396. 辺境人 ◆WvgPQuc/WQ 2010/03/12(金) 21:34:29
  東京の一角に一軒の店がある。和食から洋食、見たこともない料理まで出す無国籍な創作料理を出し、時としてメニューの内容すらガラッと変わることもある変わり者の店長が不定期に空ける店。だがその料理の味は絶品であり、雑誌の取材などは一切断り、知る人ぞ知る名店として知られていた。

「ふふふふふふ…………いいぞお前たちはそこらの有象無象の肉と違って味が濃く熟成もバッチリだ!  お前ならば素材の味を生かした料理が作れる!  肉の真の美味さをまだ知らない日本人に肉の美味さを知らしめるのだ!  俺とお前たちならばできる!!」

  店内の厨房で肉の塊に向って奇声を上げる男。稼いだ金の大半を特注の煉瓦作りのカマドや巨大な冷蔵庫、農家を丸々雇って食材を栽培してもらったりすることなどに投じる料理だけを生き甲斐にしている変人。洋食の父、革命的料理人などと呼ばれる男の名は北輝次郎。夢幻会の人間には北一輝という名の方が通りの良い人物であった。


<提督たちの憂鬱  支援SS「美味礼賛」>


  日本の洋食の歴史は古くは幕末に入ってきた西洋料理の影響を受けて明治時代にはもう始まっていたと言ってもいいだろう。鳥の水炊きやすき焼きなど完全に和食化した物もあるが当時はそれらは外国の影響を受けた立派な洋食だったのだ。

  そして、それが急速に広まった一因には第一次世界大戦の影響があったと言われる。欧州へと派遣された兵たちが現地の料理を覚え、広めたのも大きいがもう一つの影響として見過ごせないのはロシア革命である。
  革命によってロマノフ帝国の末裔であるアナスタシア皇女が日本に亡命した関係で多くのロシア貴族が日本へと亡命することとなった。その際、貴族に召抱えられていた料理人たちも来日し(料理人に限らずロシア皇帝御用達の宝石職人から皮革職人までジャンルを問わず様々な技術者が秘密裏に日本にスカウトされた)、ロシア料理が日本にもたらされたのである。日本の皇族にアナスタシア皇女が嫁いだこともあり、彼女のためにロシア人の料理人が招聘され天皇にも料理を振舞うと対抗上、和食の方でも宮廷料理人のような地位を設立することとなる。
  食文化の違いというものは大きく、懐石料理などシンプルな和食と豪華なコース料理を出すロシアの宮廷料理などそもそも感覚的な違いが大きく、更には薄味を好む日本人と濃い味を好むロシア人と日本人の味覚の違いも大きかった。夫婦で別の物を食べるというのも問題であるしロシア人が食べられる日本料理、日本人が食べられるロシア料理が必要だったのである。
  皇室に嫁いだアナスタシア皇女の人気もあり、庶民にもピロシキ(カレーパンと合体した)やベリメニ(こちらの方が早く広まったため餃子は一般化しなかった)などの料理が広まり、ロシア風の日本料理が洋食の一種として少しずつ普及しつつあった。

  同時に日本料理を外国にPRするための計画も立てられた。日本料理という文化として長年存在はしていても明確な定義づけがされていなかった調理技術を系統立てて整理し、地方の伝統料理も含めたレシピ集が美食家として知られた北大路魯山人をプロジェクトリーダーとして編集、執筆された日本料理の集大成ともいうべき「和食総覧」が発刊された。
  一方で味噌や醤油を使った外国人向けの料理なども創作されたのだが、その計画のプロジェクトリーダーが北一輝だったのである。
397. 辺境人 ◆WvgPQuc/WQ 2010/03/12(金) 21:35:29
  北輝次郎は新潟県佐渡島で生まれた。小さい頃から前世の記憶のあった北は前世の職業である料理人としてこの時代でも生きていくべく大志を抱き、中学を主席で卒業後、フランスに留学。海外留学などは金持ちやエリートだけだった時代に学問ではなく料理を学ぶという行為によって親から勘当された(勉強ではなく料理を学んでいたことが発覚した帰国後のことであるが)。
  フランスではパリのホテル・リッツに就職し、近代フランス料理の父とも言われるオーギュスト・エスコフィエに押しかけ弟子のような立場となり、エスコフィエ自身も北の発想を高く評価していたと言われる。

