311 :ルルブ:2013/03/03(日) 03:29:05
前書き。これは本編第一話より以前の話(掲示板でもあまり振られてない憂鬱世界の明治維新)から太平洋戦争終結、更にサンタモニカ会談を得た最新話外伝第11話までのサブストーリーです。
主人公はオスマン・トルコに生まれたトルコ人の家系。
彼らトルコの民から見た日本、日土交流、激流の世界恐慌に、二度の世界大戦と日独対立に翻弄される時代を描こうと思います。
数章で構成されるので少し長いですがよろしくお願いします。夢幻会が活躍するのはだいたい第二章以降の予定です


提督たちの憂鬱支援SS 

『トルコ人の物語・第一章 受け継ぐ伝統、エルトゥールル号事件とアリー・セル・セルジューク(少年期)』


西暦1853年、オスマン・トルコ帝都であるイスタンブールの中堅層の住む区画にて少年は出兵した父親の戦死広報を聞いた。
そして顔を見上げる。
見上げた先に居た母親は気丈にも広報を届けに来た男が立ち去るまで、そして家の扉が閉まるまで立っていた。
呆然とする15歳の結婚直前の姉と何が起きたか分からない9歳の弟をそれぞれ部屋にやる。
そして自分がそっと足音を立てずに立ち去ったのを見送り、母は遂に耐え切れなくなったのか泣き崩れた。

(母さん)

静かに見る。それだけ。言葉は無い。言葉など無い。
何も言えなかった。
何も出来なかった。
何も出来る筈も無かった。
あの気丈な母が、いつも強く生きろと言い続けていた母が、父を尻目に親族のかじ取りをしていた母が声を押し殺して泣いている。
子供たちに聞かれない様に必死に泣いている。
ただただ泣いている。握りしめた戦死広報の紙は涙でしおれ、ぐしゃぐしゃになり、唇からは血がしたたり落ちる。

(・・・・父さん・・・・父さん・・・・父さん!)

そして今年12歳になる少年は一月前の事を思い出す。
ロシアとの戦争。クリミア戦争に出征する為に家を離れる父は出征の直前の夜、まだ酒を飲んだ事の無い自分を呼び、酒を飲ませた。
今思えばきっとあれは別れの酒。きっと父さんは分かっていたのだ。自分は死ぬ。それが神の定めた運命であろう、と。

『アフメット、来なさい。お前に大切な話がある。そうだ、絶対に忘れてはならない話だ。
お前は我が祖父アリーの直系の孫だ。あの忌々しい侵略者であるロシア人のコサック騎兵らを蹴散らした祖父の直系の孫なのだ。
このオスマン・トルコ帝国の、騎馬民族の末裔だ。それを忘れるな。良いな?』

頷く自分。
強く頷かさせる父親。

『覚悟はできている様だな。よし、お前に渡すものがある。来なさい。いいか、覚悟だけは忘れるな。誇り捨てるな』

そう言って自分の部屋の書斎を開ける。ガチャリと鍵が開いた。清帝国が使っている南京錠だ。古びていない。油も刺されている。
書斎には古今東西のオスマン・トルコの歴史書やムスリム各帝国の歴史書が存在している。
ここは自分が生まれてから一度も、母ですら結婚し、その初夜直前以外は入室した事が無い父の聖域。
其処に古びた、しかし歴史と伝統と製作者の威信を見せつける箱があった。それを開ける我が父。

『これだ』

手に取りだしたのは一つの三日月刀。宝石など彩色は無いが実用性重視の剣。しかも今すぐにでも使えるように研いである。
その切っ先は芸術品に見える。後で聞いたらダマスカス鋼を使っているという。
機能美と言う言葉があればまさにこれだ。職人芸を極めた、敵を切り倒す為の職人の剣。ムスリムの戦士が扱うにふさわしい。

