350 :ルルブ:2013/03/09(土) 02:33:29
前書き+注意点。今回も日本はほぼ出てきません。
が、あり得たかもしれない憂鬱世界のトルコ共和国の軍人の一生をご覧ください。
次回で最終話になります。この話は全てつなげたうえでスターウォーズEP1からEP6の様な感じで読んでもらえれば幸いです。
それでは本編へどうぞ。



『トルコ人の物語 第四章 揺れる世界秩序。日本の躍進と二度目の世界大戦、そして日米開戦前夜(老年期)』

1924年、オスマン・トルコ帝国消滅、トルコ共和国成立。
トルコ人にとって忘れられぬ年となったこの1924年、アリー・セル・セルジューク少将に一通の辞令が下された。

『1925年1月8日を持ってアリー・セル・セルジューク少将を中将に昇進。陸軍士官学校校長ならび教導師団師団長に任命する』

ケマル大統領に剣を突き立てた事は緘口令が敷かれた。大統領の側近らに取っては当然の処置であろう。
彼、アリー・セル・セルジュークは西部戦線の国民的英雄であり、実力と人望兼ね備えた高潔なる軍人。
しかも代々オスマン・トルコ帝国に忠義を尽くし、その家系の開祖はなんとスレイマン大帝時代のウィーン包囲戦まで遡る事が出来るのだから。
止めに日露戦争の激戦地である旅順と奉天、そして第一次世界大戦の激戦区である西部戦線に従軍し、本隊撤退の為に最後まで踏みとどまった経歴を持ち、その後の紛争、戦争の局地戦に尽く勝利した救国の英雄。
夢幻会のSF学派からみれば、例のSF小説に出てくる件の『不敗の魔術師』だの、『常勝の英雄』だのと言いそうな経歴の持ち主である。
もっとも彼が寄与した戦い、局地戦の勝利が大戦略上の勝利と言う実を結ぶことは無く、最終的には祖国を守りきれなかった点で夢幻会転生者の一人はトルコ人のヤン・ウェンリーと呼んだ。
1925年春、トルコ共和国は陸軍の近代化の為に大日本帝国へと使節団派遣を決定。そこにはトルコ国立大学の政治学部所属の長男サラフ・セル・セルジュークが居た。

1926年、24歳で大学を卒業したサラフは最年少組の一人として成長著しい大日本帝国への特使の一員として派遣される事になる。
既に妻がいる。妻の名はアイラ・セル・セルジューク。大学時代に妻のラーレが見繕った亡き部下の曹長の長女である。
彼が1916年に戦死した時、生き残っていた者で最も親しかった曹長の家系の娘(長男と次男は東部戦線で戦死)を引き取り、そのまま嫁として迎え入れた。
帰って来た時にその話を聞いて唖然としたのを覚えている。女と言うのは怖いものだ。
そのサラフも祖母の名前を受け継いだ二歳になる長女アイシェを抱えている。

「行くか」

「行きます。父さんとお祖父さんが恩を受けて、有色人種の国家で唯一白人の列強と対等に戦える国、そしてそれに驕る事無く今も躍進を続ける国家を見てきます」

1900年代のケマル中尉もこんな表情をしていた。
そして1890年代の私もきっとこんな顔をしていたのだろう。
だが、私はあの剣を渡す気にだけはなれなかった。
祖父も父も男子は一人だけ。曽祖父は違ったらしいが、長男相続の原則を守ったそうだ。が、今や時代は変わった。
アラーの、コーランと密接にかかわっていたオスマン・トルコ帝国は、自分の忠誠を捧げた祖国はあろう事か内部から瓦解。
消滅し、あの日共に戦ったムスタファ・ケマル中尉を中心とする共和国派により新国家が樹立。

(そうだ、私にとってあれは改革では無い。新国家の樹立と帝国の消滅だった)

息子たちにとっては違っただろう。
きっと希望に満ち溢れた時代、希望の輝きだ。建国からまだ二年も経過しないトルコ共和国。
革命の情熱が収まり、変革の時代を迎え、その為に多くの国々を参考にする事になるであろう新たなる祖国。他国であり、祖国である共和国。

(複雑なものだ。命を賭けて、部下たちを殺して殺させて、その結果が守ろうとした陛下の退位と帝国の消滅。
女々しいと言われればそれまでだが・・・・イェニチェリの連中もこんな感じだったのだろうか?
自分達がいらないと、もう不要だと言われた時。きっとこんな感情を抱いたに違いないのだろう。困惑と言う感情を)

