319 :ルルブ:2013/03/04(月) 07:56:29
提督たちの憂鬱支援 SS
『トルコ人の物語 第二章 歴史が変わる時。アリーから見た日露戦争と大日本帝国(青年期前半)』

自分こと、アリー・セル・セルジューク大尉は1872年の暮れ、12月20日に帝都イスタンブール市街地に生まれた。アラーと家族の祝福を受けて。
それから18年後、父親が遭難死しかける事件が起きた。
この事件が自分の人生を変えるとは思いもしなかった。

オスマン・トルコ陸軍参謀本部。昨日の朝、自分に召集令がかかった。
今は1900年初夏。
個人的な関心としては現在、日露両国の政治的な対立が軍事的緊張まで高まりつつある事だ。父を救ってくれた恩人の国があのロシアと戦うのかも知れない。
もし負ければ植民地化されてしまうだろう。それを考えると胸が痛いのだが・・・・どうしようもないのも事実。自分は所詮は一士官にしか過ぎないのだから。

(それにしても急な呼び出しだ。一体軍務局局長は俺になんの要件があるのだろう?)

ラーレと結婚して3年。自分も28歳。ラーレは20歳。早く跡継ぎをと両家の親族一同が圧力を加えて来るが流石にそればかりはどうしようもない。
また、彼が陸軍士官学校に入学したのは1982年。
入隊時期が20歳を越していた為年齢の不利があった。それでもなんとか大尉になったが、それも対クルド人討伐で上官が敵前逃亡を図ってこれを報告した為だ。
口の悪い連中は密告で昇進したと言う。事実そう言った側面もあり、口下手な自分が否定しても肯定してもこういう意見は消えないと分かっているので黙っている。

(密告で昇進した、例の海難事件の生き残りの副艦長の長男。
それが28歳で陸軍大尉・・・・まあまあな昇進と喜ぶべきか、それとも危険な兆候と捉えるべきか・・・・悩みどころだな)

父は海難事故隠蔽と言う政府の政治的パフォーマンスの為に准将に昇進、海軍士官学校航海科の教官として軍に残れた。
お蔭で家族は食うに困らず、双子の妹も嫁に出せた。既に二人とも子供を産んでいるの自分はおじさん扱いだ。
だが、一方で父親は意見具申を怠り、艦内にて直属の上官を見捨てた、或は現場判断の能力が欠けている無能者だという批判も付きまとっている。
当然と言えば当然であり、言い掛かりと言えば言い掛かりだ。自分の事はともかく父親と家名を穢されるのは我慢できない。
尤も、そういう時はラーレと共に夜を過ごして昂ぶりを抑えているのだが。そうしないと何処かで暴発しそうだからだ。

(可もなく不可もなく。瀕死の病人を必死で支える尉官、中級将校が今の自分、アリー・セル・セルジューク大尉だな)

一方でオスマン・トルコと大日本帝国の国交はどうなっていたのか?
この点は史実とは大きく異なっている。坂本竜馬が健在な大日本帝国は海援隊を使い東南アジアの植民地警備に力を入れ、外貨獲得を行っているのは周知の事実。
また、史実通り勃発し、史実以上の圧勝をした日清戦争で、その実績からか曲がりなりにも欧米列強各国に対して意見できるようになった。
無論、列強諸国から見て極東に位置する東洋のサル共がいる小さな島国の意見を聞き受け入れるかどうかは全く持って別問題でもある。

更に未来知識から、西太后の支配する隣国の清帝国が、義和団事件などで大きくこけだす事を知っている転生者たちの会合、即ち『夢幻会』は将来に向けての投資先と味方の確保に全力を挙げていた。
当面の目標は史実の近代から現代までの日本外交最大の成功であった日英同盟の成立。
これが成功しなければ対露戦争、つまり日本にとっての独立戦争は極めて不利になる。

320 :ルルブ:2013/03/04(月) 07:57:07
ならば味方を増やす必要がある。故に東南アジア唯一の独立国タイ王国や、瀕死の病人と呼ばれているが依然として国土は広いオスマン・トルコなど現在の明治日本と対等な国家との友好関係樹立が行われようとしていた。
第三次大久保内閣はこれら転生者=夢幻会の意見を受け入れ、史実の様な不平等条約を結ぶよう圧力を加える事は無く、明治天皇をも動かしてタイ王国、オスマン・トルコ帝国、大英帝国、アメリカ合衆国らに働きかけを行っている。
オスマン・トルコは瀕死の病人ではあるが、彼の持つ資産、つまり大地には多数のレアメタルや鉱石、石油資源などが存在する事が未来知識で分かっていた。
そんな将来有望な友好国を目先の、どこかの馬鹿なマスコミが唱える下らない日本人優越思想で捨て去るなど愚の骨頂。それが大久保らの意見である。
勿論、そんな遠い異国の地の、極東の島国で開国したばかりの日本の事情をアリーが知る筈も無い。
ただ知っている事は、アキヤマ少尉ら日本人と父が友好を深め、自分が日本語を学び話せる様になった事、そして今でも国際便でアキヤマ海軍少佐(昇進された)とアキヤマ陸軍中佐(こちらは手紙のやり取りだけだが、アキヤマ少佐が陸軍騎兵部隊の指揮官である兄君を紹介してくれた)と交流があると言う事だ。

そして彼は気が付いてない。それは夢幻会と呼ばれる大日本帝国の陰の支配者らと交流があると言う事を。
と、考え事してるうちに軍務局局長室の前に到着した。ノックする。

「アリー・セル・セルジューク大尉、入ります」

「入れ」

その言葉に従いドアを開けて軍務局局長室に入る。
目の前の大佐の階級を持つ男は、人事権を持つ彼はおべっかで出世したと言う。ただそれ故に自己保身に長けていた。
彼はこの目の前の大尉が将来自分を脅かすのではないかと疑っているのだ。

