271 :グアンタナモの人:2013/02/03(日) 18:32:02
 偉大な星の下に在るか、貧相な太陽の下に行くか。
 これは一九三〇年代の米国で頻りに囁かれた言葉である。
 当時、世界恐慌によって深い傷を負った米国企業の多くは、その間隙を縫った日系資本による様々な買収攻勢に晒されていた。
 この際、ブローニング社からは既存機関銃の製造権や、未成に終わった新型機関銃の技術が。
 またシコルスキー社やセスナ社、ライカミング社などに至っては、会社そのものが買い上げられていった。
 技術を売却してしまった企業もさることながら、彼らのように本拠を移した企業群に対する当時の米国内における風当たりは相当酷いもの(※1)であったと伝えられている。
 なにせ、人種差別が未だ色濃く残っていた時代だ。
 わざわざ神に祝福された〝ステイツ〟を捨て、有色人種の新興国に本拠を移す彼らの背に石がぶつけられたのは、ある意味当然の出来事だったのかもしれない。
 そんな中、その逆風に敢えて翼を預けようとする企業が、カリフォルニア州にも一つ存在していた。
 その名は、ノースロップ=エアクラフト。
 つい先日、ユナイテッド=エアクラフト=アンド=トランスポート社――以下、UAT社――を放逐された新興航空機メーカーであった。



     ――― 提督たちの憂鬱支援SS・陽の下、星の下 ―――



 何故、ノースロップ社が一時的にもUAT社へ属し、そして放逐されたのか。
 それを語るには、まずこの世界におけるUAT社の成り立ちを語らねばならないだろう。
 史実世界でも存在していたUAT社であるが、この世界では設立に至る経緯が史実とは少々異なっていた。
 何故ならば、この世界ではUAT社設立に際し、同社の基幹となったボーイング社に対する米国政府の強力な支援が存在したからだ。
 ボーイング社は先述の買収攻勢を仕掛けていた日系資本が、最重要目標と定めていた航空機メーカーである。
 だがボーイング社に対する一連の攻勢は、危機感を覚えた米国政府の横槍によって最終的に頓挫。
 その後、同社は政府による支援の下、航空機関係の企業群を纏めてUAT社を設立することで生き残りを図ったのだ。
 こうした一種の護送船団じみた背景も関係し、この世界ではUAT社設立時、史実よりも多くの企業が合流を果たしていた。
 そしてノースロップ社もまた、その中の一つであった。

 しかし、史実よりも大きく肥大化してしまった弊害が訪れるのは早かった。
 設立から二年後、史実よりも数年早く、UAT社に対して連邦反トラスト法に基づく監査が実施されそうになったのである。
 この情報を政府関係筋から秘密裏に入手した――当然違法行為なのだが、それだけ政府がボーイング社を守ろうとした証左でもあった――UAT社は急遽、一部企業の分離を敢行。
 企業経営に響かない範囲の、合流した中でも弱小の企業群をほぼ放逐に近い形で吐き出し、監査の目を逃れたのだ。
 そして悲しきかな、弱小の新興航空機メーカーに過ぎないノースロップ社も、そのスケープゴートに選ばれてしまう。
 彼らは合流以前に所有していた施設に加え、手切れ金名目で雀の涙に等しいわずかな資金を手渡されるや否や、不況の寒空の下に放り出されてしまったのだった。

272 :グアンタナモの人:2013/02/03(日) 18:32:49
「……本当に行くのか?」
「ああ、行くよ」

 閑散とした工場を横目に見つつ、ジャック=ノースロップは頷いた。
 掲げられていたノースロップ社の看板は既に下ろされ、何も言われなければここ数年で山のように増えた廃工場の一つに見えなくもない。
 だが幸いなことに、この工場は間もなく別の持ち主の手に――今、ノースロップの前に立っている友人の手に渡ることが決まっている。
 ドナルド=ダグラスと、彼率いるダグラス=エアクラフト社の手に、だ。

「モリオカ、という街は中々良いところらしい。ここより寒いというのが気になるが、それはまあ……慣れるだろうさ」

 ノースロップは写真で確認した、新天地の街並みを思い浮かべながら言う。
 規模は見慣れたロサンゼルスやサンフランシスコの街並みに比べるまでもなかったが、それが返って米国人らしいフロンティア精神を宿す彼を刺激した。
 ノースロップ社を新たな航路に乗せられた暁には、あの街を〝シアトル〟を超えるノースロップ社の企業城下町(※2)にしよう。
 今のところ、それが全翼機の飛行と会社の存続に続く、彼の第三の目標になっていた。

「向こうまで着いてくる連中は、どいつもこいつも覚悟が決まっているから問題はない。それよりも迷惑を承知で、こっちに残る連中を頼みたい」
「それは心配するな。引き換えに工場も譲ってもらったし、食うには困らせないと約束する」