とにかく、長男サラフ・セル・セルジュークは妻のアイラ・セル・セルジューク、娘アイシェ・セル・セルジュークと共に5月、日本国籍の客船にてイスタンブールを出港する。

「父さん」

その思考の渦から長男のサラフが引き上げる。周りにはいつの間にか自分の副官見習いとして勤務している陸軍士官学校を卒業した22歳の次男のスレイと今、外務省に入る為大学受験を受けている18歳の三男メフメトが部屋に入っていた。
そして最後に一人。妻のラーレが入室し、ドアを閉める。

351 :ルルブ:2013/03/09(土) 02:34:59
誰もしゃべらない。そう誰も、だ。

「・・・・・・」

次男のスレイが言いたい事は分かる。これだ。
そう思って柄に手をかける。この冷たくも温かい剣を誰に渡すかで自分達の将来が決まるだろう。
そう思っている。
この剣があったから父は二度の白兵戦に生き残ったと親族一同、無論家族も含めて、が信じきっている。
自分でさえ、この剣はアラーの加護を得た護剣であると思うのだから又聞きの息子たちには分からないだろう。

「この剣は・・・・・・」

逡巡する。愛着もある。そして気になる事も。
息子たち同士の対立。それが気になる事だ。

24歳の長男サラフは親日家であり、ロマノフ皇族亡命支援も高度な外交戦略故に仕方ない事であり、寧ろロシア帝国やロシア民族分断と言う方法を取った日本人を称賛した。
更に付け加えるならば最後まで自軍が化学兵器を使わなかった事もプラス感情に働いていている。(が、正確には大日本帝国指導部=夢幻会が化学兵器を実戦にて使える技術を欧州に持ち込まなかった、持ち込めなかった)
この考え方はケマル大統領ら政府上層部や学会、高等教育を受け、尚且つ大戦で身内に死者を出さなかった高級官僚、閣僚らに多い。

22歳の次男スレイは同盟国側として戦ったドイツ軍の勇猛さを称賛しており、陸軍自体も共に東部戦線でロシア軍相手に戦った戦友であるという戦友意識、歴史的事実が重かった。
この点で、東部戦線帰りの旧第2軍9万名と増強兵団として送り込まれた10万名の徴兵部隊が支持している。
現在のトルコ陸軍は、新たに登場した北の赤い帝国、ソビエト連邦を最大の脅威と判断。
これに対抗するべくドイツの早期軍備再建、対ソビエト連邦対策の大同盟を求めていた。
そう言う意味では斜陽の帝国イギリスやフランスにも期待をかけている。

そして18歳の三男は全く別の考えを持っていた。1920年代世界最大の国力を持ち、第一次世界大戦の決着を実質的に決定付けた国家と関係強化を密にするべきだと。その為には駐留軍として外国軍の進駐も考慮すべきである、と。下手をすれば売国奴扱いされる思想である。だが、この思想もトルコ内部では一定の支持を得ている。
特に経済界からの支持だ。
トルコ共和国の軍備も経済力も諜報力も列強のいずれにも及ばない。ならば恐らく1940年代には世界最大最強になる金満国家、アメリカ合衆国と手を結ぶ。
その為ならば多少の国土租借も辞さない。そう言っている。
この意見は外交関係と財界に強い。現在のアメリカ経済の繁栄ぶりを考慮すればあながち間違えでは無い。
彼らに取って現在のトルコ共和国の国力の低さは目を覆わんばかりであり、これの解消の為には早急なる資本導入が必要で、米国が中国満州地帯で行っている様な資本投下を行わせるべきと言う案である。
それが現実にどうやればよいか、ソビエト連邦と敵対する危険を冒してまでアメリカ合衆国軍を呼び込めるかどうかは話は別だが。

つまり、トルコ共和国は対ソビエト問題が最優先事項と認識は一致している。が、その手段で食い違いが出ている。
ケマル大統領を筆頭とする政府上層部は日本と関係を強化して国力の底上げを優先する。
陸軍の実戦経験派と親独派閥はドイツの再建とかの国との同盟関係再築による東部からの対ソ圧力強化政策を。
1920年代、空前絶後にして至上最後の繁栄と後に呼ばれる繁栄を誇ったアメリカ合衆国を利用する事でソビエト連邦の南下政策を阻止、経済力強化を目指す外務系と財界。

