286 :ひゅうが:2013/02/16(土) 09:05:24


  提督たちの憂鬱支援SS――「牧野侍従日誌」その2



――昭和17年8月17日 晴れ 蝉声洗うが如し。
主上、主要五紙朝刊を読まる。
米国にて未曾有の大災害発生かとの報は昨夜遅くに入れり。
払暁の御神事(註:宮中祭祀、朝4時30分には起床され国家安泰を願い神祇を祀られる)後に大本営より報告あり。

(註:永田鉄山陸軍大将が大本営情報部と外務省から当直職員を伴い参内。まず報告を入れる。以後戦時中はこの慣例が踏襲され、現場担当者かその代役から可能な限り生の声が奏上されることになった。)

華盛頓をはじめ東海岸各地との通信は途絶。倫敦(ロンドン)にも2米以上の大津波が侵入す。
帝国の新領土カナリア諸島基地とも通信は途絶せり。通信隊は華盛頓が本邦大使館員と同様絶望的か。
加奈陀がラジヲ局はアパラチア山脈が向こうの夜が紅蓮の炎で赤く染まりたると伝え、また倫敦ロイズ本社が鐘(註:ロイズ保険本社の鐘のこと。海難事故で船が失われると鳴らされる)は延々と鳴り続けると吉田大使(吉田茂特命大使)より報あり。
主上、公務を御会所(註:皇居松の間の横にある控室。緊急事態に際して即座に対応できるようにしたものと思われる。)に移され、内大臣府より政府各所へ「伝令」を出さる。

昼食は御一家にて採られる。
連日の猛暑に加え、戦捷祈願を込めてか湯漬けなり。

午後3時過ぎ、嶋田総理参内。
以下問答。


主上「緒戦はよくやったと聞く。陸海軍将兵の奮戦を労りたい。」

嶋田「ありがとうございます。比島の敵航空戦力は駆逐しましたが支那におきます陸上兵力は残っております。これを排除しますれば戦争目的の1つを達成できます。」

(註:大本営戦争指導方針によれば「日本本土に対する戦略的攻撃能力のはく奪」が戦争目的の一つであった。)

主上「そうか。しかし聞くところによれば北米大陸をはじめ北大西洋にて深刻な災害が生じているとか。状況はどうなのか。」

嶋田「非常に深刻な模様であります。総研と地震研(地震研究所)の解析待ちでありますが、少なくとも15米以上の大津波が北米大陸に押し寄せた模様です。加州(カナダ)における通信傍受によれば華盛頓も海に呑まれたと。」

主上「先の三陸の大津波(註:昭和三陸地震)以上か。」

嶋田「はい。被害範囲はあまりに広大です。北米大陸のほぼ全域から南米沿岸の半分、そして西部欧州沿岸から中部以北のアフリカにも大津波が襲いかかった模様にございます。
これは、倫敦駐在の文武官が英国政府に確認をとっております。
ロング大統領をはじめ米国政府は遺憾ながら消滅したも同然と思われます。」

287 :ひゅうが:2013/02/16(土) 09:06:26

主上「恐ろしいことだ。しかし、好機ともとれる。米本土を襲った未曾有の災害は、未曾有の戦禍を抑止できないだろうか。矛をおさめるわけにはいかぬか。」

嶋田「可能であればそういたしたいものでありますが、そうもいきませぬでしょう。」

主上「何ゆえか。」

嶋田「まず、米国は未曾有の危機にあります。その中にあり矛をおさめるのは、米国民には臥薪嘗胆を強いることにございます。余程の指導者がおればそれも可能でありましょうが、華盛頓もろとも失われた米国政府、いえ連邦政府の権威を代替するにはどうしても一戦し悪くとも戦前の権利権益を確保せねば彼ら自身が立ちゆかぬでしょう。」

主上「米国には多くの州政府があり議会がある。ならばそれらが協力し政府再建を為せるのではないか。この難局にあたり手を差し伸べ平和を回復することで米国民の心情を慰撫できぬかと考えているのだが。」

