266. 名無しモドキ 2011/05/20(金) 20:41:30
福建国軍物語    −福建国軍の曙−

1940年2月11日、福建省省都福州市
2月とはいえ、福州はガジュマルの木がシンボルになる南国である。第一種礼装に身を固めた、外務省特使松岡洋右はハンカチで額に浮かぶ汗をぬぐった。
「少し、予定より遅れてるんじゃないのか。」松岡はかたわらの、和服で正装した妻の龍に尋ねた。
「それより何故、紀元節と同じ2月11日なんですか?いつの日でも選べたでしょうに。」
「しょうがないじゃないか。たまたま、11日が日曜日だったからだ。まだ出来てない国の建国記念日を休日にするわけにもいくまい。まあ、日本と福建が同じ日が建国記念日で憶えやすいじゃないか。・・で、いつ始まるんだ。暑くてかなわんのだよ。」
「知るわけないでしょう。わたしは昨日ここに着いたんですよ。貴方ったら、ろくにかまってもくださらずに夜中に帰ってきてそのまま何も教えてくださらずに寝ておしまいになったんじゃないですか。」龍は扇子を忙しげに動かす。
「奥様、お声が少し・・。」秘書官が恐る恐る声をかけた。

  松岡も妻も逆行者である。現代人同士で話は合うので、逆行者同士の結婚の例はあるが、史実通りの二人が結婚するというケースは夢幻会でも珍しいケースである。この個性の強すぎるカップルを竜虎夫婦と影で呼んで、恐れているいる夢幻会 もメンバーも多い。

  福建国建国記念式典。日本からは、天皇の名代として秩父宮ご夫妻、松岡特使(式典後に初代在福建大使)といった最大限の配慮をもった人物を派遣している。また、松岡の妻、龍が呼び寄せられたのは、在福建日本大使が不退転の決意で福建 に止まるという意思表明である。
  イギリスからは、英国国王の名代であるマウントバッテン卿、帰国すれば外務大臣との噂もあるイーデン外務次官、香港総督夫妻と、それなりの人物が出席している。フランス、オランダ、ベルギー、北欧諸国とタイからは特使、米国とその影響下の南米諸国からは、在中国の公使代理か領事、ドイツ影響下のヨーロッパ諸国とソ連は当然無視で誰も来ない。式典に出ている人間を見ているだけで福建の置かれた状況がわかる。

「ようやく、始まりそうですわ。」逆行者でもある妻の龍が松岡にささやいた。
王子恵国家主席、薩鎮冰首相、鴻志内務大臣、劉攻芸財務大臣、王景岐外務大臣、林建章海軍大臣、黄自強陸軍大臣らの福建省出身の政治家で固めた福建政府首脳が、広場に面した旧福建省政庁のバルコニーに居並ぶ。兵士の一団が、下が青、上が黄色の上下に分かれた二色旗、真ん中に、ガジュマルの葉を図案化した緑のマークが入った 福建国旗を持って広場前の掲揚台に進んできた。まあ、色違いのカナダ国旗のような国旗である。

  広場の手前に並んだ、軍楽隊が新しい国歌である「福建国国歌−越地山河−」の演奏を始めた。楽器に心得のある人間をかき集めて、ほぼ二週間ばかりで猛特訓し編成した急造軍楽隊で、数人の日本陸軍の軍楽隊員が混じっているのは愛嬌である。この曲を聞いた龍はのけぞった。なにしろ、史実の文革期には中国国歌としても使用された、毛沢東賛歌ともいうべき「東方紅」そのままなのだ。静かに始まった前奏に続いて、地元の女学生を特訓した二百人ばかりの合唱隊が歌い出す。
ただ、歌詞は南方の風景を讃える内容である。先入観無く聞けば哀愁を含んだ趣のある歌である。二番では、最後の歌詞である「越地、越地、讃。」で、多くの群集が合唱に加わった。

