52. 名無しモドキ 2011/04/09(土) 19:41:23
日米謀略戦1  「セクション21-B」

  セクション21-Bとは、統合参謀本部内の21-B室に設けられたアメリカ統合参謀本部対日情報課に直属する対日宣伝
機関であり、1942年6月に対日戦勃発を見越して急遽、組織された。当初の仕事は、中国の青島などから、日本本土へ
のプロパガンダ放送と、日本本土へ投下する伝単の下準備などであった。人員は、予備役の陸軍中佐を長にして、経
理営繕関係の下士官を含めても二十人足らずであり、組織としての重要度は低くく見られていた。
  これは、対日情報部が望んだ組織ではなく、ロング大統領の要望から戦時体裁を整えるために作られたお荷物的な
組織であった。また、ロング大統領自身も、産軍からの軍事顧問達による答申から、開戦後プラス60日程度で、中国
大陸に展開する日本航空部隊が戦闘能力を喪失して、日本西部への大規模航空攻撃が可能になると予想していた。
  その時期には、戦艦戦力で圧倒するアメリカ海軍が日本海軍を無力化するとも考えていた。さらに、ロング大統領は
日本海軍が健在であっても、日本近海を遊弋するアメリカ戦艦部隊のために、本土近海へ釘付けとなり遊兵と化すと
判断していた。そして、開戦後プラス150日から200日で、日本の主要工業地帯と港湾は壊滅的な打撃を受けて、日本は講和
を求めざる得ないと考えていた。すなわち、プロパガンダを行う間もことなくアメリカは勝利すると思われていた。それでも
この宣伝組織が、設置されたのは、日本が本土の苦境にも拘わらず継戦した場合や、戦後、日本の本土にアメリカ軍による
軍政を敷いた場合に活用できればよいとされていたためである。

  この予想は、開戦数時間で脆くも崩れ去さり、セクション21-Bの重要度も当然、低いままだった。津波で、長を含む、スタッフ
のほぼ全てと、漸く、集め出した資料、資材の一切を失い、開店休業の状態になり、最も低い優先順位でシカゴに移転した来た。
本来ならば、この組織は、解体されてしかるべきだった。ただ、上部組織も壊滅していたため、その判断が出来ず、取りあえず
既存の組織ということでシカゴ大学の一隅に、再び開設された。
  肋膜炎のため、二年間休職していた主計少佐を長にして、第一次大戦時、フランスで義勇軍に参加したという隻眼隻手の予備役
中尉が副官であり、内蔵疾患のため前線勤務が無理な二人の下士官が高校卒業という理由で配属され、痩身銀眼鏡という絵に描い
たような大学の司書補だったという五十過ぎの、未亡人が資料係として雇用されていた。取りあえず、彼らは大学の図書館を利用
して、第一次世界大戦で使用された伝単資料を集めては、見よう見まねで、伝単を製作して対日課に持ち込んでいた。  

  彼らの作製する伝単は素人同然の作品であり、伝単の存在意義もよく理解出来ていないため「KILL JAPS, KILL JAPS, KILL
MORE JAPS.  WE  KILL  MANY  JAPS.」などといった誰に対しての宣伝文か、もしくは脅迫文なのかもよくわかわないものを、
英語で製作していた。
  伝単のできは兎も角、これをどこで日本の軍民に配布するんだ?という現実的な問題から、印刷されることもなく対日課の
ロッカーに、セクション21-Bの伝単原稿は溜まるだけであった。 やがて、制作者の彼らは周囲からはworthless five(役立た
ず五人組)と呼ばれるようになった。

