543. 名無しモドキ 2011/11/07(月) 23:30:21
ひゅうが様の「秋季大攻勢」、1945年の西部戦線の全戦線における連合軍大攻勢のような進撃です。「春のめざめ」
とは言いません。せめて「ゾネンヴェンデ(冬至)作戦−西部戦線の方」で..ともいかないかな。


総合軍事技術研究所 −弾道矯正弾開発秘話−

  憂鬱世界での日本のアドバンテージは勿論未来知識にある。しかし、21世紀初頭以降の逆行者が出現しない
状況では、そのアドバンテージは減少するばかりである。21世紀初頭からの逆行者といえども、その時点の技
術を持っているわけではない。特に機密の多い軍事技術に関してはおおまかな開発方向は示せても、現物を作
るとなるとせいぜい1970年代後半くらいまでの技術に関する知見があればよい方である。
  日本の国威があがればあがるほど、国民が自国に自信をつけていけば行くほど夢幻会メンバーは未来知識の
尽きるその日を、諸外国に技術的な優位性を保てなくなるその日を心の底で恐れていた。また、技術的な優位
とて、所詮はパクリ技術にすぎないのである。杞憂とは言い聞かせても新たに出現するかも知れない未知の技
術への恐怖感も心ある人物達は持っていた。

  夢幻会は、技術的優位のなくなる日を少しでも未来に進めるために独自の技術開発にも力を入れていた。こ
の一環として「ひょっとしたら」兵器と「盲腸」兵器の研究がある。夢幻会では、史実で有効だった兵器にか
んする開発を効率よく進めることに最善を尽くしてはいた。しかし開発費の数%程度ではあるが「ひょっとし
たら」兵器「盲腸」兵器という兵器の開発にも予算が割かれていた。例えば、史実で実用化された酸素魚雷は、
各国で研究されながら開発を放棄された。日本海軍の特殊事情(数に勝る米戦艦を昼間に駆逐艦を用いて遠距
離で雷撃する)がなければ世に出なかったであろう。このように我慢して開発を続けたら、何かに化けるかも
しれない兵器が「ひょっとしたら」兵器である。
  日本海軍が期待した洋上砲戦での観測機は、初戦での索敵や対潜哨戒以外に活躍の場がなくアメリカ軍の
レーダー射撃の前に前近代的な存在になってしまった。憂鬱日本海軍はレーダー射撃開発を目指すが、観測機
の開発も行い、その観測の困難さ、レーダー射撃が目指すべき精度と言ったデーターを得た。これは、この兵
器開発は先がないといことを夢幻会メンバー以外の人間にもデーターとして残しておくことと、アメリカが画
期的なレーダー妨害兵器を開発したときの保険でもあった。これが「盲腸」兵器である。

  これらの兵器開発を行ったのが総合戦略研究所が管轄指導している総合軍事技術研究所である。総合軍事技
術研究所は陸海軍が予算を折半して設立された組織で、陸海軍の軍人が組織運営と調整を行い、独自の人材を
集めた組織である。所長は海軍で退役した艦隊司令官級、副所長は陸軍で現場に近い佐官が当たり実務的な仕事
を担当するというのがというのが慣例である。
  陸海軍軍人の出向している目的は三つある。近視的には予算折半であるのでお互いに自軍に関係ない研究が行
われることを嫌ったためと、将来的な陸海軍が統合した国防省設立のための布石の一つである。そして、最後の
目的は陸海軍の技術将校が情報を交換して、陸海軍での同様の研究があった場合は総合軍事技術研究所に任せて
予算の無駄を排除するためである。

  発射後の砲弾の弾道変更技術は第二次世界大戦で見られたロケットアシスト砲弾に始まり、20世紀末の誘導砲
弾開発という系譜がある。1930年代に対米戦がかなり本気で研究されてきた頃に、当時の技術で砲弾を誘導でき
ないかという諮問が夢幻会から総研を通じて総合軍事技術研究所に出された。

  この研究を安田武雄副所長から任されたのが、金屋京介主任研究員である。陸軍大佐の安田武雄は夢幻会メン
バーであるが金屋京介は、史実では貧困のために中学校へ進級できず、働きながら苦学して夜間専門学校へ通っ
ているうちに招集された。そして不運にもシベリア出兵でチフスによって二十三歳の命を凍土に散らせた無名の
人物である。
544. 名無しモドキ 2011/11/07(月) 23:37:26
  憂鬱世界では、金屋京介の家庭に多少の余裕があったことと史実よりはるかに充実した奨学金を得て中学校へ
入学できた上に、東北帝國大学へ進むことがでた。なにはともあれ金屋京介は夢幻会に通じた教授の斡旋で総合
軍事技術研究所に職を得た逸材であり三十半ばにして主任研究員に任命された。
  総合軍事研究所には夢幻会メンバーも多く所属しているが、非夢幻会の人間に「ひょっとしたら」「盲腸」兵
器の開発が任されることが多い。これは夢幻会メンバーは先がわかっているため研究への情熱が注ぎにくいことと、
知識があるが故に斬新な発想が期待しにくいという理由があった。