  旧政庁前の広場には、十万人近い福州市民が詰めかけていた。一月ほど前に、雌伏していた元国民党19路軍兵士を主体とした福建軍閥の薩鎮冰配下の兵士達が政庁を占拠して、奉天政府から派遣されてきた官僚、地元も人間からすれば、虎の威を借りた強欲な豚どもを逮捕した。市民達は喝采をあげた。そのため、広場に集まっている市民は、ともかくよかったという表情であり、安心しているとう気持ちが微笑を誘っている。
  何しろ、前回の独立騒動とは異なり、数千とはいえ、日本軍が駐留しているのである。奉天政府は、日本との全面戦争を覚悟しなければ手出しができない。また、公使代理とはいえ、米国代表が式典に出ていることは、奉天政府の後ろ盾であるアメリカが福建の独立を黙認するというサインであることは権謀術策渦巻く中国の民衆は敏感に感じていた。
267. 名無しモドキ 2011/05/20(金) 20:46:14
中央のマイクの前に進み出た王子恵国家主席が福建省の独立を宣言する。
「だだ今、福建国は成立しました。」それだけ言うと王子恵国家主席は後ろに下がった。史上、最も簡潔な、独立宣言と記録される一言であった。
「王子恵らしいな。あれはあれで目立つ。」松岡は、群集に合わせて拍手すると、またハンカチで額をぬぐった。
「王子恵は史実では、戦前は日本軍部と親密な関係を持ち、戦後は蒋介石の特使を自称して日本で詐欺事件を起こした人物と聞きましたが、大丈夫なのですか。」扇子で扇ぐ仕草をしながら龍が小声で聞いた。
「王子恵って人物は、目立つことが大好きな人物だ。だから、皇帝や王とはいかないが一国の出席になる誘惑に彼は勝てなかった。福建国が上手くいけばいいが、潰れれば、漢奸とされて、極刑になるかもしれない。そんな、危険がある国の国家主席を二つ返事で引き受けてくれる人物は得難いよ。」

「その話を聞いて余計に心配になりますわ。」龍は松岡の方を向かずに言った。
「主席はお飾りに近い存在だ。実権は薩鎮冰首相が握っている。先年、史実のようにおこった福建事変による福建革命政府樹立の大物だ。あの時は、周囲がことを焦って準備不足のまま事を起こしたから、すぐさま国民党政府軍に屈したが、実務経験に長けていて押すところ、引くところが実にうまい。なにしろ、後で担ぎ上げられたとはいえ独立騒ぎの首謀でありながら、裏で手を回して下野しただけでお咎め無しだ。まったく凄い人物だよ。そんな人物だから主席になれば、下心を探られて足を引っ張る奴も出てくると判断して首相に収まったんだよ。それに、日本とも複数のチャンネルを持っている。最初の数年、上手く手を引いてやれば一人で歩き出せるよ。そら、薩鎮冰首相の演説だ。」
  
  薩鎮冰首相は、軍閥の長であるが、海軍出身という変わり種である。倭寇時代から幾多の海賊を生んだ土地柄か、元々福建省は、高位の海軍軍人を輩出している。日本から、中古の哨戒艦や駆潜艇を貸与されたことで、編成が進んでいる小規模な海軍には似つかわしくない、提督達や、熟練下士官・水兵が犇めいている。この人材の引き抜きだけで、奉天政府にはかなりの打撃のはずだが、海軍に疎い奉天政府の首脳がその意味することを知るのはまだ少し時間がかかる。

  薩鎮冰首相の演説に続いて、元19路軍と海援隊に所属していた福建出身者などからなる福建国軍のパレードが始まった。見覚えのある素質、素行の悪そうな軍閥の兵士とはまったく違う雰囲気、中国民衆からは近未来的といってよい軍装に群集は歓声を上げた。兵士もにこやかな表情で群集に答える。民衆と同じ心情を持った国民軍であるという意思表示である。
「福建には水軍の伝統はあるが、陸軍は人材不足だ。あれは張り子の虎だ。」松岡は冷徹に言い放つ。
「グーススッテプをしないから?」龍は悪戯気に聞いた。
「俺はグースステップをする軍隊は嫌いだ。」と松岡はツッコミどころ満点の返事をする。問題は「越軍の進撃」と紹介されたパレードの曲である。確かに軍歌としてはぴったりだが、史実の中国国歌「義勇軍進行曲」そのままなのだ。
「国歌まで掠め取るんですか?」龍はいささかあきれ顔である。
「人聞きの悪いことをいうな。史実の中国国歌だって、映画の主題歌をそのまま持ったきたんだ。こっちはちゃんと、映画音楽にならないようにして工作してから作曲家に使用料を払って許可を貰ってるんだ。まあ、金の出所は外務省の機密費だが・・・。」松岡がぶつぶつ言っていると、新政府の総司令官が登場した。
「奇手一番。こんなこともあろうかと。とは外交官も言って見たい台詞なのだよ。さあ、蕭叔宣陸軍総司令官から副総司令官の紹介がある。」

  陸軍副総司令官の登場に、広場に集まった群衆は一瞬静まり返った。そして、雷鳴のような「おおおぉぉ。」という驚愕の声が発せられた。マイクの前に進み出てきたのは、いかにも南国の軍隊と言った、薄いカーキ色の軍服を、モデルのように着こなした品のいい、そして、飛び切り美人な女性である。

