667. 名無し三流 2011/12/05(月) 22:07:15
今回はとある半島のSSです。半島は半島でも、フロリダやスカンジナビアではありません。
たぶん、本編において一番悲惨な国の1つかと。旧米も英も墨もまともに書いてもらえるだけ……
668. 名無し三流 2011/12/05(月) 22:07:55
  憂鬱世界において、日本は数多くの謎を歴史研究家達に残している。
何故産業革命に乗り遅れながらものの数十年で列強の水準へ追いつけたのか。
何故他の国々を質で圧倒する軍隊を用意する事ができたのか。
何故あれほどまでに時代の先を読んだ行動ができたのか。


  歴史研究家の多くは当時の人間達と会話ができない事を悔やんだが、
当時の多くの人間達(特に欧米)にしてみれば「そんなのこっちが知りたい位だ」といった所だろう。


  勿論これらの謎の真相は皆様ご存知の通り。
それではここで、数多くあった「日本の謎」の1つと、
それにまつわるエトセトラをご覧頂こう。



                提督たちの憂鬱  短編支援SS  〜列島と半島〜



「何故、日本は韓国を併合しないのだ?」


  当時、多くの列強指導部が抱いた疑問である。

  何しろ韓国は極東まで迫ってきた近代化の波に事実上乗り遅れた状態となっており、
一方の日本は明治維新などの産みの苦しみを経てアジア第一の新興国として名乗りを上げようとしていた。
日清・日露の両戦争を勝利するとその地位はますます磐石なものとなっていったのだ。

  しかし日本は、そのすぐそばにある戦略的要衝、
アメリカにとってのキューバとも言える朝鮮半島と、
そこを支配する大韓帝国にはなかなか手を出そうとしなかったのである。

  日本は韓国に対しては"助言"を与えるなどして内政、外交面で一定の干渉をしていたが、
かの国を併呑するような事は無かった。軍事力、経済力、技術力で圧倒しているにも関わらずである。
列強の間では、力に劣る国は力に勝る国に飲み込まれる、というのが一般常識であった。
だから戦略的にも重要な位置にある韓国を、日本が併合しようとしないのは実に不可思議な事だった。
黄禍論で知られる時のドイツ皇帝フリードリヒ・ヴィルヘルム2世もこれを不思議に思った人物の1人で、
「極東の猿(日本)は連中の戸口(朝鮮半島)を盲目の猿(大韓帝国)に守らせているらしい」
という、現代にも伝わる有名なジョークを飛ばした事がある。
669. 名無し三流 2011/12/05(月) 22:08:31
  勿論日本……夢幻会からすれば韓国併合など死亡フラグでしかない、という事だったろう。
それでも地図のみを見る人間は「朝鮮半島も領土として東亜勢力圏を作るべきだ」などと言っていたが、
彼らはアジア地域に与える悪印象や韓国は併合しても大したリターンが無い事などを理由に"説得"され、
また史実とは違いカムチャッカ半島などの開発という別な目的もあったためこういった声は抑えられていった。

  さらに日米戦争において韓国政府内で利敵行為があった事が判明し、
それを題材にしたスパイ物ドラマ『半島に沈む陽』のテレビ放映が開始されると、
日本人の韓国に対する評価は文字通り地に落ちた。


「技術供与?あんな所に?馬鹿馬鹿しい!」

「あの国は今内情が不安定だそうじゃないか。
  対岸の火事が永遠に続いてくれればこちらはこの上なく平和なんだが」

  こういった声が夢幻会のみならず、
日本全体から人目を憚らず聞こえてくるようになったのである。

  おかげで世論の中心も「韓国併合をすべきだ」というものから、
「韓国併合をしても面倒ごとが増えるだけだ」というものへと移り変わっていった。
これには日米戦争で大勝利が続き、アメリカ西海岸をも日本勢力圏へ収めようかという勢いである事も影響していた。
日本の多くの投資家の評価は《朝鮮<<<(超えられない壁)<<<西海岸》とごく自然であったし、
他の人々も「え、朝鮮?太平洋が日本の海になろうって時に構う暇は無いよ」と半島に対しては概して冷淡だった。

