358 :ルルブ:2013/03/10(日) 16:35:51
『トルコ人の物語 第五章 歩んできた道、選んだ道、そして。アリー・セル・セルジュークの最期(終焉期)』



ああ、これは夢だ。
アリーはそう思った。目の前にいるのは亡き父だった。アフメット・セル・セルジューク海軍少将。
海軍の制服を着ている上に、無くしたはずの右手がある。
そして思った。

いつのまに父親の年齢を越してしまったのだろう?
いつのまに父親の階級を越してしまったのだろう?

アリーはそう思い、父に声をかけようとして、立ち止まった。
父の目が冷たかった。温かい父の視線ではない。まるで敵を見る様な、家族の仇を睨む様な視線だ。

(何故あの剣を捨てた?)

そう言っている気がする。いや、言っている。

(あれはスレイマン大帝から受け継いだ我がセルジューク家の家宝にして守り刀。
それを名もなき新参者に渡すとはどういうつもりだ?)

そう言っている気がする。違う、言っているのだ。父は自分を批判している。批難している。何故誇りを忘れて這い蹲ったのだ、そう言っているのだ。
違う!! そう叫んだ。 叫んだつもりだった。 声は出なかった。

(お前は裏切り者か? 何故だ? 何故セルジュークの当主でありながら父さんらを裏切った?)

違うんだ!! それしか道は無かった!!! 父さん、信じてください!!! お願いします!!!
僕は父さんたちを裏切った訳じゃない!! 仕方が無かった!!! スレイを助ける為には仕方なかったんだ!!!

だが父は冷たく問う。悪夢なら覚めて欲しい。いや、悪夢であって欲しい。そう心から願う。

(お前はセルジュークの軍人として陛下と帝国を守れず、父親として息子を守れなかったのではないのか?
スレイマンはポーランドで死に、メフメトはカナダで死んだ。違うか? お前が殺したのだ。
お前が全てを差し出した共和国を名乗るトルコはそれ程価値がある存在か? 
お前が必死に先祖伝来受け継いできた剣を差し出す程の価値のある存在か?)

それは・・・・・それは・・・・・

逡巡し何も言えない自分。

(お前が違う選択をしていればあの二人は、私の孫たちは、スレイマンとメフメトは異国の地で死なずに済んだのではないか?)

ハンマーで殴られた気がする。
必死に反論する。

まだ死んだと決まっていません!! まだ・・・・・まだ・・・・・まだ生きているかもしれない!!

だが、その反論を何より自分が信じ切れてなかった。

(そうかな? お前は子供を守れなかった。帝国を守れなかった。陛下を守れなかった。
伝統を守れなかった。私たちの期待を裏切った。私たちの証を守れなかった。それが真実ではないのか?)

父さん・・・・違・・・・う・・・・・違うんだ・・・・・

言い返せなくなる。

(何が違う?)

父親は、アフメット・セル・セルジュークは冷たく突き放す。

違う!!

(何も違わない)

必死で顔を振りかぶる。

違うんだ・・・・・僕は・・・・・ただ・・・・・家族を・・・・・守りたかっただけ・・・・セルジュークの家を守りたかっただけ・・・・・

(その証を、我が一族の家宝にして血統の象徴を簒奪者に奪われた者のいう事か? 
息子夫婦と孫を守りきれなかった哀れで愚かな無力な者が言えたことか?)

その言葉に堪えていたモノが崩れさった。

スレイとメフメトを殺したのは僕なの? 父さんはそう言いたいの?

父親の幻影は冷徹に言い切った。

(そうだ。アリー、お前が二人を殺したのだ。お前の判断がスレイマンとメフメトとその家族らを殺したのだ)

359 :ルルブ:2013/03/10(日) 16:38:43
そして目が覚めた。見ると妻のラーレが必死の形相で自分を見ていた。
点滴がある。ここは日本の病院らしい。
在日トルコ人の医者が先進的な日本医学と西洋医学を取り入れた江戸時代から続く伝統ある大学医学部を卒業し、在日ムスリム人向けの外国病院を開業。
あの新聞を見た直後倒れた自分は急遽、そこに搬送された。

「目が覚めた?」

ラーレもまた憔悴しきった声で言う。どうやらカレンダーを見ると既に4日が経過している様だ。

「あ、ああ。夢を見ていた」

どんな夢? 妻が無言で問う。
私は答えたくなかった。だが答えるべきだと思った。病室は個室でラーレと自分以外はいない。
長男が置いていったと言う鳥取産の西瓜と静岡の緑茶がある。

