5. ham 2009/03/21(土) 17:09:22
作者  辺境人

<提督たちの憂鬱  支援SS>

  昭和8年(1933年)。カムチャッカ某所。

  見渡す限り雪に覆われた銀世界の中、甲高いエンジン音が響いていた。
  白い冬季迷彩の施された防寒着に身を包み、短機関銃をハーネスで肩にかけた軍人たちが真剣な目でエンジン音を響かせる物体を観察していた。立っているだけなのにその身にまとう雰囲気はそこらの新兵など比較にもならない歴戦の兵といった空気を放っている。

  日本帝国陸軍冬季戦闘教導団、通称<冬戦教>。

  日露戦争前、夢幻会の一員であった山口?少佐を責任者として創設された実験大隊が原型であり、戦後樺太北部やカムチャッカ半島など北海道と比べても更に気候の厳しい地域を領土としたことから北海道や樺太、そしてカムチャッカに配備された師団には(地域によって部隊規模に差はあるが)必ず編成される北の精鋭部隊の代名詞であった。同じ仮想敵(ソ連)を持つ同志として水面下で色々な関係を結んでいるフィンランドなどから教官を招いてスキー部隊を創設したり冬の厳しい地域での戦闘やサバイバルなど様々な技術が研究され、その成果を他の部隊へと伝達することを任務としている。

  冬戦教は実験部隊でもあり、試作兵器の運用試験もまた受け持っていた。耐寒試験が主であるが、時として冬季用の専門装備を現地で開発し、試験が繰り返されることもある。
  そしてこの時、雪原を雪煙をあげながら軽快に疾駆している試作品も制式化されれば北国の部隊にのみ配備される特殊装備であった。

「機動性は問題ないな。乗員以外に50kgの重りを載せてあれだけの速度が出せれば歩兵では追いつけん。バイクとは操作性が違うので少しとまどったが、いっそバイクの操縦経験の無い者の方が習熟するのは早いかもしれんな」

「エンジンはハーレーの物を流用してますがオイルの方もアメリカ製の不凍オイルを使っているせいか今のところ問題はないようですね。まぁ厳冬期のカムチャッカだと野外に一晩放置するだけで燃料自体が半ば凍りかねないので無理は禁物ですが……」

  士官とメーカーから出向してきた技術者が意見交換をしながら真剣に観察する物体、軍で六試軽雪上車と名付けられたそれは後の世にスノーモービルと呼ばれる車両であった。

  史実でスノーモービルの原型が作られたのは1922年、商品としてある程度完成した物が作られたのが1936年。発明者ジョゼフ・ボンバルディアはスノーモービル販売の会社を興し、後にその会社はボーイングなどと並んで世界でトップ3に入る民間航空機製造会社、ボンバルディア・エアロスペースと発展していくことになる。
  だがこの当時はまだカナダに住む一介の修理工場主でしかない彼を倉崎工業が破格の待遇でスカウトし、スノーモービル開発の責任者に抜擢したことでそうした未来の可能性はほとんど無くなっている。
  小さな修理工場で民間人が副業として開発していた時に比べれば桁の違う予算と多くの人員で開発されたスノーモービルは史実よりも早く開発完了し、すでにこうして最終試験段階まで完成していた。
6. ham 2009/03/21(土) 17:10:02
  激しい発砲音が響き渡る。2両の雪上車がそれぞれ片手でハンドルを握り疾走しながらながらもう一方の手で銃を発砲していた。片方は制式化されてまた数年しかたっていない世界初の突撃銃である八九式小銃、もう一方は短機関銃を発砲していた。見る者が見ればそれがドイツ軍が第一次世界大戦に開発したMP18だと気づき、更に詳しい者は細かな改良点を見て取っただろう。

「やはり操縦しながらの射撃だと八九式のような小銃では無理があるな。反動の少ない短機関銃でMP18よりも軽いものがあれば良いんだが」

「二人乗りなら一人が射撃に専念することも可能でしょうが……まぁそれは部隊編成の問題ですね」

「後は音だな。雪原ではエンジン音が遠くまで響く。これでは隠密作戦は難しい。ある程度の距離まで接近したなら残りはスキーで移動した方が安全かもしれん」

「それでも上りの斜面を高速移動できるのはスキーには無いメリットです。それに民間用の車両としても豪雪地帯で高速移動できるというのは今まで冬は孤立するしかなかった田舎の寒村などでは、これがあると無いとでは全然違いますよ」