「大尉、単刀直入に聞くが君は日本語が話せたな?」

挨拶も何もない。唐突な質問だ。だが答えない訳にはいかない。

「はい、日常会話程度なら可能であります」

鷹揚に頷いた大佐は一通の書類を見せる。

「見ろ、君の辞令だ」

そう言われて部屋にいた従卒が大佐の机から自分にまで運ぶ。大佐は紅茶を飲んでいる。
幾ら階級が上だとはいえ、部下の前でその姿は無いのではないかと思うのだが。

「拝見します」

そして読む。
内容は簡単だった。

「納得しとらんで、私の前で口に出して読んでみたまえ。そんな事も言われないと出来んのか? 最近の若者は質が落ちたのだな」

むっとしたが、努めて冷静な声で読み上げる。
辞令は簡潔だった。疑いようのない内容だった。

「大使館付き武官として大日本帝国へと着任せよ。着任期限は1901年5月1日まで。
艦はこちらで用意する。尚、帰国日時は未定であるが年単位の勤務を覚悟する事。
尚、妻子の同行を認める。また、明朝0800を持って貴官を大尉から少佐へと昇進させる。
貴官の祖国と帝国、陛下への献身を期待する。以上です」

目の前の大佐は若干28歳と言う異例の少佐誕生に面白くないのだろう。こちらの顔を見ず、窓の外を眺めていた。
窓の外にはスルタンの、陛下のおわすイスタンブールの宮殿が存在していた。

「例の宰相閣下お気に入りの海軍中将と、君の父君の推薦状があったからだ。自分の実力だと思うなよ、若造が。
その海軍中将閣下も確か貴様の父親の教え子だな? そのコネで昇進かね? 全く御曹司殿は羨ましいな。将来が約束されていて。
いいか、忘れるな『大尉』。貴様はたかだか地方反乱に一度参加して、しかも上官を蹴り落として昇進しただけだ。まあ運が良いのは認めるがな。何か質問は?」

321 :ルルブ:2013/03/04(月) 07:58:05
ある。これは自分一人なのか、それとも部下がいるのか? 仮にいるなら何人ほど連れて行かなければならないのか。
他に任務はあるのか、それを聞く必要がある。

「大佐、質問してもよろしいでしょうか?」

直立不動の体制から、足を開いて楽にして右手を挙げる。

「何だ?」

「自分に部下はいますか? そして自分の本当の任務は日本軍と日本の内情視察でよろしいでしょうか?」

何を当たり前な事を。そうありありと大佐の顔に侮蔑の表情が出た。

「まんざら馬鹿ではないか。
良いか、貴様には2個小隊60名が付く。運用は任せる。極東で殺しても誰も文句は言わない。いいか、そいつら60名は貴様の責任で運用するのだ。
更に士官学校の士官候補生が10名ほど追加だ。こちらの10名はかすり傷ひとつも許さんぞ。
決して最前線などには送るな。ああ、貴様らの武器弾薬に衣服食事住まいなどは日本人が用意してくれる。
日本の大久保前総理に感謝するのだな。噂では今の伊藤総理は我々の使節団派遣に対してかなり渋ったらしいが。
先程貴様が自分で言った様に、カイエンタイを初めとした海上戦力や傭兵部隊と、清帝国を打ち破った日本正規軍の実力をつぶさに観察し陛下にお伝えする事、それが貴様の真の任務だ。
理解したか? これ以上不愉快な面を見せる気か?」

「了解しました。退室してもよろしいでしょうか、大佐殿?」

「ああ構わん。さっさと下がれ。辞令を忘れるなよ」

1901年1月5日、アリーは親族総出で祝われた。極東への派遣とはいえ29歳の少佐は十分誇って良い昇進速度である。
宴は1月1日の昼から続いており、今日が最後だ。明日の13時にはこの国を離れる。多くの親族が祝う中で、母だけが心配そうにしている。
そもそも陸軍を受けたのは自分の希望もあったが、父が死にかけたと言う事実が母の中でトラウマ化してしまった事も理由だ。
その父も右手を失った影響か、ここ数年で衰え、余命幾許も無いだろう。それが分かっている。

「そうか・・・・あの国に・・・・日本に行くのか」

父が懐かしむ。そうだろう、あれからもう10年だ。決して長い時間では無いが短い時間でもない。
思い出にするには十分すぎる時間が経過した。
あの時18歳だった自分ももうすぐ30歳だ。
少年の時代は終わりをつげ、青年期もまた終わろうとしている。

「はい、行きます」

孫をあやしていた父は、ふと視線を自分の腰に向ける。先祖伝来の三日月刀。
これを数十秒の間見る。もしかしてクリミア戦争で戦死した祖父を思い出していたのだろうか?

「アリー、全ては神の御心のままだ。お前が明日この国を離れるのはお前が生まれた時から決まっていた事なのだろうな。
そして・・・・恐らくお前とはもう二度と会えん。軍人の私が言うのだ、間違いない」

沈黙。が、父は直ぐに次の言葉を続けた。

「孫は娘たちが見せてくれた。後は、お前自身が生きろ。ラーレは良い女性だ。それにまだ25にもなっておらん。まだまだ子供が出来る可能性は高い。
そしていつか男子が生まれたら・・・・・かつて父さんがお前の祖父から受け取ったように、あの日、イスタンブールを離れる時にお前に父さんがした様にその剣を引き継がせろ」