  そのため大韓帝国には日本の資本も日本の技術も全くといって良いほど入ってこず、
また韓国人には海外への進出も極めて困難だったため、日韓格差は加速度的に開いていった。
670. 名無し三流 2011/12/05(月) 22:09:07
  アジア有数の資産家にして労使間仲介の第一人者、類希なる慈善家としても知られ、
かの汪兆銘の直接依頼を受け入れて華南連邦民への半公的農業育成事業を始めた徳田球一さえも、
朝鮮半島に関しては「国民に一番に奉仕すべき政府が不健全な状態では、一体他の誰が国民に奉仕しようとするだろうか」
と強烈な皮肉を放ち、韓国政権が安定し、実効的な貧困対策を始めるまで韓国への支援はしない、と公式に宣言している。

  また、『世界一日本に厳しい(反日、でない所が重要)』との称号をほしいままにする日ノ出新報社も、
「今の韓国は狂犬のようなもの、傍に置くのは自殺行為、檻に入れておかないのも自殺行為」という主旨の社説を発表した。

  狂犬扱いをされては流石に大韓帝国も黙っていられなかったのか、例の"謝罪と賠償"を求めはしないまでも、
「主権国家を狂犬扱いするとは何事か」と抗議した。しかし文字通りの弱小国の抗議が聞き入れられる筈も無く、
日ノ出社は中立の皮を被った利敵行為や韓国政府内の政争、それに国民の貧困を挙げて理路整然と反論。
「韓国国民が全員自動車を持つくらい豊かな国に成長したら狂犬扱いを止める事も視野に入れていく」と、
皮肉たっぷりの挑発で返された上、日頃は日ノ出と対立していた日本の愛国系(と自称している)新聞各社
(大日本帝國とにかく最強!マンセー!世界一!な新聞社)まで、「主権国家(笑)」「m9(^Д^)」
などと日ノ出の論調に乗っかって韓国を叩くに至っては、火病する気力も失せ憮然とするしかなかった。


  そんなこんなで、大韓帝国は徹底無視を続けられていったのだが、その上さらなる災難まで背負い込む事になる。
『朝鮮新型農薬事故』と名づけられている、知る人ぞ知るこの事件は、朝鮮半島と日本の間に繋がりが出来るかもしれないと、
韓国政府に大きく期待され、そして見事に裏切られた事件である。

  事の始まりは徳田球一が、汪兆銘との協議の上で、コメ、トウモロコシなどの主食系作物だけでなく、
より商品価値の高い果物系の栽培指導も華南連邦の農家に行っていく事で合意した時である。
この合意は、指導の成果である収穫物の40%を徳田傘下の商社が独占的に買い付けるという、
「何処かの眼鏡男と比べれば非常に良心的な(本人談)」取引の上で成り立っているものだったが、
これをつぶさに見ていた韓国政府は「自分達も…」徳田へのアプローチを開始、速攻で拒絶された。

  そこへ新興農薬製造会社であった『新東亜化学』が、
「新型の農薬を開発したので、日本で売る前に韓国で買ってもらえないか」という提案をしたのだ。
その理由は日本で売る前に環境や人畜への影響の実測値を得たい事、という何やら怪しい雰囲気のする物であったが、
それがニカメイガの幼虫やシンクイムシに劇的な効果がある、と説明を受けた事、
そして新東亜化学の提示した新型農薬の販売額が極めて良心的(ぶっちゃけ赤字直前)だった事から、
大韓帝国は「政府の方でこの農薬を使ってみたい農家を公募して頂戴、そしたら必要分だけ搬入するから」
という新東亜化学の頼みを即時承諾し、農家へその農薬を紹介、購入希望者を募った。
671. 名無し三流 2011/12/05(月) 22:09:41
  当時ニカメイガやシンクイムシは朝鮮半島でも猛威を振るっており、
この天佑ともいうべき新型農薬は飛ぶように売れていった。「人畜に"多少の毒性"が"あるかもしれない"」
「使用時は"適宜"注意を払うこと」という2つの注意書きがあったにも関わらず、である。

  そして、問題が出て来るのに、新型農薬の"罠"が発動するのには、あまり時間はかからなかった。


  農薬の輸入開始直後から、それを使った農家からの「頭痛、痙攣がする」「視覚が異常になる」
「呼吸困難になった」などの報告が相次ぎ、韓国政府は津浪のように押し寄せる被害への対応に悲鳴を上げた。
政府は新東亜化学に説明を求めたものの、「当該農家は当社の農薬を適正に使用しておらず」云々、
「自己責任による事故への補償は」云々と、実に歯切れの悪い対応に終始した。

