっています。必ず。」
アツヒトと名乗った青年が頷く。
「ああ・・・。ありがとう・・・。ああ、見たかったな。お前と・・・一緒に・・・知っているか?・・・あれが有名な・・・フジの・・・」
どこかに視線をさまよわせていた父さまが、止まった。そして、私の頭に乗せられていた手が、落ちた。
695.
ひゅうが
2011/12/12(月) 22:44:31
――西暦1942(昭和17)年7月 大日本帝国 帝都東京 赤坂御殿
私は、目を開けた。
「おっ。起こしてしまったか?」
夫、閑院宮篤仁が首を傾げた。場所は、赤坂見附の私たちの家。
日本政府からもらった洋館だ。
庭先では、子供たちが愛犬のプーチン(シベリアンハスキー)とじゃれあっている。
どうやら庭先で寝てしまったらしい。
「帰ってこられるなら言ってくださればいいのに。」
ごめんごめん。と夫は頭を搔く。
どうやら、大蔵省との折衝が意外にはやく終わったらしい。
甲子園は平常通り開けるし、徴兵されるプロスポーツ選手はなるべく後方の輸送や兵站部隊に回されるようにしてもらえたらしい。
その代償として夫が伝手を持つ近衛公が音頭をとって陸海軍の日常を描いた映画などで協力することになるということだが。
「よく寝ていたようだからね。起こしたらまずいと思って。」
「いえ。その――」
夢の続きを見られずに残念がるべきか、それともあの夢を終わらせてくれた礼を言うべきか私は悩んだ。
とりあえず、話をしなければ。ここ半年ほどきな臭さを増す日米情勢からすれ違い気味だったのだから。
「夢を、見ていました。あの時の。」
「あの時の?――ああ。あの時の。」
ええ。と私は頷く。
あの後、私と彼はウラル山脈の東側を犬ぞりで北上し、オビ川を北上した。
そして、オビ湾奥にまでやってきていた日本海軍の軍艦「対馬」に拾われた。
自分を助けに来たのが、代表団の一員としてやってきた日本の軍人で、しかも皇族だということには驚いた。
代表団の団長役は華頂宮博忠王が「当初の予定通り」つとめるという。
彼は、影武者がシベリア鉄道を利用して帰還するのを囮にしたらしい。
そして、姉さまたちとはあそこで別れた。
オリガ姉さまは、もともとワイルドな人だったのでロシアにそのまま潜入し、今では自分の名前をつけた諜報組織を仕切るまでになっているらしい。
タチアナ姉さまは、何というか――駆け落ちした。『アナも好きな人と早く一緒になるのよ』なんて助言まで残して。
もっとも、だからこそ――
「あなた?」
「ん?何だい?」
私は、サンルームに置かれた椅子から立ち上がり、彼に腕をからめた。
「ずっと、一緒にいましょうね?」
あの犬ぞりの旅路で、父母恋しさに泣きじゃくる私に、彼はこう言ってくれた。
だからこそ、私はここにいる。それが、あの夢幻会とやらの企てでも、それに乗ったのは私と彼の意思だ。
「ああ。」
彼は照れ臭そうに笑った。
私は、たぶん今、頬を紅に染めながら微笑んでいることだろう。
【おわり】
【あとがき】――というわけで苦手なグロ描写を挟みつつ、書いてみました。不快感を感じられた方にはまずお詫びを。この憂鬱世界では彼女には幸福になってほしいと思います。本当に。また、以前支援SSに投下されました閑院宮篤仁王殿下のネタを使わせていただきました。謹んで御礼申し上げます。
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