  そのセクション21-Bのオフィスに、1942年の12月頃から、複数の陸軍や海軍の中堅将校が度々訪れるようになった。彼らは、
対日ラジオ放送の開局を模索する軍の情報部関係者であった。日本政府の「ボイスオブジャパン(VOJ)」や、もともとは、
日本海軍が将兵慰安用に運営していた「ラジオパシフィック(RP)」の英語放送といった米国向け短波放送に対抗する手段を
模索していた。包囲下のフィリピンはもちろんのこと、アメリカ領サモアなどでも、まともに、聞けるのはこれらの放送と
BBCのみであった。また、ハワイや西海岸、高利得なラジオならアメリカ中西部まで一般市民が受信できた。日本による
ミッドウェイ占領後は、中波放送までハワイに発信していた。また、フィリピンは、それ以前に中波で、アメリカ軍向け
の英語放送とフィリピン人向けのタガログ語放送が、現地のラジオ局周波数に隣接して発信されていた。
  英語放送には、二十代と思われる女性アナウンサーがよく登場して、「パーソナリティー」と名乗っていた。これらの
女性が単身で、または複数で行う、おしゃべりを楽しむようなスタイルの放送は目新しく、対米謀略放送と理解していて
も聞き込ませる魅力を持っていた。「横浜チェリー」や「東京リリー」といった女性人気アナウンサーや「ストリーム・
ジョー」という女性に人気のある美声男性アナウンサーには、中国のアメリカ兵捕虜やアメリカ民間人からファンレタ
ーやリクエストが殺到していた。
53. 名無しモドキ 2011/04/09(土) 19:44:54
  また、イギリス経由で発送された思われる、アメリカ兵士や一般人のリクエストも紹介されていた。ニューヨークで
トラップ一家のコンサートがあった三日後には、「Climb Ev'ry Mountain」や「Do-Re-Mi」が放送されるなど日本の情
報収拾能力の一端を見せつけるような事例も多々あった。  
  もちろん、娯楽的な内容ばかりではなく、ニュースや戦局解説の放送も流されており、Amazing Grace のメロディーが
流れるなか、淡々と船名、ないし船級が、撃沈位置とともに読み上げられる「撃沈された船舶」という放送でアメリカ側
が連絡のつかなくなった船の安否を始めて知ることもあった。
  沿岸航路の独航船や、単独行動が基本ながら対潜能力の低い沿岸警備隊船の場合は、この放送で救助された船員名が伝
えれることもあり、帰還しない船員の家族は毎日祈るような気持ちでその放送を聞いていた。また、「救助しようとした
が、アメリカ機が接近して救助が実施できず・・。」などという内容には、撃沈したはずの日本潜水艦よりも、知らず知
らずに、船舶を保護出来ず、最後の救命の機会を奪った、アメリカ軍という存在へのいい知れない虚脱感とも、怒りとも
言えない感情を育んでいた。

  これらの放送の有効性に、アメリカ軍が自分たちも対日放送と考えるのは当然であった。新たに謀略放送局の立ち上げを
準備を始めていると、すでにセクションB-21という謀略放送機関があり、予算逼迫のおりからこれを利用してほしいと財務省
からの要望があった。このため、セクション21-Bに、1943年、早々には陸海軍から共同で、人員と機材が提供された。
  そして、ハワイよりも距離的に日本に近いアラスカのダッチハーバーに、セクション21-Bの下部組織として「ラジオ・
アジアパシフィック(RAP)」を立ち上げた。日本本土には、短波ラジオは比較的少なかったが、日本は南は海南島、南洋諸
島から、北のカムチャッカ半島沖のコマンドル諸島まで面積の割には広大な地域に国土が点在してた。このため、東京から
遠い地域では短波放送が利用されていたことから、短波放送は有効な情報発信手段と思われた。

  日本の外務省対外放送分析局銚子受信所では、1942年1月14日にアラスカからの対日放送を受信した。当初の1週間は出力
が低く、市販の短波ラジオでは受信できないと思われた。メインアナウンサーは二人いて、一人はデイヴィッド・ナカマと
名乗って、沖縄方言らしき日本語を話した。これは、本土の日本人リスナーには聞き取ることが困難だった。外務省本庁の
沖縄出身者でも聞き取ることが困難で、戦前、沖縄で生活していたアメリカ人ではないかと推測された。もう一人は、
ジュリーと名乗っており、三十代くらいの欧米系女性と思われたが、ジュリーの放送は、樺太系アイヌ語で行われていた。
そのキリスト教的な言動から、キリスト教各宗派と東京外国語大学に紹介すると、以前、樺太でキリスト教の宣教を行って
いたアメリカ人女性ではないかと報告してきた。
  アメリカでは、アイヌ民族以外にも沖縄の日本人を、本土の日本人とは別の民族と考えているとの知見から、当初は、
少数民族の離反を狙った放送ではないかと考えていた。しかし、「アメリカの使命」とか「文明の光」などを抽象的に
説く退屈きわまりないもので、外務省の受信員が仕事で聞いていなければ、視聴者などいるとも思えないものだった。
  当初の放送は、試験的なものだったらしく、一週間ほどで、なまりはあるが、聞き取れる日本語を話すアナウンサー
に交代した。そして、重要な人物名が放送に登場した。前駐日大使の、ジョセフ・C・グルーである。彼は史実では、
「滞日十年」という本を出版している知日家である。そして、憂鬱世界では、その優れた洞察力から、抑制的な外交
態度や、理想的な発展をたどっている日本社会を理解した親日家であった。
  しかし、ロング大統領は、戦争決意後にグルーを解任して腹心を駐日大使に任命したため、グルーは夢幻会のメンバ
ーからも惜しまれながら帰国していた。グルーの解任は日本の開戦決意要因の一つであったと言われるほどの人物であ
る。グルーは帰国後も日本との友好を説く公演などを行ったため、列強の前大使としては、異例の外務委託顧問という
閑職に追いやられ、さらに津波で行方不明になっていた。

