480. 名無しモドキ 2011/10/15(土) 23:18:00
アメリカではエドガー・R・バローズは「ターザンシリーズ」、日本では「火星シリーズ」が人気のある、SFっぽい冒険
活劇作家です。武部本一郎画伯の表紙絵で有名な「火星シリーズ」や「金星シリーズ」などを知っている人には・・とい
うお話で、多分盛り上がる話ではありません。バロウズが1930年代後半にハワイに移住して離婚したのは事実です。

「ハワイ沖海戦外伝」その3      −憂鬱世界におけるハワイのエドガー・R・バローズ−

−バローズ全集  最終巻  巻末の作家紹介文より−  1968年創元社刊

  バロウズは1938年3月に金星シリーズの最高傑作とされる「金星の独裁者(本全集第11巻)」を完成させた。このヒット
ラーを強烈に批判、そして完膚無きまでに叩いた娯楽小説については、日本の読者を考慮して執筆中から、日本人秘書の
猿渡真次郎に翻訳をさせるというシステムを試験的に導入して、早々に翻訳出版された日本では賞賛され版を重ねた。
  後書きでバロウズは行き詰まったり、表現に躊躇した時は猿渡の励ましが作品の推進力と勇気を与えたと謝辞を述べて
いる。事実、秘書の猿渡を常勤で雇用した頃から常套していた形容詞や副詞が多様化して表現に幅が出てきた。また、人
物の心理表現も月並みなパターンを脱して文学的な色合いが深まった。ただ、一部の編集者は平易な表現と読者層を考慮
して読者がついていける範囲での人物表現を行うべきだという意見を述べている。

  バロウズの表現の深化といった現象を差し置いて、「火星の独裁者」についてはアメリカではインディアンの視点で
白人の不正と絶望的なインディアンの戦いをえがいた1928年発表の「アパッチシリーズ(本全集第14巻)」以上の賛否
両論が渦巻いた。特に、当時アメリカである程度の勢力を誇った「親ドイツ団体」から強固な作品への批判がバロウズ
自身に対して浴びせられた。
  例えばターザンシリーズでは、ドイツ人が多かったが悪辣な行為を原住民に行う白人が登場する。また火星シリーズ
においてもヒロインが赤色族のプリンセスであったり、主人公を助ける黒色族の海賊が活躍するのに対して、かつて繁栄
を謳歌したが現在は滅び行く種族とされるのは白色族であるとされるなど以前から白人至上主義者には問題にされて出版
者にクレームが寄せられることは日常茶飯事であった。しかし、「火星の独裁者」出版以降は組織的な封書や電話による
クレームが多数バロウズ自身を標的に寄せられた。
  なお、ドイツ本国からはすでにターザンシリーズなど第一次世界大戦におけるドイツ軍が悪役にされているという名目
でバロウズは発禁とされ図書館のバロウズの本は焚書の憂き目にあっており無視された。しかし、200万人とも言われる
ドイツ人ファンのうち「火星の独裁者」の英語版を危険を承知で所蔵する者も多かったと言われる。

  この煩わしさから逃れるように、その年の5月に単身でバローズは二回目の日本訪問を行う。前回は出版社の招待であっ
たが、この時は、日本のファンクラブと紀伊国屋が合同で持ちかけた招待に乗って東京で一週間ばかり過ごすと自腹で日
本各地を観光した。この時は二ヶ月に渡って、最北はサハリンの大泊から最南は鹿児島桜島まで日本各地を巡った。この
時の様子は、サンフランシスコ・クロニカル紙に「太平洋の果て(本全集第21巻)」という題で紀行文を送っている。

