293 :ひゅうが:2013/02/17(日) 06:48:35

   提督たちの憂鬱支援SS――「牧野侍従日誌」その3



――昭和17年12月8日 快晴 なれど帝都は酷寒。
東北にて食糧不足の兆しありとの報により、那須御用牧場より乳製品の放出を決す。
皇后陛下手ずから包装せるとのことに付、典侍侍従奮起せり。
欧州北米にて寒波厳しと倫敦より報あり。とりわけロシアは寒波に閉ざさると。
アナ陛下(註:アナスタシア皇女。ロシア皇室の長として遇するために宮中は率先して「陛下」号を付け呼んでいた。)の手の方々よりの非公式情報によればウラール地方にて餓死者続出とのこと。
連絡がつくモントリオール公使館からの報とあわせて鑑みるに、北米の寒波はさらに厳しとの由。

(註:ロマノフ朝直属の情報網、いわゆる『オリガ・ネットワーク』を通じ、宮中もソ連領内や北米の状況を把握していたことがわかる。
多くが19世紀以降の北米上流階級となったロシア系移民や、ソ連領内に残存した中下級貴族あるいは白衛軍支持者で構成されるネットワークは合法活動だけで両国の実態をつかんでいた。)

北米におけるインフルエンザ流行は誤報。
日本赤十字ならびに帝国疾病予防監視機構(註:通称「能登研」。第2次欧州大戦開戦に伴い陸海統合防疫本部より改組し40年4月より極秘裏に実働を開始していた。42年11月ニューファンドランド島経由での病原体確保に成功。)より報告あり。かの新型伝染病はペスト変異種との由。
北米の惨禍はとどまるところを知らず。
シカゴ暫定政府は強硬姿勢を崩さず傘下新聞各紙を通じ黄禍論を煽る。
矢張り太平洋艦隊と一戦せず停戦講和は望めず。
尤も、本邦においても比島封鎖を非難、支那陸上占領地拡大を強弁せる紙面意見の類も多くあれば五十歩百歩か。
否、彼らもまた長期持久態勢構築を期する者なり。星号作戦案を知らぬといえばまた理解できぬでもなし。

午後2時、大本営より伝令あり。
嶋田総理より「星号前段階開始、なお気候混乱に鑑み捷号大西洋方面準備を中止」との一言のみが伝えられる。
主上、二度頷きて政務に就かれる。
それにつけても今冬は寒し。



――昭和18年1月1日 梅雪強し。
新年なれど戦時下がため儀典は方通り。
嶋田総理秘書官よりの代奏あり。
攻撃部隊はミ島(註:ミッドウェー島のこと。)を攻略し、布哇諸島方面作戦に備えると。
年末より嶋田総理らは官邸にて激務を続く。
秘書官に弁当類を持たすよう御下命あり。

(註:戦時下のため、必要な儀式以外の新年行事は省略された。
しかしテレビやラジオを通じて新年のメッセージを発するなど慣例を破るようなことがいくつか行われている。
牧野の記述は短いが、一部保守層の反発ほど宮中での反応はなかったものと思われる。
記述内容はハワイ方面作戦が主であり、彼らが並々ならぬ関心を抱いていたことを窺わせる。)


――昭和18年1月7日 快晴 寒波は一段落。
本日、嶋田総理より代奏あり。
「蜂1号発動。連合艦隊全艦は各鎮守府を抜錨し出撃す。」
此れより1月余、主力部隊は内南洋にて訓練待機を行い、中下旬をもって米太平洋艦隊ならびに真珠湾軍港への攻撃を敢行予定。
まさに太平洋の天王山ならむと。

(註:同日、比島および支那大陸封鎖部隊を除く連合艦隊全艦は呉の柱島泊地を一斉に抜錨。豊後水道を抜け太平洋へ出撃した。
太平洋戦争の初期作戦終了後の整備を終えた艦艇群も含め稼働艦艇の大半をつぎ込み、内南洋方面に主力部隊を展開させつつミッドウェー島攻略を支援する目的である。
このため戦力を誇示する目的で出撃は白昼に行われた。
アラスカ侵攻作戦「星号作戦」準備のために嶋田総理らは激務に追われこの1カ月あまり嶋田総理は宮中へ参内していない。そのため、官邸つき武官と秘書官らが代役として奏上する形となっていた。)

294 :ひゅうが:2013/02/17(日) 06:49:13

――昭和18年1月14日 晴時々曇、遠雷あり。
布哇方面での通信量激増。
大本営よりの報告によればミ島(ミッドウェー島)は無血占領。
いよいよ天王山近し。
本日、近衛公(近衛文麿前首相)参内。
国内食肉の件につき(註:戦時下のうえ満州が戦場となったため穀物輸入量が減少し、東北北海道などでの畜産業に打撃が出始めていた。)暫し懇談後、向後の方針につき二三の問答あり。

以下問答

主上「近衛らはこの戦争をいかな形で終える心算なるか。」

近衛「戦前であれば西太平洋における自主生存圏確立を挙げていたでありましょう。しかし現在は太平洋全域における帝国の管制権確立と、少なくとも米国の半分との和平済民によって向後半世紀から1世紀の帝国の安泰を確保したく思います。」

主上「米国の半分とは、かの華南のようなことを北米にて行うつもりか。」

(註:大英帝国が実施したいわゆる「華南分離工作」のことを指している。こうした分離工作についてはあまり好意的ではなかったようである。)