『これはだな、父さんが、父さんの父さんから、つまりアフメット、お前の御祖父さんから受け継いだモノだ。
そしてこれを一番最初に受け取ったのはスレイマン大帝の近衛部隊としてウィーン包囲戦に参加した我がセルジューク家の開祖だ。しかも大帝陛下の手直々で、だ』

『スレイマン大帝陛下から!?』

『そうだ、あのスレイマン大帝陛下からだ。そしてお前の御祖父さんもその御祖父さんも受け継いできた我が家の伝統であり誇りでもある。
本来ならもっと後に、お前が立派なムスリムの戦士となってから渡すつもりだったが・・・・恐らく父さんは生きては帰れないだろう。
忘れるな、ロシア人は憎いが強敵でもある。決して敵を侮るな、現実を見ろ、夢想家になるな。絶対に忘れるな。生き残るには現実を見る必要があるのだ。
だからその戒めも込めて今日、お前にこれを渡す。
そして仮に父さんが生きて帰ってきてもこの剣は返すな。これからはお前が母さんたちを守るのだ。その気構えを持て』

312 :ルルブ:2013/03/03(日) 03:30:07
頷く事しか出来なかった。そう言った父はその後母の部屋行った。そして翌朝何事も無かったかのように出征して・・・・・躯なり帰って来た。
そして今、クリミア戦争は終戦。祖国は戦勝国となった。形だけの戦勝国だ。利権など何も手に入って無いと言って良い。

(俺たち有色人種は、我が帝国は体の良い弾除けだったのか!?)

怒った。だが怒った所で現実が変わる筈も無い。
母は父の死後、それから必死で働いた。ムスリムの掟に背いて背徳的な商売にまで手を出した。
だが、それで体調を崩しだした。だから見かねたある時もう辞めてくれ、俺がみんなを養うからと言った。そうしたら母は笑いながら言った。

『アフメット、私はきっとあの人の、お父さんの元にはいけないわ。アラーがお許しにならない事ばかりしてきた。
でもね、それでも私は後悔してない。だって、私は貴方たち三人を育てた。一人前に育て上げたのだから』

(母さん・・・・そんな顔で笑わないでよ。父さんはそんな事を望んでない!)

それから二月後、母は売女として死んだ。殺された。下手人はロシア人ともイギリス人とも言われているが分からない。
少なくともこの世界の、白人に間接的に支配され続けられているオスマン・トルコ帝国では一人の中堅売春婦の命、しかも有色人種など見向きもされないのだから。

「母さん、父さん。俺は強くなる。強くなって、いつかこの世界を見返してやる」

この時12歳の少年は既に35歳になっていた。海軍の少佐として対露戦の為に航海科に勤務する海軍士官だった。
それから約15年。49歳になるアフメット・セル・セルジュークは妻のアイシェが生んだ5歳になる双子の姉妹と待望の跡継ぎ、今年で12歳の男子、アリー・セル・セルジュークを見て思った。
自分が父からあの剣を受け継いだ時と同じ年の息子を見て。まるで未来は無限の可能性を持っていると言う息子の顔を見て。

(父さん・・・・父さんから受け継いだモノを渡す時が来たようだ・・・・父さんの孫に)

19世紀後半、いや、19世紀末期の事である。
そしてまた時は流れた。
1889年、オスマン・トルコ帝国のスルタンは自国の勢力挽回と周囲への権威を見せつけるべく新造木造フリゲート艦であるエルトゥールル号を極東地域まで派遣する事を決定。
開国したばかりの大日本帝国や清帝国、アジア各地のムスリム諸国にオスマン帝国の威信を見せつけたいという思惑から600人を超す人員を極東地域まで派遣する事になる。

(エルトゥールルはイスタンブールに帰って来れるだろうか? 
この航海は我が帝国最大級のものだ。しかも宮廷の権威争いの側面があるとあいつが言っていた。
本当にインド洋を経由して日本までいけるのか?)