  そして、7月の半ばに帰国の途につくが途中のハワイで、折角の処女航海を待って乗船した、後に「太平洋の女帝」と
称される豪華客船「樫原丸」を下船してしまう。友人に当てた手紙や新聞記者の質問には、ハワイの気候と料理に魅せら
れたことと、「金星の独裁者」への批判の沈静化を待つと言っているが、当時不仲が噂されていた妻のフローレンスに会
うことを嫌い、再会を少しでも先延ばそうとしたといのが有力な説である。
  先に記述したようにフローレンスはターザン映画の関係者であったアシュトン・ディアホルトの元妻で、1933年に33年
間の伴侶であった妻エマと離婚してまで1935年に結婚した女性である。しかし、結婚するまではフローレンスなしでは生
きる価値がないと吹聴していたバロウズは一年もたたないうちに、フローレンスに対する興味を急速に失っていく。
  さて、日本での滞在を二ヶ月も延長したうえにホノルルのホテルに居座ってしまったバロウズに業を煮やしたフローレ
ンスがハワイに乗り込んできたのは1939年の二月である。
481. 名無しモドキ 2011/10/15(土) 23:25:18
  一月間に及ぶ協議の結果、カリフォルニアのターザナ(ターザンにちなんだ地名)の邸宅をフローレンスに引き渡し残
りのターザナの土地と有価証券を処分して、その金額を折半することで離婚が成立した。離婚理由はバロウズの夫婦関係
を維持するための努力義務放棄とフローレンスに対する精神的虐待であった。この時に土地と有価証券を処分した資金で
バロウズはハワイに新しい邸宅を建てた。また猿渡秘書が見立てて購入したアンドリュー・ワイエスの絵画群などの気に
入っていた動産や美術品をハワイに移した。このことが後のバロウズの生活を救うことになった。

  1939年は私生活のトラブルのために、火星シリーズの11作目にあたる「火星の合成人間」(本全集第8巻)だけを書き
上げるが、戦後発表する「さいはての星シリーズ」のプロットに着手しているのと、1940年から定期的に地元紙のホノル
ル・アドバタイザーに掲載したハワイの民間伝承を元にした短中編集「ポリネシアの覇王シリーズ(本全集14巻)」の幾
つかの作品の下書きしている。
  ハワイでの生活が落ち着いてきた1940年3月にハワイのパイナップル王と呼ばれた日系人土井幸吉の四女であり、当時
35才の未亡人であったヒロコ・ドイ・カプアと友人宅で知り合う。ヒロコは土井幸吉の三番目の妻であるイタリア系アメ
リカ人パオリーナとの間の娘で教養の高い女性であった。高校時代から名門女子カレッジを経て夫と死別するまではカリ
フォルニアで生活しており話が合うことと、以前の妻達にはない知的会話を楽しめることでバロウズは次第にヒロコに惹
かれていった。
  知り合って数週間後にヒロコが「バロウズさんの引退前のお仕事はなんですの。」と聞いた。当時、65才のバロウズを
裕福な年金生活者と勘違いしたこの質問には絶句したと、バロウズは後にホノルル・アドバタイザーの記者のインタビュ
ーに答えている。また、この時の記事によれば、この質問にバロウズは自分の書斎にあった「猿人類ターザン(本全集1巻)」
と「火星のプリンセス(本全集第6巻)」を日本的なヒロコの心情か、女性としてのヒロコの心情かを考え迷ったあげく、
「猿人類ターザン」をヒロコに差し出した。後に、ヒロコは武部本一郎の表紙絵のある「火星のプリンセス」を見せられてい
たら、どのような非礼のないような言い訳して退去しようとしたかを考えただろうとバロウズ自身に語ったという。ともあれ
ヒロコはバロウズの小説に夢中になり、日々バロウズの家に押しかけては次々に本を借りていった。
  1940年から1941年いっぱいにかけてはバロウズにとって何年振りかの平安な時期であった。執筆に専念できる環境で二年続
けてターザンシリーズ、火星シリーズ、金星シリーズ、ペルシダーシリーズ一篇ずつ新作を出してそれぞれのファンの期待に
応えた。また、執筆中からの日本語への翻訳は続けられた。これはハワイ移住を切っ掛けに職を辞した猿渡にかわり、ヒロコ
と、今まで未翻訳の日本文学をハワイや西海岸の二世三世といった英語を母語とする日系人相手に紹介していた日系翻訳家で
あるショウタ・オオツカが日本語への翻訳を担当するようになった。(注:本全集では、執筆時の雰囲気を伝えるためハワイ
時代の作品はヒロコ・ドイ・バロウズおよびショウタ・オオツカの翻訳を使用している)

