34 :名無し三流 ◆Mo8CE2SZ.6:2012/06/22(金) 18:13:46

今回は、憂鬱世界におけるあの少年の話です。





 1960年10月12日、帝都東京、日ノ出新報社本社。

 そこには、同紙において20年以上のキャリアを誇る名物記者、浅沼稲次郎がいた。
彼は史実であれば、正にこの日、日比谷公会堂で極右青年によりナイフで刺され、その一生を終えていた。
しかし史実から余りにも乖離した世界においては、この日もまたごく平凡な1日であった。



      提督たちの憂鬱 支援SS ~歴史の修正力:山口二矢の場合~



「浅沼先輩、先輩宛に郵便が届いています。」

 その平凡を破るかのように、新人記者が浅沼へB5判の茶封筒を渡す。
おそらく別な部署へ行くついでに頼まれたのだろう、新人は浅沼のデスクにそれを置くと、
そそくさとどこかへ行ってしまった。浅沼はその様子を見て、何か不吉な物を感じた(※1)。

 封筒には宛先や差出人は書いておらず、同人誌2冊分くらいの膨らみがあった。
まさかそんな狭いスペースに爆弾が入っているなどという事は無いだろうが、
新聞社というのはとかくテロルの対象になり易い。それはどこの世界でも同じである。
中にカミソリが入っているのか、火薬が入っているのかはぱっと見では分からないのだ。

35 :名無し三流 ◆Mo8CE2SZ.6:2012/06/22(金) 18:14:51

(やれやれ、私も随分と人気者になったものだ。これが"歴史の修正力"ってやつかね?)

 浅沼は封筒を慎重に手に取ると、少し振ってみた。中からは紙の擦れる音がする。

 どうやら(物理的な)危険物ではないようだと判断して封を切り、中身を取り出すと、
それは果たして一枚の便箋と二冊の本であった。そしてその本と便箋を見た浅沼は、
まるで胸を刃物で刺されたかのような錯覚に陥った。本の表紙に書かれていた物は…………


『"皇国論" 著:山口二矢』
『"臣民論" 著:山口二矢』


 そして便箋には、次のような事が書いてあった。


『汝、浅沼稲次郎は神国日本の大躍進を理解しようとしない。自分は、汝個人に恨みはないが、
 報道の中心的立場にいる者としての責任と、皇国を卑下する数々の暴言と、
 臣民の愛国心に冷や水を浴びせた表本人としての責任からして、汝を野放しにする事はできない。
 ここに於て我、汝の反日思想に対し異議を申し立てる。詳しい理由は同封した拙著等で熟知すべし。
 皇紀二千六百二十年十月十二日 山口二矢。』


 浅沼稲次郎はもう少しで座っていた椅子から仰け反りそうになったものの、
なんとか姿勢を立て直すと同封されている本を読み始めた。

36 :名無し三流 ◆Mo8CE2SZ.6:2012/06/22(金) 18:15:35

 史実では銃剣を手に人を殺めた少年が、ペンを執り文章で戦っている。
これだけでも十分皮肉に満ちた事であるが、さらに問題なのは、彼の思想がその表現方法に比して全く変わっていない事だ。

(文体の特徴は○井よ○こに近い物があり、所々に挿入される1ページ漫画の作風は○林よ○の○の物に似ているな。
 まさか複数の人格が1人に転生したとでもいうのか?いやそれにしては"転生者臭"(※2)が感じられない……)

 山口の書いた本は、両方とも幾つかのテーマを軸にした3、4ページ程度の文章が複数と、
その合間合間に挟まれる1ページ漫画で構成されていた。急いで書いたのか、絵には希にパースの狂いが見られるが、
人物などは割としっかり描けているようだ。兵器、銃器類も資料があるのだろう、だいたい合っている。

 その内容は『日本国民は比肩する物の無い大帝国にまで上り詰めた自国をもっと誇るべきである』とか、
『皇国にはアジア一の大国として独立間もない他の国々を啓蒙していく義務がある』とか、
H○I2的に言うと右派、常備軍、タカ派、介入主義が全開であったが、理論武装は歳の割にかなりしっかりしていた。
難しい用語なども章末に分かり易く噛み砕いた注釈が付いており、これなら中学生レベルでも読めそうだ。
浅沼は少年、山口二矢の意外な成長に感嘆しつつ、改変された世界の皮肉を噛み締めていた。

