654 :名無し三流:2011/12/01(木) 21:34:10


 北米には『ドゥーチェのパスタ』という言葉がある。


 欧州連合軍がアメリカ風邪の拡大阻止を名目に北米へ侵攻を始めると、
連合軍は度々、町の自警団や旧米連邦軍崩れ、果ては盗賊などとのいざこざに巻き込まれた。
これらのトラブルへの対応、そして占領政策は各国ごとに、そして場合によって様々だったが、
最も多く現地住民の支持を集めたのはイタリア軍によるそれだった。


『北アフリカで、ドイツ軍はイギリスの敗残兵狩りをしていたが、イギリス兵は
 原住民の集落に隠れてなかなか発見できない。ドイツ軍は集落の中を探し回ったが、
 さっぱり見つからない。

 イタリア軍は、現地の顔役のところに行ってこう言った。
 「イギリス兵の居場所を教えてくれたら砂糖5袋と小麦粉5袋を進呈するよ」

 翌日、イギリス兵は全員捕まったそうである
           ―――――ttp://2chart.fc2web.com/itaria.html『知謀が立つイタリア兵』より』



         提督たちの憂鬱 支援SS ~ドゥーチェのパスタ~



 イタリア軍といえば、エチオピア侵攻での苦戦やWWⅡ緒戦のフランス侵攻における敗退など、
とかく『間抜け・腰抜け・腑抜け』といったイメージが強い。しかしながら彼らはいつもそうなのではなく、
個人の勇気や才覚で、個人の名誉や"愛"のために闘う時、その戦闘力はセ○ールにも匹敵すると言われる。

 そして、1943年の北米は、そのような要素も活きてくる世界だったのである。

655 :名無し三流:2011/12/01(木) 21:34:40
 イタリア軍が欧州連合軍の一員として北米大陸へと出発する前に、
ベニート・ムッソリーニは『北米の同胞を救え』という題の演説を行っていた。
この演説は、同時期にドイツでヒトラー始めナチス党によってされていたものと同じように、
自国を正義の味方として、欧州連合軍に抵抗しようとするものを激しく非難するものだったが、
悪戯好きな運命か何かが干渉したのか、その演説の中に

『諸君らには大西洋の彼方から響いてくる、娘らの泣声が、婦人たちの嗚咽が聞こえるだろうか。
 北米大陸にはこの世に存在しうる全ての弱者と、暴虐なる無法者で溢れかえっている』

 という文があったのだ。この中の『娘らの泣声が、婦人たちの嗚咽が聞こえるだろうか』
という言葉が、北米におけるイタリア軍の活躍の、全ての元凶であるというのが定説となっている。


 この演説はイタリアの北米派遣軍全員の耳にまで届き、
「娘らの泣声?俺達に聞こえない訳がないだろう」とばかりの反響を巻き起こした。
多くの兵が現地住民(特に女性)にあげようと"自力調達"したワインや食料品などを、
自分達が乗る輸送船に持ち込み始め、これを規制すべき者でさえこの動きに協力、
結果として『書類上は存在しない積荷(主に生活用品)』が大量発生したのだ。

 そのためか、北米派遣軍の艦隊の中で、イタリア船籍の輸送船だけ心なしかスピードが遅かったという。


 そして冒頭の『ドゥーチェのパスタ』の由来だが、
これは偵察飛行をしていたあるイタリア空軍の戦闘機パイロットの行動に端を発する。

 当時、欧州連合軍が偵察飛行を始めると、それを見た多くの現地住民が、
『HELP ME』『GIVE ME FOOD』などと地面に書いて援助を求めていたが、
パイロットはたまたま英語を齧った事があってその意味を理解できたので、
基地に戻ると機体への給油中に兵糧のパスタをちょろまかして来て、
適当な袋に詰めるとそれを抱えてコクピットに入り颯爽と再出撃。
そしてたまたま通りかかった適当な村を低空飛行し、それを投下したのだ。

 この美談(?)がドゥーチェの耳に入ると彼はその行為にいたく感銘を受け、
何を思ったのか空軍に『ムッソリーニの顔写真が印刷されたパスタ入り袋』を村々に投下するよう、
空軍上層部へ相談する事なく、直接命じてしまったのである。

656 :名無し三流:2011/12/01(木) 21:35:26
 こうして、搭載スペースに優れる爆撃機を中心にしたパスタ入り袋の投下が始まったのだが、
これは食糧難に苦しんでいた北米の現地住民にとっては、正に神の降臨にも等しい出来事であった。

 北米住民の対イタリア感情は大幅に好転し、特に旧イタリア系移民の地位が向上。
「Give me Pasta」はちょっとした流行語にまでなり、
パスタ袋にドゥーチェの顔写真が入っていた事から、
「ドゥーチェのパスタ」という言葉ができて彼も一躍有名人となった。

 最初これを見ていたその他欧州軍は「またイタリアがトチ狂った」と思っていたのだが、
最初に食料を投下しておいた村や町でその後の占領がスムーズに行くようになった事から、
まずドイツ軍が、次いでフランス軍、最後にイギリス軍も同じような行動を開始した。

 最初はムッソリーニの越権的な行為に苦い顔をしていたイタリア空軍上層部も、
この効果から命令を事後承認(ただし次は無い、と釘を刺しはしたが)。
中にはこの功績を自分のものにしようとする者さえいた。


 ちなみにイタリア空軍の行動に一番憤慨していたのは、
ドイツ北米軍団に多数のラジオや本格的映写機まで持ち込ませていたヨーゼフ・ゲッベルスで、
『イタリア軍は飯で現地人を釣っており、しかも成功している』という報告を受けた際には、
「奴ら(現地住民)は野蛮人以下の獣か、奴らにとっては餌をくれる者が飼い主なのか」
と激しい口調で怒鳴りつけ、北米における宣伝政策の修正を命じたとされている。

 遣米軍編成当時、ゲッベルスらは「北米に文明を取り戻させる」事がドイツの使命であるとし、
少ない中から最大限の予算を投じて北米住民向けのプロパガンダ映画まで作らせており、
さらには建築家のアルベルト・シュペーアや芸術家志望だったアドルフ・ヒトラーその人と共同で、
『北米大陸新都心計画』なる、とても壮大な名前の付いた都市圏再建計画まで立てていたので、
イタリアがこのような、あまりに簡単な方法で支持を得ていた事が我慢ならなかったのだろう。


 ヒトラー自身も、この状況に「文明の再建」がいかに困難なものかを思い知り、
東洋の古い諺である「衣食足りて礼節を知る」を参考にして、ドイツ北米軍団に対して、
「餓えと寒さを凌げない集団の上に文明は成り立たない」という旨の訓示を出した。

 もっとも、ドイツ兵の間にあった、自分達>>>(超えられない壁)>>>現地人
という意識は(特に武装親衛隊の間では)なかなか払拭されず、
陸上戦闘では最強を自負していたドイツ軍は、
これまで軍事的後進国と見なしていたイタリア軍に対して、
占領政策においてその後も何度か出し抜かれる事になった………


                   ~fin~

657 :名無し三流:2011/12/01(木) 21:38:24
age忘れたのでage……るついでに、SS内に織り込めなかった要素を羅列。

◆難民の扱いを巡ってイタリア兵と武装親衛隊が銃撃戦、イタリア兵圧勝
◆アメリカでドゥーチェがバルボよりも有名に
◆総統閣下と愉快な仲間達による『北米大陸新都心計画』の中身

これだけ書いておけば、誰かが1つくらい書いてくれるに違いない(マテ

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最終更新:2011年12月31日 17:00