頷く。言葉は要らない。
そしてお互いに無言で酒を飲み干す。それが最後の一滴だ。

「もう寝ろ・・・・・アリー」

「?」

名前を呼ばれて振り返るアリー・セル・セルジューク。

「忘れるな、己を信じろ、セルジューク家の誇りを忘れるな・・・・・行け、そして世界を見てこい。父さんは世界を見てきた。お前も見てくるのだ」

その言葉を後にアリーは部屋を去った。父から渡された愛刀と共に。

322 :ルルブ:2013/03/04(月) 07:59:07
史実近代以降の日本最大の外交成果の一つを挙げろと言われればまず列挙されるのが日米安全保障条約だろう。この条約、安保があったからこそ日本は高度経済成長を遂げられたとも考えられる。
ではこれに匹敵するのはあるか? 実はある。 それは1902年1月に締結され第一次世界大戦終了まで継続された日英同盟だ。
そもそもイギリスの伝統的国策は『栄光ある中立』、要は束になってかかってきても勝てる自信と欧州(この時点ではアメリカは新参国として無視)ルールに従って欧州全土を掌握できると言う自信の表れだった。
が、その政策もビスマルク登場以降変貌する。中堅国家だったプロイセンが大国を目指すドイツ第二帝国となり、やがてドイツ皇帝の政策変更でこの栄光ある中立も形ばかりになろうとしていた。
その一番の要因は各国の近代化の成功だろう。
イギリスが独占していた産業革命技術が他国に流出し、更にはボーア戦争などでパックス・ブリタニカが崩壊。
極東地域での軍事力展開能力が著しく減少した。
この影響と義和団事件における日本軍の活躍、地政学上の点から日本に目を付けたのだ。これが現在の世界情勢である。

「と、これが、大蔵省若手の辻君が言っていた史実の分析だそうだ」

伊藤博文が大村益次郎大将に話す。
ここは内閣府官邸の会議室。参加メンバーは坂本竜馬、大村益次郎、伊藤博文、大久保利通、伏見宮博恭王に小村、桂、山県、井上の9名がいた。

「なるほど、それではやはり日英同盟は成功すると?」

外交を担当する小村に桂は頷く。

「坂本の海援隊の陰で外貨以外にも植民地警護という名目からある程度の実績と信頼を列強諸国に見せている。
仮にロシアが極東地域で南下した場合、これを座視できないイギリスは向こう側から帝国との同盟締結を申し込むだろう」

なるほど、と何人かが頷くが納得できない者もいる。
筆頭は山県だった。特に大村益次郎に軍最高司令官の職を奪われた事が尾を引いている。
まあ、それだけが理由では無い。彼は長州を率いた現実主義者。
それが未来知識だの平成の御世だの、人は月まで行き、日本海の底にまで達する事が出来るなどという夢物語を語られても困ると言うのが彼の考えだ。

「ほう・・・・それも夢幻会が言う史実知識とやらかね?」

しかし夢幻会は現実に存在し、彼らの知識は明らかにこの明治の世界のものでは無い。明治以降数十年の知識がある。
後進国にして植民地化寸前の祖国日本を思えばそれは大いに活用すべきだ。迷っているべきでは無い。
先ずは国益を優先するのだ。

「やめろ、山県。日英同盟は決まった事だ。伊藤、貴様が内閣を纏めて必死に対露開戦回避を求めているのは知っている。
だが、ロシア皇帝は我らを猿と呼び人間扱いしてない。しかも不凍港確保の為に大軍を満州に送るのは目に見えている。
証拠に義和団事件で我が軍は率先して在中外国人を保護し、更に一番先に撤兵したにも関わらずロシア極東軍は増強の一手だ。
これは戦争準備と捉えてよい、そう考えるべきだ。そして利用できるものは全て利用する。例え外道と言われても我が国が生きる為ならば神でさえ利用するかない。
それはここにいる全員が同じ気持ちだ、そうだな?」

323 :ルルブ:2013/03/04(月) 08:00:19
大久保が仲裁に入る。この世界の事実も史実も同様にロシア軍は戦力を欧州方面に撤収させる所か逆に大軍を派遣しだした。
1900年代、ロシア帝国が進めているシベリア鉄道は単線とはいえほぼ完成が見えてきた。
仮にシベリア鉄道が複線化した上で大軍を派遣された場合、この国の命運は尽きる。つまりもう迷っている時間は無い。
だからこそ、この極秘会談で決着をつけるのだ。対露追従政策か、対露対決政策かいずれかを決める。

「小村、アメリカからの返答は?」

「中立を守ると、また、我が国が終戦後に南満州の権益を解放するならユダヤロビーが資金援助を行います。
この点はイギリスも条件は同様です。ですが夢幻会の言う通りならばその条件で対英、対米工作は成功するかと。事実外務省も手ごたえを感じております。
それだけロシアの極東進出、中華方面への軍備増強とボーア戦争の痛手は大きいのでしょう」

そこでこの中で最年少にして皇族の伏見宮が発言する。

「夢幻会の方からの報告です。開戦を1904年と仮定しております。大阪軍需工廠や民間工場を使った現在の武器弾薬生産は順調。
海南島を中国、失礼しました、清から奪ったお蔭で鉄鉱石の独自採取が可能となったのが大きいでしょうね。
我々の知る史実において日本陸軍は全ての戦いで弾薬不足に苦しみましたが今回は史実で必要とされた弾薬の二割、いえ、三割増しは最低でも確保できます。
海軍艦艇に至っても松島級という役立たずを役立てる案を考案しました。後日改めて皆様に配布します」

と、ここで無理やり参加させられた坂本竜馬が発言する。
ちなみにこの官邸には日本酒、焼酎、泡盛、ウィスキー、ワイン、ビール、バーボンなどがあるが国家の将来を決める最重要な会議と言う事で、参加者の前には日本緑茶と梅干入り玄米おにぎりしかない。

「ほ~おまん、ほんと手際がいいぜよ、そうじゃ!! いっそん、わしの海援隊にはいらんか?」

おほん。大久保がわざと咳をする。

「坂本、ここは公的な場だ、英語でも良いから標準語を使え」

「おまんもかたいこと・・・」

「いいから標準語を使え!!!」

「分かった」

さて議題を戻す。議長役の大久保が最終的に纏め上げる。

「それでは我が国は1904年の2月6日を開戦日する。その大前提として本年中に日英同盟を締結するのだ」



トルコ大使館。本国から交代要員として派遣されたオスマン・トルコ帝国軍が警備するこの大使館で、アリーはイギリスの新聞を拾って、日本で購入した貴重なコーヒーを吹き出しそうになった。

『英国王立政府、大日本帝国と同盟締結を確約』

『英日同盟成立。対ロシア政策か?』

という二つの見出し。

(な、なんだと!?)

