81 :ひゅうが:2013/01/21(月) 02:39:14
※ 本文はネタの書き込み25の452「日本大陸形成史~或いは地球科学的犯罪~」および
前スレ、日本大陸を考察・ネタSSスレ 428-431「日本大陸形成史 その2~或いは自然史的民族誌~」の続きです。
単体でも読めるようになっていますがそちらをご参照くださいませ。また、説明文オンリーです。


 ネタSS――「日本大陸形成史 その3~或いは日本民族形成~」


b 日本大陸の人類について その2「日本民族」形成の裏側

日本大陸はその筆頭になる本州大陸(日本大陸)とそれを囲む亜大陸群で構成されている。北から東回りで北海道(日高見=ひたかみ、あるいはエゾ)亜大陸・四国(二名=ふたな)亜大陸・九州(筑紫=つくし)、さらにそれを取り囲む樺太島・千島列島(オホーツク海諸島)・伊豆小笠原列島・大東群島・奄美沖縄列島(南西諸島)・五島対馬列島(海峡諸島)・南日本海列島(壱岐能登列島)・佐渡島・北日本海列島(佐渡陸奥列島)、瀬戸内海の諸島群によって構成されている。
 面積としてはこれらすべてをあわせてもオーストラリア大陸の3分の2に満たず、本州大陸もグリーンランドより40万平方キロ程度広いだけであるため亜大陸と位置付けられることもある。
この赤道から北緯56度に至る南北7000キロの国土はいずれも世界有数の強力な海流群によってユーラシア大陸から隔てられている。
黒潮(日本海流)・親潮(千島海流)・間宮海流(リマン海流)・対馬海流(沖縄海流)。これらのいずれもが南極環流やメキシコ湾流に匹敵する強力な海流である。
日本近海においてその流速は平均毎秒2メートルから2.5メートル(毎時7.2から9.0キロ)。局所的に最大速度は毎時40キロ近くにも達し、これのいずれもが世界平均の10倍にも達する流速を誇る。
さらに幅100キロから200キロに達する海流の外側には毎時2キロ程度で海流に逆行する反流が存在する。これだけでも通常の海流より流速に優れる。
さらには冬季や夏季においてはその流路や強度は地球の公転の影響を受け変化し、蛇行や流路変動を起こす。このように短期的にも一定ですらない。

こうして再確認したところを俯瞰すると、ユーラシア大陸と日本大陸、そして史実日本列島が隔絶されている理由は大いに理解できよう。
その筆頭が、この強力な海流によりまずもって接近が困難であるという事実である。
しかし、氷河期という特殊事情により間宮海峡・宗谷海峡が干上がり陸化し、津軽海峡が限りなく陸橋化すると陸伝いに人類や動植物の移住が可能となる。
こうした世界的に見ても特殊な自然環境は、ユーラシア大陸に対する南北アメリカ大陸にも等しい。
ただし日本大陸(史実日本列島)は大洋の中に孤立してはいない。
上記の海流群を利用するならば、一定以上の大型船舶をもちいてユーラシア大陸東部沿岸への渡航が可能であり、南方島嶼から北上する形をとりいったん海流にのれば連絡や移住は可能である。
ただし、海流が強力であるということはそれだけ大量の熱量が海洋上を移動しているという証左でもある。
この熱量は日本大陸周辺で強力な蒸発気流を発生させ、ヒマラヤ山脈上のジェット気流やユーラシア大陸上の高気圧群との相互作用によって大量の降雨や嵐を生じさせるのである。
この荒々しい気候こそが日本大陸や史実日本列島において大規模な民族集団の定着を阻むことになる。
仮に海上を移動中にこのような嵐の襲撃を受ければ、近代文明をもってしても大被害を免れない。
運よく数百人以上の集団を維持して上陸できても、多雨気候がゆえにひとたび降水期を迎えれば平野部は泥濘化し、嵐は河川を氾濫させ定住を著しく困難としてしまう。
海洋を通じて入って来るものは数名から多くとも100名程度という状態が恐ろしく長い間続くことになる。

82 :ひゅうが:2013/01/21(月) 02:39:48
また上記の海流と気候に加え、日本大陸や史実日本列島においては環太平洋火山帯やプレート沈み込み帯という特殊な環境がゆえに地震や噴火によって一地域が壊滅する大災害が頻発する。
たとえ河川を灌漑し堤防を築き耕地を形成しても、地震によって堤防は決壊し、火山噴火で耕地は酸性化する。
津波は耕地や平野に塩分を供給し、居住地を破壊する。
日本大陸あるいは史実日本列島という大地は、居住する人々を完全に排他的な存在にしておけないのである。
可能であるのは、氷河期の間に移動してきた狩猟民の集団と漁業明の集団を核として、続発する天災から協力して身を守りつつ大陸と比べて小規模な集団を維持。隣接する集団を通じて自らの手に入らない資源・物品を交換入手しつつ周囲の自然環境にゆるやかに適応していくことだけである。
こうした困難により日本大陸や史実日本列島の住人達の文明的な進展は大いに阻害される。しかし、比較的容易に文明的進展が望めるユーラシア大陸の先進地域からの知恵の移入は海洋を通じて続く。
この一点をもっても日本大陸あるいは史実日本列島の住人達は完全に孤独になりきることが不可能なのである。

