97. 名無しモドキ 2011/04/18(月) 21:27:02
またまた、地味話です。

「ハワイ沖海戦外伝」−その3−

地方紙共同企画  日米戦争秘話      その21    闇の見張兵 1966年5日14月京都新聞朝刊

  岩田義晴(52)さんは、大分県関漁港でも名の知られた腕のよい漁師である。漁師の次男に生まれ、小学校を卒業する
頃には、自分の船を持って漁師になりたいと思っていたという。

  うちは、そんなに裕福ではなかったからね、漁師になっても、船長が兄貴で、その下で漁師やるしかなかったですな。
でも、小さい頃から負けん気だけは、強かったから、兄貴が嫌いなわけじゃないけど、ずっと兄貴の下でいうのが嫌で
ね。せめて、勉強だけは負けんとと頑張ったんですわ。
  おかげで、小学校高等科を卒業する時に、中学校への編入試験を受けて見ないかと担任の先生が言ってくらたんです
よ。けど学費の心配もあったから海軍の少年志願兵を受けたんですな。三食付きの寮に入れてくれて授業料は無料でし
たからね。午前中は、教練でしごかれますが、希望者は午後から定時制中学校へ通わせてくれて、中学の卒業資格も取
れるというので、あの頃は五六倍の難関でしたな。親父や兄貴は、漁師になるのに中学校へ行く必要があるのかと笑っ
てましたが、後で機関士や無線通信資格を取るのには役立ちましたよ。

  19歳になると4年間はお礼奉公で、軍務に就かなくてはなりません。わたしは、中学校へ通わせてもらったので、
5年のお礼奉公でした。でも、給与が出るようになって嬉しかったです。まあ、色々誘惑もありますが、給与を天引き
で定期預金する制度もありましたから、上官の薦めで大概はそれを利用して除隊する頃には、ちょっとした小金を貯め
ることができるんですな。最後の1年になると、何割かが兵長に任命されます。まあ、餌みたいなもんです。このまま
海軍に残らないかというわけですな。ええ、わたしも任命されましたよ。

  わたしは、自分の船が欲しかったから、まだまだ、資金を貯めるために、その、まま海軍に残りました。ただ、今度
は残るために、下士官になる必要があるんです。下士官になるのは、海軍の各種学校へ入学せねばなりません。航海学校
と機関学校は、花形で倍率も高かったです。将来、一人で漁師するのなら、発動機のことも知っておくほうがいいかと機
関学校を志望しました。まあ、座学では自信がありましたから行ける思っていました。
  ところが、分隊長に呼び出されましてね。「岩田は機関学校へ行く点は満たしているが、資質を磨くために、通信学校
の索敵観測技術科へ志願変更しないか。」と言われたんです。索敵技術なんて考えたこともありません。でも、海軍も欲
しい人材を、適所にってことで、志願変更を進められるのは見込まれてたってことだ。志願変更を進められたものは比較
的昇進が早いって噂もありました。それで、見込みがあるとされたなら昇進して、船の頭金と漁具を買う金を貯めれるか
なくらいの考えで志願変更を申し出てました。

  一応、通信学校ですから基礎で一通りの通信技術をたたき込まれます。で、半年すると専攻へ進むんです。索敵観測技
術には、そのころ、導入が始まった電探なんかを教える課程がありましたが、わたしは、見張り員の養成課程に入れられ
ました。見張り員といっても、下士官として兵に、その指導ができるまでの技量が要求されました。でも、技量といって
も、昨日まで、同じ講座仲間が、なんか凄そうな機械をいじっているのに、こちらは、双眼鏡を持たされて、おまけに昼寝
さされては夜に何時間も、特務哨戒艇に乗せられ、体をぐるぐる回して水平線を眺めさせられる。特別食だといって、レバ
ーやらブルベリーのジャムをやたら食べさせられる。目の体操だといって、1時間は自分で目のまわりのマッサージをささ
れます。
  半年くらいしそんなことをして、終了前の2泊3日で、演習航海に出たときです。電気通信の課程にいった奴とたまたま、
夜のデッキで一緒になりましてね。「さっきの流木はぶつかりいそうになって危なかったね。」と言ったら、「どこだ。」
というんで指さしても「わからん。見えん。」と言うんですな。はっきり見えてるのにおかしいな。そうか、これが訓練の
成果かと納得しました。
98. 名無しモドキ 2011/04/18(月) 21:31:22
  其の後、二等兵曹に任官しました。まあ、二三年海軍で過ごしてと思っていたら、フィンランドで戦争をはじめるは、
ドイツとの戦争が始まるで、辞めるに辞めれなくなりまして、アメリカとの戦争が始まった時は、新任の少尉なんかは
遠慮するっていう、古手の一等兵曹にまでなってました。長い間、巡洋艦の妙高に勤務してましたが、その頃に、戦艦
鞍馬に転属になりました。当時の新鋭艦ですからね、嬉しかったですね。今じゃ珍しくありませんが、冷暖房完備で、
シャワー完備なうえに下士官以上は毎日風呂に入れました。
  しかし、そんな新鋭艦でも、見張り員の居場所は外です。専門の見張り員というのは、戦艦みたいな大きな艦艇でも、
五六名ですかね。航海分隊などの甲板勤務の下士官や水兵は、交代で通常航海時に見張り当番が回ってきます。わたし
は、次席下士官でしたから、それらの兵員の教育らや、見張りシフトを作るのが通常の仕事です。