あのイギリスが、世界最強国家にして七つの大洋を支配する日の沈まない帝国が極東の後進国の、しかも資源も何もない見返りなど期待できそうにない島国に援助する。
外交の最高形式である同盟と言う形で。あの海難事件の際、小規模な艦隊の派遣さえ断ったイギリスが援護するのだ、この島国を。

「少佐!! 少佐!!! これは何ですか!!! イギリスと日本が同盟を結ぶとは一体何事ですか!?」

士官学校候補生にして3歳年下の中尉、ムスタファ・ケマルが部屋に駆け込んでくる。見れば自分の持つタイムズ新聞を持っていた。
彼の名前を史実のトルコ人問えば凡そ8割から9割の人間がこう答えるだろう、『トルコ共和国建国の父』、と。
その彼も何の運命の悪戯か、自ら志願して極東の友人に会いに行く事にした。彼の中にはきっと今の祖国を救うのは発展した国家である英仏ではなく、途上国である米独日のどれかであり、そして最も祖国と環境が似ている大日本帝国が最適であると。

「何かとはなんでね? ケマル中尉、君も将校であり、第一小隊30名の指揮官なのだから落ち着きを持ちたまえ。
将校たる者いついかなる時も落ち着く事だ。将帥が慌てればどんなに優位な戦でも勝てなくなる」

は! 失礼しました!!

「分かれば良い、それで何かね?」

そう言って新聞を広げる。コーヒーを彼に注いでやる。トルコでは見られない木造建築の一軒家が連なるこの国で。
そして横浜にある大使館から見える海とその向こうにあるであろう、我が祖国、帝国。

「少佐はどう思いますか? この事件を。あの世界最強の帝国がこの友邦国と手を結ぶ。これは大きな変化です。
少なくとも、白人優越主義だけでは無くなりつつあると私は思います」

324 :ルルブ:2013/03/04(月) 08:01:09
理想に燃えるケマル中尉。彼は現スルタンの専横に反発しており、トルコは革命を持ってしてでも変化すべきと言う熱い思いを胸に抱く好青年だ。
軍人と見れば反乱予備軍でも、一人の愛国者と見れば心強い存在。この東洋で実質私の片腕になってくれている。
そうだ、そしてこの瞬間、私も今は胸が熱い。この国が、大日本帝国が変わりつつある。開国してから必死に列強に追い付こうとしていた国が大きな変換点を迎えた。
それは世界が変わりつつある切っ掛けなのかもしれない。

(ああ、ケマル中尉の言う通りだ。
私の父が、祖父が果たせ無かった事をこの国の人々はやり遂げた。白人の国と対等になったのだ。
これは進歩だな・・・・ちがう、進歩では無い。進化だ。世界の進化だ!)

すると士官候補生らを全員呼び集める様、従卒の軍曹に命令する。

「少佐、何を?」

にやりと笑う。笑うしかない。そうだ、笑え。今日この日を、日英同盟成立を祝う日本国の国民と共に祝って笑うのだ。

「何をぼやっとしている。ケマル中尉、今すぐに我々も勉強会を開くぞ」

キョトンとした顔をする。一体の何を議論するのだ? そう顔が言っている。
それに答えてやる。

「決まっている! 何故日本がイギリスを外交で屈伏させる事が出来たのかだ。
何故、アメリカが強引に開国させてから50年程度しか経過して無い東洋の島国があの世界最強国家と手を結べるようになったのか、それを我々の手で検証し帝国に持ち帰るのだ。
全てはトルコに住む同胞の為だ、ぼやぼやするな、頭を切り替えろ、そうだ、暇そうな外交官らも呼んで来い。今日は徹夜だぞ!」

1902年1月30日、史実通り大日本帝国は大英帝国と同盟を締結。『日英同盟』の成立である。

それから8か月後。

「産まれたか!!」

横浜の外国人居住区で妻のラーレが1902年9月15日に待望の男子を出産。

「え、ええ、ほんと、頑張ったのよ? 辛かった・・・・眠い・・・・でも・・・・寝る前に聞かせて。
何て名前をつけるの?」

答えは決まっていた。時代を切り開いたムスリムの英雄の名前を付ける事を。

「ああ、サラーフ・アッディーン陛下にちなんでサラフ、サラフ・セル・セルジュークと名付ける。
俺がお前の父親だ。いいか、これがお前の母さんだ。お前が大人になって子供を授かる時にはきっと世界は変わっている!!
お前のひい御祖父さんの仇であるロシア帝国も無くなってオスマン・トルコ帝国が再興されているぞ!!」

その時の言葉を彼は1940年代後半になってこう邂逅する。

『世界は確かに変わる。アキヤマが言っていたショギョウムジョウノヒビキアリ、ジョウシャヒッスイノコトワリヲアラワス、と。まさにその通りだった』

と。

「あなたらしい。ちょっと寝るね。流石に・・・・疲れた」

だが好事魔が多し。
西暦1902年11月、温暖化が進み地球全体が温まっていた史実21世紀とは異なりこの世界の横浜は寒かった。
夢幻会の手で東海道線の複線化の開通が完了していた横浜に新橋を出発した汽車が到着した。
そして公邸として提供されている、二階建てのアパートに郵便配達員が来た。手渡される郵便物。電報だった。
(明治政府は文明開化の名の下と、夢幻会の所有する史実知識を使った耐震建築に21世紀技術を建築に応用、出来る限りの快適さを追求されている。
後に救国の宰相嶋田が呆れたように、不便と言う理由で上下水道を完備しようとしている夢幻会派閥が存在するくらいだからだ。
これは日本が近代国家であると言う事をアピールする為に辻正信が伊藤博文と高橋是清に提言した結果、国家政策として誕生した。
寒村地帯や農村はともかく、関西と関東、そして中部の大都市群は明治後半とは思えない程、史実に比べて歪な発展を遂げている。
神戸や横浜の異人館などはその良い例だ)