 ノースロップがその従業員ごとUAT社から分離――とは名ばかりの放逐――させられたと聞いた時、なんとか便宜を図ろうとしたのがダグラスであった。
 彼のダグラス社も不況の煽りを被ってはいたが、幸い自力で食べていける程度には力が残っていた。
 少々無理をすることになるが、ノースロップ社の従業員を丸抱えすることもできなくはない。
 しかし、その提案をノースロップの下へ持っていったダグラスが耳にしたのは、大日本帝国行きを決意したノースロップからの丁重な謝絶だった。
 そして代わりに頼まれたのが、新天地に赴けない従業員達のダグラス社への雇用。
 予定していたよりも人数は少なかったし、タダ同然でノースロップ社の不動産を譲られたことを思えば、それはマイナスどころか、むしろプラスになる取引であった。

「……ありがとう。この恩は絶対に忘れない」
「俺とお前の仲だ。水臭いことは言いっこなしだろ」

 そう言いながら、ダグラスは申し訳なさそうなノースロップの背にばしりと掌を叩き込む。
 背を襲った衝撃に一瞬顔を顰めたノースロップだったが、次の瞬間には破顔した。

「解った、解ったよ。だけど、この恩はいつか必ず返すからな?」
「精々期待してるさ。恩を返す前に会社を潰すなよ?」
「そっちこそ」

 結局その日、二人は二十歳の若者のように軽口を叩き合いながら、夜遅くまで酒を酌み交わした。
 陽の下に進み出る者。
 星の下に留まる者。
 その別れを惜しみ、再会を強く願いながら。

273 :グアンタナモの人:2013/02/03(日) 18:33:39
 そして、一九四四年一二月。
 新たな世界秩序が聖女の名を冠した都市で構築され、間もなく一年が経とうとしている頃。
 カリフォルニア共和国の首都、サクラメント市内のとあるホテルにて、彼らは十三年振りの再会を果たしていた。

「久し振りだな、ジャック」

 ホテルの最上階に位置するバーカウンター。
 その椅子に腰掛けていた腰掛けていたダグラスはバーへと入ってきた旧友に向かい、自らの存在を示すように立ち上がって手を振った。

「ああ、壮健そうで安心したよ、ドン」

 旧友の姿を見つけたノースロップも、右手を挙げることで応じる。
 彼らはどちらからともなく歩み寄り、再会を懐かしむように固い握手を交わした。

「それにしても、まさかこんな形で再会するとはな」
「そうだな……本当に」

 ダグラスが口にした何の気無しの言葉に、ノースロップは少しだけばつの悪そうな表情で答える。
 と言うのも、彼らを取り巻く情勢が十三年前と――かつてのそれと、大きく異なっていたからだ。

「おいおい、まさか気にしてるのか? だったら俺は怒るぞ? こんな風にな」

 ノースロップの表情が曇ったことを目敏く見咎めたダグラスは、その背を掌でばしりと叩く。
 過去に何度も放たれた懐かしい一撃であるが、もう若くない――来年、五十路を迎える――ノースロップには少しばかり強烈だったらしい。
 げほげほと咳き込むノースロップに、今度はダグラスがばつの悪そうな表情を浮かべる番だった。

「お前……げほっ、げほっ」
「はは、強すぎたか。すまんすまん。だが、お前は賭けに勝っただけなんだ。そこに気後れする必要なんて無いさ」

 ダグラスは言うように、ノースロップは賭けに勝った。
 本拠を日本へと移し、正式な社名をノースロップ=エアクラフトからノースロップ飛行機へと改めたノースロップ社は、今や一大企業へと変貌を遂げていたのだ。
 彼らは移転当時、成長しつつあった日本の旅客機分野において、いち早く頭角を現すことに成功。
 ノースロップ<デルタ>に始まる旅客機シリーズは、瞬く間に日本の各航空路線へと普及していった。
 中でも〝瀟洒で贅沢な空の旅を〟の謳い文句で知られたノースロップ<ゼータ>は一時期、日本で最も就航した旅客機となったほどだ。
 また現地で雇用した日本人技術者の一人が、ごく初期の機械式フライバイワイヤと言える〝自動安定装置〟を開発して以降は軍用機分野にも進出。
 競合しにくい練習機や輸送機を製造する傍ら、倉崎機や三菱機の委託生産も積極的に引き受けた。
 その結果、戦時中には不採用に終わったものの<富嶽>計画に爆撃機を送り出すまでに至り、すっかり倉崎重工や三菱重工に続く日本航空界第三の雄としての立場を確立していた。
 これはそれまで倉崎と三菱の一騎打ちの場とされていた戦闘機分野に、<疾風>の共同開発で参入した点からも疑う余地はない。
 そこには最早、かつて米国を追いやられた弱小航空機メーカーの姿は欠片も窺うことはできないだろう。

「もう若くないんだから、少しは手加減してくれ……」

 折角友人が入れてくれた喝であったが、ノースロップの内心は晴れない。
 本来ならば手放しで喜ぶべき話であり、そうすることが背を押してくれた友人に対する礼儀だとも判っている。
 だがそれでもなお、ノースロップには手放しで自らの成功を喜べない理由が存在していた。
 それはダグラス自身が噫にも出さなかった――彼の会社が置かれている状況にあった。