  しかし、金屋京介にとっても誘導砲弾は難題である。誘導弾が実現できた背景にはGPS技術の普及がある。砲弾
に収納できる超小型の受信機が電子的な信号を受けて砲弾が目標に向かい方向を修正するからこそ実現できた代物
である。1930年代にはGPSはおろか、小型化のための電子部品はトランジスター(それも極秘)しかない。取りあえ
ず金屋は砲弾自身が位置を推定するために砲弾にジャイロコンパスを組み入れることから研究を始めた。

  この研究は一年ほどで行き詰まる。圧倒的なGに耐えて、砲弾に入るほどの小型ジャイロコンパスを入手もしくは
開発できなかったからだ。ただこの研究の過程でジャイロコンパスの知られていなかった実用新案特許というべき発
明が行われた。ジャイロコンパスは方位探知や照準機などへの利用範囲が広いため安田大佐は十分元を取ったと判断
して金屋に研究の中止を勧告した。ところが、金屋はさらなる研究継続を懇願した。安田は対費用効果が著しく阻害
されなければ、今後の研究成果は余録だと考えて研究費の削減を条件に許可した。

  金屋は、ジャイロコンパスを諦めると複数の定点に設置した電波発信機からの電波を受信して、その角度から自身の
位置を測定する装置を砲弾に組み込む研究を開始した。トランジスターが使用できなかったために、改良に改良を重ね
て極小真空管がGに耐える砲弾構造を考案した。見事に砲弾は半年後には定点からの電波を受信できるようになった。
そして、この研究成果はVT信管に流用される。絶対機密のトランジスターを利用したVT信管が敵手に渡る恐れがあるこ
とに備えて、真空管を利用したVT信管も存在した方が望ましかったからである。
  
  金屋の研究成果は数年後に陸軍の砲兵研究所でもう一つの成果を生んだ。VT信管を地表攻撃に用いた場合は、目標上
空で爆発して広範囲に被害を与えられ防御を著しく阻害できる。また、敵攻勢時にも効率的な阻止砲撃ができる考えら
れた。ただ、極秘で高価なVT信管を敵陣に発射することは当面は考えられない。しかし、敵陣に向けて指向性の高い電
波を向けておけば、その電波に反応する金屋の汎用真空管による受信装置と遅発信管を組み込んだ比較的安価な砲弾の
何割かは高価でデリケートなVT信管と同様の働きをした。残りは地表で炸裂したが、それはそれでもとは取っている。
これとて出現時は極秘であり、中国大陸に配備された電波反応砲弾は満州戦線や上海戦線では使用されることはなかっ
た。その後の掃討作戦で実験的に限定使用されたが不発弾は徹底的に回収された。


  ただ誘導砲弾の方は研究がまったく進まなかった。砲弾を誘導する方法が開発できないのだ。元来砲弾はライフリン
グにより高速回転して飛翔する。そのことが直進性や射程に決定的な影響を与えているのだが、砲弾を誘導するとなる
と大きな障害になる。このため金屋は滑腔砲の使用を考えた。ちょうど、所内で大口径砲実現のために滑腔砲の研究を
している(夢幻会の)メンバーがおり、その協力を得てロケットないし有翼砲弾による砲弾誘導の研究を始めた。当初、
手をつけたのはロケットによる方法である。
  有翼弾の出現とその可能性を知っている夢幻会メンバーは、金屋を止めることはなかった。有翼弾丸は自分達の知識
を利用すればよく、史実で行き詰まったロケットによる誘導を金屋が打破できれば儲けものだからである。

  まあ、できすぎた話はなく、二年後に金屋が完成させたのは誘導弾ではなく射程距離増大用のロケットアシスト砲弾
の雛形であった。この金屋式ロケットアシスト砲弾は、ドイツが使用したものと同様の射程増大砲弾開発へデーターと
技術的知見を残した。
545. 名無しモドキ 2011/11/07(月) 23:43:12
  海軍で戦艦主砲砲弾で実用化されたロケットアシスト砲弾は結局、実戦配備は見送られた。確かに、四十センチ砲
で60km近い射程を実現したが、散布界を700m以下にすることができなかった。また、炸薬量も半分程度となり威力
も大きく減退していた。これでは対水上艦艇に使用できない。有効な使用法は敵制空権を夜間航行して遠距離から、
上陸して散開した敵陸上兵力への攻撃を行い急いで離脱するといった場面しかないのではという意見が強かった。