トルコ共和国はこの3勢力に分断されていた。
そしてこれに加えてもう一つの勢力がある。それはアリー・セル・セルジュークの様に旧オスマン・トルコ帝国やスルタンに忠誠を尽くす旧帝国派、通称、旧軍派である。
旧軍派は事ある毎に共和国の政策に反抗。いつ暴発するか分からない危険な存在と化していた。
それを踏まえた上でアリーは決断しなければならない。自らの愛刀を誰に託すのかと言う決断を。

「・・・・・・・」

新国家の分裂。その危機。それを踏まえた上で考える。この剣の重さを。

352 :ルルブ:2013/03/09(土) 02:35:46
いつも以上に重く感じる剣。
嘗てこの剣はセルジュークの家系を守る剣であり、血統の証であり、単なるセルジューク家の象徴に過ぎなかった。
が、救国の英雄、軍の事実上の纏め役となったアリー・セル・セルジューク中将が息子の誰かにこの剣を渡す事は、既に単なる家庭の問題では無くなっている。
彼は救国の英雄、西部戦線の守り手とトルコ人民の称賛を受ける彼の行動は良くも悪くもマスコミに注目されていた。
酒場の噂話にさえなる。下手をするとムスタファ・ケマル大統領よりも有名なくらいに、だ。そして彼を快く思わない勢力も当然多数存在する。

(ケマルに従う革命家気取りの若造どもにとって、私は、セルジューク中将閣下殿は新時代の流れに逆らう愚かな老害なのだろう。
かつて祖父や父がイェニチェリら保守派らを弾劾した様に、彼らもまた私らオスマン・トルコ帝国軍の帝国軍人らの頭の古さを弾劾するのか)

その筆頭が大国民議会出身者にしてトルコ革命の実務面の立役者であるケマル大統領派=現政権閣僚らである。彼らは恐れていた。
アリー・セル・セルジュークが自らの名声を武器に、依然として強力な影響力を、特に旧第3軍出身者(現在は新設された第4軍5万名と第5軍5万名に分断され東西国境線にわざと遠隔配備されている)が同調し、クーデターや反乱を起こすのではないか、と。
故に、長男サラフと次男スレイの分断工作はケマル大統領府直々の極秘命令で行われた。

『セルジューク家を分断し、共和国の脅威を事前に排除せよ』

実際、ケマル大統領派閥のサラフを対日派遣団にいれたのは対アリー・セル・セルジュークへの人質であった。
とある陸軍高官にして反アリー・セル・セルジューク中将の一人は自分の娘を次男のスレイマンに婚約、結婚させ、陸軍士官学校卒業と同時にアリーの義理の娘イゼル・セル・セルジュークを生み出した。
これは現在の政略結婚であり、既にイゼルはスレイマンの子供を妊娠していた。
止めに三男には『トルコ共和国国家英雄枠・特別奨学金』という良く訳の分からない奨学金を保障する事で、いわば金の鎖で縛ろうとしていた。
それだけアリー・セル・セルジュークの名声と武力、実力は危険視されていた。
これはあの日、1924年にアリーが大統領に愛刀を突き立てた後の話である。

『時に陸軍次官』

『は』

『セルジューク少将を昇進させて第1軍の参謀長に任命しようかと思うがどうだろう?』

この言葉に閣僚らは愕然とし、一斉に反対した。
危険すぎる。
国内最強の武力集団をあろう事か大統領暗殺を企てた守旧派に渡すなど豪語同断。
彼に第1軍を渡せば、旧第3軍と合流して再度の革命をもたらし、我々の革命がかき消される。
そもそも大統領閣下の命令に従う筈も無い! 必ず反乱行為に及ぶでしょう。
などなど。擁護する者は閣僚、官僚らには誰もいなかった。
が、その実績をトルコ共和国に活かして欲しいのも本音であり、かといって武力集団を渡す訳には、正確に言えば実戦部隊や人事権を持った部署のトップにそえる訳にはいかない。
結果、大統領府は彼の飼い殺しを確定した。
トルコ共和国軍の近代化と言う大義名分による陸軍士官学校校長と第3師団から引き抜いた戦車とトラック、重砲を中心とした複合兵科部隊特別第1連隊(ただし、近代化と予算削減の名目で部隊人員は大隊規模)を与えた。
これは当人以外から見て、事情を知らないトルコ軍旧第3軍の将兵から見れば明らかな左遷人事だった。