出港日の午前11時ごろ、イスタンブール軍港にて多くン家族が一時の別れを惜しんでいた。
多くの海軍の家族と同様、アフメットの妻が不安そうな顔をする。
往復して2年近い航海だ。しかもイギリスとは違い我が祖国は決して海洋渡航能力に優れた国家では無い。寧ろ陸軍国だ。海洋能力は未知数。黒海の制海権さえロシアに奪われている。ついこの間はギリシアの独立を阻止できなかった。
その衰退している祖国は海運国、海軍国では無い。これ程の長い遠洋航海など出来るのだろうか?
航海長にして副艦長の大佐として艦に乗り込む自分でさえそう思う。

(だからこそ、アリーに渡すモノがあるのだ。渡さなければならないのだ)

懐から絹で包んだ剣を取り出す。

「アリー、来なさい」

「?」

不思議そうな顔をする長男の前で自分の腰に差していた三日月刀を鞘ごと手渡す。
それは少年と青年の境目にいる男にとって実物の重さ以上の重さを感じた。
何故かはわからない。だが、確かにそれは自分にとって大切な存在だと理解できた。

「これは父さんたちセルジュークの血を引くもの全てが受け継いできた大切なモノ。いわば我が血統の誇りだ」

真剣な目線。覗き込む、吸い込まれる瞳。

「ほ、こ、り。父さん、何を言っている・・・・」

「そう、誇りだ。父さんは帰ってくる。だが、今この瞬間からお前はセルジューク家の跡取りでは無くなる。スレイマン大帝陛下から続くセルジューク家の当主となる。
双子の妹たち、老いた母、親族一同の未来と可能性がお前の双肩にかかっている。
それを忘れるな。この剣はな、かつて父さんがお前のお爺さんから受け継いだのだ。この剣は我が血族そのものだ。
そしてお前もトルコ民族の、草原の騎馬民族の末裔としての誇りを失う事無く生きろ」

そう言って父は船に乗る。それが彼、アリー・セル・セルジュークという人間と大日本帝国との関わりの始まりだった。

313 :ルルブ:2013/03/03(日) 03:30:44
11か月の航海の後、イスタンブールの新聞社は日本の横須賀港にエルトゥールル号が入港した事を告げる。
それを聞き安堵する母。幼馴染にして婚約者のラーレが喜ぶ。が、この時代の通信は逆行者がいた21世紀の地球に比べて遥かに遅い。
だから彼らは知らなかった。
この報道が入ったまさにその時、彼らの父親を乗せたエルトゥールル号は日本の領海で行方不明なった事を。沈没した事を。
そして5日後、急報として宮廷から一人の海軍将官が馬を駆ってアリーたちの前に訪れて事実を告げた。

『エルトゥールル号、沈没。乗員の生死不明』

『帝国政府、救難活動は不可能と判断。捜索ならび生存者の本国帰還政策を事実上破棄』

事実だけ淡々と告げる海軍少将。
それを聞かされるアリーと母親のアイシェ。双子の妹らは今は私塾に行っていていなかった。

「う・・・・嘘ですよね?」

母アイシェは縋る様な目線で報告に来た海軍少将に問いかけ、いや、縋る。
父親の上官にして、かつての父親の担当した訓練生の一人であり現在は宰相の側近にまでなっているトルコ海軍少将に。
悲痛な顔をする海軍少将。それが母親を絶望に落とす。かつて祖母がそうだったように。

「嘘ではありません。これは緘口令が敷かれていますが・・・・奥方にはお伝えしなければならないと思いお伝えしました。自分の独断です。
本年1890年9月16日未明、日本近海に置いてエルトゥールル号は沈没。犠牲者、遭難者は600名を数えております。詳細は不明。
現在、大日本帝国の大久保総理と宰相閣下が電信で概略だけ連絡しあっており、それを知れたのも、沈没の事実を知ったのも自分が外交担当に抜擢されたが故。
だからこそお伝えできたのです。
大佐がどうなったのか・・・・それは分かりませんが・・・・お覚悟の程だけはお願いします。それでは失礼します」

