248 :SARU携帯:2012/12/28(金) 00:06:07
国旗ネタで一つ投下します
まあ意見の相違がありますので後日矛盾が生じた場合はパラレルパラレルといけいけゴーゴージャンプして下さい



将軍たちの憂鬱 国旗狂騒曲 ~考えない人々~



1944年某月某日 旧ルイジアナ洲バトンルージュ欧洲聯合軍共同租界内某所

「で、総統はこの提案とやらに賛同してはいないというわけだね」
国防軍上級大将の言葉に武装親衛隊大将はホップを口一杯に頬張ったかの様な表情を見せた
「親衛隊長官、宣伝相、軍需相、あと副総統も頭を痛めている」
「以前、どこかで自国の端に宗主国の意匠を取り入れようという話を知った時は自分の耳を疑ったが――」
「下には下が居た。そう云う事ですな」

その国はかつて独立していた時期があった。再びの独立を果たした時、列強の紐付きでも地域覇権を目指したのは当然の流れである。
最初は隣国に近い“敵性住民”を追い立て、次いで公然の後ろ盾となった列強同様の人種分類作業を行い、東西に版図を広げた。
北方も順調だった。スポンサーの要望で当面の進撃はそこまでとされたが、それでも勢いという物は恐ろしい物で両洲の過半を制圧した。
躓きの始まりは北の土人達が組織的抵抗を始めた事だった。大陸全土から追い立てられた彼等にはもう後が無く、何処からか集めてきた様々な武器で遊撃戦を仕掛けて来たのだ。
旧聯邦軍を再編した主力は他の要地へと出払っており、他洲からの白人難民を徴用した民兵が二線級部隊として治安維持をしていたが、後方へ浸透されて全軍の兵站に打撃を与えられる始末だった。
その国の政府(というよりその支持者)に泣きつかれた某列強は自国で持て余していた連中を派遣し、現地で旅団規模の特務部隊を編成した。後知恵ながらこれが最大の失策であったが。
その後については現在過去未来と想い出したくもない。祖国の首脳陣と現地関係者に頭痛の種と残務処理を提供し、北方からの全面撤退が行われた。
土人を支援したのは北西に隣接し且つ“以前の版図”が中央部を縦貫していた洲であるが、その向こうに西方の“大国”や更に大洋を越えた最大覇権国家が見え隠れしている状況ではどうにもならなかった。

249 :SARU携帯:2012/12/28(金) 00:08:42
とは言え一寸した“火遊び”に周辺諸勢力の耳目が集まっていた内に、自国はかなりの地域を切り取る事に成功した。一部を除いて名目は独立国家群だが、実質的には衛星国である。
一応以上の成果だった。

雲行きが怪しくなったのは列強同士での交渉が進んでからだった。その国が国号と国旗を変更すると言い出したのだ。曰く、国家社会主義共和國と左回りの萬字を意匠に含めると。
当人達にとっては犬の忠誠というか周辺に対して優位に立つ意図から出たのだが、それ以外から見ればこれ程露骨な保護国化は無かった。
近年独立を回復する予定の某小国を解体した手際を思い起こさせますなあ、と当て擦られた外務相の酒量が増大した。
冗談ではない。何の為に細心の注意を払って間接統治に腐心したのかと。

「奴さんは認めないだろうな」
武装親衛隊大将は自分を人がましくしてくれた人物を代弁した。それは国防軍上級大将も同意見だった。
「折角作ってくれたのだから、党旗ぐらいには――うん、認めないな」
独米軍団(DAK)軍団長エルヴィン・ロンメル上級大将は空々しい笑顔を向けた。
「お互い、宴の後始末は辛いですなあ」
武装親衛隊第一集団長ヨーゼフ・ディートリヒ大将はそうおどけつつロンメルの前を辞去した。その手に武装騎馬旅団『スティーヴン・オースティン』旅団長オスカー・ディルレヴァンガー“事故死”の報告書を携えて。

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最終更新:2013年01月04日 20:25