嶋田「ことが平時であれば可能であったでしょう。ですが彼らは嵩にきて拳を振り上げたところで道端に落ちていたバナナの皮で脚を滑らせ転倒したようなものです。
いかに傷が深かろうとも、それが却って戦意を高揚させてしまうでしょう。
『情けをかけられ、足元を見られる』ことほど誇り高き米国人を怒らせるものはありませぬ。いずれ、臥薪嘗胆を経て日露の戦役に臨んだ本邦のごとく我々に挑みかかってくるでありましょう。
また彼らの強大な海軍力はそのまま存在しており、彼らだけでわが帝国陸海軍の3倍はあります。
これをどうにかしない限り和平はできませぬでしょう。それに、彼らから見た同盟国の張作霖軍閥(註:北京政権)もいまだ健在であります。」

主上「安易な和平は将来の禍根となるか。」

嶋田「はい。しかし、開戦前に比べ、和平を結びやすくはなっているでありましょう。かの国の対外侵攻能力を剥奪できれば、実質的に彼らは北米大陸から出ることができなくなります。それだけでなく、ヒットラ総統(註:ヒトラーという英語読みは普及していなかった。これは「わが闘争」の和訳に際し右記の表記がなされていたためである。)率いる欧州と対峙している以上必要以上の海軍力低下は彼らの軍としても望まぬでしょう。
政府といたしましては、的を米海軍に絞り、それでも彼らが根を上げなければ開戦前の方針をとることにしたく存じます。」

主上「わかった。だが、被災した…盟邦(註:友邦とは言っていない)国民への支援は行いたい。また、米国民に向け朕の名で弔意を表したいが。」

嶋田「支援に関してはもちろんであります。また弔意に関しましては願ってもないことにございます。私の名で声明を出そうと考えていたところでございますので。」

主上「そうか。」

主上は満足そうに頷かれる。

嶋田「いくさにあたっては徹底的にやるべきではありますが、人倫を失ってはいかぬ。それを失っては軍は匪賊に同じとかの東郷元帥が示しておりまする。
(註:日本海海戦において白旗を上げつつも機関を停止しなかった残存戦艦への砲撃を継続し、かつ戦後はロジェストベンスキー提督や捕虜への配慮を欠かさなかった東郷元帥の逸話を指していると思われる。)
戦時における公正は、いずれ来る戦後において帝国の見えない財産となり、かつ後世への範となりましょう。」

主上「うむ。」

嶋田総理退出す。
主上は、「朕は嶋田らを誤解していたやもしれぬ」と仰せになられり。
さっそく自ら筆を執られ、推敲をはじめらる。
NHKとの交渉を命じられ、内府(内大臣府)は二徹確定なり。

(註:8月18日午後6時付けでNHKは天皇陛下自らの出御を仰ぎ、生放送で玉音をTV・ラジオ放送した。これに嶋田総理も同伴し、大西洋大災害=大西洋大津波の犠牲者への哀悼の意を表した。これに伴い物心ともに日本帝国は戦時体制へ移行することになる。)

288 :ひゅうが:2013/02/16(土) 09:07:25

――昭和17年10月25日 木枯らし強し 今冬は厳冬となるやもしれぬ。
主上は昨夜よりあまり眠られぬ由。
矢張り東郷元帥の薫陶ありしか。

(註:東宮御学問所時代から東郷元帥や乃木将軍の薫陶を受けたため軍略方面にも通じていた。そのため比島沖海戦の報告を受け夜遅くまで地図を見ていたと入江侍従日記に記載がある。牧野の筆は若干の呆れを含んでいるようである。)

午前10時、嶋田総理参内。
顔色は先日の参内よりよし。
聞くところによれば新型栄養ドリンクをはじめたとのこと。
主上より那須の蜂蜜を下賜すべしとの命あり。昼食をともにしたしとも仰せになれり。
嶋田総理の秘書官は疲労顕著につき、内大臣府より使いを出す。