  史実では『パラチオン』と呼ばれる事になるはずだったこの新型農薬が起こした薬害は、
被害の規模が大きくなると流石に日本国内でも取り上げられるようになり、"行政指導"も入ったのだが、
新東亜化学は「ラットへの実験で毒性は確認されていたが、それで人体にも影響があるかは簡単に断言できない」
「弊社の注意喚起は十分であり、責任は全て韓国の農家側にある」と、周囲を唖然とさせる開き直りっぷりを発揮。
「安全性の確認には、それを実際に使ってみるのが一番確実じゃないか!」
「これからの農業に農薬は必須だ!結局は誰かが人柱にならなきゃいけないんだよ!」
という記者会見での社長のブチギレと絶叫は巷で語り草になった。

  これには日本国内からも非難の声が上がったものの、日本政府で『農薬安全化制度』という、
化学企業には安全な農薬を作るようにさせる指導を、農家には農薬を安全に使えるための各種支援を、
消費者には農薬を使った食品を安全に食べるための教育を、それぞれ行う制度が整備され、
風評被害を危惧する他の企業から依頼を受けた新聞社、テレビ局など各種メディアが
「農薬は確かにリスクを伴うが、農家と周辺住民で注意を払えば大丈夫」と宣伝し、
海を挟んだ福建共和国の大学から無農薬農法や低農薬農法とそのメリットが紹介され、
さらに政府が農家に対してこれらの農法から好きなものを選択する自由を与えたこと、
そして何より被害が出たのが朝鮮半島という「対岸」であった事から、
日本国内での農薬危険視の動きは急速に冷めていく事になった。


  『稲穂を害虫から守る傘』を社章にした新東亜化学は一連の開き直りで酷い悪評が立ち、
韓国での事業も中止に追い込まれた事から倒産、重役は揃って行方不明となるが、
大衆の間ではこの『朝鮮新型農薬事故』自体が『オワコン』になっていたので特に注目される事も無かった。
672. 名無し三流 2011/12/05(月) 22:10:18
  この事件は日本の農薬製造界に大きな衝撃を与え、政府による指導もあって、
より毒性の低い代替農薬の開発が猛烈なスピードで進んでいく事になった。
そして日本の農家も、自分達の商売のスタイルに合わせて農法を自由に選べたので、
日本の店には農薬、低農薬、無農薬など様々な食品が並ぶようになった。
そして、農家の間では他の農家との違いを出すための「我流農法」を開発する動きも広まり、
日本国内の作物市場は「農法の展覧会」と呼ばれるまでバラエティ豊かなものとなる。


  一方の大韓帝国では……
勿論危険な農薬を販売していた新東亜化学も被害を受けた農家達による激しい非難の対象となったが、
その燃え上がる怒りが、何時の間にか「韓国政府は農薬の危険性を理解していながら輸入していた」
という謎の方向へも発展し、政府までが叩かれる事になったのだ。

  さらには韓国農家の間に一種の「日本製不信」「農薬不信」が根付く事になり、
韓国が新しいより安全な農薬を輸入しようとしても、「"新東亜鬼子"の非道を忘れたか」「安全性はあるのか」
などと矢のような批判を浴び、結果として引き続き虫害に悩まされてしまう。
一方日本の農薬製造会社は「別に韓国は有望な市場じゃないし、輸出は福建・華南中心だし」というスタンスで、
蚊に刺された程度の損失も無い。そもそもビジネスが無い所には損失も発生し得ないのだが……


  そんな訳で、この事件で一番損失を被ったのは大韓帝国であった。
余談ではあるが、この事件の頃から例の"撫子たん"には、『韓国に対してはドS』という誰得な属性が加わったという……


                                      〜  f  i  n  〜
673. 名無し三流 2011/12/05(月) 22:11:03
というわけで、憂鬱世界だとどこまでも不遇な某半島でした。
薬害への警鐘のための『新型農薬事故』は、酢酸フェニル水銀とどっちか迷いましたが、
開発年代が近いという事でパラチオンにしました。

  『新東亜化学』による騒動はご想像されているだろう通り、一部転生者の計画です。
韓国を人柱にして農薬の危険性を実証⇒安全な農薬を作る事を啓発⇒日本で同様の事件が起こる事を阻止
というストーリーだったが、非転生者の社長ら(対韓強硬派)が予想外にエキサイトしてしまったりして脱線の危機……
嶋田・辻も最初は頭を抱えたが、できるだけプラスの方向へ持っていこうとしてこうなった……という裏設定があります。

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最終更新:2012年01月14日 18:46