「親愛なる日本国天皇、国民、そして、友人でありました政府機関の皆様」で始まる30分の日本語による書簡の読み上
げという形式であり、グルーが帰国後に、いつか日本とアメリカ政府に対して発表する目的で書いたものという説明が
あった。
54. 名無しモドキ 2011/04/09(土) 19:51:10
  外務省、軍情報部などは、グルーの書簡かどうかということから、その内容の意図するところを早速に分析を始めた。
概略として、総合戦略研究所を始め関連政府機関に以下の報告を行った。
?−現在の戦況を反映した内容から、グルーの書簡ではなくグルーの名を騙ったものである。
例:「・・しかしながら、日本軍がアメリカ本土へ侵攻した場合はアメリカ人の一人として戦う」
?−戦争の非について、謀略放送ではありえない程、アメリカの責任を認めている。
例:「正統性に疑問のある奉天政府の冒険主義的な行為を容認して、日本を苦況に陥れ、ついには戦争という手
        段に追い込んだことは、アメリカ政府の大いなる政策上の誤り・・。」
?−講和の可能性とアメリカ側の条件を挙げている。政府機関の放送であるから、アメリカの発したシグナルと判断
    される。
例:「正当なるアメリカ領土ならびにその権益が保障される限り、福建共和国などの承認を含めて、この戦争を
         終結させる努力をアメリカ政府が放棄しないことを要望する。」
特に?と?から、降伏に近い条件でもアメリカは講和を行いたいという意図をほのめかしたと判断された。

  ところが、ハワイ沖海戦が終了すると、「ハワイ防衛戦」の成果を強調する内容に一変する。「ハワイから、空母から
攻撃隊が日本艦隊に襲いかかる。恐るべき波状攻撃!日本空母に痛打に次ぐ痛打。一度喧嘩を売ってきた相手は手を上げ
ても容赦はしない。それが、アメリカのやり方だ。」「損傷して退却する日本空母部隊を追撃する、アメリカ戦艦部隊は、
怯懦で無能な小沢が、自身が逃げるために、死地に置き去りにした劣勢な日本戦艦部隊を蹴散らした。日本の誇っていた
長門とやらは大破、アメリカ軍が捕獲したが、糞みたいな泥船だったので処分した。」「敗残日本海軍は夜の闇を利用
して逃亡しようとしても無駄だった。悪魔のごとき黒い瞳を持つ日本人は、神が与えた明るい光彩の白人兵に夜間視力で
大きく劣るため、ネコがネズミを狩るように夜戦では日本艦艇はアメリカ艦艇から一方的に狙い撃ちだ。」
「バイ提督は損傷して降伏した日本艦艇の救助を命じた。卑怯にもその艦艇は、バイ提督のいる艦橋に発砲しバイ提督は
戦死された。だまし討ちしかできない日本人は皆殺しにする。お前達は捕虜になる資格もない。」
「日本軍部は損害を隠微して、国民を欺いている。日本海軍にいる夫、息子、父親、兄弟に手紙を書け。多くは返事が
戻ってこないであろう。」

  検知困難な遅効性の毒を含んだ英国の海外向けBBC放送などは言わずもがな、ドイツやソ連の謀略放送の足元にも及
ばないあまりにも稚拙な内容に外務省や軍の担当者は驚いた。百歩譲っても国内向けだろうと・・。
  日本では、アメリカの放送を傍受すること自体は、禁止されておらず、その内容を検閲を経ずして、報道したり出版
することが禁止されていた。さらに、個人が口頭でも他人にその内容を広めた場合は、処罰の対象という規定があった
ため、警察がしばしば「別件逮捕」の理由に使用して戦後批判された。この例外以外では、赤信号の横断で逮捕されな
いようなものであり、警官がいないかどうかちょっと注意して(それもおもしろ半分に)ごく普通に話題にされていた。
政府は、国民には「謀略放送を聞く場合の注意」といった小冊子などを、しばしば配布しており、報道機関でも謀略放
送や伝単についての解説が度々行われていた。第一、多くの親類、知人の将兵が自分の周辺に、凱旋帰郷しているため、
これらの放送は、嘲笑を持って聞ける面白い内容ということで「仰天放送」と渾名され多くの国民が聞いていた。

  この放送の変化から、アメリカ国内では、継戦派と講和派が対立していると判断された。夢幻会の下部では、講和派
への接触によって早期の戦争終結を図れると考える人間が多くいた。しかし、夢幻会上部の人間は、継戦派が、死に体
のアメリカに対して「カンフル剤」のような役割を果たさせるためにどのような方策が取れるか思いを巡らせるので
あった。
  「仰天放送」は、英語版が開始されたとたんに影を潜めた。グルーの書簡放送が軍の権限を越えていると問題になった
ため、当初、専門家と見られていたシカゴのworthless five(役立たず五人組)が急遽、放送に穴を開けないため原稿を
依頼されたものが例の「仰天放送」であった。なお英語放送により、その内容を知った軍関係者をさらに仰天させたと、
日本側が知るのは戦後のことである。
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最終更新:2011年12月31日 17:23