「アフメットお父さんを覚えているかい?」

「私にとっての義父であり優しいオジサンだったわ。それがどうしたの?」

聞き返すラーレ。ここからが辛い。

「父さんに会ったよ」

沈黙。
西瓜を食べる。種ごと食べた事に気が付かない。日本の鳥取産西瓜は甘い筈なのに何も味を感じなかった。
そしてその事に気が付きもしなかった。良くない前兆だがお互いにそれを気が付く事は無い。

「義父はなんと言っていましたか?」

その言葉が自分を刺す。だが答えない訳にはいかない。
彼女には嘘をつかないとアラーの前で誓約したのだから。

「私を裏切り者と言っていた。剣を奪われ、子供を守れきれなかった無能とも言っていた」

答える事が出来ない妻。ラーレのその顔を見ながらアリーは泣いていた。
無論自覚などしてないだろうが。
気が付かずに泣きながら笑っていた。ラーレもその痛ましい夫の姿を見る事が出来ず、用があると言って退出する。

「・・・・・・父さん・・・・メフメト・・・・・スレイ・・・・みんな・・・・ごめんなさい」

アリーは言葉に出して今は亡き父親に謝罪した。

だが、その謝罪を聞くものは誰もいない。そして謝罪したところで失った存在が帰って来る事も。

360 :ルルブ:2013/03/10(日) 16:40:36
独ソ戦が本格化した欧州でドイツ軍はついにポーランド全域を占領下に置く。
その際に、中立を保っていたトルコ大使館に2個中隊が侵入した。
夢幻会が予想しなかった英独停戦という事態に、ソ連の独裁者スターリンはドイツによるソビエト連邦領土侵攻は時間の問題だと判断。
冬戦争の教訓を活かした部隊と大規模な二級線部隊を独ソ国境線に展開。結果としてポーランド全域が戦場と化した。
その最重要拠点の一つなったワルシャワでは暴走した一部のソビエト連邦軍の中央アジア出身の兵士が各地の大使館に乱入。
流石にアメリカ合衆国や大日本帝国、欧州各国と言う国の大使館は指揮官が理性を働かせたが、それ以外のごく少数の大使館はソビエト連邦軍に占領され略奪された。
この時、スレイマン・セル・セルジューク中尉は家族だけでも本国に帰還させようとしたが時すでに遅く、半分暴徒と化していたソビエト連邦軍によって家族ごと殺された。
妻と双子の娘は慮辱され、本人は5人がかりで殴り殺された。
ソビエト連邦上層部がこの失態を知ったのは、スレイマン・セル・セルジューク中尉が死んでから2時間後の事であり、急遽、その暴行殺人を行った兵士らを銃殺刑にする事で国際社会(あくまでトルコ共和国では無い)に配慮する姿勢を見せたが、それ以上の事は無かった。
そして独ソ両国のワルシャワ攻防戦が終了し、ポーランドの支配者がナチス・ドイツにとって代わると一般親衛隊が労働力確保と治安維持(無論、ドイツの為の治安維持)を目的に進駐。
その際にあるエピソードが起きる。

ポーランド・ワルシャワ・トルコ大使館地下室

「中尉殿、こちらから下にいけます」

ドイツ陸軍軍曹の階級を付けた男が上官を呼ぶ。
瓦礫と化していたトルコ大使館跡で地下へのルートを発見。ドイツ軍上層部はトルコ政府に恩を売るべく行動し、何か有益な書物などが残って無いか調べていた。
そして発見されるトルコの機密文章とトルコ大使館に勤務していた者らの私物。いや、遺物。

「よし、がれきの除去作業開始。第3小隊と第4小隊は周囲の警戒を怠るな。イワンの残党が隠れているかもしれん。
第1小隊、瓦礫除去後に、発煙弾を中に投げ込め。生き残りのイワンのくそ野郎に撃たれたくないだろう?」