『英雄である閣下を貶めるとは何事だ!! 断固抗議すべし!!!』

憤る彼らを宥めるのはあの塹壕戦並みに大変だったと彼は後に述べている。

そして1926年。長男サラフが家族と共に出発した。
彼の私物の身を持って。

アリーは決断を下せなかった。彼の決断で国を割る事になるかもしれない。考え過ぎなのかもしれないがそう思うと彼は誰にも愛刀を渡さない事が最良の選択だと思った。

『・・・・・この剣は・・・・・・まだ誰にも渡さん。これは父さんの決定事項だ。良いな』

反論は許さない。その断固とした口調で三人の息子と妻に告げ、その場を解散させた。

そして、大軍縮が決行された大日本帝国に長男は旅立った。

353 :ルルブ:2013/03/09(土) 02:36:57
更に、翌年1927年の春、自分は妻と共に好景気に沸くドイツに渡った。それはとある伍長の階級を持った人物からの招待状。
尚、次男は1927年1月8日(この世界のトルコ共和国陸軍の定時人事異動の日)に陸軍参謀本部勤務が決定、アンカラの陸軍参謀本部に向かった。

「ここがドイツ」

妻がトルコ共和国の象徴の一環としてムスリムの習慣である顔を隠す風習を止めた。正確には夫の盾となって。
思い出すは出発間際のホテルの一室。チャイを出された。男と自分だけの一対一の面談。
周囲には誰も近づかない様にされているそうだ。本当かどうかは分からない。
ただ、地下にホテルのバーの一室で私は話す。

『単刀直入に言いますが、あなたの夫、アリー・セル・セルジューク中将が共和国政府に対して叛意ありと思われています。
特に大統領の側近たちはこう考えているのです。
オスマン・トルコ帝国重鎮や西部戦線派遣軍の旧軍派と呼ばれる人間たちに貴方の夫、セルジューク中将閣下が担がれる事を、そして反乱を行い、クーデター政権を樹立する事を危惧しております。
その様な情勢下で、妻である貴方が守旧派を擁護する様な、改革に反対する様な行為を行えばどうなるか・・・・お分かりですね?』

『・・・・・それは私に対する、いえ、我がセルジューク家に対しての脅しですか?』

『違います、警告です。これでも私は彼に助けられている。彼がいたからこそ今の自分があるのです。
確かに彼からかの何か大切なモノを奪い、家庭に不協和音をばら撒いたのは私達だ。その私たちが言っても信じないでしょうが私は自身の政治生命をかけています。
私は・・・・・あの方に、中将閣下に死んでほしくない。あそこまで祖国の為に戦った人だ。せめて平穏な老後を歩んで欲しいのです』

『・・・・・・・』

『やはり奥方殿、彼を閑職に送り込んだ上、彼の人生の大半を占めていたモノを奪った人間らの意見など聞けませんか?』

『・・・・・そんな事はありません』

『私も彼と共に戦った。だから彼の人格は分かる。だが残念な事に、彼の人格はこの際問題では無い。
問題なのは彼の実績、人望、国内への影響力、旧帝国への忠誠心、そしてあの大統領府での行動です』

『? 夫がケマル大統領に何かしたのですか?』

『・・・・柔道の技をかけ、彼を地面に叩きつけ、そのまま先祖伝来の愛刀を首先に突き付けました』

『!? ほ、本当ですか!? あの温和な人が・・・・そんな事を? いくらなんでもそんな暴挙をするとは思えません』

『信じられないのはわかります。私だって信じられない。
ですが、全て本当です。目撃者も多数います。尤も、それ故に大統領命令で他言無用とされています』

『あの人が・・・・・ケマル大統領を殺しかけた・・・・それほどの激情をもっていた・・・・それなのにあなたは私に夫を苦しめる行為をしろと仰るのですね?』

『そうです。長く続いた伝統を破るのは辛いでしょうが・・・・私たちを恨んで下さい。そして、それでも身勝手は承知でお願いします。あの方を守ってください』

『それが・・・・・貴方に従う事が正しいと言えますか?』

『・・・・・・』

『答えられないのですか? 貴方ほどの方でも?』

『・・・・・・残念ながら私も全てを知る者ではありません。それが出来るのはアラーのみです。
それでは失礼します。妙齢の女性とホテルで密会していると国民に知られると再び政権が崩壊しかねません』