「王瑜(ワンユ)さん!まさか。」龍は両手を口に当てて言った。
「王瑜で間違いないよ。夕べは彼女との打ち合わせで遅くなったんだ。」松岡は、得意気に言った。
268. 名無しモドキ 2011/05/20(金) 20:50:25
  王瑜は、福建出身の女性革命家、そして、清朝末期に若くして斬首という極刑に処された有名な秋瑾の忘れ形見である。史実の秋瑾は、二人の子をもうけながら、夫に愛想をつかして日本に留学した。日本で清朝打倒を画策するが、清朝 に荷担する日本当局の圧力に抗議して帰国する。憂鬱世界では、清朝の末路を知っている当時の夢幻会の画策で秋瑾たち、中国人留学生に対する圧力はなかったが、愛国の情を押さえきれない秋瑾は日本に感謝しつつも帰国した。この事態に、当時は、国益とともに義侠心で動くメンバー もいた夢幻会の何人かは、秋瑾を救おうと画策する。秋瑾は顔立ちの整った美人で、和服を着こなし、日本刀などの刀剣を愛して、いつも短刀を持ち歩いていたという「強面萌え」「スーパーツンデレ」の塊という女性だったこともある。
矢張り、決意の硬い秋瑾の帰国を止めることは出来ず、秋瑾は刑場の露と消えてしまった。

  この知らせは、秋瑾の帰国を止められなかった夢幻会メンバーの衝撃をもたらした。一時は、何をしようと歴史の流れは変えられないのかと絶望するメンバーもいたほどである。しかし、秋瑾に子がいたことを思い出した人物が、秋瑾の二人の子を、不甲斐ない夫を説得して日本に連れてくることに成功した。
  そして、その子らを在日華僑の大立て者であり、世話になった日本への恩返しにと、ため池と農地を自費で開発したほどの親日家の呉錦堂へ託して名目上の養子としてもらった。不幸なことに、日本に到着して一人の子は、健康状態に問題があり夭折してしまったが、王瑜という女の子は夢幻会と呉錦堂の庇護のもとで、無事に母親の秋瑾に瓜二つの美しい娘に成長した。

  夢幻会のメンバーは、もともとは王瑜を政治的に利用するつもりはなかった。しかし、王瑜は母親の留学先と同じ実践 女子大学の高等師範科に入学したころから、中国からの、特に母親と同郷の福建省出身留学生達のリーダー的な存在となり、新聞や雑誌の投稿欄に「福建独歩論」「先冨江南」「脱漢扶越」などの政治的な主張を送るようになった。
  論旨は、温暖で豊かな江南(王瑜は越という古地名を多用した)は、長らく中央政府の搾取にあってきた。この状態を憂える者は、独立した江南の誕生に力を傾注すべきである。中国全体の発展を望む者も江南が発展すれば、その余力で中国全体が豊になるのであるから、今は江南独自の発展に力を貸して欲しいというのもであった。後に「南方小中華主義」と呼ばれるものである。

  この「南方小中華主義」は、京都帝國大学が派遣して、史実よりも数十年前に発掘した、黄河文明に匹敵する長江文明の河姆渡(かぼと)遺跡での成果が大いに影響している。長らく、中華文明の中心地黄河流域からは、僻地と蔑まれていた南方地域は、黄河文明に対抗する文明を誇っていた。それは、楚・越といった国々になり、我々はその末裔で、黄河文明の担い手とは異なった集団であるという意識も芽生えである。河姆渡遺跡の遺品や福建での類似した遺物の発掘成果は福州や厦門で公開展示されて、知識層以外の庶民階層も大いに刺激していた。

  龍は実践女子大学高等師範科の二年先輩にあたる。龍は王瑜に興味を持ちよく実家に招いていた。また、王瑜の美貌に感心していた龍は、中々、自分の考えを取り上げてくれるマスコミが少ないと言う王瑜に一計を与えた。投稿文とともに写真を同封して送らしたのである。
  この策は効果的で、数種の雑誌や新聞に、写真入りで王瑜の主張が掲載された。また、ある新聞社の記者が取材にきて、王瑜が秋瑾の遺児でることがわかると、政治的な主張に関係ないような、画報系の雑誌も王瑜のことを(もちろん写真入りで)取り上げるようになった。やはり、美人にこしたことはない。