そう言いながら第2小隊が瓦礫を除去、その後、ドイツ軍の中尉はそのまま小銃を持って警戒しつつ5部屋ある地下室を探した。
そして一つの人物の肖像画を見つけた。

「中尉殿、これは?」

「分からん・・・・・背格好に来ている服からトルコ人の様な気もするが・・・・・誰が書いたのだろう?」

そう思ってライトを当てた。
其処にはドイツ語でこう書いてある
モデル、アリー・セル・セルジューク大佐、フラウ・ラーレ・セル・セルジューク。と。

「セルジュークという男・・・・まて、確か先程確認した死体の認識票も姓はセルジュークだったな?」

確認します、そう言って部下に確認させる。
それから2分か3分かして二等兵から伝令が来た。

『確認しました。トルコ大使館駐在武官スレイマン・セル・セルジューク中尉です。
また彼の懐にあった私物らしき写真から見るに側に裸で放置されていた女性の死体は娘と妻と思われます。
現在我が第3小隊が埋葬中です。尚、婚約指輪と双子らしき女の子のしていたブレスレットは回収しました』

彼の部隊は悪名高いナチス・ドイツ軍であるが、その古参兵は第一次世界大戦で初陣を飾った者が多く、しかも東部戦線でオスマン・トルコ帝国軍と共同戦線を戦い抜いた。
それ故にか、戦場での人種差別が少なかった。死者に対する態度も偽善とは思いながらも出来うる限り丁寧さを心がけていた。
だから丁寧に放置されていた遺体を埋葬している。彼らベテラン兵は知っていた。それが偽善と知りながらも。

「そうか・・・・引き続きトルコ人の埋葬と遺品の整理も頼む。大隊長にはこちらから連絡して置く。
ん? どうした軍曹何か見つけたか?」

無言でライトを右下の、絵を描いた人物の名前に当てる。そして中尉も危うく小銃を落としかけた。
そこにはドイツで最も有名であり、自分も持っている本の筆者のサインが書いてあった。

『作者 アドルフ・ヒトラー』

そう書いてあった。

361 :ルルブ:2013/03/10(日) 16:42:41
絵画が発見されてから2週間後、ベルリンの総統府にて。

「エヴァ、どうした?」

愛人にして秘書のエヴァが来た。

「シュペーア軍需相とゲッペルス宣伝相が個人的に会いたいと」

会議は終わったばかりだし、シュペーアはまだ仕事がある筈だが。それにゲッペルスとシュペーアとのコンビと言うのも珍しい。

「ふむ、では30分後に執務室に来てくれ」

30分後。ヒトラーはかつての青春時代の自分と対面する。

「これは総統閣下の描いたものですか?」

シュペーアが尋ねる。
思い出に浸りながら頷くヒトラーは気が付いた。絵の裏側に妙な跡があるのを。

「エヴァ、ペーパーナイフを」

そう言ってエヴァからナイフを預かる。
何事かと見守るシュペーアとゲッペルス。

そしてヒトラーはもう一つ、その肖像画の裏に隠されたドイツ語の日記を見つけた。
後に世界を動かす日記の一つとなる、ある懺悔の日記だった。
ぱらぱらと日記を読むヒトラーはいつの間にかそれにのめり込む。
3人を置いてきぼりにして。気が付いたら涙が出ていた。

(セルジューク大佐殿)

そう思わせる。彼の身に何が起きたのか、それが漸く分かった。
あれ程の名将がなぜ今のトルコ共和国軍におらず、極東に追放されたのかも。

362 :ルルブ:2013/03/10(日) 16:43:23
1943年1月下旬

「ハワイ沖海戦で日本が勝った事も、トルコ共和国が武装中立を宣言した事も何もかも最早どうでもよい」

見舞いに来た長男夫妻、サラフとアイラ、孫娘のアイシェ、日本風の名前を付けられたアイとランの五人に夫はそう言った。
既に医者の見立てでは次の桜を見る事は無いだろう、と。
いいや、この冬を超えられるかどうかも怪しい。

「私は何の為に生きてきたのだ? スレイを助ける為にすべて捨てた筈がそのスレイはポーランドで孫ともどもソビエト軍かドイツ軍よって殺害。
更にメフメトは大西洋の大災害で死亡。残ったお前もアイラさんももう子供は産めない。
男子存続によって繋がってきた、我がセルジューク家は途絶える。
あの剣も却って来る事はあるまい・・・・・父さんは一体何のために、誰の為に、どうして戦ったのだ? 何故人を殺してきたのだ?」

何も言わない。
何も言えない。
ああ、きっとアフメットお祖父さんがひい御祖父さんの死を聞いた時もこんな気分だったのだろう。
そう柄にもなくサラフは思った。
ふと、父が弱弱しい口調で口ずさんだ。