「アリー、どうしたの?」

妻のラーレがリビングで無言の夫に声をかける。息子のサラフは漸く寝付いたばかり。いつもならその寝顔を見に行く親バカが今日に限って何も言わない。
ふと注意して見ると例のセルジューク家の三日月刀が鞘から抜かれ、置いてあった。

325 :ルルブ:2013/03/04(月) 08:01:45
「アリー?」

もう一度声をかける。ずっと一緒で頼りがいのあった兄の様な存在。今や自らの伴侶。
だが、今日この時の伴侶の顔は泣きそうだった。

「あ、ああ・・・・・何でもない」

「・・・・・・」

「なんでも・・・・・なん・・・・で・・・も」

「嘘をつくのは止めて。何があったの?」

「・・・・・ほんとうに・・・・・なんでもないよ」

「嘘ね。ほんとの事を言って」

「・・・・・・」

「アリー・・・・・私は貴方の妻よ・・・・・だから本当の事を言ってください」

妻はある意味でアラーより怖い。アラーの前でもここまで正直になれるだろうか?
ふと、涙が落ちた。そしたらもう止まらなかった。
思い出が心の壁を押し流す。

「・・・・・・父が・・・・・・今朝・・・・・死んだ・・・・・母たちの前で・・・・安らかに逝ったらしい」

電報にはこう書いてある。発信者は年老いた母のアイシェ・セル・セルジュークだった。

『父アフメット、死去。本日ヲモチ、長男アリーヲ我ガセルジューク家ノ当主トスル。尚、以下、遺言ヲ伝エル。

誇リヲ忘レル事無カレ。自分ヲ信ジヨ、サラバ、最愛ノ息子、サラバ』

その日、長男の息子、つまり自分の直系の孫の顔を見る事無くエルトゥールル号副艦長であり、最終的には海軍士官学校校長アフメット・セル・セルジューク少将(死後、教え子らの署名活動により昇進)は逝った。

326 :ルルブ:2013/03/04(月) 08:03:24
1904年2月上旬。
『日露開戦』 
『帝国海軍、旅順に展開する露軍艦隊へ攻撃開始』
『朝鮮半島に5個軍団上陸、帝国防衛の為、南満州へと進撃開始』
『続け、帝国臣民よ。勇猛果敢なる帝国陸海軍と共に未曽有の国難へと立ち向かえ』

日本の新聞が一面に『日露戦争開戦』の報道を掲げる。
そんな中で、オスマン・トルコ帝国政府の帝国陸軍大臣より直接の命令がアリーの元に届いた。
それは観戦武官として派遣されると思っていた彼の期待を大きく裏切るものだった。
『発、陸軍大臣。宛、アリー・セル・セルジューク少佐。義勇兵部隊として日本軍に参加せよ。尚、その際の戦闘報告の通達は全てに優先する事。』

横浜の異人館で私は軍装に身を包む。ケマル中尉以下10名の将校は参加させない予定だ。
彼らにはこの国、『メイジニホン』という国の異質さと共通さを知って貰う必要がある。
それを帝国本土に持ち帰るのだ。制度も、考え方も、技術も、未来への向かい方、その何もかもが必要だった。それを未来のオスマン・トルコ帝国に役立たせるために。
そして二月下旬。大日本帝国陸軍がロシア軍と接触、これを撃破した頃、自分達も表向きは対日友好政策の為に義勇軍、裏の顔は実戦データ取集の観戦武官、更に裏の顔に宮廷内部の派閥争いの余波による生贄と言う何ともやりきれない状況で日本を離れて満州に行く。

(父さん、思えば遠くに来たね)

「ラーレ、サラフ、スレイマン、行ってくるよ。必ず生きて帰る」

そう言って彼女と3歳なるサラフ、この間生まれたばかりの次男スレイマンの二人を抱きしめる。
そんな中、てっきり後方にいるだけだと思っていたラーレは不安を押し殺しながら夫を見送る。

(義勇軍・・・・たった一個小隊の義勇兵。ロシアに何か言われても現地の、夫の暴走で処理できる規模で、それでいて日本の友人に恩を売れる政策。
本国の・・・・宮廷の人たちは自分達が助かればそれで良いと言うのね・・・・)

一方で、唯一志願した士官学校候補生のケマル中尉は1個小隊を指揮していた。
僅か30名の義勇軍。全滅しても本国は何とも思わないだろう。北にいるロシアやロシア皇帝ニコライ二世に対しても言い逃れできる。

『日本に派遣した現地軍が独断専行を行い勝手に動いた』と。

実際そう言う筋書きが宮廷内部で作成されていた。無論、セルジューク少佐もその動きは推測できた。
だが、仕方ない。帝国の現状はそう言う姑息な手段を取らざるえないほど追いつめられているのだ。もう手段を選ぶことなど出来ない。この点は夢幻会を擁する明治政府も同様だった。
オスマン・トルコ帝国は国内改革に失敗し、明治の日本とは異なり国内の意思統一さえ上手くいって無い。
クルド人問題だけでは無い。ギリシアやキプロスの独立、南欧地域やエジプトの総督らの越権行為も甚だしい。

(日本の総督=大名が大政奉還で支配権を皇帝に返上し、中央政府がたった一度の戦乱で国内全土を纏め上げた事自体が奇跡だな。
極東にある太陽の帝国、大日本帝国か。生きて帰れたら・・・・・もう少し調べてみよう)