「そうだな、民間用としてならこのままでも問題ないだろう。軍用としては長い時間をかけて使い物になるかどうか試してみることになるだろうが今のところ十分見込みはある。」

  試験の責任者に任命された士官は半ば確信していた。平野なら無限軌道の装甲車両の方が有利だろうがシベリアやカムチャッカのような針葉樹林の森の中では小回りのきく雪上車の方が有利であり、ソ連軍に比べて数で劣る日本軍としてはこうした少数で敵を撹乱できる装備が絶対に必要なのだと。

  後に九四式軽雪上車として制式化されたスノーモービルはカナダやフィンランドなどの日本と友好関係を結んでいる北国に輸出された。特に冬戦争の勃発時には数百台がフィンランドに日本製の兵器と共に援助品として追加輸出され、フィンランド陸軍の精鋭部隊であるシッシ部隊(スキー部隊)の手により史実以上の活躍をすることとなる。その活躍が日本に伝わるやソ連との国境警備のため欧州に派遣されず無聊をかこっていた冬戦教では祝杯が挙げられたという。
  後方撹乱や遊撃といった特殊部隊的な任務を専門とする九四式軽雪上車を駆る部隊が増強され、冬戦争の勇士たちにあやかって雪上騎兵の異名がつけられることになるのは更に後の話であった。

<完>
7. ham 2009/03/21(土) 17:10:37
<兵器設定>
九四式軽雪上車(輸出商品名:「ボンバルディア?」)
全長:3.2m  全幅:1.2m  全高:1.4m
全備重量:400kg  最大積載量:170kg(乗員含む)
乗員:2名(荷台に搭乗時)  エンジン:空冷ガソリンエンジン15馬力
<解説>
エンジンはハーレーダビットソンのバイク(陸王)のエンジンを流用するなど大量に輸出販売できる見込みは小さいために既存の部品や技術を可能な限り流用して開発されているが個人レベルの開発に比べれば予算の桁が違っていたため史実で販売されたB7よりは性能は上であった。輸出商品名に開発者であるボンバルディアの名前が取られたのはその功績を称えるだけでなく、史実通りなら企業オーナーになったはずの彼を単なる技術者で終わらせてしまったことの罪悪感からでもあった(なお、彼は後に倉崎工業のカナダ支店で重役として抜擢され、現地でスノーモービルの改良に勤しむこととなる)。輸出商品としては雪の厳しい北国でしかも冬しか使えないということもありそれほど大量には売れなかったが世界に先駆けて開発成功したことにより特許の取得などでスノーモービルの販売をしばらくの間独占することができたため利益はそれなりにあげられた。なお、仮想敵たるソ連でも帝政時代から類似の兵器としてプロペラソリが開発されていたが航空機のエンジンを利用したプロペラ推進であったため速度は出たが大型自動車並の大きさになり小回りが効かず盛大に雪煙をあげてしまうため雪の森林地帯などでのゲリラ戦を想定していた九四式とはほとんど遭遇することは無かったという。

ベ式短機関銃(MP18改)
口径:9mm(パラベラム弾)  装弾数:32発  銃身長:820mm  重量:4kg
発射速度:毎分500発  作動方式:オープンボルト方式・ストレート・ブローバック
<解説>
第一次世界大戦後、9mmパラベラム弾の生産ラインをドイツからそのまま移植導入した日本だったが、当時9mmパラベラム弾を使用できる銃器を日本は保有していなかった。そこで賠償の一環としてルガーP−08拳銃と共にMP18短機関銃を大量に日本に持ち帰り将来9mm規格の銃器が開発されるまでの繋ぎとして採用した(世界大戦時に苦戦したドイツ軍の装備ということで感情的な反発はあったが、その性能に関しては身をもって知っていたため批判は少なかった)。だがMP18も傑作とはいえ短機関銃が発明されたばかりの黎明期の兵器のため不具合や問題点もあり、将来の短機関銃開発のために徹底的に研究され簡易な改良が施された。改良点はドラムマガジンの廃止、ストックの折り畳み化など主に軽量化が重視されたもののさほど銃本体の軽量化はできなかったが重量のあるドラムマガジンからバナナマガジンに変えたことで装弾状態での軽量化には成功した。なお、冬戦教部隊が装備しているのは低温を考慮してグリップ部やストックを木製にしたバージョンである。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2011年12月29日 20:11