近衛「いえ。既に分裂は加速しております。そも米国は連邦政府をもって州という名のリパブリック(註:共和国)を束ねる国家連合にございます。
大津波による連邦政府の消滅と北米東岸の主力工業地帯壊滅は、この前提を大いに揺るがし、いっては悪いですが有色人種『ごとき』に敗北する連邦軍は、価値観が遅れてきた19世紀帝国主義の残存各州政治家や無産階級市民の敵意を増大させこそすれ減少させ得ぬでありましょう。既に臨時連邦議会は機能しておりませぬ。それに。」

主上「何か。」

近衛「北米において猛威を振るう疫病禍は、明らかに異常であります。信じたくはありませぬが細菌兵器の漏えいという可能性が現状最も高く、これによって最悪の場合・・・
災厄は北米大陸にとどめ得ないこととなります。
これを察知してか、残存する米財界は中西部工業地帯を帝国陸海軍の攻撃圏内にも関わらず西海岸各地へ移転。五大湖工業地帯もこれに追随しつつあります。
これが意味することはただひとつ。米国、少なくとも米財界は東部および中部地域を切り捨てたのであります。」

(註:のちにいうアメリカ風邪の情報はカナダ経由で逐一もたらされ、この時点において既に日本の戦争指導方針に大きな影響を与え始めていた。大本営がアラスカ侵攻作戦と核開発に全力を投入し第二次直隷侵攻作戦を中止したのはこの1週間あまり前であった。)

主上「疫病により窮鼠となった米国は、国を割るか。」 主上、一瞬絶句さる。

近衛「御意。『連邦軍』の捷利により政府を再建できればよし。そうでなければ米国は各州ごとに分裂し、大津波の被災者や疫病から逃れる難民の群れと各州軍が相撃つ壮絶な内乱状態となりましょう。
この無政府状態が続けば、疫病は米国軍の圧力の抜け不穏な空気の漂う中南米へ飛び火しましょう。最悪なことに、アルゼンチンやウルグアイをはじめとする南米諸国は、大西洋大津波からの復興のため農作物や畜産物の欧州への輸出を拡大しております。
これを止めよといっても、大西洋上にわが軍の拠点は現在存在しておりませぬ。
この寒波にて、欧州の穀倉地帯は凶作となり、ウクライナやポーランドなどは戦場と化しております。疫病、食糧不足、まさに近代以前の戦争が再現されることとなります。」

主上「なんとおぞましい未来であるか。これを阻止できぬのか。いかな米国といえども良識はあろう。
聞くところによればニューヨーク州知事であったトマス・デューイなるものが副大統領となったとか。かの者は対日和平派と聞いた。」

295 :ひゅうが:2013/02/17(日) 06:50:01

近衛「それが成ればよいのですが、いささか時が遅うございました。もしもこの疫病がなければ――いえ、現状間に合うかどうか。北米の治安は寒波とともに加速度的に悪化しつつあります。ことに有色人種や労働階級の戦争継続への不満…というより食糧不足や疾病対策への遅れは致命的であります。
なまじ豊かであったため、米国の上層階級はロシア革命を誘発した悪夢の螺旋が発生しつつあることを理解しておりませぬ。」

主上「布哇にて日米両軍が激突すれば、彼らはいずれにせよ大打撃を受ける。そうなればもう遅いであろう。
『連邦軍』の重石のとれた米国民は『万人の、万人に対する闘争状態』に入るということか。」

(註:トマス・ホッブス著『リヴァイアサン』の一節。)

近衛「はい。未確認情報にございますが、ソ連が大恐慌以来の新興労働組合などと接触しているとも。手をこまねいていればアメリカという名のパンドラの箱から世界に巨大な災厄が飛散しかねませぬ。」

主上「アメリカはわかっていないのか。」

近衛「少なくとも欧州に残存せる旧国務官僚たちは理解しております。ですが、臨時政府を構成するアパラチア山脈以西の中西部諸州の官僚たちや臨時議会の人々は理解しようともしておりませぬ。
ただ、戦争が事態を悪化させつつあることのみは共通認識で、それも勝てば何とかなると考えているようで。」

主上「なんということか。」

近衛「ともかく、このような情勢下におきましては一戦し、アメリカ太平洋艦隊と戦わねば状況は変化し得ませぬ。英国は仲裁を試みておりますが、米国は逆に独国へ接近する始末にてまったく効果を上げておりませぬゆえ。
ともかくも、このような次第にて最低限米国の西海岸部におきまして政府機関および軍事力を維持した政権を維持し疫病禍を封じ込め、かつ米英の影響力の低下しました太平洋地域の安定を確立することこそ帝国の目指すべき『終戦』の形にあると愚考いたします。」

主上「それは、嶋田総理らも同意見か。」

近衛「疫病封じ込めと太平洋地域の安定については同意見にございます。そして、戦略的な『確定的破壊能力』誇示によりまして米国政府に屈服を強いることについては戦前よりの戦争方針にて、総理においてはかかる情勢を考慮しつつ勝利を希求しております。」

主上「わかった。だが、修羅の道よな。」

近衛「陛下?」

主上「かの者は、主戦派と目されつつも血気盛んなものたちの手綱を握り、勝利を目指す。
その後に残るものをよく理解した上でだ。しかし逃げることはせず。
貴公の言う『終戦』以後はそれも不可能となろう。」


以後、二三の算段となり、枢府上院(註:枢密院と貴族院)が承諾を得る。

(註:対米戦勝利の暁に嶋田総理を叙爵することがここで決した。)

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最終更新:2013年02月24日 20:30