107 :New ◆QTlJyklQpI:2012/08/05(日) 02:18:58

支援SS ~突撃銃~

日米開戦前のある日
大日本帝国陸軍の射撃場では新たに配備された二式突撃銃の射撃が行われていた。

「やっぱり連射はキツイな」
「ある程度予想はしていたんだが・・・だが弾薬類の混在しないだけ兵站は楽にはなる」
「まあ、3点射撃を徹底させるしかないな。それに市街地戦とか近接戦に気をつければ何とか」

二式突撃銃は大日本帝国陸軍で採用された本格的なアサルトライフルである。
突撃銃の構想自体は20世紀初めにはあり、イタリアで試作されたCei-Rigotti自動小銃やロシア帝国で開発された
フェデロフM1916小銃などがある。そして、この世界の日本陸軍でも夢幻会の影響により初期の頃から小銃の自動化の
研究が行われており、実際フェデロフM1916を輸入し一部部隊や海援隊で使用するなどしていた。
しかし、WW1後の軍縮や当時の未熟な作動機構、生産設備の不備、何より膨大な弾薬消費に大規模配備にかかる予算
など数々の壁が立ち塞がり小規模運用の域を出てなかった。

その状況が好転し始めたのは世界恐慌時にせしめた工業プラントや各種技術により日本の工業が向上し始めてからであり、
まずは扱いやすい半自動小銃である昭五式小銃を配備し始め、中国大陸や冬戦争など豊富な運用経験を得るに及んで
遂に二式となって結実することとなった。モデルにはAK系列ながらもSKSカービン系の機構も使った中国の81式自動歩槍
とし、AK系列故の頑丈さとメンテナンス性を発揮し、”一部”を除いて極めて高い評価を受けていた。

その一部とは弾薬に関することであった。二式で使用されていたのは既存の6.5mm弾であり、
他国の弾薬と比べても反動は少なく、実際フェデロフM1916でも使用されていた扱いやすいライフル弾である。
しかし、それでも強装薬のライフル弾であることには違いなく、二式ではマズルブレーキなど速射時のコントロールに
配慮した設計を取り入れていたがそれでも日本人の体格では速射時の操作には難儀した。
また6.5mm弾を入れた30発や40発弾倉は大いに嵩張り携行や伏せ撃ち、弾倉交換時に苦労することとなった。
その結果として要望書の山が返ってきたが無論開発者自身も6.5mm弾の問題を考えなかったことはない。
装薬を減らした弱装弾の使用や新型の6.5mm短小弾の開発も軍に要求していた。
しかし、二式の配備自体が対米戦目前となり膨大な手間と費用がかかり、弾薬の混在による混乱を避けたかった事、
ライフル弾のままで寧ろ大口径化した史実のM14のような仕様を望む声も少なからずあり、
結局対米戦では既存の弾薬でしのぎ、戦後に本格的な突撃銃として改修することとなった。
無論、それまでは前線の将兵に不便を強いる事になるが。

「しかし、AK系列が出回るとなると後継で支障が出るだろうな」
「確かに・・・なまじ完成度高いからな」

後継を巡って「FNだ!」「馬鹿、H&Kこそ至高だ!」「もうAKでいいんでね?」といった派閥争いを容易に想像でき
苦笑いする面々。実際既にその討論が行われてたりするのだが。

その後中国大陸での運用からやは短小弾化の声が強まり、弾薬を短小化した改修型が搭乗した。
その頑丈且つ扱いやすい銃として戦後歩兵たちから重宝され、後継銃が配備された後もカリフォルニアなど
各国でライセンス生産されショットガンやドラグノフのようなセミオート狙撃銃など様々なバリエーションを生み出すこととなった。

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最終更新:2012年08月05日 19:36