そう言って敬礼し立ち去る。
アリーは知らず知らずのうちに全てを聞いた。そして肌身離さずにいる愛刀を握りしめる。
愛刀は冷たかった。温もりをいつも感じていた筈の先祖伝来の無名の愛刀は何故か今日に限って冷たかった。

「ま、待って下さい! 少将。救難活動は出来ないのですか!? 帝国が無理でもイギリスなら可能では!? フランスは!? 
植民地をアジア各地に持つ彼らなら救助の艦隊を派遣できる筈です。
あ、そうだ、その日本を開国させたアメリカでも構いません。いいえ、この際ロシアでも良い!! どうか、どうかお願いします!! 少将、貴方から陛下へ奏上して下さい!
夫を見殺しにしないで!! あの人たちを返して!!!」

必死の哀願だ。だが答えは無常。無言で首を振る海軍少将の行為は絶望以外の何物でもなかった。
この白人優越主義、帝国主義全盛期にわざわざ有色人種にして、後進国の木造フリゲート艦一隻の救助の為に艦隊を動かすはずがない。
それも瀕死の病人と呼ばれているオスマン・トルコ帝国相手に、だ。

「それは我々も考えました。しかし・・・・どの国も無しの飛礫です。
英仏独だけでなく米露に加え、オランダにも頼みましたが余力はないとの事です・・・・そう言う口実で我らを見捨てたのです。無念です」

そう言って今度こそ去っていく。いや、去るしかなかったのだろう。
この時18歳のアリーは思った。それは奇しくも父と同じ思いだった。

(自分達は強くなければならない。そうでなければ喰われる。それがこの世界だと。だが、どうやって?)

それだけを想いながら。もう会えぬであろう父を思った。
それから数週間。母アイシェは表面上とても明るく振る舞った。が、夜ひとりだけになると安物のお酒を大量に飲むようになってしまった。
母は少しでも情報を知ろうとしたが女の身では限界がある。ましてここはムスリム圏。女性の外出さえあまり歓迎されない。
しかも夢幻会が後に構築するインターネットなど存在しない時代。

(母さんはまだ信じている。父さんは生きている、いつか帰ってくると。でもそれじゃ駄目だ。
最悪の事を考えないといけない。父さん・・・・・いや、セルジューク大佐は殉死したのだと言う事を。だったら当主として僕が動かないといけない。
例えそれが母さんや妹たちを失う事になったとしても)

そこで自分が動くことにした。
アリーは土日の休暇、ワザと海外留学生やイギリス海軍将校やロシア陸軍将校、外国人向けの酒場で差別に耐えて働きながら、独学で陸軍士官学校の門を叩くべく勉強するローテションを作った。そんなある日の事。
件の酒場にてウェイターのまねごとをしていると三人組の男たちが新聞を広げながら話をしていた。身なりからイギリス人で大使館の連中と分かる。

314 :ルルブ:2013/03/03(日) 03:32:27
恰幅の良い黒のスーツを着たイギリス人が同僚らしき人間に話題を振る。
余談だがこの時代のスーツは仕事服や正装ではなくジャージの様な存在である。

「おいお前さ、聞いたか?」

「何を?」

「エルトゥールル号だ」

「ああ、この国のスルタンが派遣した木造フリゲート艦だったけ?・・・・あの極東で沈んだ船だな。それがどうした?」

「いや、なんでも生存者がいるらしい。それも150名ほどで最高位は大佐だそうだ」

「へぇ~そいつはよかったじゃないか。正直俺は全員死亡だと思って・・・・・」

三人の会話に思わず聞き耳を立てた。そして我を忘れて彼らの話に飛び込む。
相手がイギリス人だろうが関係ない。
黒スーツを着て寛いでいた男の胸ぐらを掴みあげて顔をぶつける。痛みなど忘れて鬼のような形相で詰問する。

