236 :ひゅうが:2012/12/08(土) 00:46:07

提督たちの憂鬱支援SS――「比翼連理」



――西暦1944(昭和19)年1月13日 北太平洋上空


「ヤタガラス!ヤタガラス!応答されたい!ヤタガラス!!」

杉田庄一少尉はマイクに向かってそうがなりたてていた。
彼の顔は、今彼らがいる成層圏の青空なみに蒼白である。
昼間でもこの高度からは星が見える彼の視力は、桁のない涙滴型キャノピーの効果もあって眼前で発生しつつある危機をありありと捉えていた。

銀色のジュラルミン地の上に鮮やかな日の丸と、機体後半の3分の1や垂直尾翼を染め抜いた群青が美しい6発機は大きくバランスを崩し飛行コースを外れつつあった。

無線符丁ヤタガラス。

またの名を日本帝国政府専用機。

先日の対墨戦で「核攻撃」という鮮烈なデビューを飾った倉崎3式戦略爆撃機「富嶽」の旅客機型であるこの空の鯨は明らかに異常な状態にあるのだ。
数分前に、無線の向こうから苦しげなうめき声が響き、長距離護衛任務の関係上、状態を訊いた杉田に応答はなかった。
悲鳴、あるいは絶叫。返される言葉は意味を為さない。
ただわかるのは、操縦士と副操縦士が泡を吹いて倒れていること。機関士も状態が悪いこと。
そしてそれを客室乗務員や同乗の武官が見つけて慌てていることだった。


杉田は、頭を覆っているプラスチック製ヘルメットをどこかに叩きつけたい気分だった。
今、あの『ヤタガラス』には総理が、嶋田首相たちが乗っているのだ。

サンタモニカでヒトラーやあの英国人とやりあっている中、政府は一種のデモンストレーションとして新鋭の「富嶽」を用いた太平洋無着陸飛行を計画。
それに則り、数時間前に北米大陸を飛び立った『ヤタガラス』は護衛戦闘機8機をひきつれ真珠湾基地から発進した空中給油機と会同しつつ大圏航路を抜けて現在はアリューシャン列島南方を飛行中である。
緊急着陸できる飛行場は数百キロ先の神坂(カムチャッカ)にしかない。

二重反転プロペラを採用しているから即座に機体の姿勢が崩れることはないが…


「ヤタガラス!機体を立て直せ!ヤタガラス!!」

くそ。
機内にはほかに操縦可能な人間はいないのか!?
同乗している武官は軍政畑の連中だけだし、文官たちはそれなりの年齢以上の人間は操縦士免許なんてもっている奴はいるわけ――

杉田がさらに焦り始めた、そのときだった。


『こちらヤタガラス。操縦を引き継いだ。』

雑音の少ない日電製無線機の向こうから、明らかに女性のものとわかる声が響いてきた。

「は?」

思わず杉田はそんな声を上げてしまった。

237 :ひゅうが:2012/12/08(土) 00:46:38

『機関状態は?』

そんな杉田に無線の相手はクスリと笑ったあと、慣れた様子で誰かに向かい喋りはじめた。

『異常ない。少し油圧が乱れたが出口計も油温計も正常範囲内だ。』

少し疲れた様子だが、どこか面白がるかのような男性の声が聞こえてきた。
杉田はその声に聴き覚えがあるような気がした。

『了解(ラジャ)。航法電波再補足。少し針路が乱れているけど千歳基地へ緊急着陸する?』

『いや、油は十分だ。それよりこのまま成田基地へ向かう方がいいだろうよ。』

肩をすくめるような男性の声。
杉田はその声に思い至り、思わず叫んでしまった。

「し、嶋田総理!?」

『おう。』

無線の向こうから、発進前に声を聞いた嶋田繁太郎首相の声が響いてきた。

『こら、今は機関士兼コパイ(副操縦士)でしょう。』

『おっとそうだった。割り込んですまない。「機長」?』

拗ねるような女性の声に、杉田は顔をひきつらせた。
あの機体に女性は数人が乗っていた。だが操縦ができる人間などいただろうか?いや、まさか…

態勢を立て直した「ヤタガラス」は杉田の乗る機体とほぼ同じ高度にまで上昇してきた。
そしてそのコクピットには、見間違うことはない嶋田首相と、彼と同年代正装した美しい女性がヘッドセットをつけてならんでいた。

機長席の彼女は杉田の唖然とした視線に気づくと、鮮やかな敬礼をしてみせた。

『嶋田淑子(よしこ)と申します。どうぞよろしく?』

「えええええっ!?」

それは、嶋田繁太郎の奥方の名前だった。


嶋田淑子。
旧姓を筑紫という彼女は、幼いころから勝気な女性であったという。
少女らしいことにはほとんど興味を示さずに父である筑紫熊七砲兵中将を嘆かせ、女学校では乗馬や武道を修めた。さらには女子師範学校在学中には夜道で襲われている同級生を守るために大の男9人ばかりをたたきのめし、それを知り怒る父親相手に薙刀で大立ち回りを演じる始末。
極めつけが、出かけた先で見かけた海軍の新米士官相手に「一目ぼれ」し、その日のうちに「私、結婚します」と言ってのけて両親を卒倒させた。

それもその筈。彼女は、生まれた頃にはすでに「ここではないどこか」で過ごした記憶を持っていた。
かつて――21世紀の航空自衛隊という名の組織で新型の大型4発機を操縦していた記憶。
そして某重工でその航空機を開発していたある人物とともに過ごした記憶。


      • 幸か不幸か、世界を隔てて二人は「再び」出会うことができたのであった。
なお、この件が由来してか、それとも情が深いと噂の妻が怖いからか、嶋田繁太郎は美しいこの妻を大切にしていると評判だった。
(この点で当時の一般的な海軍士官の『たしなみ』、芸者遊びを好んだ米内光正とよく対比される。)
もっとも、彼にいわせれば「前世と同じく、また喰われた…肉食系ってこわい…」とのことだが、そう言う彼の顔はどこか嬉しげだったという。

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最終更新:2012年12月20日 23:10