そう言ってその男は去ろうとした。そしてサングラスをかけたまま立ち去るスーツ姿の男にラーレは声をかける。
優しい声で。かつて、大日本帝国に居た頃かけた様な優しい声で。

『・・・・・ありがとうございます、ムスタファ・ケマル中尉殿』

『セルジューク夫人、私はムスタファ・ケマル大統領。国父です。トルコ共和国の建国の父なのです。
トルコの統治者にして大統領なのです・・・・トルコの民の為に戦う義務がある。大を救う為に小を殺す事を求められる立場に自分からなった。
自ら選んだ。故に後悔だけはしません。アラーに許しを求める事もキリスト教徒の様に懺悔する事も無い。
だが、祖国を守る為に戦った筈が、いつのまにかかつての部下であり戦友であった人物に守るべき存在を奪われた中将に、セルジューク少佐に、私の覚悟を、それを求めるのは酷でしょう』

『・・・・・・・』

『では、今度こそ本当に失礼します』

『お元気で。もうお会いする事は・・・・ないでしょう。ケマル中尉殿』

『さようなら』

そういって私たちは別れた。

354 :ルルブ:2013/03/09(土) 02:37:40
そして汽車からおりる。そこにはスーツに身を固めたちょび髭の男性がいた。

「ようこそ我が祖国ドイツへ! セルジューク大佐。歓迎します」

敬礼するスーツの男性。夫が答礼する。

「トルコ共和国陸軍所属、アリー・セル・セルジューク中将です。アドルフ・ヒトラー、ナチス党党首殿。
この度はお招きいただきありがとうございます」

そう言って私たち三人はそのまま駅前のホテルに入る。この時のヒトラーの印象は変わっていなかった。あの西部戦線で共に戦った、理想に燃えるドイツの青年将校だった。
翻訳する私。ドイツの新聞を読んでドイツ語を必死に学んだ。夫の戦死報告を聞いた時の絶望から逃れるために。
それは次男のスレイが始めた事だ。お蔭で次男のスレイはドイツ語が、長男サラフは日本語が、三男メフメトはアメリカへの憧憬からか英語が得意となった。

「いえ、ヘル・ヒトラー。ドイツの様子はどうですか?」

夫が尋ねる。スーツケースに荷物をいれてミュンヘンの町並みを案内しつつホテルに荷物を置いた。

「ドイツは健在ですな。ワイマール共和国を名乗る売国奴が幅を利かせているのが気に入りませんが・・・・中将、その傷は?」

彼は夫の右頬に走った銃剣の後を指摘した。

「西部戦線でヘル・ヒトラー、貴方が伝令に来た直後の大攻勢時に極東の友人の投げた手榴弾でやられましたよ。
幸い、極東の友人らの手厚い看護で脇腹の剣による一撃と同様、大事には至りませんでしたが」

この瞬間、妻のラーレは気が付いた。ヒトラーが一瞬だけ嫌そうな表情を、不機嫌な雰囲気を醸し出したのを。
だがそれを直ぐに抑える。この点はナチス党の党首であり人心掌握の天才と言われているだけの事はあった。
後に聞いたが、ヒトラー氏は日本人が嫌いだそうだ。そしてアリーに対して敬意を表しているのがアリーがヒトラー氏に渡した推薦状で彼は伍長に昇進した事。
その後の毒ガス攻撃でも伍長故に若干後方にいた為、失明には至らなかった事。さらに対トルコ政策でヒトラー氏がアリー・セル・セルジューク中将とのパイプを活かそうとしていた事が要因だった。

(なるほどな、あの上等兵も中尉と同様になったか。彼も政治家。国家を憂う政治家だと言う事か)

その後、荷物を置いた3人は散策に出かけ、ヒトラー氏の個人画廊を見せてもらった。風景絵が多かった。
夫が気に入ったのはドイツの首都ベルリンとオーストリアの首都ウィーンの二つの風景絵だった。

「ヘル・ヒトラー、これはいくらですか?」

夫の意をくんだ私は即座に聞く。
彼も個人的な趣味に興味を示した夫に対して純粋な好意を向けた。

「そうですね。50マルクで良いでしょう」

当時のドイツ人の感覚は良く分からなかったが、それでも夫は買う事にした。或いは何か政治的な思惑があったのだろうか?
軍人特有の嗅覚でこの人物が将来のドイツを担う事を、1927年に時点で分かったのかも知れない。ただ私はこの二点を頼んだ。
それから1日、ミュンヘンを案内してもらった後、夫は最後に頼みをした。