「ほ、ほんとうですか!? エルトゥールル号の生存者がいるんですか!? どこです!? どこにいるのですか!?」

剣幕に押されたのか取り敢えずアリー引き離す。

「お、おちつけ。お前さんあの船の関係者か?」

それを聞きアリーはぽつりと言った。

「・・・・・・航海長として父が乗っていました」

「そ、そうか・・・・いいか、これは噂だぞ、それでも聞きたいのか?」

無言で頷く。

「エルトゥールル号は確かに沈没した。しかし、何とか乗組員らは脱出。日本の漁村に辿り着いたらしい。
噂では嵐の中多くの小舟で日本人らが助けてくれたそうだ。しかも非常食まで提供してな」

詳細は英字新聞に書いてある、そう付け加えた。

「そ、それで!?」

「向こうの皇帝陛下・・・・ああ、天皇陛下っていうらしいが、勅命を出したそうだ、君たちトルコ人の為に最大限の救援活動を行うように、って。有り難い事じゃねぇか」

俺も船乗りの父親を海難事故で失っているからお前の気持ちは分かる。
そう言って男は注文していたビールを飲み干す

「それじゃあ、もしかしたら父も・・・・帰ってくるかもしれない」

希望。

「希望を持つ事は良い事だ。例え小さくとも・・・・君の親父さん・・・・無事だといいな」

「大丈夫さ、お前さんは見どころがある。その親父さんが海難事故位で死ぬわけがないさ」

「ああ、お前の親父さん航海長だったんだろう? 確かに犠牲は大きかったらしいがそれでも150名以上は助かったんだ。
きっと無事さ・・・・・なあ小僧、俺たちの、イギリス人の与太話を信じるか?」

「信じます。父は生きている。そう信じます」



それから3か月後。日本から二隻の軍艦がイスタンブールに入港する。金剛と比叡の二隻。
大日本帝国からの親書を持ってきた日土友好の第一陣だった。
紺色の海軍軍服を着た男たちが下りてくる。そしてイスタンブール軍港に展開したトルコ陸軍軍楽隊が『君が代』と『海ゆかば』を演奏する。
そして軍港に並び、横一文字に整列し、ラッパと共に一斉に敬礼する日本海軍の軍人たち。
好奇の目で見る同胞のトルコ人。その中にはアリー・セル・セルジュークもいた。

315 :ルルブ:2013/03/03(日) 03:35:25
自分達と同じ黄色人種が、小柄な人間らが軍艦二隻から降りてくる。
日本と帝国の旗を振り歓迎する帝国臣民たち。
それを傍目で見ながらアリーは思った。

「あれが・・・・・日本人・・・・陛下が言う極東の友人」

更にタラップから兵士たちが下りてくる。それはトルコ海軍の軍服を着た男だった。
最初に降りてきた男は右手が無かった。だが、それでも足取りはしっかりしていた。

(父さん!)

間違いない、右手が無なかったがしっかりと両足で降りてきた男は死んだと思っていた父アフメットだ。
一緒に来ていた母のアイシェは泣いている。声を上げそうなるのを必死に堪えながら、それでも大粒の涙を流している。
と、それぞれ若い将校らがトルコ海軍軍人らを一人一人案内する。家族の下へ。
父が来た。右手を失ったがそれでも瞳には意志がしっかりとしていた。そこへ案内役の少尉候補生らしき人が敬礼した。

「エルトゥールル号副艦長、アフメット・セル・セルジューク大佐のご家族でありますね?
自分は日本海軍所属の秋山少尉であります。この度の遠洋航海の間、セルジューク大佐の臨時副官を務めさせてもらいました。
先ずは先の海難事故にて救助が遅くなり、多くのトルコの友人を助けられなかった事をお詫び申し上げます」

そう言って深々と頭を下げる。書物では知っていたがこれが日本人の礼儀作法であり謝罪である。
母が言った。自分が英語に直して通訳する。
もっとも泣きはらんだ母の顔と口調から何を言いたいのかは向こう側も察しているだろう。