以上を経て、日本大陸はその風土に適応しいくつかの地域ごとに文化集団を形成し、やがてそれらは相互に密接に絡み合い、結果ユーラシア大陸から移入される知識や文明に強く影響される。
歴史上、「縄文時代」といわれる永遠にも等しく思える時間、すなわち1万数千年を経ることで住人達は人類学的には驚くほど均一化されていく。
そしてユーラシア大陸から隔絶されつつもその域内で協力しあわなければいけない環境と協力範囲を拡大させるユーラシア大陸との文化文明的連絡路は、幾度かの気候変動による混乱を経つつ(これもまた中規模以上の集団同士の相互互助を促進する)日本全土を網羅するに至るだろう。
これが縄文時代前期、紀元前5000年頃までの状況である。
やがて自然発生的に作物栽培が開始され、森林農業を基盤とした定住が成立するが必須栄養素や資源的な意味で、そして平野部を開拓できるまでに集団が多人口化するに至らないために「ひとつの集団がもうひとつの集団を圧倒し隷属させる」ことを基本的には困難にする。

紀元前2000年頃大混乱を迎えると、ゆっくりゆっくり形成されてきた日本大陸の住人集団は大きな画期を迎える。
縄文時代中期、自然環境の変化で人口を半減させた日本大陸の住人たちは、民族浄化の波にさらされて中国大陸から流浪を余儀なくされた人々を連続的に受け入れ始めるのである。
もちろん、はるか北方を伝うルートではなく南方から黒潮や対馬海流を通じての伝播である。
しかし、技術的困難からたとえば大陸の国家を維持したままでの渡航は不可能である。
また均一化され天災など有事の相互互助を基本に構成されたゆるやかな統一体を相手にするには、地域的に構成される一集団は小さすぎ、彼らの力の源である農耕も統一権力を有しないために大規模化は非常に困難であろう。

83 :ひゅうが:2013/01/21(月) 02:45:09
よって、稲作は平野の高台において陸稲を基本に開始され、ゆるやかに大規模化する道を歩んでゆく。
技術的独占は、民族浄化を逃れる人々が五月雨的に各地に漂着するために事実上不可能である。
また、縄文土器型式や新技術が史実日本列島をもってしても半世紀を経ずして全土を網羅し得たことを鑑みると遅くとも1世紀を経ずに日本大陸の住人達は「最初の渡来人」たちを受け入れ同化していくことになる。
人口としては一貫して日本大陸側(史実日本列島でも)が圧倒的に優位であるためである。
生産手段の拡大と、蓄積は集団の拡大を容易とするも自然環境的な条件、さらには均一化している民族集団である縄文人はこれまでより発展速度を加速させながらも急速に統一への道を歩んでゆく。
民族浄化という大陸的な行為を行う殷という「外圧」をはじめて受けた縄文人たちは、こうして「外」を見据えることになったのである。

これ以後の日本大陸は、中国大陸における政治的変化を受けて自らを変化させてゆく。
紀元前1200年頃には夏王朝の崩壊にともない殷王朝が行った民族浄化により第二の移動の波が発生。縄文時代は終了し、本格的な水耕稲作を伴う大規模な農耕が開始された。弥生時代の開始である。
しかしその担い手は民族的・血統的には縄文時代を形成していた人々とまったく同じである。(この頃、現在の皇室が社会的に成立したといわれている。)
本格的にひとつの集団となっていった日本大陸の住人達は大集団同士が主導権争いを開始するが、これは中国大陸の春秋戦国時代の戦乱に伴いさらに加速。
紀元前221年、春秋戦国時代は秦の始皇帝による統一で終結するも、それに伴い各地の王家や特権階級は滅ぼされ、特に長江流域からの大規模な流民の発生を生む。
さらには、始皇帝の海洋進出、ことに徐福に代表されるような移民を伴う植民地化ともとれる行為は日本大陸の住人達に1000年近くにわたり加えられた外圧の頂点と受け取られ、逆説的に「日本大陸に居住する日本人」というひとつの意識的な民族集団の、そして日本という国家自体の始原となったのである。

前述したように1万数千年を経て日本大陸の人類たちはもともとほぼ同一の古モンゴロイド系の人々とポリネシア系との混淆である。
それが相互交流により混血していき、国家誕生時にはほぼ一つの民族集団となっていたことはのちの世界史をみると非常に幸運なことであったといえる。
しかしながら、それを強要したものが日本という国土をとりまく自然環境であり、そのために1万数千年の時間を要したことは忘れてはならない。



【あとがき】――史実において、日本という島国になぜこれほどまでに均一な人々が形成され得たのか、沖縄の住人やアイヌ民族ですら近縁集団ともいえるこの「日本人」を作ったのが何かというお話でした。
基本的には大陸化しても日本のおかれた自然環境的立ち位置は変化しません。
もしも背骨になる山脈がなく、英国のような平地であったのなら、もしくはさらに面積が3倍近くに拡大していたのなら大陸としてその風土は幾分弱まったでしょう。
また、ユーラシア大陸という巨大な大地とつながっていたのならもしかしたら中華中原や欧州と同様の興亡があったでしょう。

しかし日本大陸には満州を経てモンゴル・カザフスタン・南ロシア・ハンガリーに至る巨大な「ユーラシア・ステップ」はなくそこを通じた遊牧騎馬民族の移動はありません。
よって、このような形になりました。

84 :ひゅうが:2013/01/21(月) 02:47:28
追記――冒頭の亜大陸の名はそれぞれの古名、「日高見国」「蝦夷」、「伊予二名国」、「筑紫島」よりとらせていただきました。
また、海流データについては実在のデータをそのままとしており、文中に言及した史実は基本的にそのままであります。

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最終更新:2013年03月07日 21:10