「ヘル・ヒトラー、貴官は確か芸術家になるのが夢だと聞いた。是非、私達二人の肖像画を描いてもらえないだろうか?」

その言葉にヒトラーは若干答えを留保した。そして言った。

「明日の13時から3時間ほど時間を頂ければ・・・・大佐殿はそれでよろしいですか?」

頷く。
どうせ他にやる事も無い。その後、ホテルで三人でドイツ料理を食べ、話し合った。この時の話を私は一生忘れない。
アドルフ・ヒトラー。後のドイツ第三帝国総統。欧州枢軸陣営の盟主となる旧オーストリア人、口の悪いものは伍長閣下と呼ぶ青年。
後に第二次世界大戦を引き起こし、旧ロシア帝国領で、ポーランドで、北米で、西欧諸国で数百万人殺した稀代の独裁者にしてドイツ再興の英雄の私的な一面を。
理想に燃え、趣味の絵画を楽しげに語り、第一次世界大戦の苦い教訓を嘆いたどこにでもいる若者と言う、アドルフ・ヒトラーという男の一面を。
そして私たちの滞在日数が終わる。5日の旅は終わりをつげ、ミュンヘンを、ドイツを後にする。

「さようなら、ヘル・ヒトラー」

ラーレが語る。
夫のアリーも敬礼する。

「武運を祈る、アドルフ・ヒトラー伍長」

何故彼は、夫はヒトラー伍長と呼び、武運を祈るなどと言ったのだろうか?
それは夫が墓場まで持って行った秘密。

「こちらこそ。次も味方同士でお会いしたいです、アリー・セル・セルジューク大佐殿」

スーツを着たヒトラーも敬礼する。
軍人同士何かあるのだろう。そして汽車は出た。1927年、私たちのドイツ滞在は終わりを告げた。
そして私たちの小さな安息も終わりを告げる。

355 :ルルブ:2013/03/09(土) 02:39:17
1929年、大恐慌発生

「このまま手をこまねいていればトルコは終わる」

一部の青年将校はそう感じた。
その筆頭がアリー・セル・セルジュークの次男であったスレイマン・セル・セルジューク中尉だった。
彼は陸軍内部で不平不満を漏らす人間を集めだそうとしていた。そう、自分が首謀者になって不平不満分子を一掃するという事を計画した。

「全てはトルコ国民の未来の為に」

アメリカ合衆国を出発点とした大恐慌は大日本帝国以外の国家を不景気と言う名前のどん底に叩き落とした。
多くの列強はブロック経済を持ってして乗り切ろうとする。
更に翌年はロンドン海軍軍縮条約が締結され、史実とは異なり大日本帝国は大英帝国と協調する事でこれを乗り切る。
が、そんな事は弱小国のトルコ共和国にとっては関係が無かった。
トルコ共和国はブロック経済圏から外され、極東との友人との何とか交易する事で崖っぷちから落ちる事を避けていた。
しかし、それも限界が近い。ケマル大統領は辣腕家であり救国の独裁者であった。彼の手腕は史実を知る夢幻会をも唸らせた。まさにチート政治家だ、と。
彼は潜在どころか明確な敵国であるソビエト連邦のヨシフ・スターリンと取引し多額の融資を引き出した。方や夢幻会の中堅とも接触。
大日本帝国とも大規模な貿易を行う事でトルコの近代化と政治の安定に努めた。
ソビエト連邦と言うロシア帝国の後継国家との交易に、未だに敵か味方かとトルコ国民の国論を二分する大日本帝国との貿易と融資引出。
大恐慌、これを乗り切った彼は辣腕家だった。史実を知る夢幻会の親トルコ派閥が肩入れした理由が分かる。

