763 :名無しさん:2011/01/04(火) 20:07:23
名無しモドキ様が放置状態のフィリピンSSとの事なので、
ちょっと対抗心を出してアメリカ東海岸SSを投下したいと思います。

例によって粗が多数あると思われorz





提督たちの憂鬱 支援SS「サウンド・オブ・ミュージック」



「おい、その缶詰は俺が見つけたんだろ!!」
「何言ってやがるバッキャロー、俺が先に手に取ったんだから俺のだ!!!」

 アメリカはニューヨーク、かつて摩天楼と呼ばれた地域。
うず高く積み上げられた瓦礫の山の中程で、大の男が泥にまみれたコーンの缶詰を奪い合っていた。
"某、悪の組織が起こした"大津波直後のアメリカ東海岸ではよく見られた光景である。


「・・・この津波による被害の値を正確に出す事は最早不可能です、知事。
 現在、こちらの指示に従って動ける関係者は僅かしかいません。
 噂によれば、州警察や州軍の中にまで掠奪行為に手を染める者がいるとか・・・」

 州都オールバニの州庁舎で、担当者は州知事のトーマス・デューイに報告する。
担当者は感情を表に出さないよう必死だったが、痩せた頬からはもう何日も碌に食事を取っていない様が伺えた。
報告を聞くデューイもデューイで、相当やつれている。

「各州からの支援が期待できない以上は、我々だけでもできる事はしなくてはいけません」

「そのぐらい分かっている。備蓄食料の放出や州で所有する建物の開放・・・
 この庁舎だって、必要な部屋以外は病院施設や家を無くした人々の避難所として使っているんだ。
 これ以上何かするのであれば、物資の不足という問題は避けては通れん」

 このやり取りも大津波の後にはよく交わされたものである。
この会話の後に、デューイと担当者らが別々なルートで他の州などに支援を請い、
向こうから「我が州も苦しい」等と言われてがっくりと落ち込むのがお決まりのパターンだった。

764 :名無しさん:2011/01/04(火) 20:07:56
「空腹はある程度持たせる事ができるが、人心の荒廃は待った無しだ。
 今のアメリカ人には食べる物、着る物だけでなく希望さえも無い。
 前者2つの確保が絶望的なら、せめて何とか希望だけは」

 しかしながら毎回同じやり取り、同じ展開では事態は好転しない。
広告ポスターの裏に書かれた被害状況の報告を片手に、不幸な知事は嘆息した。


Let tyrants shake their iron rod,
And Slav'ry clank her galling chains...


「・・・何だ?」

 ふと窓から入ってきた歌声にデューイはしばし目を瞑り耳を傾けた。


New England's God forever reigns...


「これは賛美歌・・・チェスターか。」

「最近、教会の方で人を集めて歌っているそうです。
 "元教会"と言った方が正しいかもしれませんね、心無い人々の掠奪や泥棒の被害を被っていたので。
 ですが、あの津波から普段来ない人まで祈りを捧げに来るようになったと神父はおっしゃってましたよ。」

「そうか・・・まあこんな状況だ、神に縋らない方がおかしいかも知れないな。
 逆に神さえ食い物にして生き延びようという連中もいるが」

「暫定政府なんかよりはよっぽど頼りになるかも知れませんね・・・」

「的確すぎて笑えん冗談だな、それは」

 担当者は部屋を出た所で出来る事は無いので部屋を出ようとしない。
知事も彼には次の指示を与えたい所だったが、八方塞がりの状況で何も言えずにいた。
そんな彼らの心を慰めようとするかのように、窓からは別な賛美歌が聞こえ始めた。


「歌・・・か」

「どうされました?」

「アメリカ国内で活動している歌手や合唱団に連絡を取ってくれ。
 可能な範囲で良いが、できる限り早くにだ。」


 この時点でデューイはいつ来るか分からない支援の事を考えるよりも、
着実に進行しているモラルハザードを食い止める為の方法を考えるようになっていた。
何しろここはアメリカ、住民の中には武器を持っている者が多数いる。
やろうと思えば反乱だって起こせるのだ。州軍からも暴徒に加わる者が出かねない中で、
デューイはある事を思いついた。

765 :名無しさん:2011/01/04(火) 20:08:27
「私達に歌って欲しいと?」

「そうだ。例の津波で壊滅したニューヨークで、慈善音楽会をするらしい」

 津波の直接的被害が比較的少なかったバーモント州ストウの農場で、
ゲオルク・フォン・トラップはニューヨーク州知事トーマス・デューイからの手紙を片手に妻マリアへ伝えた。

「・・・政治的な意図に利用されるのは、もうたくさんなのだがな」

 ゲオルクは顔全体で不愉快だと主張しながら言う。
ゲオルクらがアメリカへ亡命した理由が、祖国オーストリアを併合したドイツ第三帝国が
ヒトラーの誕生日に彼の一家――『トラップ室内聖歌隊』に祝福の歌を歌うよう要求されたからだ。
彼としては、政治的な団体から歌を歌うことを求められるのは御免だった。

「あなたの気持ちも分からなくは無いわ、ゲオルク。けれど彼らはナチスとは違うわ。
 それにニューヨークの人達は悲惨な目に遭っているのでしょう?」

「ああ。それどころか東海岸は全て廃墟と化したそうだ。
 手紙には、ニューヨークでは窃盗や掠奪が横行し、教会までその対象になったらしい。
 人心の荒廃は日に日に酷くなり、もはや大暴動発生の一歩手前だと書いてある。」

