281 :ひゅうが:2013/02/16(土) 02:46:26

  提督たちの憂鬱支援SS――「牧野侍従日誌」その1



――本稿は、情報公開法(昭和12年法律第70号)及び軍機保護法(昭和12年法律第72号改正)に基づき、1966(昭和41)年に公開された第2次欧州大戦(1939-1944)および太平洋戦争(1942-1944)関連機密資料のうち、比較的A級機密内容が乏しくかつ帝国の中枢部に近い資料と呼ばれる、いわゆる「牧野侍従日誌」(牧野伸顕内大臣備忘録日誌)を抄録したものである。
当初は公開まで40年(A級2種1類機密)を予定されていたものの、いわゆる「田中上奏文事件」に伴い時の政府及びさる筋の強い意向によって重要資料として公開が決定されたものである。
これには存命している文武官最高位者である嶋田繁太郎侯爵(元総理大臣・元帥海軍大将)をはじめとする人々の好意も含まれていることを付記しておく。
なお、原文は旧仮名遣いであるが、本稿においては公開時に同時公開された解説付き新仮名遣い版を採用した。


――昭和17年7月12日 快晴 風なし。路面が融けそうな暑さ。
朝より主上の御機嫌極めて麗しからず。
矢張り先日の事件(註:7月7日に発生した「バシー海峡貨客船『ベンジャミン・F・トレイシー』爆沈事件」のこと。)以来の心労ありしか。
明治帝にならい可能な限り電力の無駄を避けておられた主上も使用に賛成された。
朝食は残さず召し上がる。

282 :ひゅうが:2013/02/16(土) 02:47:10

正午過ぎ、嶋田新総理が参内。
慌ただしい就任につき参内の時間がとれなかったことを謝す。
以下問答。

主上「先の事件以来米国の対日世論は硬化していると聞く。改善の道はないか。」

嶋田「目下外交当局と共に努力を重ねております。近衛公(近衛文麿前首相のこと)が特使として訪米の意向を示しており、華盛頓(ワシントンD.C)にて国務省当局者と折衝が行われております。しかしながら野村大使(註:野村吉三郎駐米大使のこと。7月7日、大使館の七夕会において暴漢に銃撃され大使館員と共に負傷)の傷も軽からず、交渉はうまくいっておりませぬ。
こちらが一歩譲ればあちらが十歩も二十歩も踏み込んでくる始末で。」

主上「たとえばどのようなことであるか。」

嶋田「一昨日発表されたハル長官通告(註:いわゆるハルノート)における基地査察要求を横須賀・呉および『攻撃に関連すると思われるすべての基地』に対し適用すると明言しております。これに対する妨害は合衆国への攻撃とみなすと。これは、日本全土の基地に対するものかと問い合わせたところ、大統領府のキム・フィルビー補佐官からその通りとの回答を得ました。」

主上「なんと。」

絶句さる。主戦派と目される嶋田首相にいささかの先入観を覚えておられた様で、外交当局の交渉内容はここではじめて知られた由。

嶋田「お察しの通り、これは軍事力を伴い日本本土へ進駐せんとする要求であります。これに現政権の退陣が付記されておりますが、これが私を含めた内閣のみであるのか、恐れながら陛下にも関わりまするか――」

私「嶋田総理。それ以上は。」

嶋田「失礼。しかし陛下の副署さる親書が記者の面前で付き返されるかの如き(註:新内閣成立時に嶋田首相から公式親書が送られたが、野村大使から直接手渡されようとした親書はロング大統領により記者団の面前ではたき落され地に落ちた。)を見る限り、彼らは我が帝国に関し呆れるほど無知であるのか、そうでなければ限りない悪意を抱いているとも考えられましょう。」

主上「ともかく努力をせよ。新渡戸(註:新渡戸稲造国際連盟名誉理事)以来の太平洋の友好時代はそれほど軽いものではないと信じる。ぎりぎりまで軽挙妄動は控えよ。」

283 :ひゅうが:2013/02/16(土) 02:47:55

嶋田「御意のままに。陛下。最後に少しよろしいでしょうか?」

主上「なにか?」

嶋田「陛下。私は軍人であります。しかし軍人ほど戦(ゆっさ)の恐ろしさは知っておりまする。私は日本海大海戦で生死の境をさまよい、先の欧州大戦においてはヴェルダンやヴィットリオ・ベネト会戦(1918年10月24日―同11月3日)において間近にかの地獄を目撃しております。
太平洋を隔てし隣国どうしがぶつかればどちらが勝っても傷は深いでしょう。
可能な限りこれは避けるべきですが――」

主上「だが、何か?」

嶋田「陛下。日露の戦を思い出して下さい。我が帝国は日露の戦や欧州大戦で大きな被害を受けましたが、彼らは軍が半壊するかのような経験はしておりませぬ。」

以後、二三のやりとりをし、嶋田総理は退出す。
主上の顔色悪し。




――昭和17年8月1日 雨天 土砂降り。
午前10時より御前会議。
東郷(東郷茂則)外相より報告。米国は本邦との交渉を拒否。甲案及び乙案を拒否し「ハル・ノート」の即時全面受諾を要求。

