336 :ひゅうが:2013/03/05(火) 04:55:26

提督たちの憂鬱支援SS――「牧野侍従日誌」その5


――昭和18年2月1日 曇天のち星空
寒風はますます烈しさを増す。

(註:ケンブレビエバ火山の噴火により巻き上げられた火山灰はこの頃までに均等に拡散され北半球上空を覆っていた。
そのため、火山灰やエアゾルの偏りにより辛うじて混乱状態に「おさまっていた」気候は全体的に5パーセントの日照量低下を得て本格的な寒冷化を開始していた。
昭和18年1月末より主要大陸中央部には強力な寒気団が停滞。コーカサス上空および北米カンザス上空において平均気温は15度も低下している。
その影響は遅ればせながら日本列島にも襲いかかりつつあった。)

本日、北海道より実験成功の報届く。
戦略兵器群は着々と完成しつつあり。

(註:太田正一所長率いる研究チームはこの日北海道 富良野実験場において試製3式弾道弾の発射実験に成功した。
射程距離は5000キロを越え、基本性能は第2世代以降の核弾頭を搭載することすら可能なこの弾道弾は、アラスカ攻略後の五大湖工業地帯攻撃において決定的な役割を果たすと期待されていた。)

外務省より代奏あり。
スイス工作において見るべき進展あり。
連邦政府国務省は和平により意思を統一せり。
順調となれば戦禍収拾の公算大なり!

(註:ジョージ・ケナンを中心に行われていたケナン工作のこと。大西洋大津波においてホブキンス大統領補佐官が行方不明となったため非公式化して数カ月が経過していたが、シカゴ暫定政府に合流したジョージ・グルー元駐日大使の承認のもとで正式に再開された。
1月31日、暫定停戦を主張する米国側ケナンに対し、日本側の外務省北米課長井口貞夫は第三国による開戦経緯調査とハワイ地域などの太平洋島嶼の無防備地帯化、さらにアラスカ準州アラスカ半島保障占領を要求し大筋での合意、「ケナン・井口議定書」に至る。
しかしこの結果は大統領の承認を受けることができず、暫定国務省庁舎内とカリフォルニア臨時庁舎で数ヶ月間放置されてしまった。
原因は本土決戦派の武官による隠ぺいとも、1月20日の連邦議会無期限停会に伴う怠業、あるいは発生しつつあった暴動により職務遂行が不可能となっていたともいわれる。
いずれにせよ、この和平合意により日本側は計画されていた「星1号作戦」の主目標たるアラスカにおける弾道ミサイル基地設営を無血状態で行うことが可能となり、一方のシカゴ暫定政府側も西海岸に対する食糧・医薬品・非戦闘員輸送船「緑十字船」運航が可能となるはずだった。
そのため、この和平合意が履行されれば欧州列強の東海岸進駐を経ても連邦政府の西海岸移転計画は成功していたというのが通説である。)

337 :ひゅうが:2013/03/05(火) 04:55:58

然れども、米本国より回答なし。
東海岸各所のみならず五大湖沿岸で暴動発生の未確認情報あり。

(註:暴動は東海岸地方では日常茶飯事であったが五大湖沿岸にまでこれが拡大していたのは1月26日をもって食糧配給任務が現地州政府に移管され結果的にこれが断絶していたためであった。
本土決戦準備のために軍政政府から権限を移管したものであるが、準備不足は否めなかったのである。
五大湖方面に展開していた臨時第2軍主力による暴動制圧をもって一時事態は沈静化したものの、これは2月8日の「シカゴ大暴動」における臨時第2軍主力と州軍の造反と連邦政府崩壊への布石となったのである。)

混沌は深まるばかりなり。




――昭和18年2月13日 雪のち晴れ

北米暴動の詳細判明。
シカゴ連邦政府は名目上も崩壊せり。
シカゴ市内は反乱州兵および暴徒により制圧。現地連邦軍は連邦政府に造反せる由。
連邦大統領ガーナー氏はテキサス州にありとの情報あり。
一方連邦副大統領デューイ氏はニューヨーク州都オールバニにあれど、いずれも連邦制等政府を宣言せず。
一方加州政府、独自に西海岸諸州連絡会議を主催せると。
外務省よりの報告によればバンクーバー総領事に対し加州知事アール・ウォーレン氏名義の親書が届いたとの由。

(註:米連邦政府は2月8日のシカゴ大暴動により構成官僚が四散し、臨時米議会議員も暴動により行方不明となっていたため名実ともに消滅とみなされていた。
連邦政府を打倒した臨時第2軍主力らや本土決戦準備に走った連邦軍に対し食糧提供を拒んだ各州がその法的根拠を崩すべく連絡をとりあい、それぞれの議会が議決を行った結果合衆国憲法が効力を発するために必要な最低9つの州の批准が発揮されなくなったためである。
これに際し法解釈上、合衆国憲法に効力が失われたものと残存各州政府は判断し、2月10日、合衆国憲法前文における「州主権の制限」が有効とはいえないものと宣言した。
これにより成立・改正以前における「連合規約」および「独立宣言」の有効性を認めたのである。
これは「連合規約によって保障された各州の完全なる主権は、独立宣言により英国から独立13州が宣言したこととその後のパリ講和条約の結果により完全に保障されねばならず、また連邦政府の消滅を確認し、それ以前の連合規約は各州がその主権のもと自由に国家を運営することを認めている」という解釈のもと、連合規約に則り新政府を構築するのではなく「各州政府は現状独立状態にある」とその主権のもと議決することでアメリカ合衆国政府から独立するという「共和国(ステート・リパブリカ)解釈」により新たに北米大陸各地に主権を保有する国家群が成立したことを意味していた。
――つまり、合衆国憲法は当初批准州がほぼ全滅したことと現状の批准州不足により効力が停止。各州はアメリカ独立宣言により主権が担保され、連合規約によりその主権は独立状態にあり、かつ各州は中央政府を再建する意思を持たないために自動的に政府も消滅するとしたのである。
この法解釈を展開したのはウィリアム・R・ハーストをはじめとする人々で、これに則り2月11日、カリフォルニア共和国は主権回復宣言を行った。
各州は残存する「連邦臨時政府」を名乗る連邦軍戦力による干渉を法的に防止すべくこれに追随した。)

(註:カリフォルニア共和国は主権回復宣言後、本土決戦準備のため西海岸に存在している残存連邦軍との交渉を開始した。
カリフォルニア油田地帯の警備任務をカリフォルニア政府命令に伴い共和国軍が引き継いだこと、さらに西海岸軍管区総司令を兼ねていた陸軍臨時総司令官アイゼンハワー元帥が良識派かつかつての講和派であったことから残存連邦軍による西海岸掌握を否定。
海軍合衆国艦隊司令ハルゼー大将とともにカリフォルニア共和国政府の指揮下に入った。
余談ながらこの選択によりテキサス共和国により幽閉状態にあったガーナー元大統領の名による西海岸残存戦力のテキサス移動命令は拒絶され、政治的価値を喪失した彼を間接的な自決に追いやった。
とまれ、カリフォルニア共和国政府は西海岸随一ともいわれる人口や経済力を背景に急速に政府の実態を整えていった。
この年選挙により州知事へと就任する予定であったアール・ウォーレンは初代大統領への就任を宣言。
手始めに交戦中の日本政府との接触と隣接するカナダとの交渉を行うべく単身でカナダのバンクーバーへと飛んでいた。
これに対し日本政府は領事館における接触レベルにとどめ、パルミラ・ジョンストン攻略作戦を前倒しで発動することになる。)

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最終更新:2013年03月05日 18:45