154 :名無し三流 ◆Mo8CE2SZ.6:2012/09/22(土) 17:32:59

 ―――――なんでこんなに人がいるんだ?
           ―――――一週間前に求人広告を出した町工場の工員


               提督たちの憂鬱 支援SS
                  ~工業狂想曲~


 今や多くの歴史家が、日本の勝利を自然災害と優れた兵器の賜物と信じて疑わない日米戦争。
この戦争の後、日本国内ではにわかに工業に対する関心が広がった。新聞やテレビには連日軍事や工業の専門家を名乗る者が出て、
いかに日本の工業精度が優れているかとか、いかに日本の兵器が洗練されているかなどといった事を解説していた。

 これらの報道によって、軍需産業を中心とする工業への人気は燎原の火のように日本全土へ広がり、
三菱、倉崎を始めとする軍需担当企業では求人を出せば2倍、3倍の応募が集まるのは当たり前、
特に活躍の著しかった航空機関連などは競争率が5倍になる事も珍しくなかった。
ただ、求人側が嬉しい悲鳴を上げたかと言えばそうでもなく、採用試験の規模を拡大せねばならず、
また"製品"の性質上、国の情報局との連絡も加速度的に増し、結果、人事部は不夜城と化した。


 騒動はこれだけに留まらない。


 戦中から急激にメイド・イン・ジャパンの人気が高まっていた事で国内産業が活気付いた事で、
各地で人手不足が発生し、日本の雇用業界―――特に製造業の―――が売り手市場に大きく傾いたのだ。
さらにこの余波として、子供達を少しでも給料、待遇、何より世間の評判の良い仕事に就かせたいと思い、
自分の子供へ進路を工学系にするよう強い働きかけをする親がにわかに増え出した。

 造船所や兵器・武器の工場で働くのが一番お国のためになって、しかもお金になる。
戦前の圧迫と戦後の躍進のギャップから、特別教育を受けていないにも関わらず愛国心を強めた人々は、
このような事を口にするまでもない常識として共有していたのだった。

155 :名無し三流 ◆Mo8CE2SZ.6:2012/09/22(土) 17:33:55

 その反動が、大学工学部の倍率高騰と他の学部・学科への向かい風となって現れるのに時間はかからなかった。

 物理学は、日本が世界で始めて使った"新型爆弾"がどうやらこの学問に由来しているらしいという、
正確さを著しく欠いたマスコミの報道のおかげで被害は少なかったものの、科学のもっと基礎的な分野、
特に数学や素粒子など、"とても難しそうで具体的な効能が分かり辛い"分野への逆風は酷いものとなっていた。


 勿論元からその道に進もうと考えている者はいたが、研究のスポンサーが付きにくかった。
多くの企業が自分達の事業拡大に追われる中、株主達にその意義を伝えにくく、派手さもない基礎学問に、
あえて資金を出そうというパトロンは少数派だったのだ。

 これに危機感を抱いていた政府や夢幻会も支援するには限界があり、国民の関心が高まったおかげで、
電子工学や重工業が彼らの強い意志が無くても発展する傍ら、それの支えとなる筈の基礎分野は停滞しつつあった。
この傾向に手を焼いていた夢幻会のある最高幹部などは、「クォーク発見の前にイージス艦が就役しそうだ」
などと冗談を交え嘆いていた(クォークは1968年に存在の証拠が見つかった。イージス艦初就役は1983年)。


 この問題の最も厄介な所の1つは、将来熱意を持った優秀なエンジニアが多数社会に出る事が約束されたという所だ。
それ自体は非常に魅力的で、夢幻会、そして後に日本帝国そのものの戦略大綱として組み込まれた、
"他国に対する技術的優越の保持"の大きな助けとなるものだった。事実後に"工学世代"と呼ばれる彼らは、
多くの実用超音速機の開発や、回転翼機の急速な発達、コンピューターの高性能化などの原動力となって、
"技術の日本"の名を世界に高め、同じく技術大国であるドイツと激しくしのぎを削っている。

 そのため過度の拡大主義や最終戦争論など危険思想の蔓延を抑える事ができた夢幻会も、
この"技術偏重志向"に対してはなかなか有効打を打つ事ができず、苦しい戦いとなったのだった………


                  ~ f i n ~

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最終更新:2012年09月22日 23:55