  それで、見張り員は、案外、戦闘海域に近づかない様なときは雨風に打たれることは少ないんです。そうは言っても、
技量を維持するためにもまったく見張りを他人に任せることはできません。艦橋の左右に出張るような見張り所で凍え
ることも多かったです。凍える経験が、多いのは戦闘海域以外に、見張り員がカバーするのは実は本土沿岸なんです。
ここは、船舶の航行も多いし、漁船が操業しています。
  電探で、目標を見張っていても、実際に目視をして、相手がどのような船で、どのような行動を取ろうとしているか
判断しなければなりません。これは、今でも、電探にはできないことですからね。それを、艦橋へ的確に報告する。見
張り員は、多分、艦長を含めて、一番、将校を話す兵種でしょうな。その時に、気後れしていては、見張り員は務まり
ません。

−オフレコ部分−三年ほど前に巡洋艦が、漁船に衝突した事件がありましたでしょう。艦長が、漁船が法規とは異なる
なる動きをしたからという記事を見て、わたしは、そんことを言うべきでないと海軍へ意見書を出しましたよ。
  漁船ならどのような行動する可能性があるか見張り員が見極める。そして、艦長以下の幹部との意思伝達が出来てい
れば防げた事故です。大型船をできるだけ避けたいのが漁船です。それに、衝突するなんて恥ですよ。もし、敵対する
意志をもった小型船が突っ込んできてもかわすのが海軍だと思ってますよ。まあ、艦長が、責任を取って辞任したとい
うので根は大丈夫なのでしょうかな。ちょっと脱線しましたね。

  さて、初陣は、ウェーク島の夜間砲撃でした。砲撃中は、艦内に退避するんですが、見張り員だけは防護壁に隠れな
がら周囲を見張ってるんです。花火大会にいったのに、後ろばかり見ているみたいなもんですかな。
  むしろ、砲撃の閃光で目をやられないように発砲時は、後ろを見ていても目を閉じろと命令されていました。もちろ
ん、電探でも見張ってますが、波浪に隠れるような小型の魚雷艇や、潜水艦の潜望鏡なんかは、見逃してしまうことも
ありますから、見張りが不用になることはありません。