そして、アリー・セル・セルジュークが57歳の誕生日を迎えたあの日、陸軍士官学校の体育館に現体制への不平不満を持つトルコ軍青年将校らが集められた。
25歳で参謀本部勤務の中尉、父親はあのアリー・セル・セルジューク。その名声と実利を利用したスレイマン・セル・セルジューク中尉は不平分子を大統領護衛隊と共に一斉検挙。
そう、彼は最初から裏切るつもりでクーデター計画を立案、それを大統領に直接持ち込んだ。
カウンタークーデターによるクーデター派の掃討作戦。が、この様な暴挙を許される筈がない。
これを許しては悪しき前例を作る事になる。
陸軍はこれを奇貨として綱紀粛正を図る。奇しくも大日本帝国に派遣されていた長男サラフ・セル・セルジュークのレポートが役立つ事となった。
身内と言えども法を犯す者は厳罰に処罰すべし、と。
事件から10日後。それはスレイの甘い予測を裏切る命令だった。
命令は簡潔。そしてこの命令は夢幻会が史実陸軍の暴走を知るが故に制定した軍法を兄にあたるサラフ・セル・セルジュークが送ったが故に決定。
つまり、兄が弟に下したも同然の命令となった。

『スレイマン・セル・セルジューク中尉をクーデター首謀者として極刑に処す。
尚、本命令はサラフ・セル・セルジューク政務官の報告書を元に作成されたトルコ共和国軍軍法に基づく』

その言葉を聞いた瞬間、アリー・セル・セルジューク中将は何もかも投げ捨てた。
地位も、名誉も、意地も、権利も、財産も、何もかも。
即座に大統領府に駆け込む。二度と会う事は無い、二度と話さないと誓ったムスタファ・ケマル大統領に面会を求めた。

「大統領閣下!! お願いがあります!!!」

大統領府の前でずっと待っていた嘗ての上官は這い蹲って息子の助命を求める。
それは、その姿はあの歴戦の大将軍ではなく、ただ息子の為に這い蹲る一人の父親だった。

「お願いです、どうか、どうか処刑だけはお止め下さい。何卒、何卒。私は殺されても構わない。銃殺刑でなく電気椅子でも薬殺でも構いません。
強制労働や外国への追放、財産没収でも構わない。這い蹲って靴を舐めろと言えば舐めます。アラーのお許しにならないことやれといわれてもやります。
だが、兄のサラフに弟殺しをさせないで下さい。間接的に弟を殺したと知ったらサラフは決して自分を許さない!!
どうか・・・・・どうか!!!」

極東の友人から教わった最上級の謝罪と嘆願の姿勢、土下座を満座の前でする軍部の英雄。そして閣僚や官僚らの中にはこの瞬間を待ち望んでいた者は多かった。
何人かの閣僚がカメラで大統領に土下座する中将の写真をカメラに収める。

356 :ルルブ:2013/03/09(土) 02:42:02
これを宣伝に使う気だ。姑息な手でもあるなとケマル大統領は自嘲する。
依然として残る旧軍派の連中を黙らせる最大の武器として。建国の父と噂されるケマル大統領の権威を高める最良の手段として。なんともこれが建国の父の真の姿か。

(少佐を這い蹲らせて全て奪う。しかも約束まで違える。なんとも・・・・喜劇だ。悲劇を通り越してなんという笑えない喜劇だろうか)

「中将・・・・・口では何とも言えます・・・・ならば誠意の証として・・・・あれを・・・・・渡してくれますか?」

その言葉にはっとなる。
そうだ、あれだ。あれを渡せと目の前の男は言う。

「あれとは・・・・・かつて閣下に突き付けたあれのことですか?」

嫌な確認だ。嫌な役目だ。嫌な命令だ。嫌だ!!

嫌だ!!

嫌だ!!

嫌だ!!!

(あれは父さんから預かった我がセルジュークの誇り! あれは・・・・あれを渡すくらいなら私の命を奪え!!
あれは・・・・父さんの・・・・・お祖父さんの・・・・・お母さんの思いでの剣だ!! 私自身だ!! お前だってあの場にいただろう!? あの旅順にいただろう!?)

そう目で訴える。
いや、口に出していた。
まるで子供の頃に戻ったように必死で大統領らに訴える。

「私を殺してくれ。それで息子を助けてくれ。それで収めてくれないのか!? それで許してくれないのか!?
私が生きている間に私の、私たち家族の全てが詰まった剣を奪わないでくれ。中尉!! ケマル中尉!!! 頼む!!! 頼む!!!」