  この時期のバロウズはホノルルの市街地を一望する高台に、一人で住むには十分すぎる瀟洒な邸宅のテラスで貿易風に吹か
れながらタイプライターを叩き、気が向けば自分で運転して買い物をしたり、図書館で資料を漁る。友人のヨットで釣りに出
る。時に尋ねてくるヒロコとコナコーヒーを飲みながら雑談をする。時に日本で味を覚えた日本料理を日系人家政婦にねだっ
たり、得意のメキシコ料理を自分で作ってみるという日々であった。この時期のバロウズの動向については唯一の随想禄であ
る「キャンドルナッツの木陰で午睡(本全集第18巻)」に詳しく、ハワイ政府高官や海軍軍人と交友のあったバロウズによる
日米開戦直前のハワイの空気をよく伝えた歴史資料でもある。

  1941年9月にバロウズはヒロコと正式に婚姻届を出して身内で簡素な結婚式を挙げた。三十歳という歳の差にヒロコが再度
夫との死別を覚悟する必要があるという理由でヒロコの兄弟達が懸念を示した。しかし、バロウズの最初の妻の子たちへの
生前財産分与が行われており、資産家でもあるバロウズの死後にヒロコが金銭面でトラブル巻き込まれないという判断で兄弟
も結婚に同意した。
482. 名無しモドキ 2011/10/15(土) 23:33:34
  資産問題はバロウズ側にもある懸念だった。バロウズは結婚については娘のヘレンに何通か手紙を送っている。それに
よればヒロコが父親および夫からの相続資産で裕福である。そのことでヒロコが自分の資産目当ての女性でないは明白で、
二度目の結婚の失敗によるトラウマから逃れられると述べている。なによりも年齢の差を超えて異性として好意を持って
くれるヒロコとの結婚は、周囲からは多少反対されようが押し通したかったようである。

  この年の10月にバロウズは新婚旅行を兼ねて一月間のアメリカ西海岸旅行をおこなった。この旅行の間に幾つかの出版
社を訪れ、ファンとの会合にも参加したが本土を離れていた二年の間に大きくアメリカ社会の空気が変化していることに
気づかされたと猿渡元秘書に手紙を送っている。(別冊書簡集収録)
  事実、1940年代初頭のアメリカ社会は1920年代の後半から冒険小説であっても弱者や、主人公の敵対者の止むに止まれ
ない事情といった視点を忘れなかったバロウズの作品を、「黒人びいき」「インディアンびいき」「日本びいき」「イギ
リスびいき」等としてそれぞれに中傷を行う団体が活発に活動する社会に変貌していた。
  バロウズはこの言いしれぬ鬱憤を晴らすかのように、翌1942年春に新婚旅行の出直しとして三度目の来日を行う。日本
は当時はすでに戦時下(対独戦)であったが、その空気はアメリカよりも平和的で人々は穏和であったと述べている。なお
この旅行の最中にバロウズは念願の江戸時代初期の日本刀を入手して終生手元に置いている。
  ヒロコの父親の出身地広島を訪れた後、バロウズは当初予定になかったアメリカ勢力下の満州および建国間もない福建旅行
をヒロコを伴って敢行した。この時の旅行記(本全集第21巻)でアメリカの投資で物資面では豊かになりつつある満州が、統
制下にある植民地的な空気を持っており、人々はアメリカの権勢をもとに利己的に動いているに過ぎないが、福建ではアメリ
カなどの援助と比べてはるかに乏しい日本の援助も当てにせずに自国建設のために何が出来るかと考えて行動する多くの人間
に出会ったと記述している。
  バロウズは掲載料無料という条件で、この旅行記をアメリカの新聞社に送ったが採用したのは懇意な編集長のいたサンフラ
ンシスコ・エグザミナー紙だけであった。当時のアジアに派遣されたアメリカ人記者は記事に困ればアメリカ資本と文化によ
り自由な空気の中で発展する満州に対して、退廃への道を転がり落ちる貧困と強権政治の傀儡国家福建という主旨の記事を書
けば原稿料が確実に入ると言い交わされていた。アメリカ人の大半はアメリカが善いことを行っており、現地人も感謝してい
るというステレオタイプ的な情報を好んでいた。それに真っ向から反対する旅行記の掲載に躊躇する事情が新聞社にあった。
影響力あるバロウズの旅行記を掲載することに政府筋や多くの新聞社に影響力あるハースト社の圧力があったことも複数の編
集者が、後にヒロコの問い合わせに証言している。(別冊書簡集収録−ヒロコ編−)