  帰港したら、長門への転属命令を受けました。嬉しかったですよ。何しろ「日本の誇り」に乗れるんですからね。旗
艦とうこともあって、専属の見張り員も10名ほど乗ってました。そして、あの有名なハワイ沖開海戦です。アメリカ
艦載機と基地航空隊の攻撃を電探の指揮で壊滅させたっていうのは有名ですよね。確かに、あの戦いは、電探がないと
結果は違っていたでしょうな。でも、我々、見張り員もいないと、また、別の結果になったと思いますよ。
  接近してくる敵機は、目視など問題外の距離から電探が追っているわけですが、それが、どんな機種のなのか、また、
どんな状態なのかを見極めるのは、見張りの仕事です。近いがあれは戦闘機だ。その後ろの攻撃機は損傷している。一
番遠い奴は無傷だ。なんて判断は電探では難しいでしょう。
99. 名無しモドキ 2011/04/18(月) 21:34:25
  それで、いよいよ夜戦ですな。海軍の見張り員は「ネコの目」なんて書いてある本もありますが、しょせんは人間
ですからね。(記者は使い込んだ双眼鏡を渡された)どうです。覗いてごらんなさい。全然、ちがうでしょう。そう、
世の中が明るくなった感じがしますよね。
  戦前にドイツのツァイス社の技術者を招いて日本光学が作った夜戦用双眼鏡ですよ。今でも、ドイツにツァイスは
ありますがあれは過去の名声だけで商売している抜け殻ですな。第一、レンズは日本から輸入品ですよ。本当の
ツァイスは日本にあるんです。この双眼鏡は、三年前に海軍の放出品で手に入れたんですが、家内が卒倒するくらい
の値段でしたよ。わたしが海軍で使っていたのもと同じですが今でも世界一、これが双眼鏡の完成形でしょうな。
去年、大神の海軍観艦式に行きましたが、今でも見張り員や、将校なんかはこれを使ってましたね。

−オフレコ部分−赤外線装置や暗視装置をって・・。確かに上海で陸軍が赤外線装置を使っていたことは知られてます
ね。当然、海軍ならですか。いやー、記者さんなら分かると思いますが、言っていいこととと、言ってはいけないこと
もありますからね。誰かがいい楯を持っていると知れば、それを貫く鉾を持ちたくなりますね。すると、もっといい楯
を持たなくてはならなくなる。キリがありませんし、金の無駄遣いだ。まあ、もうすぐ機密解除になる情報も多いです
から、その時には、お話をしましょう。
  
  さて、誤魔化しなしに、こいつ(双眼鏡を撫でながら)で、覗けばどんな闇夜でも何とかなるんですな。電探には先手
を取られますが、より有用な情報は、目で見たことに勝るものはありません。「殿はサウスダコダ型戦艦、その前方に
5隻の戦艦。うちコロラド型3隻。先頭艦はサススダコダ型、損傷している模様」電探では、戦艦らしき大型艦という情報
がこうかわるワケです。「サウスダコダ型中央部に命中。破片が散乱、煙突下部より火災発生。右に傾斜を認める。速力低
下。」より詳細な情報で目標を選択するなんてことも、見張り員のできによって左右されるでしょう。

  見張り所の周囲は、10センチばかりの厚さの鉄板で覆われてましてますが、いざ砲戦になればそれでも気休めですね。
でも、鉄板があるとないとでは、気持ちに大きな差がでます。それで、身を屈めながらも、必死で報告を送ってました。
でも、長門が集中砲火を浴びたんで、至近弾の爆風に吹っ飛ばされました。気がついたときは医務室のベットでしたね。
脳震盪で気絶して、肩を骨折です。

−オフレコ部分−寝ていたら、上官から変な命令を受けるんですよ。「電探があるんじゃ、もう仕事場が無くなる。」
ってぼやきまくれと言うんですよ。わたし自身がそう感じてないのにですよ。そして、今でも海軍から見張り員は無く
なってないでしょう。いや、より強化されたかもしれませんな。電探を導入した外国の海軍では、専門の見張り員を廃止
した国もあるそうですがね。
  
  それで、内地に帰ったら一線部隊から、通信学校の教官に転属です。まあ、それなりのやり甲斐もありましたし、海軍
に残れという上官もいましたが、初志貫徹でとうとう漁師になりました。
  さてさて、やっぱり、夜や霧の中では、これは重宝します。電探にしかできないことがありますからね。(船に備えら
れた民生用小型レーダーを指さして)でもね、漁師として、喰わしてくれているのは、やっぱりこいつですよ。(双眼鏡
を掲げて)
  どこに海鳥が群れているか、僅かな海面の色の違いから潮流や、魚の有無を教えてくれるのはこいつです。そして、
この目です。人間は、見て判断する動物でしょう。最後は、肉眼で確認する。これを忘れちゃいけません。

  岩田義晴さんは、記者の前でもう一度、双眼鏡を撫でた。四半世紀以上前に作られた双眼鏡は、手で持つ部分が
すっかり剥げてはいるが、職人の使い込まれた道具のような鈍い光を放っていた。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−お  わ  り−−−−−−−−−−−−−−−−

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最終更新:2011年12月31日 17:27