『いえ、いえ、そんな事はありません。異国の地で朽ち果てる筈だった夫を連れて帰ってきてくれた。それだけで十分です。
どうか。どうか頭をお上げください。私は、少なくとも私たちトルコの民は貴方方の好意と行為を忘れません』

私はその時の母の顔を忘れる事は生涯なかった。
そして右手を失いながらも残った左手で敬礼する父の姿も。




同時刻 大日本帝国 東京 内閣総理大臣官邸。
史実2.26事件を知る転生者の影響からか、この時代には過剰なまでの警護要員がいる内閣府官邸。
更に維新の三傑の一人である大久保利通が、不穏分子の旧武士階級による移動中のテロに遭遇した事件『紀尾井坂の変』が1878年、つまり今から約三年前の明治11年に発生しているのでこの政庁区画は365日24時間厳戒態勢が敷かれていた。
何しろ、あの坂本竜馬も暗殺されかけているのだ。寸前で回避したとはいえ、彼らの存在が今の明治日本を作っていると言う事を考えると警護はどれだけ過剰でも過剰すぎると言う事は無いだろう。
しかも転生者の助言から極秘の戦争計画、対清帝国戦略が連日連夜議論されているのだから。
現在は元新撰組の斉藤一らが46時中護衛に付き、休日以外と公務以外は官邸の仮眠室(といっても鹿鳴館の一等迎賓室並みだが)にいる。
そして今現在、大日本帝国の帝国議会より指名され明治天皇陛下によって任命された第三次大久保内閣、内閣総理大臣大久保利通が口を開く。
手には兵部省から送られた電報があった。内容は派遣した二隻の軍艦の件と難破したトルコ人らの護送である。

「そうか、二隻はイスタンブールに着いたか」

その内閣執務室の横にある総理大臣用応接室でまだ肌寒い東京の寒波に負けない様、木炭ストーブを焚きながら近衛公に対して問う。
この場では近衛公の方は立場が弱い。転生した以上、平成の知識という武器があるとはいえ明治維新を手探りで成功に導いた男の筆頭が目の前にいる。
彼の未来知識は現在の第三次大久保内閣にとって無くてはならない知識だが、だからこそ大久保は彼らが暴走する事を危惧していた。故に手綱を緩める事は無い。
実際、護衛と言う名前の密偵もいる。
彼らに明治の元勲に取って未来知識など眉唾物だった。
3年前の自身の暗殺を予言した謎の黒服の男でさえ暗殺未遂になった瞬間まで信じられなかったのだから。それでもこうも未来を予言し当てられたら信じるしかない。

「これで総理も私たちの言葉を信じて頂けますね?」

それは確認の言葉。
確かに有無を言わせぬ何かがある。だがそれに屈する様では国家としてみると赤ん坊よりも弱い基盤しかないこの明治日本を支える事など出来ない。

「分かった。これで他の者達への手回しはしよう。それで・・・・そうだった・・・・第一に君たちの組織名を決めなければならないな」

そう言って立ち上がり、腕を後ろに組み植えられた桜の木を見る。見れば桜は咲き始めたばかり。あと数週間で桜は満開になるだろう。

316 :ルルブ:2013/03/03(日) 03:38:54
『夢幻会』

後にそう呼ばれる組織の手によって要人護衛は史実以上に強化されていた。
例えるならば総理官邸には内務省管轄のSPにして特殊部隊(陸軍正式小銃並び拳銃配備)が120名、海軍陸戦隊と陸軍近衛師団が1個小隊30名ずつ、止めに通常の警察が120名の総計300名が完全武装で24時間警戒している。しかも指揮系統は官邸警備長という独自の役職を作って完全に独立した組織となっていた(明治の時点では、という但し書きが付く)
しかも高層建築が無い明治時代で、PSG-1の様な史実の名狙撃ライフルなどまだ開発されてないから狙撃の心配も少ない。
尤もそれでも大久保の信望者による転生者の知識を使って各ガラスの防弾性は強化されており、止めに何を考えたのかどうやって加わったのか、軍ヲタ転生者が設計に加わった事から、ガトリング砲の連続直撃に耐えられるような壁構造(海軍駆逐艦の費用を流用した人物がいる)に、三重ガラスと曇りガラスを採用した総理大臣官邸。
止めに植物による天然の防壁を築いた。
四季折々の季節の花が咲く事で内閣府を国民に親しめると同時に、狙撃弾道や暗殺者の照準の邪魔をする様にしている。
仮に桜が満開になれば南側の窓全域が桜の花びらに覆われる構造だ。そうなれば狙撃による暗殺はさらに困難になるだろう。
近衛はそう思いながらも大久保に問う。