  バロウズは死の直前に、この時期にするべき事をしなかったと何度も悔やんでいる。バロウズ自身は一貫して愛国者であり
アメリカの善き側面であった健全な社会規範と民主主義の信奉者だった。1940年代初頭のアメリカは自分の力を過信して全て
を踏みつぶしながら、巨大な暗黒の落とし穴に突進する目を閉ざした像のように感じたとバロウズは講演で表現した(別冊講
演集収録)
  また、バロウズはアメリカ的な価値観を理解して、自己の力を知りおのれを譲ってもアメリカに敵対しようとしない日本を
対等に扱うことで日本はアメリカのよき同盟国になり、それがアメリカの恒久的な利益になると説いたり、日米関係修復に尽
くせば尽くすほど読者が離れていくとサンフランシスコ・エグザミナー紙の編集者に当てた旅行記掲載の礼状に記している。
(別冊書簡集収録)現在、西海岸を中心に定着している「古き善きアメリカを愛した愛国大衆作家」という評価とは正反対の
「利益に目のくらんだ日本びいきの売国奴作家」という評価が日米戦直前には公然と唱えられていた。

  1942年の前半はアジアへの旅行があったたが、金星シリーズ「金星の魔法使い」(本全集第12巻)を書き上げている。また
ハワイのみの出版で「ポリネシアの覇王」の派生小説である「ペレの轟き」(本全集第14巻)を書いた。
  8月15日(アメリカ時間)の日米開戦は、夜遅くラジオをつけたヒロコがバロウズに知らせた。バロウズは一言悪態をつくと
再びベットに伏してしまった。ヒロコが覗き込むと横に臥して涙を流していたという。
483. 名無しモドキ 2011/10/15(土) 23:41:20
  翌日、バロウズは海軍に出向いて従軍記者の登録を行った。大西洋津波で混乱するハワイの司令部はバロウズにかまう余裕
がなく、ほぼ二ヶ月間バロウズに連絡はなかった。しびれを切らしたバロウズは知り合いの海軍将校に掛け合って、特設哨戒
艇に何度も同乗取材を行った。人口の多いオアフ島へ食糧供給を確保するためハワイ諸島間の航路を守るための対潜哨戒を行
う必要があったが。当時、海軍は本土・ハワイ間の航路確保で精一杯であった。このため海軍の指導を受けてハワイ政府が民
間船を借りあげて退役軍人を艇長にして船員や漁民を志願クルーとした特設哨戒艇隊を組織した。船尾の爆雷投下機に数発の
爆雷と廃棄予定の旧式ソナーが装備されればよい低速の特設哨戒艇は浮上した日本潜水艦にさえ狙われる存在でもあり危険な
取材であった。バロウズは取材だけでなく自身も希望して哨戒任務を行っている。
  バロウズは特設哨戒艇の過酷な任務の様子と海軍やコースガードの予備仕官、それに海軍からは閉め出されていたが志願で
集まったハワイアン、日系人を含めたクルーらのありのままの姿をルポルタージュ記事にした。(本全集20巻)島嶼間航路は
ハワイの住民の重大な関心事であり、この記事は各地元紙に掲載された。そしてバロウズのことを中傷していた人々も彼の示
した勇気に沈黙するようになった。(別巻回顧録−ヒロコ編−)
  食糧から生活必需品まで本土に依存するハワイは開戦後一ヶ月ほどで物資輸送が急減して小麦粉と米は配給制となった。
果物以外のパンを含めた食糧やガソリン、衣服は切符制であったが供給量が少ないために入手は困難で金持ちで無い限りは
切符の大半を使い残した。それでも、飢餓をなんとか免れていたのは豊富な果実野菜と近海の漁業資源の存在、中国大陸派
遣軍用に軍が備蓄した食糧が緊急(必要がなくなった)に無償配給品として放出されたことによった。
  しかし、ガソリンがなくなれば収穫効率が落ち、漁船が出漁できず、軍の備蓄食糧も無限にあるわけではなかったため
有産階級はヤミで買い占めを行っていた。バロウズはそれを潔しとせず配給品のみでの生活を送ったため二ヶ月で10ポンド
ほど体重を減らした。心配したヒロコは実家から持ち込んだ蜂蜜などをこっそり料理に混ぜていた。