(何が皮肉かって、一番皮肉なのは"臣民論"の最終章だな。よりにもよって彼が『政治的主張と暴力の分離』を訴えるとは。
 いくら"おことば"(※3)があったからって『テロルは大逆と同義であり、テロルに走る者は腹を切って死すべきである』は無いだろう……)

 様々な思いを胸に秘めながら、『皇国論』『臣民論』を読了した浅沼稲次郎は、早速反論を考え始めていた。
『世に只一つの論、世に只一つの理のみが存在を許さるる世界の誕生を防ぐ』事が日ノ出新報の創設理念である。
いくら相手の理論武装が堅牢でも、だからといって矛を収める事はできないのだ。

37 :名無し三流 ◆Mo8CE2SZ.6:2012/06/22(金) 18:16:10

 志を同じくする仲間達によって、同人誌という形で売り出されたこの『皇国論』『臣民論』は、
著者である山口二矢の若さ(何と17歳!)もさる事ながら、若さにも関わらず飛躍の少ない地に足の付いた内容、
文章を分かり易くする1ページ漫画などで大きな反響を呼び、二矢は早速国内の右派新聞社から引っ張りだことなった。
しかし本人は、『文章は誰かの意志で書かされる物ではなく、自分の意志で書くものである』として新聞社への就職を拒否。

 その後近代国家における軍隊のあり方、文民統制の是非などを説く『国軍論』を出版してこれがベストセラーになると、
その収入を元手に国語教師の資格を取り、福建共和国、東南アジア等を渡って日本語、日本文化を教えるボランティアに邁進した。
それは彼の処女作において書かれていた『日本によるアジア諸国の啓蒙』を実践したものであり、
山口二矢のこの首尾一貫した態度と行動は彼と思想を同じくする右派のみならず、
彼が散々に批判した欧州枢軸との緊張緩和を唱える左派の一部からも敬意を持たれていた。

 いつしか彼が唱えた『政治的主張と暴力の分離』や『自国に対する矜持』は、
彼の支持者達によって『日本を愛する人のあるべき姿』とまでされるようになり、それは彼の死後も変わらなかった。
そして後に欧州などから『日本のデモ行進は世界一非暴力的である』(※4)などと言われるようになるのだった……


                     ~ f i n ~

38 :名無し三流 ◆Mo8CE2SZ.6:2012/06/22(金) 18:16:52

(※1)
日ノ出新報は日清・日露の戦勝にも『幸運がもたらしたもの、日本軍自体はまだ3流』等と冷やかであり、
自称愛国者の団体などからは『日ノ出新報の歴史観は"自虐史観"であり不適切だ』等と非難を受けていた。
実際この半年程前には、日ノ出新報本社に脅迫まがいの抗議文が送り付けられたりもしている。

(※2)
転生者同士にしか分からない、『彼は転生者である』という雰囲気。
転生者の中でこれを隠しきれた者はおらず、非転生者であっても、慣れてくると微妙な違い位は見えるようになる。
しかし多くの場合、それは『彼は変わり者だなあ』『やはり天才は普通の人とは違うのだなあ』という印象に終わり、
その人物が転生者であると分かる事は無い(伊藤博文、大久保利通等、元々転生者の存在を知っている場合は除く)。

(※3)
言わずと知れた、いとやんごとなきお方の"おことば"。史実に比して、それが持つ影響力は極めて大きい。
ここで言われている"おことば"は、東南アジア諸植民地の一部が独立するのに際して発せられたもので、
この中では政治的主張を暴力行為によって押し通そうとする運動、いわゆるテロに対する『強い反感』が示された。
その語調は特に強いもので、『日本国内のテロ事件に対しては、自ら近衛師団を率いその鎮定に当たる事も辞さない』
という旨の事まで語られており、この明確な意思表示は国内外に対して大きな衝撃を与えた。

(※4)
暴力的なデモをしたら右翼から「陛下の御心を煩わせる(※3)とは何事か!!」などと激しい非難を受ける恐れが極めて大きい、
というのもデモの先鋭化に対する抑止力として働いている可能性がある。実際に、デモ中にロケット花火を打ち上げた若者グループが、
右翼団体と思われる屈強な男の集団に囲まれて大声で叱咤され、全員皇居のある方角に土下座させられたという事件が起きている。

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最終更新:2012年06月24日 17:17