「名称ですか・・・・それはまだ後で良いでしょう。それより総理、一つお聞きしたい事があります」

大久保は国産たばこ(無論、自費購入)に火をつける。この点は平成出身者が多い、禁煙者多数派の後の夢幻会構成メンバーらとは異なる。
彼ら明治の元勲らに取ってタバコとは浪漫であり、かっこ良さの象徴なのだ。
しかも莫大な税収になる。これは酒税と双璧を成す税金だ。史実の日露戦争でもたばこ税が活躍し平成の世でさえ大規模な税収となっているのだからその重要性が分かる。
因みに史実の大久保利通が死んだとき、彼は個人の遺産として殆ど資産を残さず、大半を国債購入に充てていたのは有名な話だったが、この世界の大久保総理も同じ傾向がある

(これが大久保利通か。明治維新の三大英雄。それにしては良くたばこを吸うよな。
もしかして単に酒好き、女好き、タバコ好きなだけかもしれないけど。
あ、税収にかこつけてるだけ?)

と、近衛公が不謹慎な事を思っていると、その不謹慎さを察したのか大久保が話を振る。

「それで何かね? あとここは喫煙室だ。嫌なら平成の御世に流行っている禁煙や分煙とやらを推進する事だね。」

襟を正す。流石に正面切って明治の元勲と相対している時まで平成の癖を出す事はしない。というか出来ない。
やはり身にまとう覇気とでも言うべきものが違うのだ。

「トルコ海軍所属のエルトゥールル号です。私たちは警告しました。
あのフリゲート艦は和歌山県の沖合で岩礁に接触して沈没する。そもそも艦自体が航海のダメージを受け過ぎており帰国は不可能です。
だから出港を遅らせるように働きかけるべきだと進言しました。トルコとの関係が悪化しても、です。
なのに何故、横須賀から出港を許可したのです? しかも万が一に備えて海軍の展開や海援隊の救助活動命令を下さなかった」

ああ、そういう事か。若いな。
幕末を駆け巡った大久保は若い近衛の言葉を頼もしく思うと同時に若いとも思った。
若さと言う事は良い事だ、とも。

「私は内閣総理大臣であり陛下から臣民を守る義務を持つ。それは分かるね?」

頷く近衛。

(そうだ、それが政治家の義務だ。売国奴と呼ばれてもそれだけは忘れてはならない)

317 :ルルブ:2013/03/03(日) 03:40:04
「ならば私にとっての優先順位は日本国臣民であり、彼らの財産や命が最優先なのだ。それが政治家と言う人種だ。そうでなくては国政を担う政治家になる資格は無いと私は思っている。
確か、君たちは平成と言う西暦2000年代の未来からこの時代に来たのだろう?
その未来では人の命はこの時代に比べて遥かに価値のある様だ。それはとても素晴らしい事だと私は考える。
3年前の暗殺未遂事件で私の護衛に殺された石川県出身の士族らに対しても私は思うよ。私の政策に至らぬ点があったのだと後悔している。
だが、君も知っていよう? 今の日本に無為に人材を失う事は許されないのだ。
今が1890年。君の記憶通りに進めている我が国の対清帝国戦争計画が発令されるのが3年後。
実際の開戦は恐らく1894年。君らの記憶通りになる。
それが豊かな平成と言う未来の日本とは違い、貧しい明治の日本、つまりは今の海軍艦艇損失、二重遭難の危険性を冒してまでエルトゥールル号を救難する訳にはいかなかった。
私は日本の国政を担う者であり、天皇陛下から大日本帝国を任された。オスマン・トルコのスルタンとは立場が違う。
更にいうなれば彼らの面子を潰す可能性よりも、君らの言う史実通りに救難活動を行いそれをもって恩を売った方が国益に合致すると私は判断した。
それが政治家だ。少なくとも、大久保利通と言う政治家とはこういう者だ。それで答えになるか? 近衛君?」