会見においてはまず主上が捷利を言祝がる。
総理は肩の荷がひとつ下りた様子なり。
以後、食堂に総理を同伴され、会食。
昼食にも関わらず洋食なり。秘書官ならびに官邸警護官らにも同メニューを出す。

(註:明治時代以来、皇居の昼食は和食を基本としていた。嶋田総理らの激務を労う形で洋食が特に命じられたようである。)

以下問答。

主上「これで太平洋に展開した米海軍の半分を撃破か。」

嶋田「はい。残るはハワイに残存せる太平洋艦隊主力のみであります。幸い、英連邦は中立を維持する方針にて豪州インド洋方面からの圧力は考慮せずともよくあります。
政府としましては、比島については封鎖にとどめ、来るハワイ作戦やアラスカ侵攻に備えたく存じます。」

主上「侵攻はせぬのか。」

嶋田「陸上戦力をとられすぎましょう。早急にアラスカを制圧せねばなりませぬゆえ。
何より時間がかかりすぎましょう。」

主上「であるか。して、戦略兵器の開発は順調か。」

(註:この時点において核兵器をはじめとするアラスカに展開予定であった戦略兵器群の機密情報は存在そのものの秘匿から、存在をにおわせる程度の機密へと格下げされていたようである。)

嶋田「はい。来年春までには初号弾の実験ができますでしょう。長距離爆撃機については試験結果も良好で、初期ロットの製造にかかっております。
弾道弾に関しては少し遅れておりますがこればかりは。当面は新型爆撃機『富嶽』を主力といたします。」

主上「そうか。聞けば、シカゴ政府から和平の申し出があったと聞くが。」

嶋田「米国の対日放送にてグルー大使が出演して呼びかけたと聞いております。政府への正式な通告はまだであります。米本土においては遺憾ながら和平の意思は新聞各紙に存在していないといってもよいでありましょう。」

主上「正式なものが来ればどうするのか。」

嶋田「交渉には入りましょう。しかし、米海軍力への攻撃は継続いたします。彼らは大西洋大津波により戦力の補充能力を喪失しております。
でありますから、交渉にかこつけて戦略的再編や補給を行いおうとするやもしれませんから。」

289 :ひゅうが:2013/02/16(土) 09:11:10

主上「戦いには相手があるか。」

嶋田「左様です。支那や独ソの如き前例もありますれば。」

主上「独ソといえば、欧州の戦況はどうか。」

嶋田「英国情報部によれば、独軍はコーカサス山麓カスピ海沿岸のバクー油田を目指し『ブラウ作戦』を開始しております。モスクワへの正面攻撃は断念した模様で、かわりに石油の確保を優先したと。」

主上「やはり、米国からの輸入が途絶した影響は大きいか。」

(註:日米対立の激化と英独停戦に伴い、米国はメキシコ湾岸やテキサス油田の石油を第三国経由でドイツへ輸出していた。
これには英国系海運会社も関与しており、日本の反英感情を助長する結果となっていた。)

嶋田「ルーマニアのみではとても足りぬでしょう。英国も直接輸出はペルシャの中立撤廃やソ連の中東侵攻を誘発する危険性があり二の足を踏んでいるようで。
慌てて人造石油工場を増設しておりますが、仏大西洋岸の被害状況もありますし何よりコストがかかりすぎ、はかどっておりません。
独ソ両国から遼河油田の石油援助の要望が来ております。」

主上「辻蔵相あたりが喜びそうであるな。」

一同笑い。
以後は歓談に移る。

午後2時頃まで喫茶後、辻蔵相の迎えで嶋田総理一行は退出す。
嶋田総理は参代前より気疲れしたようなり。
主上いわく「大魔王辻はこのことか」と苦笑さる。


(註:米アジア艦隊を撃滅したことで一息ついた嶋田総理だが、仕事は山積していたようである。この時期の嶋田総理の平均休息時間は一日3時間ほどであったと秘書官は記録に残している。)

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最終更新:2015年07月13日 22:39