「総員、乗船開始!」

それじゃあ行ってくる。

ラーレ、サラフ、0歳のスレイマンの三人に見送られて『オスマン・トルコ対日派遣義勇軍』と名付けられた僅か1個小隊の部隊は日本軍の艦船に乗り仁川に向けて出港した。

1904年、5月。日本軍第三軍、旅順包囲。

「中尉、見ておこう。乃木将軍の言う火力こそ戦場の神だという事が本当かどうかを」

騎兵将校として訓練を受けていたアリーにとって重機関銃陣地やボルトアクション式38式歩兵銃などは眉唾物だったが、それでも否定する気には何故かならない。
明治の日本の町並みは決して欧米列強に劣っていたとは思えなかった。上下水道道の整備、大阪と東京を一日で結ぶ高速汽車の配備、京都と言う文化都市に各地の大名(アリーの認識では世襲総督)たちが築き上げた城下町。
更には海軍力もある。英国から最新鋭艦を購入するだけの財力とそれを運用するだけの技能。どれも帝国には存在しない。

「はい、少佐。伝令、乃木将軍は何と?」

「は、明朝0300時を持って8時間の事前砲撃を開始、その後203高地を奪取する、との事です。またトルコ義勇軍は奪取した203高地にて観戦されたし、被害甚大な場合は独自の判断で撤退されたし、以上です」

ケマル中尉が頷く。
兵士は全員がオスマン・トルコの国旗を腕に付け、日本製の38式歩兵銃で武装している。
ひやりとする愛刀を片手に、アリーは時間だ、と思った。

327 :ルルブ:2013/03/04(月) 08:04:53
一斉に砲門を開く日本陸軍。史実では流血の産地となった旅順要塞を包囲に留める事は大本営の決定。
しかし史実通りロシア太平洋艦隊が旅順港に存在してはバルチック艦隊と挟撃され日本連合艦隊は壊滅するだろう。
故にモニター艦扱いの松島級を使う事にした。38cm主砲一門とはいえ、動かない目標に向けて撃ち込むなら前提条件が全く異なる。
夢幻会の戦略は今のところそうだった。

「凄いですね・・・・まさかこれ程までとは」

万遍なく要塞全域に砲撃を仕掛ける日本軍とそれに反撃するロシア軍。これが次世代の戦争か。軍曹ら一人一人に突撃命令が下りるまで観戦武官として情報収集に当たるように命じてある。
無論、自分もケマル中尉の言葉を聞きながら書き続けている。母国語のトルコ語で。

「ああ、だが気が付いたか? 中尉、要塞全域に向けて撃ち込んでいる様だがやはり最重要攻撃目標は203高地の様だ。10時間後が楽しみだな」

全くです。

10時間後、203高地に日本陸軍の軍旗がはためいた。そして乃木将軍の要請でトルコ義勇軍も203高地防衛に向かう。

「電信を利用した海軍との連携・・・・・その為に港を見渡せる高地を奪うか。合理的だな。更に囮としての要塞全域への砲撃に、敵の逆襲に備えての重機関銃陣地の構築。
その移動には馬車を遠慮なく使っている。日本軍は思った以上に近代化されている様だ」

独り言のつもりがケマル中尉には聞こえたのだろう。全く同感ですと同意する。

「これならもしかしたらロシア軍に勝てるかもしれません。いえ、勝てるでしょう!!」

苦笑いする。また港にマツシマ級の36cm弾が着弾、巡洋艦が一隻被弾し横転した。更に二発が付近の駆逐艦に着弾。これも沈める。
傍らでは日本軍の電信兵が必死に連絡を取り合っている。203高地占領から4日。戦況は日本軍の優位のまま進んでいた。
そして翌朝未明。

『敵襲!!!』

その言葉に仮眠室から起き上がる。直ぐに小銃を掴み、先祖伝来の愛刀を腰に差して塹壕をでる。
ドイツ製の双眼鏡でまだ薄ら赤い大地を見る。見ると最低でも3000名はいるのではないかと思われるロシア兵が僅か500名と30名の義勇兵しか籠もらない陣地に向けて独特の、「ウラー」という掛け声で突っ込んでくる。
知らず知らずのうちに手が震えていたが、それでも士官義務は果たす。

「ケマル中尉、軍曹、総員着剣。装弾数は一度に付き5発だ。忘れるな。なお、水を飲む事。戦闘開始後はそんな事は出来ない」

「は!」

それからの事は良く覚えてない。敵の重砲撃の中必死で小銃で敵を撃ち、崩れかけた機関銃陣地でブローニング社製の重機関銃で30名以上のロシア兵をなぎ倒した。
日本人の医学界が言うアドレナリンとやらが脳内に分泌されていたのか分からないが自分は至極冷静に一人一人殺して行った。
気が付いたら、敵兵はいなくなった。日本軍の被害はどれほどなのだろうか?
そう思って塹壕から顔を出す。500名はいた守備隊は半数まで減らされたが、ロシア人の死体の数はどう見積もっても2500名はある。負傷者もいれたら攻撃に来たロシア軍は全滅だ。
と、その時、ケマル中尉が私の腕を引っ張った。

「少佐!! 何してるのですか!? 死にたいんですか!!」

騎兵が、恐らく突撃の生き残り部隊が撤退間際に攻撃に転じた。パンパン。ケマル中尉が38式小銃で右の方を馬、人の順で撃ち殺す。だが不幸な事に私の小銃は弾が無かった。
仕方ないから白兵戦しかない。

(騎兵相手に歩兵が白兵戦? 笑えないな!)

サーベルの一撃を小銃で耐え切ると、そのまま銃剣で馬の横腹を指す。落馬するコサック兵。だが敵の戦意は衰えてない。
即座に拳銃で撃つ。4発の弾丸が幸運にも私の傍らを通過した。だが今はその小銃でさえない。距離を詰めるロシア人。

(死ぬ!?)