(註:7月20日より米国は外交官同士の交渉を拒否。通告と称し記者を前にした発表にて対日外交文書を発している。国際連盟代表部における『ケナン・ホブキンス工作』をはじめとする非公式会談はあるも国務省と大統領府内に深刻な意見対立が生じており、交渉は進展せず。
そのため7月25日を期し、東京より台湾・フィリピンおよび満州からの二段階撤兵と常設国際戦争仲裁裁判所特使査察を基本とした『対米回答甲案』が発表された。同乙案は駐日大使ジョセフ・グルー氏と駐独合衆国大使ジョージ・ケナン氏に対し非公式手交される。)

284 :ひゅうが:2013/02/16(土) 02:48:59

ホブキンス補佐官(註:ハリー・ホブキンス大統領補佐官)はハル・ノート細則を発表し、同時に真珠湾基地およびサン・ディエゴ基地・キャビデ軍港・上海駐屯地などに臨戦態勢を発令したと発表さる。

北京政府(註:張学良軍閥)は機関紙「中華報」において「東亜1000年の平和のため日本を中華大家族に復帰せしむべし。しからざれば『きかん坊には殴ってでもしかりつける』べし」との「叱責傭懲論」を発表したとの報告。
松岡特使(松岡洋祐臨時特使)の報によると「中華への賠償」として「琉球台湾回収」を基本条件とし、西日本保障占領を張学良は要求せり。
暴論極まりなし。彼らは19世紀列強か。虚栄心のみ肥大化せしか。
主上、悲嘆を隠し得ず。
大英帝国は仲介要請を拒否せり。
まさに四面楚歌なり。

かくて開戦決す。
以下問答。

嶋田「誠に遺憾ながら、アメリカと戦い、彼らを打ち破るしか道はなしとの結論に至りました。」

主上「総研も同じか。」

嶋田「はい。ここで米国の要求に屈せば南洋諸島をはじめ南方や沖縄、さらには西日本は米支が占領下となりましょう。
しかしながら早期に東亜の米国戦力と支那北京軍閥を打倒すれば保障占領可能戦力は喪失できましょう。」

主上「ただ打倒するのみか。戦とは相手があろう。華盛頓(ワシントンD.C)に日章旗を立てでもするのか。」

嶋田「それは無謀にございます。現在帝国陸海軍は早期の太平洋からの米国戦力駆逐をもってアラスカへ侵攻。現状製造実験段階にあります新型爆弾および噴進弾道弾をもって五大湖工業地帯への『確定的破壊能力』投射能力誇示によりまして『帝国を滅ぼそうとすれば破滅的な結末を迎える』ことを明示、講和誘導という流れを考慮しておりまする。」

(註:この段階において、帝国陸海軍は太平洋上における米支軍撃滅作戦・中部太平洋侵攻作戦「Z号作戦案」と、アラスカ侵攻計画「星号作戦案」、その後のカナリア諸島を基地とした東海岸通商破壊戦計画と米本土攻撃計画「捷号作戦案」を立案していた。
このうち「捷号作戦案」は対独開戦時の日英共同戦略目標攻撃計画「V作戦」の予備計画を改訂し、「Z作戦案」は1930年代末から検討されてきた航空撃滅戦案を小改正したものであった。立案期間が非常に短期間であったことからも単独での対米開戦が想定外であったことを如実に示しているといえよう。)

主上「勝利すれど敗北すれど、傷は深くなろう。本当に道はないのか? アメリカ合衆国大統領に(註:天皇名義での)親書を出しても良い。」

嶋田「無理でしょう。すでにアメリカは我々を露骨に敵視しています。ここで陛下がどんなに平和を望まれても、彼らは聴く耳を持たないでしょう。」

この後主上、嶋田総理、同様の問答を続く。
嶋田総理、苦渋の表情極まれり。

暫しの後、主上、頷かれ離席され、明治大帝の御製を詠まる。
「四方の海 皆同胞と想ふ世に など波風のたち騒ぐらむ」と。
一同恐縮し敬礼す。

嶋田総理の「開戦だ。」の一言にて散会す。

一部紙において「百年戦争何をか辞せむ」との言ありとの件につき余は嶋田総理と暫し談す。
嶋田総理より皇后陛下が為に細君より仕立ての和洋着物類献上さる。
また、嶋田総理より家伝の上下(註:嶋田家家伝の太刀と脇差)を主上へ預けられる。
いざという際に切腹せんとする意思なり、なぜ誰もかれも生き急ぐかと陛下涙す。
(註:この数年、東郷平八郎元帥や乃木希典将軍をはじめ陛下は師を多くなくしていた。また、訪英時に親しく交わったジョージ5世もこの5年前に崩御している。)

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最終更新:2013年02月16日 21:14