274 :グアンタナモの人:2013/02/03(日) 18:34:09
 この時、ダグラス=エアクラフト社は世界恐慌以上の苦境に陥っていた。
 ほんの数年前までは好調だった経営を、急速に様変わりした世界情勢が吹き飛ばしてしまったのだ。
 一九四二年の大西洋大津波と、その後の米国風邪蔓延。
 それによってアメリカ合衆国は崩壊し、ダグラス社は致命的な打撃を被った。
 軍用機の納入先であった合衆国軍は国家ごと消滅し、旅客機の納入先であった各航空会社も米国風邪の蔓延と列強の大陸分割によって航空路線を寸断され、次々に看板を下ろしていく。
 いくらダグラス社がそう簡単なことでは揺るがない大きな企業であったとしても、経営の屋台骨を支える二本の柱が同時に折れて無事であるはずはない。

 もっともダグラス自身の卓越した経営手腕と、同社施設が津波の直接的な被害を免れていたことが、辛うじてダグラス社が即日倒産するような事態を回避させていた。
 この点は大西洋大津波で東海岸の会社施設が消滅し、さらに合衆国崩壊に託けた中華民国に在満州資産のほとんどを接収されて倒産したカーチス=ライト社との差であっただろう。
 しかしそれでも、ダグラス社が緩慢な死を迎えつつある事実に変わりはなかった。
 旅客機分野は当分需要回復を見込めず、軍用機分野は一応、新たに独立したカリフォルニア共和国軍が候補に挙がっていたものの、こちらは既にその狭き門目掛けてノースアメリカン社やロッキード社、そしてボーイング社(※3)といった企業群が殺到。
 いずれも東海岸から避難してきた旧米国政財界の要人と懇意であったり、もしくはロビー活動が得意であったりと、ダグラス社が新たに入り込む余地を狭めていたのだ。
 辛うじて軍用輸送機のみ、C-47<スカイトレイン>の実績に助けられる形で踏み止まっていたが、これすらもロッキード社やボーイング社の形振り構わない進出を前に切り崩されつつある。
 実質、ダグラス社の存続は、風前の灯火であった。

 そしてノースロップは、この情報を掴んでいた。
 それ故に、彼はダグラスと会う前にある下準備をしてきた。
 後は口にしさえすれば、犀は投げられる。
 あの時に交わした約束を果たす方法を、ノースロップはこれしか思いつかなかった。
 たとえ十三年前の自分自身と同じように、ダグラスに茨の道を歩ませることになる方法だったとしても。
 覚悟を決めたノースロップは、頼んでいた酒のボトルを手に取る。
 その中身を並んだ二つのグラスに注ぎ、適度にグラスが満たされたところでボトルを横に置いた。

「酌をさせて悪いな。それじゃ乾杯と行こうか」

 横で眺めていたダグラスがグラスの片方を手に取ろうとする。
 それを、ノースロップは手で軽く制した。

「ん? どうした?」

 訝しげな表情をこちらに向けるダグラス。
 ノースロップは意を決して、口を開いた。

「なあ、ドン。乾杯の前に、話があるんだ」

275 :グアンタナモの人:2013/02/03(日) 18:35:39
 一九四五年の年が明けた。
 世界の目が年明け間もないポーランドで巻き起こった大事件に釘付けとなった裏で、その企業は産声を上げる。
 その名は、ノースロップ=ダグラス飛行機株式会社。
 大日本帝国の三大航空機メーカーの一角、ノースロップ飛行機とカリフォルニア共和国の大手航空機メーカー、ダグラス=エアクラフトが合併したのだ。
 ポーランド事変の影に隠れたことで巷での知名度は希薄でだったが、航空業界――中でも西海岸諸国の航空業界――に走った衝撃は凄まじかった。
 それはまさしく青天の霹靂であり、日本での展開を検討していたボーイング社などは歯噛みしたとされている。

 そうしたやっかみを受けつつも、ノースロップ=ダグラス社は戦後の大日本帝国の躍進に合わせ、大きく興隆。
 太平洋の両側に〝巣〟を持つ利点を活かして、世界的にも有名な国際企業へと飛躍を遂げていくこととなる。
 陽の下に進み出た者。
 星の下に留まった者。
 両者は再び翼を並べ、日本晴れの中へと羽ばたいたのだった。


(終)


(※1)当然であり、同時に理不尽でもあるこの風当たりが、移転した各社の日本への完全な土着を決定付けたとされる。
(※2)後にこの願望は達せられ、岩手県盛岡市はノースロップ=ダグラス社の企業城下町として、現在に至るまで大いに栄えている。
(※3)一九七〇年代に西海岸諸国を揺るがせた大規模汚職事件、ボーイング事件に関する捜査の結果、当時軍関係者による口利きがあったことが明るみとなった。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2013年07月10日 13:22