「恩知らずの祖国よ、お前は決して我が灰を持つ事は無いだろう」

それは古代ローマの名将スキピオ・アフリカヌスの遺言。
聞いてサラフは強く父の、あれほど頼もしく感じ、いまや折れそうなほどにまで弱弱しい右手を両手で包んで言った。

「父さん、必ずこのサラフが父さんの名誉を回復させます。だからそれまで生きていてください。お願いします」

頭を下げる。続けてラーレを除くサラフの家族が、孫娘たちが頭を下げる。
だが父親であるアリーの想いを変えることは出来なかった。

「私はトルコ共和国にとって不要となった。いや、有害なのだ。ケマル中尉も既にこの世にいない。
          • サラフ、私の人生は父の遭難から始まった。
そして、祖国を二度も失い、この極東の友人達の故国である日本で終わる。
思えば日本人と関わりだしたのが私の分岐点であったな。だからその終着点もまた日本なのかもしれない。
あの塹壕戦で思った。西部戦線で日本人と殺し会った時の無常さを。そしてそれでもお前は友人だと言ってくれたアキヤマの心の温かさに泣いた。
その後は必死だった。部下を殺さない様に戦った。部下を殺したくない一心で敵を大勢殺した。全ては帝国の為だった。
だが、気が付いたら私の祖国は、オスマン・トルコ帝国は無くなっていたのだ。
忠誠の対象だった陛下もいなくなっていた。私のあずかり知らぬところで。私達旧帝国の残照を置いていってしまった。
そして・・・・・無くなった帝国と言う存在に拘った結果がメフメトとスレイの死か。
何とも笑えない、いや違う、何とも笑える人生だな。
愛刀を捧げ、全ての罪を背負って生まれ故郷を去った結果がこれとは・・・・お笑い草だ」

そう言うと父は咳き込んだ。
既に延命治療を拒否している父だ。もう長くは持たない。

「また来ます。娘たちはまだ父さんと話をしたいらしいから妻のアイラと共に置いていきます。
決して早まった真似はしないで下さい。お願いします、いいですね、お願いします」

その後の病室で語らった一時はアリー・セル・セルジュークの心を少しだけ和ませた。
だが、それも別れが来る。孫が帰るたびにもう二人の孫とスレイを思い出す。
そして、嫁ももらわずに親より早く逝ってしまった三男のメフメトの顔が離れない。

(なぜあの時、あのアンカラの大統領府でケマル中尉に忠誠を誓わなかった? 何故あんなことをした? 
もしも彼に忠誠を誓っていれば違った未来もあったはずなのに・・・・全ては愚かな自分の行動の結果だったというのか?)

自問自答しても答えは出ない。
それはもう何十回、何百回と問うたこと。そして悔いた事。だが結果は変わらない。

(すべては・・・・・神の・・・・)



1943年5月、72歳となっていたアリー・セル・セルジュークは静かに息を引き取った。


彼の遺言である。聞いたのは60代後半になっていた妻のラーレ。

『遺体でなくても構わない。灰となってでも良いからトルコ共和国のイスタンブールにある先祖伝来のセルジューク家の墓地に埋葬してほしい』

363 :ルルブ:2013/03/10(日) 16:43:59
が、当時、ケマル大統領らを失い、秘かに頼りにしていたアメリカ合衆国があっけなく崩壊・消滅し、ソビエト連邦の敗戦も見えてきた時代の祖国、トルコ共和国首脳部は日本とドイツのいずれかに味方するかで揉めていた。
その時点で最大級の勢力を保っていたのは日独双方への武装中立派であったが、皮肉な事にこの武装中立派の大半が嘗てのアリー・セル・セルジューク中将の教え子らの巣窟。
アリーはケマル中尉と感情面では対立しながらも公務では同調、近代戦のノウハウと共に外交や近代化、国力増強の必要性を教え続けていたのだ。
それ故にケマル大統領以外の大統領府の閣僚や高級官僚らにクーデター予備軍、叛乱の旗頭になると危険視されていたのだが。
その教え子らが、死体となったアリー・セル・セルジュークを旗頭に決起する可能性を考慮すると、現トルコ政府は彼の、アリー・セル・セルジュークの無言の帰国は認められないとした。
無論、表だってその事を言えば国を割る可能性があるので、極東の日本から悲鳴の様に送られてくるサラフ・セル・セルジュークの要請は直属の上司らがその場で誰にも見せる事無く直接焼却処分。
更に長男サラフに対して二度とその事を進言するなと脅した。