  帰国後は北大路魯山人と料理に関して激論を交わし、猿真似ではない「日本のフランス料理」を生み出すと主張して時に文壇をも騒がした。ここで北の派手な活動が夢幻会の目に止まり、メンバーとしてスカウトされることとなる。夢幻会というパトロンを得た北はもともとしてなかった自重を更に止めて古今東西あらゆる文化を受け入れ魔改造する日本民族の性癖を発揮して様々な料理や調理法を広めていった。北は食材の輸送や保存技術がまだ未熟な時代のために21世紀の料理や調理技術を再現できない逆境をむしろ楽しみ、日本の魚介類や野菜などを生かした本場のフランス料理とは違った新しいフランス料理を作り、日本人だけでなく外国人からも賞賛された。

  北の経歴の絶頂とも言えるのが帝国ホテルのレストランのグラン・シェフを任された時期である。
  第一次世界大戦後、アメリカでスキャンダルによって袋叩きになっていた建築家フランク・ロイド・ライトを日本に厚遇で招聘、史実では資金難のため一部の別館のみの建造となった帝国ホテルを夢幻会の資金援助の下でライトに本館を建設させた。史実でもライトの設計した帝国ホテル別館は関東大震災に耐えていた実績があったが地震対策を重視して欲しいとの注文にライトは当時日本で研究されていた耐震構造技術をも取り込んでみせて数年後の関東大震災にも見事帝国ホテルはその優美さを損なうことなく震災に耐え抜いた。余談ではあるがライトは帝国のホテル建設後も日本に長期間滞在して迎賓館など多数の建築を手がけライトに弟子入りした日本人建築家も多かったため日本の建築史に燦然と名を残すこととなる。  そして大震災の際、無事だった敷地と建物に女性や子供、老人などに開放して受け入れたことで成金趣味などと悪口を言っていた江戸っ子たちもその義侠心に感動して帝国ホテルを東京の誇りだと絶賛するようになる。無論、これも夢幻会による仕込みであり、震災対策の一環として最初から避難民の受け入れは当初からの予定であり歴史の浅い帝国ホテルに美談という箔をつけることが目的であった。

  そしてその帝国ホテルに招聘されたのが当時すでに洋食の父と呼ばれていた北であった。ホテル・リッツやホテル・カールトンといった世界的に有名なホテルを設立したエスコフィエの弟子らしくシステムマチックな体制を整え、ついでにエスコフィエに頼んで名前だけ貸してもらうことでホテル・リッツと同じような箔をつけることで東洋一の高級ホテルとして西洋にも宣伝された。その料理は日本の魚介類をメインとし、懐石料理を参考に色彩鮮やか盛り付けや食器を季節に合わせて厳選して味付けも比較的薄味に抑えた史実の70年代に流行したヌーヴェル・キュイジーヌをベースとした料理を出し、新しいフランス料理として外国人に絶賛されることとなる。

  今更ではあるが史実の知識を元にしたイカサマ以外の何者でもないのだが北は一向に気にしてなかった。料理のレシピに国境はないし特許もない、というのが彼のモットーでありその言葉に従い身につけた技術を弟子たちに惜しみなく伝えた。
  そして北の弟子たちは全国へと広がり洋食を広めていく。ある者は一切新しいレシピに手を出さずにひたすら古典的なフランス料理だけを作り極める道を選ぶことで皇居で開かれる宮中晩餐会の料理長となり、ある者はオムレツなど料理の種類を絞って極めようとすることで洋食のバリエーションを増やしていった。