  そのような状況は日本が徹底的に守勢に回り戦争を失いかけている場面だと考えられ急いで配備する理由がないと
された。陸軍も同様であり、散布界の広い砲撃は「いやがらせ」攻撃でしかなく、遠距離ヘの攻撃は開発中のミサイ
ルか航空攻撃が効率的と考えた。限りある予算の都合上、陸海軍ともその状況が現実に予想されてから生産配備する
という同様の決定を行った。

  あくまでも誘導砲弾の可能性を追い求める金屋とそのチームスタッフはロケットアシスト砲弾に限定的な誘導弾の
可能性を思いついた。戦艦の主砲砲弾から電波を極めて指向性の高い範囲でまっすぐ進行方向へ発射する。目標から
この電波が返ってきた場合は砲弾の進行方向に目標がいる。ただし、砲弾は放物線を描いて飛んでいるために目標の
手前に落下することになる。  
金屋は目標を捕らえた時に、ロケットを噴出させて砲弾を直進させてやればよいのではと考えたのである。それに
この方式だと作動距離が限られるためロケット燃料も最小ですむという利点もある。
  しかし、これを現実に作るとなると、ロケット使用をおこなっても砲弾が左右などにぶれない、零コンマといった
単位でロケットが全力噴射してなおかつ爆発ではないというような難題が待ち構えていた。

  砲弾の前後中心線上に噴出口を設けて、何百も試作品を作った内装式のノズルを装備した砲弾が完成するまでに
さらに二年かかった。いや二年で完成させた。使用する個体燃料とノズルに金屋自身の工夫があり、史実世界では知
られていない特許が申請されていた。
  さらに金屋は一年がかりで十センチ砲弾の試作品をつくると総合軍事技術研究所も利用できる樺太の陸軍試射場へ
持ち込んでデーターを集めた。その結果から、戦艦の砲弾の場合は800m程度先に目標を捕らえた場合にロケットを
噴射させれば至近距離に近い弾丸速度を回復してほぼ砲弾は直進することがわかった。目標距離20kmで砲撃を行っ
た場合ではロケットによる加速がなければ70mほど手前に落下する砲弾が金屋式砲弾補助ロケットを使用することで
命中弾となる。

  砲弾の加速により実際に艦首に命中したはずの砲弾は目標の手前に落下するが、反対に艦尾方向は外れたはずの砲弾
が命中する。艦尾付近は推進器や操舵機がありメリットは大きいと考えられた。砲弾が目標を捕らえるのは目標に対し
て近弾になった場合のみであるが、それでも目標の幅が30mとしてロケット砲弾は100m幅の目標を狙うことに等しい。
そして、破壊力は上空から水平射撃を至近距離から食らうほどの威力があり敵戦艦の甲板は容易に貫通されて船内奥深
くで砲弾は爆発したり、主砲砲塔を遠距離で打ち抜ける可能性がある。
547. 名無しモドキ 2011/11/07(月) 23:46:50
  この研究成果により海軍は試作砲弾を製造して、標的艦土佐で実験させた。それにより、8門での斉射で目標を
夾叉した場合には確率的に2弾が命中するという結果を得た。この成果に、海軍は日米戦開始後という状況下を考慮
して詳細な試験結果を省いて試制二式弾道矯正砲弾として仮採用する。ただ、この決定の前日に第一艦隊はハワイに
向けて出港したためハワイ沖海戦ではこの砲弾の活躍はなかった。
  ミサイルが配備されても安価な砲弾を使用すべき目標はあるとされ戦後もしばらくは二式弾道矯正砲弾が保有され
ていた。ただ、「戦艦の主砲弾が安価とは嫌な世の中になった」とぼやく昭和の怪人もいたが・・。

  金屋はこののち、実用化ははるか後になるが、滑腔砲による有翼誘導弾への開発のため最初の基礎的技術開発に貢
献した。そして戦後は母校の東北帝國大学にもどりロケット技術の基礎研究を行い後進の養成にたずさわる。定年退
職後は総合軍事技術研究所時代での特許から発明者配当と年金をもとに悠々自適の生活の後に、三人の子と五人の孫
に看取られて1991年に94歳の天寿を全うした。

  金屋は史実世界になかった物を一からつくり出したわけではありません。夢幻会メンバーによって改良された電子
製品、個体ロケット燃料を組み合わせて史実世界では出現しなかったものを作っただけです。ただ、これは余計な知
識がない故の発想であり、夢幻会が望んでいた状況でもあります。

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古今の兵器で作品に出てくるようなものと同じ物があったらどうしましょうとおそれつつ投降しました。
もちろんTV信管→VT信管の間違いです。

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最終更新:2012年06月25日 14:09