『国を守るか、父親を取るか選べ。ただし、父親を選んだ時はトルコ共和国が無くなるであろう、それを覚悟せよ』

という電報と共に。
こうして、アリー・セル・セルジュークは異国の地、大日本帝国の国営外国人専用墓地に葬られる事になる。
この国営外国人専用墓地は夢幻会が日本の多様的発展を望んで作ったものでありかなりの人間やお雇い外国人、亡命ロシア人が埋葬されていた。
そして皮肉な事に、かつて旅順攻防戦で戦った大日本帝国の勲章を持つトルコ人と言う事でかなりの大日本帝国政府高官が埋葬と葬儀に参列した。
トルコ人からはアリーの親族を除けば大使館員の中堅事務員が一人外交儀礼として参加しただけであった。



「お祖父さんの仇」

そう言ったのはアイシェ。
アリーの母親の名前を受け継ぐサラフの娘は成人した時、父親のサラフからクーデターの真相を聞かされる。
妹二人、アイとランは日本で生まれ、日本で育ち、最初から日本語教育を受けて日本の文化に慣れていたが故に祖国がトルコ共和国と言う意識が無かった。
アイとランはそもそもトルコ語が話せないし書けない。トルコの歴史も殆ど知らない。日本の歴史の方が詳しい位だ。
実際、夢幻会の推し進めるお嬢様学校の優等生であり肌が若干黒い以外は日本人とさして変わらず性格も明るく多少能天気な故に学友も多かった。
ムスリムでさえない。
また後に名古屋帝国大学と筑波帝国大学に入学するだけの才能も有り、妹らはトルコ共和国に対して無関心であった。
が、幼い頃からトルコ共和国を知っていたが故に、また明白に記憶に残るアリー・セル・セルジューク。彼はアイシェにとって優しい祖父である。
その上、父親から祖父の武勇を聞かされて育ったアイシェは妹たちと違った。
彼女にとってトルコ共和国とは、セルジュークの血統を穢し、祖父の名誉と地位、誇りを奪い、叔父たちを生け贄した憎むべき存在だった。

『愛の反対は無関心である』

マザー・テレサはこういう。だが、アイシェ・セル・セルジュークにとって愛の反対は憎悪だった。
後に大日本帝国外務省に勤務する為、帰化したアイシェ・セル・セルジュークはアリー・セル・セルジュークの名誉回復運動の為に、もう一度トルコ国籍を取得してトルコに戻ってほしいと哀願したトルコ大使に対してこういった。

『我が祖国はここ大日本帝国です。そしてトルコ共和国は私にとっては他国です。
祖父の名誉回復が貴国で成功したならば、その時初めて、『日本人』として『貴国』に『親善訪問』、お伺いしましょう。それでは』

364 :ルルブ:2013/03/10(日) 16:44:32
1945年 一つの映画がドイツで製作された。
プロイセン王国を舞台にした映画で、主人公はヒトラー総統が大嫌いな筈のユンカー(ドイツ貴族)の家系。
その家系に生まれた一人の男子が戦争で戦果を挙げるも、国内の不穏分子の存在を察知。息子と共謀してその不穏分子を自ら纏め上げ、最終的には自身を首謀者にして不穏分子の反国王クーデター計画を一掃する。
その後、彼は国王に謁見、『貴殿の功績は大きい、何をもってして報いるか?』という国王直々の命令に対してこう願い出た。

『自分はクーデターを示唆した重罪人です。陛下の温情は身に余る光栄ですが受ける訳にはいきません。
どうか国外に永久追放してください。そして全ての名誉を剥奪し、今後、王国に反逆を企てる者への見せしめにしてください。
また許されるならば、いつか躯となった自分の帰国を許していただきたい。それだけが望みです。
国家と陛下に永遠の繁栄があらんことを。失礼します』

そしてプロイセンの宮殿を去る。その際に家宝であり、先祖伝来のサーベルと勲章を国王に返上した。そのまま扉が閉まった。
ここで映画は終わる。これは欧州各国からトルコを経由して東南アジア、日本、太平洋全域、南米、中米、カルフォルニア共和国に伝わり大反響を得る。
クーデター計画の是非、その潔さ。高潔さ。先祖伝来のサーベルを渡す時の苦渋に満ちた表情などが大絶賛された。

『国家に忠誠を誓う軍人とはかくあるべし』

こうしてゲッペルスら宣伝省がヒトラー総統の肝いりで創られた映画『ある貴族の物語』は大好評のまま幕を閉じる。

後にヒトラーは我が闘争の改訂版でこの映画には一人のトルコ人がモチーフとなったと数行だけ書いた。
そのトルコ人は自分と共に第一次世界大戦の西部戦線を戦った戦友であるとも。