  1943年1月17日、けたたましサイレンの音で、ベッドに入ろうとしたバロウズはテラスに飛び出した。「上空からの爆音に
かすかに震えるガラス窓、散発的に打ち上がる高射砲の曳光弾と遅れてとどく発砲音。軍港で炸裂する爆弾のもの凄い光と音。
わたしは日本機の空襲を目の前にして血液が逆流した。私は部屋にしまってあった日本刀を取り出すと抜き身にして、爆音の
する空にそれを向けて大声で叫んだ。『ここはアメリカだ。出て行け。ヤンキー魂を見せろ。奴らをたたき落とせ。』思いつ
く限りの言葉で届かぬ日本機と応戦するアメリカ軍に叫んだ。」(別冊書簡集収録)バロウズの身を気遣いヒロコは防空壕へ
の待避を進めたが日本機の爆音が聞こえなくなるまでバロウズが黙ることはなかった。
  そして、防空壕に避難していた在郷軍人会の面々がおっとり刀でとばっちりを受けた民家の消火にかけつると、そこには
日系人を含む付近の住民達の先頭にたって消火活動をしているバロウズの姿があった。この日のバロウズの行動は空襲のたび
に繰り返された。(別巻回顧録−ヒロコ編−)

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484. 名無しモドキ 2011/10/15(土) 23:43:23
バロウズの「歴史に出ない話」

?日米開戦から一週間後、一人の陸軍将校がバロウズ宅を訪れた。緊張するバロウズとヒロコに将校は丁重に言った。
「ミスターバロウズ、わたしはパッカー中尉です。爆撃機の機長をしています。不躾なお願いですが、あなたの作品の
ファンです。デジャー・ソリスの絵を私の機に描きたいのですがいいでしょか。」
「近頃、珍しいご丁寧な方だ。いいですよ。で、どのよう絵になるんですかな。」バロウズは久々に笑顔で答えた。
「下絵を持ってきています。」中尉の示した紙に描かれていたのは武部本一郎が描く「火星のプリンセス」こと幾つに
なっても儚げな少女の面影を残すデジャー・ソリスだった。
>>25


?爆撃の最中に危険を顧みずに日本刀を振り回しながら日本機を罵り、アメリカ軍を叱咤激励して、誤爆で炎上する民間
施設の消火に協力するバロウズの勇姿は西海岸の新聞(皮肉にも戦意高揚記事満載のハースト系新聞社)でも報じられた。
そして、この記事はイギリスを経て日本でも報道された。
「バロウズさん。すみません。戦争を早く終わらせるためです。貴方に危害が加わらないように絶対に民家なんかには
爆弾を落としませんからね。戦争が終わったらまたドゥーアーレーの出てくる話を書いてくださいよ。」連山の爆撃手は
投下スイッチをまさぐりながら、「ドゥーアーレー、ドゥーアーレー」と金星シリーズの戦うツンデレヒロインの名を
呪文のように何度も繰り返した。投下された通常爆弾は何かに誘導されるように目標に全弾が命中した。

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最終更新:2011年12月31日 18:21