「・・・・・・」

 人はこうも簡単に倫理を、信仰を捨てられるのか。
マリア・フォン・トラップにはその手紙に書いてある現状が信じられなかった。
そして、彼女は決意を固めた。


「行きましょう、あなた。彼らを放ってはおけないわ」

「危険すぎる!私は君を・・・君と子供達を危険に晒すような真似はしたくない」

「隣に死にそうで苦しんでいる人達がいるのにそれを無視するの!?」


「・・・・・・分かった、もういい。
 これ以上言い合っても時間の無駄だ・・・」

 気の強い妻の一喝にゲオルクはとうとう降参した。

「荷物の支度をしよう。車で辿り着けるかは分からないが・・・」

「車が駄目なら歩けばいいでしょう。子供達だってそんなにやわじゃないわよ」


 ゲオルクが子供達に荷物の支度をするよう伝えに行く傍らで、
マリアも自分の荷物を整頓しながら頭の中に考えを巡らせていた。

(きっと今頃ニューヨークの人たちは絶望に打ちひしがれているわ。
 悪事を働く人たちも、希望を失ってそんな行為に走っているのでしょう。
 ・・・彼らの心に光を取り戻せる歌・・・)


 知事からの手紙には、曲目は委任すると書いてあった。
一家――『トラップ・ファミリー合唱団』の中では最初、有名な賛美歌幾つかに、
フォーク・ソングを織り交ぜて行こうという案が有力だったが、彼女は満足していなかった。

(どんな苦しみにも負けない、どんな障害も乗り越える、
 そんな歌・・・いっその事私達で作ってしまおうかしら)

766 :名無しさん:2011/01/04(火) 20:08:57
 そして、忌まわしき津波の日から一ヶ月半と少々。
ニューヨーク州主催の慈善音楽会『サウンド・オブ・ミュージック』が始まった。

 オールバニ州庁舎前で開かれたこのコンサートには数千人規模の人々が詰め掛けた。
目の前の苦痛から逃れたい人、歌より食い物をと叫ぶ人、掏り・・・等等で会場はごった返し、
その様子はさながらデモでもしているかのようだった。

 初めはプロの人を呼ぶ予定だったのが、津波の混乱でその多くの行方が掴めなかったり、
東海岸の現状を理解できていないマネージャーら(主に西海岸、内陸部)に「こんなギャラで」と言われたりで、
音楽会に参加した有名どころはトラップ・ファミリー合唱団のみ、後はアマチュアや歌、楽器好きの素人が中心の、
ある意味『のど自慢』チックな様相を呈していた。

 しかしそれでも、多くの人々は演奏が始まると静かに耳を傾け(空腹で動けない/動きたくないのもある)、
演奏が終わると質素なステージ上にいる演奏者に惜しみの無い拍手を送った。
皆、明るい話題に餓えていたのである。休憩時間の間も「あの歌手は良かった」「いやあの人の方が」
と、口々に演奏の感想を話し合って、和やかなムードが漂っていた。
中にはトランペットで一人『星条旗』を演奏する者もおり、
聴衆は近所から持ち寄ったアメリカ国旗を掲げながら聴いていた。


 この音楽会でトラップ・ファミリー合唱団はトリを務める事になっていた。
壇上にトラップ一家が上がると、以前フォーク・ソング等で評判になった事もあり皆の目が一家に集中する。

 聴衆が静まったのを確認すると、マリアとゲオルクが一歩前に踏み出し、静かに歌い始めた。


Climb ev'ry mountain...

Search high and low...

Follow ev'ry by-way...

Every path you know...


 続いて、子供らも夫婦と共に歌う。


Climb ev'ry mountain...

Ford ev'ry stream...

Follow ev'ry rainbow...


 彼らの歌は、聴衆の誰もが知らない曲であった。
しかし、その歌は皆の耳によく馴染み、そして素晴らしい歌詞だった。


「・・・"全ての山に登れ"、か」


 ステージのすぐ前に座るトーマス・デューイは呟いた。


 一家の合唱が終わった時、会場は静まり返っていた。
そして、誰かが立ち上がり「グゥレイト!!!」と叫んだのを皮切りに、
会場にいた皆が総立ちになって口々に賞賛の言葉を叫んだ。

 最早そこに心のささくれ立った者は一人も無く、
人々は目を輝かせながら一心同体になって拍手を贈っていた。


「コンサートは大成功でしたな・・・」

 部下の一人が知事へ言葉をかける。

「ああ・・・彼らには感謝しなくてはいけない。
 あの歌こそ、今の私達に最も必要な物だったのだ・・・」

 デューイも目に涙を湛えながら答えた。
いや、聴衆の誰もが涙を流していた・・・

767 :名無しさん:2011/01/04(火) 20:09:28
 その後、ニューヨーク州では犯罪行為を働く人数が(東海岸の他州に比べればの話だが)激減。
自分の生活を守るのに必死だった者達の間でも次第に互助意識が生まれ始め、
最終的には瓦礫の撤去や限られた食料の分配等も州に頼らず、自力で行えるまでになっていた。

 それはまさに、未曾有の大災害からの復興という"山"をアメリカ人が登り始めた瞬間だった。


 だが、この流れがやがて思わぬ方向へと向かっていく事になる。


 州が色々な手を尽くして生活環境の改善に努める一方で、
何の有効な手も打たない暫定政府に対する怨嗟の声が噴出し始めたのである。
『フロンティアスピリット』を旨とするアメリカ人にトラップ一家の『全ての山に登れ』の歌は、
正にお似合いの一曲だった。が、瓦礫の山、死体の山、絶望の山を乗り越えようとしていた彼らは、
とうとう暫定政府をも『乗り越えるべき山の1つ』として認識してしまったのだ。

 そして、食料や衣類、寝る所を求める暴動を食い止められたと思っていたトーマス・デューイ知事は、
今度は反政府の動きに頭を痛めなくてはいけなくなってしまったのであった・・・


         ~ F i n ~

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最終更新:2012年11月11日 01:15