  北自身は帝国ホテルの料理人たちを徹底的にしごきあげレストランのシステムを完成させると躊躇うことなくグラン・シェフの座を投げ捨て自身の店を開いた。末端もいいところとはいえ夢幻会のメンバーの一員となったことで金もコネもある以上、やはり自分の自由になる店が欲しくなったのだ。一人で切り盛りできる程度の小さな店で良い食材が手に入った時だけ開店する自分だけの城だった。

  そして時に出張して料理を作ることもある。
398. 辺境人 ◆WvgPQuc/WQ 2010/03/12(金) 21:36:10
「というわけで今回のメニューは俺が目利きしたこの時代としては最高級の牛を使った焼肉だ。ロースにカルビ、タン塩にレバーにミノにハラミとあらゆる部位を切り分けた。下処理も万全だから臭みも無いことは保証しよう。さあ思う存分食い散らすが良い!!」

「「「おおっ」」」

  火力の強い備長炭の上に置かれた鉄板の上にそれぞれが肉や野菜を置き焼き始める。酒に強い人間はビールをジョッキで飲んでおり弱い人間は台湾で栽培されている烏龍茶を飲む。換気扇を盛大に回していても室内は煙で薄暗くなっていく。典型的な焼肉の光景である。

「今日の米は新潟の実験農場で栽培されたコシヒカリのプロトタイプで出来の良いのを富士の岩清水と羽釜で炊いた米だ!  お百姓さんに感謝してよく噛んで食え!」

  洋食を広めるには予算が要る。そのためパトロンである夢幻会の住人たちに時として北は料理の腕をふるうこともあった。北が普段の職業スマイルなど一切無視して本性丸出しの発言ができる身内だけの集まりとはいえ各組織の権益代表達が集った話し合いである以上モメることもあり、そんな時に美味い食事は険悪な空気を吹き飛ばし、和気藹々とした雰囲気を作る重要な潤滑油なのだった。故になにやら日本の将来に関わる重大すぎる話題が食事の最中にあれこれ出ていたような気もするが北はそんなことを気にしない。何故なら彼は料理人であり料理のことにしか脳のリソースを使わないと決めているのだから。

「エ○ラ黄金のタレか……俺の手作りのタレが負けてるとは思わんが確かに日本人好みのスタンダードな味だしな。商品化できるかはわからんがちょっと再現できるかやってみるか。ヨーロッパに醤油を売り込むため開発中の醤油ソースと一緒にバーベキューソースとして売れるかもしれんし。よしよしよし、インスピレーションがみなぎってきたぁぁぁぁっ!!」

  食後のまったりするメンバーを余所に雄叫びをあげる北。一部やつれたり胃の調子が悪くなっている人間もいる夢幻会のメンバーの中で北は恐らくもっとも悩みの少ない幸せな人間であった。

<完>
399. 辺境人 ◆WvgPQuc/WQ 2010/03/12(金) 21:36:59
というわけでグルメ版提督たちの憂鬱でした。
…………自分は一体何を書いてるんだろうorz
うん、きっと最近完結した某AA作品を読みすぎたんだ(汗)

とりあえず今回のネタとしては、

・アナスタシア皇女と亡命ロシア人によるロシア文化の影響
・昭和初期に欧米に通用する一流のホテルとレストランの創設。
・耐震構造建築の早期開発とF・ロイドの建築様式の継承
・戦後に売り込まれた醤油など日本食の欧米への早期かつ積極的なPR
・烏龍茶や乾し鮑など中国などに輸出できる商品の開発と増産
・人口増加に伴い必要となる食料増産に対して冷害に強いコシヒカリ
  など作物の品種改良の国家レベルでの推進

まぁこんなとこでしょうか。昭和東北大飢饉に備えた食料備蓄政策とか
それに伴ったインスタント食品や冷凍食品の開発とか他にも色々ネタは
あったんですがこんだけ詰め込んだらいっぱいいっぱいでした(苦笑)
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最終更新:2012年01月03日 21:35