それはとっさの判断。私は先祖伝来の愛刀を引き抜いた。サーベルと三日月刀がぶつかり、安物のサーベルを折る。唖然とするロシア人の大尉の階級を付けた将校の喉笛に三日月刀を差しこんだ。

328 :ルルブ:2013/03/04(月) 08:10:12
血しぶき上げ倒れる敵兵。そして散発的なる銃声。
助からない重傷者に止めをしていく兵士達、捕虜として連行されるが、国際法に則り丁寧に扱われるロシア兵。この点は史実を知る夢幻会が強く推した。

(敵兵への扱いがしっかりしている。これが文明国を目指す日本の戦略なのか? 見習わなければならないな)

「少佐殿、どうやら終わりました」

軍曹が報告する。右手から血が流れているがそれを日本の友人が応急処置してくれている。

「そうか・・・・軍曹、君も無事で何より。それで小隊の被害は?」

「小隊30名中12名戦死、7名行方不明、2名敵前逃亡故に射殺。軽傷者3名ですので無傷な者は6名だけです。
進言します。我が対日義勇軍オスマン・トルコ帝国軍特別第一小隊は壊滅しました。これ以上の戦闘継続は不可能です」

そうだろう。そしてロシア軍も騎兵と歩兵で5000名は失った。僅か一度の戦闘でこれは異常だな。
絶対に本国に記載する必要がる。今後の戦いは騎兵よりも重機関銃の方が遥かに有効であり、重機関銃陣地への突撃は自殺行為である、と。
また重機関銃などの新兵器を開発量産化するだけの国力を整備する必要があり、それは国内改革が重要だ。日本の様な挙国一致体制、明治政府が主導している民間工場と軍需工廠の並立も視野に入れるべき。
そうケマル中尉に書かせる。

「ケマル中尉、軍曹、君らに命令を伝える」

むせかえる様な死臭と赤黒い血の跡、そして腐敗していく兵士たちの亡骸。

「名誉の戦士を遂げた12名と共に日本本土に帰還、そこで待機組と共に日本本土の戦時体制を詳細に記載せよ。
また原隊復帰は禁じ、第二小隊はそのまま大使館防衛の任務に就く事。これは現場指揮官としての絶対命令だ。
本国が何を言っても満州に戻る事は許さん。全ての責任は私が取る。それと・・・・・水と布をくれないか?」

軍曹が近場の死体から水筒を何個か拝借する。そして布を濡らし、愛刀に着いた血糊を落とす。

「では乃木将軍に報告に行く。ケマル中尉は戦死者の移送、軍曹はその指揮の補佐だ」

こうして、旅順攻防戦、203高地攻防戦は終わった。
夢幻会が立案した作戦遂行の為にはどうしても観測所が必要だった。それは史実の203高地であり、火力重視の転生者である乃木将軍は所詮で陽動も兼ねた大規模な砲撃を敢行。
その後、工兵部隊を使い鉄条網を突破、騎兵部隊で蹂躙し、歩兵で203高地を制圧。続いて要塞化を進めロシア軍の逆襲に耐えた。名将と言って良い。
この初手に躓いたが故に、ロシア太平洋艦隊は旅順港の外にいる日本海軍連合艦隊から一方的な砲撃を受け、不本意な状態で艦隊戦を行い、そして壊滅した。

その後、アリー・セル・セルジューク少佐は奉天会戦まで従軍。その際の日本軍の兵站重視(無論、夢幻会の影響)を書き続け、その書類はノート20冊分にまでなった。
その後奉天会戦では一観戦武官として機関銃陣地の強固さと騎兵突撃のもろさを知り、一度日本本土に戻る事となる。
この時ウラジオストックを中心としたロシア海軍の通商破壊作戦が継続されていたが、これも上村艦隊の活躍と夢幻会の助言で、第一次世界大戦より10年早い護送船団方式の採用と捕捉撃滅に成功した。
勿論、これもアリー・セル・セルジューク少佐は記載している。通商破壊作戦と言う新時代の作戦と重機関銃の脅威。
日露戦争で初めて明らかになったのがこの二つだと彼は個人的感じていた。そして。
その新戦術に対応した日本陸海軍に畏敬の念を持った。要塞は重火力で、敵の通商破壊には護衛艦隊をあらかじめつける事で守る。
発想の柔軟さに。

329 :ルルブ:2013/03/04(月) 08:10:50
1905年3月3日。
およそ一年ぶりに戦地から帰った時、妻のラーレは目に涙をためながら自分の頬をひっぱたたいた。まあ仕方ない。あれだけの激戦区を渡り歩いていたのだから。

「お帰りなさい、お父さん」

そうサラフが言ってくれのがとても嬉しかった。
スレイマンも漸く動く手で、自分を握り返してくれる。
それから1か月後、一人の海軍将校が訪れた。

「奥さん、御主人のアリー・セル・セルジューク少佐は在宅ですか?」

「はい、あの、どちら様ですか?」

面を隠しているが故に好奇の目にさらされている妻だが、この海軍将校はそんな仕草は見せない。どうやらムスリムの文化に精通している様だ。

「アキヤマが来たと伝えてください」

それを聞いた私はそのまま横浜から電車に乗って新橋に行き、銀座を巡った。
更に小田原の温泉地帯にアキヤマ家の者と家族を連れて2泊3日の旅行にも。
その旅行も終わりを告げた時、友人である秋山真之中佐は神妙な顔で言う。