だがケマル大統領の命令は変わらない。

「中将、貴官の息子の犯したのはクーデター示唆だ。
重大な軍紀違反であり貴官も知るように我がトルコ共和国軍の軍法に照らし合わせれば軍法会議を経由して死刑だ。
既に彼以外の者500名が処刑されるだろう。そうであるが故に。彼だけ助命するには相当な理由がいる。それはわかるでしょう。
その象徴が・・・・・あなたの剣だ。あのスレイマン大帝以来の伝統ある三日月刀。旧帝国の象徴。
貴官の剣を、帝国時代の象徴を、私たちトルコ共和国に、新時代に献上する事、そして・・・・・中将、貴方が今回の首謀者として軍法会議に出頭しなさい。
そうすればスレイマン・セル・セルジューク中尉は父親であり上官でもあるアリー・セル・セルジューク中将の命令に従ったという形をとり助命します。
ただし、中将ご自身の国外追放は覚悟してもらいます。剣を引き渡す、軍法会議に明日までに出頭する事、そして自身が首謀者であると自白する事。よろしいですか?」

                                        • そして、彼は、かつての上官は頷き、跪いて、スレイマン大帝以来のセルジューク家の伝統ある三日月刀をムスタファ・ケマル大統領に献上した。
これは側近らに写真に取られ、翌日の新聞に掲載される。

『英雄、反逆未遂』

『帝政復興を企てるも失敗』

『知られざる真実、大統領暗殺未遂事件』

『愛刀献上。帝国の残照、ここに潰える』

『大統領、アリー・セル・セルジューク中将の国外追放を決定か?』

『軍法会議にて青年将校ら500名以上、軍法会議後、軍籍剥奪後、終身刑が確定』

『スレイマン・セル・セルジューク中尉、20年間のポーランド大使館勤務とする』

こうして、アリー・セル・セルジューク中将は軍法会議で全てを失った。

嘗ての愛刀は大統領府の金庫に納められる事になる。
次男はポーランドに20年間の左遷人事を受けた。この20年間は帰国も年に1度しか許さず、昇進も無い事が内定している。

スレイが汽車に乗り込む。無言の別れ。

(恐らく永久の。もう会う事も無いだろう。
そう言えば・・・・あの絵を渡そう。
ヒトラー伍長から貰った彼直筆の肖像画だ。少しでも私達両親を思い出して欲しい)

357 :ルルブ:2013/03/09(土) 02:43:57
1938年夏。全てを失い監禁されていたアリーは漸く政府の監視下ではあるが出国許可が下りた。
噂では自分を担ごうとした連中がまだ居たらしいが全員逮捕されたらしい、愚かな事だ。
そして、帝国と使えるべき主君を失った騎士は失意の内に祖国を去る。いや、追放される。
罵声を浴びせられながら、冷たい視線と好奇の視線にさらされて。

「ラーレ、日本に行こうか」

全てを失い、売国奴の汚名を被った夫は息子のスレイに別れを告げた時の写真、スレイの双子の娘、つまり自分の孫娘のミネとセダを抱いた写真。
最後にスレイと、自分と、まだ首都アンカラにいたメフメトと妻ラーレ、孫娘との写真を手に取った。
三男のメフメトも明日、別の船でアメリカに渡る。カナダのトルコ大使館に勤務する為に。妻のラーレは強かった。
弱気な自分に立った一言だけ伝えた。

「アリー、貴方が望むなら、どこまでも」



1939年、9月1日、ポーランドにドイツ第三帝国軍が侵攻。英仏、対独宣戦布告、第二次世界大戦開戦。
同年ソビエト連邦軍、フィンランドへ侵攻。日本軍、義勇軍を派遣冬戦争勃発。
同年中華民国に置いて張作霖爆殺。陰に日本軍部ありとの情報が錯綜。
1940年10月12日、大日本帝国はドイツ第三帝国に対して宣戦を布告。
1942年5月25日、第二次満州事変。日米関係険悪化。日本政府に対して米国、ハルノートを突き付ける。

そして、その1月前、次男のいたドイツに占領された旧ポーランドのトルコ大使館との連絡が途絶。次男スレイマン・セル・セルジューク中尉一家の行方不明。
更に8月17日、アリーは新聞で知る。

『大日本帝国政府、アメリカ合衆国と国交断絶。宣戦布告せり』

『大西洋にて大津波発生。アメリカ合衆国首都ワシントン、カナダケベック州を初め北米東部全域並び中米、南米、欧州に大災害。死者・行方不明者1000万人以上と推測』



その瞬間、彼の中の何かが崩れ去った。



次回 第五章 歩んできた道、選んだ道、そして。アリー・セル・セルジュークの最期(終焉期)

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最終更新:2013年03月09日 15:32