そう言って一服する大久保。いつの間にか電信は片付けられている。
木炭ストーブ換気の為に換気扇を回す。

(そうか、これが一流の政治家と言う存在なのか。平成に存在した利権争いしかできない、或は国際感覚が欠如しているとしか思えない政治屋とは違う、本当の政治家だ)

近衛がどう思ったかは定かでは無い。歴史書も本人の日記も当人たちも沈黙している。
だが、その後に結成される夢幻会において多少(或いは過多)趣味に走る事が多い連中を曲がりなりにも国益最重視、その為ならば綱紀粛正も断行すると言う強硬姿勢を貫いた近衛公。
その政治姿勢はもしかしたらこの時の大久保利通から学んだのかも知れない。
エルトゥールル号沈没から約5か月。日本海軍は親善大使らを乗せて見事欧州に到達。
トルコ人の熱狂的な歓声と歓迎を受ける。
そして再び場所はイスタンブールに戻る。

「アキヤマ少尉候補生」

父がアキヤマという自分と同い年くらいの男に声をかける。
敬礼する日本人。そうだろう、如何に国が違えど父は我がトルコ海軍の佐官であり、この日本人は少尉だ。
階級は絶対だと言うのが軍隊間の常識の筈。

「君らには本当に感謝している。あのワカヤマの漁村の人々の助けが無ければ我々183名は全員が溺死か衰弱死していた。アリガトウ。
ついては私の家で君たちをもてなしたい。これでも海軍内部と地元には顔が効く。世界に誇る我がトルコ料理を持ってして君らを歓待したのだ」

「上官の許可が頂ければその申し出、有り難く頂きます」

「ああ、そう言うと思ってね、金剛と比叡の艦長らの許可はもらってある。明日の11時まで君らは半舷上陸だ。
どうかな? イスタンブール、我が帝国の帝都を案内させてもらえないかね?」

「手際が良いですね、大佐。そう言われては甘えるしかありません」

「よろしく頼む。ああ、この子はアリーという。私とアイシェの息子でありセルジューク家の当主だ。さあ挨拶を」

自分は持ってきた三日月刀を抜刀する。一瞬だが、何事かと日本軍人が振り向く。更に身構える日本人たち。
だが自分は気にしない。最大限の敬意を持って目線の高さまで先祖伝来の剣を掲げて、現在の世界共通の言語である英語で彼らに伝える。

「アリー・セル・セルジュークであります。このたびは我が父を救って頂き感謝にたえません。若輩ではありますがよろしくお願いします」

その言葉に目の前の将校も答えた。
右手が上がる。

「アキヤマサネユキ少尉です。どうぞよろしく」


『トルコ人の物語・第一章 受け継ぐ伝統、エルトゥールル号事件とアリー・セル・セルジューク(少年期)』

第一章 完

318 :ルルブ:2013/03/03(日) 03:40:46
次回予告

西暦1904年。
中国における権益の対立と海への入り口を求めて膨張を続けるロシア。これに対抗する転生者を主体にした日本。
そして遂に始まった日露戦争。それはロシアによる友邦国日本への侵略戦争だった。
この時、トルコ陸軍軍人となったアリー・セル・セルジュークは極東に派遣される。
そして彼らはなにを見るのだろうか?

次回 第二章 歴史が変わる時。トルコ人から見た日露戦争と大日本帝国(青年期前半)

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最終更新:2013年03月03日 11:33