「お前、スパイか?」

「ああ、スパイだ」

ちゃきと拳銃を自分の額に向けた秋山。友人だと思っている。だが、この膨大な資料は看過できない。
観戦武官にしては量が多すぎだ。

「だが、日本に対するスパイじゃない。信じてくれとも言わない。ただ祖国の為のスパイだ」

それは当時の日本人全員が持っていた気構え。誰もが国難に一致団結して立ち向かうというその姿勢が今の優勢な戦況を築いている。

「そうか・・・・・すまなんだな」

頭を下げる。あの時と一緒だな、そう思った。

「いや、貴方がそう思うのも無理はない。いま副官のケマル中尉に英語版を作っている。私の権限で閲覧可能な部分は日本に残す。
陛下もそれ位は許して下さるさ。なに、30歳で少佐だ。それを考えれば多少の昇進の遅れは覚悟の上よ」

下手をすれば軍法会議かもしれない行為に対して笑って答えるアリー。

「感謝する・・・・・バルチック艦隊、聞いとるか?」

「聞いた。何でもマラッカ海峡を通過するとか」

「帝国陸軍は海を隔てた満州に展開しとる。ここでウラジオストックにバルチック艦隊が入港したら補給線は立たれ、満州の陸軍は戦わず崩壊。
ハルピンも奉天もすべて奪還されるだろう。だから今日は別れのあいさつに来た。もっともお前がスパイかどうかを確かめる意味もあったがな」

お互いが苦笑いする。飲み明かす。互いの国の民謡を歌いながら、月を見て。小田原の天然温泉の露天風呂で
翌日、横須賀に向かう秋山中佐に自分は敬礼した。そして。

「これは?」

「ラク。我がオスマン・トルコの酒だ。艦内では戦闘開始まで暇だろう? それでも飲め。
あとな、その瓶は先祖伝来の瓶なんだ必ず返せよ」



そして、1905年5月28日、「敵艦見ユ」・「敵艦隊二百三地点ニ見ユ 敵ハ東水道ニ向カウモノノ如シ」の報告が連合艦隊に入る。
続けて世界で最も有名な電文となる命令が帝都東京に向けて発信された
発・連合艦隊旗艦三笠、宛帝都大本営

『敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ聯合艦隊ハ直チニ出動、コレヲ撃滅セントス。本日天気晴朗ナレドモ浪高シ』

史上まれにみる、後のフィリピン沖海戦、ハワイ沖海戦に匹敵する大勝利の幕開けだった。
1905年、樺太全島の占領を完遂させた上で革命を誘発させるべく暗躍していた日本側は敢えて講和会議を遅らす。
そして、史実よりも2か月遅れた11月5日、国内治安情勢の急激な悪化とドイツ第二帝国の国境線の不穏化からロシア側から講和条約締結を求めた。

「ロシアが日本に対して膝を屈した・・・・・本当に?」

アリーは新聞を読みながら思った。
ああ、今この瞬間こそ父が、祖父が、曽祖父が夢見て果たせなかった時なのだと。
ケマル中尉は生き残った部下たちと飲みに出かけた。今頃は横浜の居酒屋でブレイコウだろう。
ラーレがそっと肩に手を置く。

「アリー、私達、勝ったのよね?」

それを握り返す。

「ああ、勝ったんだ。あのロシア帝国に有色人種が、白人支配の世界秩序を打ち破った!!」

330 :ルルブ:2013/03/04(月) 08:11:22
日露戦争終了後、一番初めに本国のスルタンに送られたセルジューク・レポートは以下の文言から始まっている。

『日露戦争における最大の影響、それは有色人種は決して劣った人種では無いと言う事を証明した事にある。歴史は変わったのだ。
我々は家畜でもなければ猿でもない。歴史をつくれる力がある。
国内改革と国民国家としての意思統一さえ成功すれば国力で圧倒する白人国家にも対抗が可能であると極東の友人らは証明した。
現在の帝国は改革されなければならない。その為には我々がまとめた各種レポートを参考にされたし。
大日本帝国は軍事力のみでこの独立戦争とでも言うべき戦いを完遂したのではない。国民一人一人の愛国の情熱とそれを有機的に結合させた軍官民の近代組織があって初めて勝利を確立させた』

『発オスマン・トルコ帝国陸軍軍務局、宛、アリー・セル・セルジューク少佐。
貴官の旅順攻防戦における奮戦を評価し、1908年2月1日付けにおいてアリー・セル・セルジューク少佐を中佐に昇進とする事を内定する』

なお、1905年には大日本帝国(正確には夢幻会の一部、親トルコ派閥)から功四級金鵄勲章を授与されている。
アリーは無我夢中で気が付かなかったが、あの時、203高地の機関銃陣地に立て籠もったトルコ義勇軍の活躍で203高地への日本陸軍の援軍が間に合ったのだ。
そしてそれは旅順艦隊壊滅に繋がり、ひいては5月29日のバルチック艦隊壊滅にも繋がっている。
いわば、非常に遠い要因ではあったが、アリー・セル・セルジューク少佐は日本を救ったとも言える。
そしてそれは史実知識を持っていた転生者たちの目に留まり、日土友好の名の下に英雄を作った。
その英雄は役に立つと言う思惑の下で。

こうして、彼は1911年までオスマン・トルコの在日武官として大日本帝国に滞在。
その間に妻ラーレとの間で1902年に第一子サラフ、1904年に第二子スレイマン、1908年に第三子メフメトを日本でもうける。
その後1911年、不穏な空気が渦巻く欧州に帰還する。

331 :ルルブ:2013/03/04(月) 08:11:57
次回予告

1914年、一発の銃声が鳴り響いた。それはバルカン半島から欧州全土へ、そして世界へと広がる戦火の炎。
40歳になっていたアリー・セル・セルジュークはドイツ軍側、同盟国軍の一員として部下と共に参戦する。
だが彼はあの旅順攻防戦から一抹の不安を抱く。そして日本と戦う事に言い知れぬ恐怖を感じていた。

次回 第三章 崩壊する祖国。岐路に立つ同胞。躍進する東洋の友人たちとの軋轢(青年期後半)

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最終更新:2013年03月04日 20:25