  王瑜は大学を卒業するころには、母親の故郷である故郷の福建でも、講演会をしたり、出版活動をするようになった。時を経ずして、その美貌と悲運の最期を遂げた郷土の革命家秋瑾の娘という宣伝効果に加えて、分かり易く自分達の自尊心を満足させてくれて、中央政府への不審を話してくれる王瑜は、福建では知らない者のいない人物になった。
  1935年に、アメリカで福建省出身者のための公演と資金援助を募ったときは、折しも渡米していた、蒋介石夫人の、宋美 齢(かなりの美人である)を差し置いて、王瑜の写真を掲載した新聞がいくつもあった。美人はトクである。
269. 名無しモドキ 2011/05/20(金) 20:53:57
  王瑜はこのころ蘇錫文という男性と知り合う。史実では、南京国民政府(汪兆銘政権)の要職を歴任した軍人である。「憂鬱世界」では、蒋介石政権で駐日大使館付武官をしていた時に、奉天政権が成立したためにその職を追われて、故郷の福建で閑居していた。龍は、この二人の関係の経緯を知っており、かなり諫言もした。そして、龍の心配通りに、王瑜に子が出来た後で、妻子のいる蘇錫文は彼女と別れた。王瑜は、自分で子を育てると公言して、以降、母親として子の面倒を見ている。これは、革命のために遂に自分達姉妹を構うことのなかった母親秋瑾への意地でもあるというのは龍の説である。
  通常ならば、かなりのスキャンダルである。いくら福建が先進的な地域とはいえ1930年代の中国である。ところが、王瑜の子を育て母親としての務めを果たしながら郷土のために、政治活動を行う姿は民衆に支持された。
何事も美人はトクである。

「王瑜は確かに、扇動家や政治家としては資質があるかも知れませんが、軍人の資質があるとは思えませんよ。あれでは王瑜は見せ物ですわ。人寄せパンダじゃあるまいし。」演説を始めた王瑜を見ながら龍はぶっきらぼうに言った。
「お前の言葉とは思えんな。何も、表だって戦争するばかりが軍人じゃないさ。そう、お前の言うように、王瑜には人寄せパンダになってもらった。」松岡は満足そうに返事した。

  龍は学生時代や、その後の付き合いで、王瑜から多少の中国語「正確には福建語方言の閩語」を聞きかじっていたこと、福建に来る前に特訓したこと、わからない部分は秘書官が補ってくれたおかげで王瑜の言っている内容が聞き取れた。

「わたしたちの、故国である福建、いや、周辺も含め数千年の昔から文明が栄えた大越の地を、北夷(ここでは北部中国の漢族のこと)から守るために銃を取って戦う者を募ります。よそ者に、我々が得た収益を持っていかれることが嫌な皆さん、自分を、家族を、我らの豊かな土地を守りましょう。数百年来この地に居住し根付いた客家(黄河地域からの移民)の皆さんも我々の同胞です。ともに我々の稼ぎを北方人にかすめ取られないように頑張りましょう。軍隊の経験のある者は、月120元、ないものは月100元(下級職人の月収並だが衣食住がついている)、経験を積めば月200元の給与が保障されます。また、戦死者には家族に、1800元の一時金、10年間は給与と同額の年金が出ます。退役する負傷者にも、500元以上の一時金と程度に応じて年金が出ます。希望する独身者には、政府が、素敵な女性を集めて、お見合い会を開きます。それから・・。」

「なんか、すごく下世話で、現実的な話をしているのに感動的に聞こえますね。なんか、涙が出てきそうですわ。」龍はハンカチで目頭を押さえながら言った。
「それが、扇動家としての王瑜の才能だよ。群衆も聞き入っているだろ。まあ、一年後には、給与分の仕事はする陸軍を育て上げなければならないからな。暫くは、福建の諸君に王瑜の演説で充電してもらうさ。」松岡は、妻にも面目が立ち満足げである。群衆は、我を忘れたように王瑜の一語一句に聞き入っている。絶対的に美人はトクなのである。

  王瑜が各地を遊説したこともあり、この日以来、30万人近い兵役志願者が福建全土から集まった。財政面から少数精鋭を標榜する政府は選抜して適格者のみを集めることにしたが、落選者が納得しないため、急遽、年間、数週間の軍事訓練を行うパートタイムの郷土防衛隊をつくることになった。

「さあ、式典が終わりましたら、夜は祝賀会ですわよ。・・その前に、今朝方、マウテンバット卿夫人とアフターヌーンティーのお約束をしましたの。アメリカ公使夫人もいらっしゃいますの。貴方も少しお時間取れませんか。」
「お前は元気だな。」松岡は、本格的にハンカチで汗をぬぐいながら疲れた声で言った。
「お付き合いは私の仕事ですから。」

策士、松岡洋右も、妻の龍が情報局委託の情報提供者であることは知らない。

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最終更新:2012年08月06日 18:24