1960年代

第二次世界大戦は過去の戦争となり世界は新秩序の下、歩み出している。
一方で歴史家はアリー・セル・セルジュークをこう評価した。

『不敗の将軍にして救国の英雄』

『もっとも高潔であるが故に唾棄すべき売国奴の汚名を被った悲劇の存在』

『オスマン・トルコ帝国最後の騎士』

『トルコ人民の盾、国父の影』

と。

映画の影響と流れる歳月と言う濁流の前に、アリー・セル・セルジュークの汚名は雪がれ、名誉回復が図られた。
だが皮肉な事に、この時点でサラフ・セル・セルジュークは妻のアイラ・セル・セルジュークと共に交通事故で死亡(アリー・セル・セルジュークの残照を危険視した一部過激派の陰謀と後に判明)。
残ったアリーの孫娘はアイとラン、アイシェはそのまま日本人として生を全う。
が、三人は二度とトルコの大地をトルコ人として踏む事は無く、更にアイシェは先祖伝来の三日月刀を国宝としたトルコ共和国政府に反発して、祖父母と両親の遺灰を日本に埋葬。

『これは私の・・・・いいえ、アリーお爺様の復讐よ』

そう述べた。



アリー・セル・セルジューク中将、享年72歳。
オスマン・トルコ帝国の伝統ある軍人の一族に生を受け、その終焉を看取り、息子のために祖国から追放され、その息子らも自分より先に失った一人の名将。

365 :ルルブ:2013/03/10(日) 16:49:24
彼が死んでから半月後、妻のラーレも息を引き取る。静かに眠るように逝った為、遺言は無かった。
彼女は夫の傍らで今も眠っている。

(父さんと母さんはトルコに帰りたかったのだろうか? それとも父さんの言うように共和国は既に祖国では無かったのか?)

息子のサラフに答える事はもうない。
そして祖母の葬儀で不穏な気配を出していた自分の娘にも迂闊にも気が付かなかった。
彼女は確かにアリー・セル・セルジューク中将の直系だった。
その意志の強さと言う意味で。サラフら兄弟の誰よりも、もしかしたら母のラーレ並みに祖父アリーを敬愛したアイシェ。
彼女の奥底で何が起きたのかはこの時点では誰も分からなかった。
そしてアリー・セル・セルジューク退役中将の葬儀にさえ事務員の一人しか派遣しなかった現政府がその夫人の、反逆者の伴侶の為に誰かを派遣する筈も無い。
公私混同でもあるが、サラフ・セル・セルジュークの派遣を持ってして良しとした。

死後、彼の、アリー・セル・セルジューク中将の名誉回復がトルコ共和国でなされるのは1970年代も後半に入っての事であった。
が、この時点でセルジューク家という家系は既に存在せず(アリーの孫娘らは全員嫁に行き婿はいなかった)、彼らセルジュークの家系がスレイマン大帝から授かった三日月刀はトルコ共和国大統領府大統領執務室に飾られている。

尚、最後に不思議な現象がある事を述べてこの物語の終焉としよう。
このセルジューク家の三日月刀、何故か抜刀できた大統領は初代大統領のムスタファ・ケマルのみであった。
歴代トルコ共和国大統領はこの剣を抜く事で自分があの国父に匹敵すると証明したく、その様な行動をするが、誰にもあの伝統ある剣を抜刀できた者はいない。



トルコ人の物語 完

366 :ルルブ:2013/03/10(日) 16:51:23
追記

初の長編でしたが内容はどうでしょうか? 面白かったでしょうか? 下らんもの書くな!と怒られそうで怖いですね。
イェニチェリとか誤字脱字とかいろいろ勉強不足もあり申し訳ありませんでした。
傲慢さを覚悟で言わせてもらえれば皆様のご感想、ご批判をお待ちしております。
特に最後まで感想はかかねぇ! 的な方の感想を頂ければ尚嬉しいですね。
タイに比べてダークな終わり方をし、更に日本あんまり出てないと言う指摘もあると思いますが・・・・そう言った点でも感想を頂ければ幸いです。
最終話まで読んで頂きありがとうございました。全体を通しての感想とか頂けたら感謝の極みですね。
それではみなさん、お疲れ様でした。ありがとうございます!! 本当に読んでくれありがとうございました!!!

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最終更新:2013年03月11日 20:44